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『火粉を払う、息を吸う 14』 史絵

 (さく)の口の悪さは、戦いに入ってからさらに程度をひどくした。ほとんど暴言を撒き散らかしているようだ。

「くたばれ!」

 叫びながら(しょう)(てい)を突き出す。ひょいと、血まなこは肩をすくめて躱す。おかえしにと、ナイフを突き上げてくる。顎を貫通されては嫌なので(さく)は顔を引く。ピッ、と音を立て、血がはじける。躱しきれなかったようで、咲の唇がぱっくりと切れていた。

「イタ……」

 止まることなく、血まなこはナイフを握る手に力を込め、咲の心臓に向かって直線に腕を伸ばす。レールの上を走るようにまっすぐに伸びる。それがかえって仇になってしまったようで、もう軌道を変えることのできないスピードで突き進むナイフは、しなやかに発射された咲のハイキックに蹴り飛ばされた。その際、手も蹴りに巻き込まれたようで、血まなこは痛そうに手をひらひらとさせる。


 史絵(しえ)の手のひらが湿っている。汗がひどい。雨上がりでじめじめした暑さのせいでもあるが、それよりも目の前で行われている戦い……いや、殺し合いのせいだろう。あの血まなこが勝ってしまえば自分は宗教組織のところに連れていかれて、あまり良くないことを施されてしまうかもしれない。なので、(さく)が勝ってくれたほうがいいと思う。でも、咲だって、本当に敵ではないかは分からない。あんなに、人を殺そうとしていることに躊躇いの無い人間たちだ。自分の敵とか味方とかないような気がする。……「関わりたくない」、それだけだ。

 はっとする。血まなこがここに現れた理由は、あっちで縛られているボーダー服のおばさんに発信機が付いているからだ。だとすれば、血まなこ以外にも、“組織”とやら所属のヤバ人間がここにやってくる可能性は充分にあるではないか。慌てて、きょろきょろと回りを見渡す。……林が広がっている。土と、木と、曇り空しか見えない。人は他にいない、ようには見える。でも潜んでいるかもしれない。どこから、どうされるのか、分からない。怖い。不安が身を覆う。

「う、……」

 両肩に手を回して丸まってぶるぶる震えてみようか。とも思ったが、怯えるだけで状況が改善される気配もない。むしろサッと立ち上がり、史絵は、せめて何か護身に使えそうなものは落ちてないか探すことにした。護身用ナイフなどが落ちていれば、お守りくらいにはなるのに。とでも思っていたが、当然そんなものあるはずがない。ここは平和の国の、平和な林の中だ。……林には、土と、木と、曇り空しか見えない。少し遠くで、殺し合いをしている2人が見えるくらいだ。


 血まなこ男は、その薄手の迷彩シャツのどこに隠す場所があったのか、脇腹のあたりから新しいナイフを取り出した。さっき蹴り飛ばされものと同じく小さなものだったが、どうせ今度のも、缶を簡単に切り裂けるほど切れ味のいいものに違いない。

「女相手に武器とか恥ずかしくないのか」

「命のやり取りに性別は無い。買った魚がメスだったら、包丁は使わず捌かなきゃだめなのか?」

「……」

 咲が上手い返しを考えている間に、血まなこはナイフを強く握って、ブルを狙うかのように投げた。ナイフはダーツとは違って、くるくる回転しながら飛んで行く。もう思考する暇はなく、咲は反射的に手をかざしてしまう。偶然にも、回転するナイフが柄の方を向いているときに、手とかち合った。ばちっと金属と骨がぶつかる音がして、ナイフが落ちる。手をかざしていなければ、きっと完璧な軌道を描いて飛んでいたこのナイフは咲の肉体に刃の方を突き刺していた。手がじんじんする。口の中は血でしょっぱいままだし、いらいらしてくる。

 なにか言ってやろうかと思ったが、会話は体を動かしてやるものでもないかと考えなおし、咲もいい加減攻撃に転じることにする。びゅうと音がした。咲の銀の髪がピンと張るように伸びる。咲は風になったかのように、前のめりで駆けだした。ぴったりと張りついたジーンズでは動きづらいだろうに、ここまでしなやかに動く。そのことに血まなこは少したじろいだが、すぐに新しいナイフを取り出した。2本……両手に一本ずつ。ギラリと光る2本を見ても、咲は止まらない。


