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『火粉を払う、息を吸う 15』 史絵

 (さく)の服に、じわじわ血が染みはじめる。体を預けていた大きな木から左手を離し、再び血まなこ男の前に立つ。男もそろそろいい加減マジに目の前の女を殺さなければまずそうだと、決意の力で奮い立ち、痛む腹から手を放して新しいナイフを取り出す。カチッ。この刃の小ささで、ああもスパスパと缶を切り裂いてゆけるのだから、刃物は危ない。

「(刃物は、危ない)」

 (さく)は、当然のことを、そうやって、ぼんやり考えていた。さっきかすった唇の裂け傷に意識がいく。じくじく痛む。肺が満たされたので、もうこれ以上空気を吸い込むことはできず、吐く。ひゅうぅ、大きく大きく、ひと息に息を吐き切ろうと、口を開ける。それを“隙”と見たのか、血まなこの男はいきなり腕を振り上げ、こっちに向かってきた。空気そのものを切り裂いてゆく勢いで、ナイフが振り下ろされる。咲は後ろに下がる素振りを見せる。

(おせ)え!」

 叫びながら、ナイフは咲の胸めがけて──突き立てられよう────と────は、ならなかった。……「ビタリ」、といった擬音が聞こえそうなくらい綺麗に、血まなこ男のナイフの握られた腕は、咲の20センチメートルほど前で静止した。

「は、」

 空気の抜ける声で戸惑う男の目の前で、咲は、息を吐き切った。今度は吸う。すぅう、と。空気を吸い上げる。


 血まなこ男の腕は、まるでパントマイムをしているかのように空中で静止して動かない。時が止まったかのようだ。再び時が動かされれば、0.1秒後にはナイフが完全に振り下ろされ、咲の胸を貫く。そんな状態だ。

「あ、が、(いて)えッ!」

 咲は動けずにいる血まなこ男から、握っているナイフを取り上げ、数歩下がって完全な安全圏までいく。見ると、血まなこ男の動かなくなった腕には、なにも符号が置かれていない楽譜のように、真っ直ぐな5本の線があった。その、赤い5本の線から、それぞれ赤い液体が垂れてきて、まるで符号が置かれたかのようになって、ほんとうに楽譜みたくなった。全部、血だった。

 血まなこ男はこうなってしまった腕を凝視して、理解した。腕には、5本の糸のようなものが強く深く食い込んでいたのだ。勢いよく振り下ろした腕は、ピンと張っていた糸に勢いよく引っ掛かり、食い込み、肉が切れた。間違いない、これは(さく)の「祈り」だ!左右を見ると、右にも左にも木があり、それぞれ地面から1メートルくらいのところから、細い細い糸が伸びていた。本当によく見ないと気づかない。ほとんど存在しないみたいだ。「蜘蛛の糸だってもう少し光を拾うだろうに」と、血まなこの男は呆れた。


 血まなこ男を目の前に、咲はラムネ菓子の詰まった瓶を取り出し、蓋を開け、数粒口に放り入れた。ごくり、と飲み込む。そしてなんでもないかのようにしゃがんで、男の両足を、それぞれ自分の右手・左手で触れる。「タッチ」と言う。男の右足と左足が()()されてしまった。次に咲は口で転がしていたラムネ菓子もう1粒を飲み込み、男の、まだ自由な方の腕と腰あたりを右手左手で触れて、()()した。これで男はもう完全に動けない。片方の腕は出血するほどに糸が食い込み、もう片方の腕は腰と、両足は両足同士で縫合されてしまっている。それを満足げに眺めて、咲は口を開く。

「地球と月を縫合できたりするのか と尋ねたよな。答えてしんぜよう」

 男は表情を歪める。気にせず咲は続ける。

「糸をつける対象があまりに重いと、その二つは縫合されない。地球と月は多分、縫合できない。深く根を張った木と木も、な。縫合できない、するとどうなるか……」

 咲は、男の腕に食い込んでいる糸……二本の木の間にピシッと張られた5本の糸の一本を、ピンとはじく。男が苦しそうに口を開く。

「二つの対象物の間には、互いを()()()()()()()()()強い糸が張られるわけか……」

「そういうことだボケ分かったか!」

 耳をすますと、二本の木はほんの(わず)かに、ミシ、ミシ、と音を立てている。ふたつを縫合したがっている糸が、木と木を強い力で引っ張っているのだ。そのうち、根っこから引き抜かれて片方の木が片方の木に超速で縫合されるんじゃないか、そして間にいる自分はべちゃんこになるんじゃないか、と思ってしまい血まなこの男は震えあがる。

「俺の負けだ」


 咲は木と木の間の縫合未遂の糸を()()する。だるん、と、男の血まみれの腕が重力に従うままに垂れ下がる。何かしてくる前に、そっちの腕も腰と縫合しておく。これで男は、「気を付け」の姿勢のままなにも動かせない。両腕ともそれぞれの側の腰にビシリと当てて、足もピッタリ閉じて立っている。

「まるで小学生低学年委員長だな」

 咲は笑かすつもりでそう言ったのだが、男はぴくりとも口角を上げなかった。それどころか呆れるような表情で、

「お前、史絵(しえ)ちゃんを組織に渡さないで、どうするつもりだよ」

などと言ってきた。


 咲は「思い出した」とでもいうような表情でぽつりと呟く。

「ああそうだ、史絵(しえ)だ、史絵。はやく保護しなければならない。どこ行ったんだ?こんなところで逃げるとかえって危ないのに」

「聞けよ」

「え 何?」

「いやだから、咲!お前、組織に史絵ちゃん渡さないとマズいだろ!今からでも間に合う。組織は史絵ちゃんのこと、血まなこになって探してる。俺以上のヤツが差し向けられたら、お前も史絵ちゃんも、まともな死に方できねえぞ」

「血まなこって、お前がいうなよ」

「俺のは充血だ!俺は別にそこまで必死に史絵ちゃんのことなんか探してねえよ!」

 声を張り上げ、興奮したせいか男の腕の裂け傷から、ぶしっ、と血が再び噴き出す。

「痛えぇ……!」

「落ち着けよ。もうお前負けてんだから。私に」

 男は「うるせえ!」と再び声を上げる。


 少しして、男が再び話し始める。

「……俺だって、あんな小さな女の子に人体実験めいたことをさせたがる組織の指針には正直ドン引きだ。一般的倫理観を持ち合わせてるんでな。が……分かるだろ?従わないとこっちが危ない。なんだって自分を危ない目に合わせてまで、あの子を守ろうと……組織を裏切ろうとしてるんだ?」

 右手親指と人差し指を鼻にあて、「うぅん」と唸り、返答が用意できたのか咲ははきはきと話してみせる。

「私たちは、宗教2世だ。マヌケな新興宗教信者を親に持ったために私たちまで、なりたくもない信者になってしまった。カタチは違うが、史絵も親のせいでこの宗教のいざこざに巻き込まれるはめになっている。だから……」

「だから、なんだ?」

「だから、助けたいだけだ」

 しばらく沈黙が流れた後、行儀正しく「気を付け」姿勢で縫合されている血まなこの男が、思い出したように言う。

「そうか……。あ、そうか、史絵ちゃんは自分の母親がどういうものなのか知らないのか」

 それに対し咲は短く答える。

「これから、知ることになる」

 血まなこの男は「ああ…」と言ったきり、再び黙った。そんなことはないのだが、まるで上唇と下唇を糸か何かで縫合されたように。



 史絵(しえ)の手の上に乗っている小さな土のかたまり。制服に付着していた土がモクラの一部だと判明したことで、彼女はいくらか安心と興奮を得た。知らない奴に誘拐されどこか分からない林の中に放置され、不安の中見つけた、()()()()だ。強い安心感に全身包まれて沈み込むような思いだ。

 安心感だけではない。興奮……期待もある。この土がモクラ本体と感覚のようなものがリンクして、モクラにこれの位置なんかが分かっているのなら──つまり発信機として機能しているのなら、まくらに伝えてくれる。きっと。スケッチブックにでも「しえ(史絵)は これこれ こういう ばしょに いる」と書いてくれるだろう。するとまくらは、警察に連絡してくれる。きっと。「これこれこういう場所でトラブルが起きている」と伝えればすぐ警察はそれそれそういう場所に駆けつけてくれる。もっと具体的に「ボクの友達が誘拐されてるんです!いまこういう場所にいるみたいで!」と切羽詰まった声を受話器に向かって叫ぶのかもしれない。それでもやっぱり警察は来てくれる。

 今なんとなくいい流れができているのだから、このまま いい流れよ、どうか続いてくれ。史絵はそう願い、胸のあたりで右手をきゅっと握る。左てのひらの上で、モクラの一部だと思われる土のかたまりがぴょんと小さく跳ねる。




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