 史絵はもう戦いを見てすらいなかった。どこから、あの血まなこ男の仲間がやってくるのか分かったものではない。男と咲の、まるで手順の無い「祈り」のことも気にはなっていたが、第一は自身の安全だ。気配のようなものが周囲にないか気を向けつつ、視線は地面になにか使えそうなものがないか探している。……制服のポケットになにか武器でも忍ばせておけばよかった。でも、学校の帰り道にこんなことに巻き込まれるなんて、誰が想像できる?泣きそうになりながら、何も入ってないであろうポケットをぱんぱんと叩いてみる。片方にハンカチがあった。なるほどこれは手を拭くことなどに使えそう……はあ。反対側の方は、ほこりすら舞わない。色々入れている通学鞄はあのドラッグストア隣の駐車場に落としてきたのだ。……そうだ、通学鞄も後で回収しなければ。そのためには、ここから生きて帰る必要がある。

 がさっと物音がする。ビクッと体を揺らす。見ると、どこかで風が吹いたようで、物音は、気に引っかかっていた大きめの枝が落ちた音だったようだ。近づく。かなり腐敗しているようで、とっても軽い。けん、と蹴り飛ばす。


 咲の脚は長く、ジーンズの硬い布越しにものびやかさを感じさせる、一方で芯が通っているようにしっかりしている。まるで布を走る針のようだ。咲の走り方は、コーラルステッチと呼ばれる縫い方を連想させる。小さなじぐざぐを作りながら、地面を刺し進むようなのだ。

「ぅおぉッ!!」

 猛々しく叫ぶ。手足から繰り出されるであろう攻撃に備えていた血まなこ男は、咲が急におたけびという行動を取ったことが想定外だったようで、自身でも抑えることのできない体の「びっくり」を起こしてしまう。つまり、びくりと体を震わせ、一瞬思考が止まってしまった。その隙に一歩、ずん、と大きく踏み出し手を鞭のように振る。ビタンと低い音を立てて、咲の手のひらは木を思い切り叩いた。小さなささくれが手のひらに刺さりまくる。……男は頭を下げて、咲の手の鞭を避けていたのだ。むしろ男はその際に、地面に落ちていた缶ジュースにナイフを突き立てたようで、そこから噴き出すぶどうジュースの飛沫は、硬質化して無数のくないに姿を変えて咲へ向かって飛んでゆく。『世界のびっくり仰天映像』系のテレビ番組でたまに見かける、極寒の地でペットボトル飲料の蓋をあけ、中の液体をバッと撒くと、外界に触れたところからカチコチの氷になってしまいあらびっくり……みたいな映像があるが、あれそっくりだ。

 ぶどうジュースのくないはひとつひとつが小さいが、噴き出す勢いもあって、服を貫通して柔らかい人間の肉に刺さる。痛みが神経を走り切る前に、間髪入れず、咲は左足を蹴り上げる。蹴りは男の腹のあたりに直撃し、男はよろよろと後方に下がる。

「げぼェっ、」

 血の混ざった大量の唾を、湿った地面にまき散らす。


 史絵は思わず両手をそれぞれ両耳にあてて(ちぢ)こまる。あっちの方から「ぅおぉッ!」みたいな、叫び声みたいな、というか、咲の声みたいなものが聞こえてしまったから。悲鳴というよりはおたけびで、咲がやばいことになっているようではないだろうが、安心できる声ではなかった。

「どうなってるんだろ、あっち……」

 妙に首が痒い。ほとんど無意識に、肩と首の境目みたいなところの痒さが気になった。指の腹でさっさっと掻いてみる。ぱらぱらと土が落ちた。

「土……?」

 なんだか、襟が膨らんでいる。小石でも挟まっていたのだろうか、と、膨らみを掴む。ぴ、と引っ張り出すと、それは石ではなく土だった。とてもとても小さな、泥団子のようだ。こんなのに構っている場合じゃない、と放り捨てようとして、ふと止まる。

「…………これ……」

 いやこんなこと考えるのはおかしいのだけど。精神がそれなりに摩耗していたのと、先ほど聞いた普段はあまり聞かない単語が頭にひっかかっていたこともあり、史絵の思考は飛躍に飛躍を重ね、その先で結びつき、とんでもない結論を出した。出してしまった。

「発信機?」



 血まなこ男は腹を抑える。特に胃が痛い。体育館に声が反響しているように、胃という空洞の中を痛みが乱反射して響いている……そんなイメージが思考を覆った。



 史絵がただの泥っぽい(ごく)(しょう)土塊(つちくれ)のことを「発信機」などと抜かすに至ったのは、なぜか。

 なにも、あのボーダーおばさんが、どこかのタイミングで史絵に発信機を付けたと言いたいわけではない。これは、あの血まなこ男らヤバ宗教組織の発信機だと言いたいわけではないのだ。これは、この発信機は、まくらの……モクラの発信機だ!!

 モクラは、まくらの「祈り」によって生まれた自立型の泥人形だ。もし仮に、自身の身体を構成する土の一部が、本体から分けられて、本体はそれがどこにあるのか分かるのだとすれば。発信機として使える。あの駐車場での戦いでは、モクラがなわとびの縄を使って活躍してくれた。そんな感じで、私が攫われる寸前に機転を利かせて、モクラが私に身体の一部を──発信機をくっつけてくれていたら。……うん、そうかもしれない。いや、きっとそうだ。

 希望的観測を連鎖させているだけかもしれない。なんの理屈もない。でも「祈り」なんて理屈の無いものだ。どうせ他にすることも、できることもない。一縷の望みに賭けてみよう。



 咲は下腹部から左の(もも)にかけて突き刺さっている無数の小さなぶどうジュースくないを、どうすることもできず無視に努める。が鋭い痛みが止むことは無い。高い頻度で小さく息を吐き吸い、よろよろと、左にあった木に手をついてもたれかかる。



 史絵は、モクラのくれた発信機だと思うことにした小さな土塊(つちくれ)を大切に、両手で作った(わん)で包み込む。小さい子がお風呂の中、手で水を(すく)うときのあのカンジだ。

 史絵はこう考えたのだ。もしこれがモクラの身体の一部なら、乾いてはダメだ。まくらの「祈り」の実り……モクラは、その身体を構成する土が乾くまで、効力が続く。土が乾くとモクラは消えてしまう。だとすれば、この発信機も乾いてはダメになってしまうかもしれない。

 そう考えた。そう考えた上で、この発信機たる土塊は乾きかけている。かぴかぴ泥団子だ。水分を、与えなければ。「とは言っても」周りを見渡しても水などない。あの血まなこがばら撒いたジュースでも拾いに行くか?それは危ない。止んだ雨はすぐ林のふかふかの土に吸収されてしまい、水たまりになっていない。水がない。モクラに、水分を、与えなければならないのに。

「……」

 少し考えてから嫌な顔をして、史絵は口を小さく開けた。

「(……ああ、あぁぁ。私って最悪……)」

 口から、よだれを垂らす。よだれは両手で作られた(わん)の中に注がれるかたちで落ちてゆき、中の小さな土塊を濡らす。まさに狂人だ。はたから見たら気狂いの少女にしか見えない。幸いなことにこんな林の奥で、はたから彼女のことを見ているような人間はいなかったので、彼女が気狂いの少女として観測されることはなかった。


……


 よだれでびちゃびちゃになった手の中を見て冷静になってくる。……服に付着していた土が、友人の「祈り」による泥人形の一部で、しかも発信機になっているだと?冷静に考えれば、そんなわけないではないか。だがここまでした手前、この土塊を捨ててしまうのも躊躇(ためら)われた。じっと見つめる。

「……!」

 手がくすぐったい。これはどうしたことなのだろうと、更に前のめりに手の中を覗き込むと……土塊は、ぴょんと飛び跳ねた!垂直に小さくぴょんぴょん、その場で跳んでいる。そのたび、唾液でできた手の中の小さな水たまりがぴちゃぴちゃと冠を立てる。

「あ…っは!あははは!」

 手を広げる。その小さな小さな土塊は小さな円を描くようにくるくる動く。間違いない……モクラだ!




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