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『火粉を払う、息を吸う 13』 史絵

「私は」

 バタン。車から降りると同時に銀髪は口を開いた。

(さく)だ。伊乃(いの)一番(いちばん)(さく)(さく)と呼んでくれていい」

 と言って、銀髪の彼女はそのまま、なんのよどみもなく口を動かしているが、史絵(しえ)にしてみれば状況が飲み込めないままだ。さっき車内で銀髪のこの女性……(さく)とやらが、ボーダーを縫い付けたときから、驚きの程度はハイライトを保っている。


「お前は、史絵(しえ)で合ってるよな」

 ここで「はい」と答えてしまって、自分が史絵であることを確定させてしまっていいものか。いや、あの様子ではもうほとんどバレているのだから、いいか。というか仮に「いいえ」だったらどうするつもりだろう。私以外が誤って誘拐されていたら、どうするつもりだろう。そんなことを考えながら史絵は、「はい」と答える。

 全く聞いていないかのように返答を無視し、銀髪の女性……(さく)は話をつづける。

「ここには昔、公園があった。木製のブランコやアスレチックがあった。いや、今もそうした遊具があるはあるのか。ただあの老朽ぶりではもはや遊具としての意義もないだろう」

 (さく)の指さした先には、相当ぼろくなったブランコがある。隣のゴミの山にしか見えないナニカは、まさかアスレチックの成れの果てか。網状の太い縄や、ちぎれたタイヤやらが身を寄せ合っている。今は公園とはとても言えないが、ここには昔、公園があった、のは確からしい。


「この元・公園とそれに伴う林は……町からは少し離れたところにあって、近くに学校や神社、団地があるわけでもない。だからなぜ作られたのかは分からない。分かるのは、ここには滅多に人が来ない」

「……そんなとこに、さっきのボーダーの人を拘束したまま放置していいんですか?」

 自分の命の安全もまだ確定したわけではないが、今危ないのはあの車内だ。どう考えてもあの車内で人命と何かとが天秤にかかっている。呼吸は、水は、食事は、猛暑は、その他生理的欲求はどうする。「放置する」とはなんとも優しいことのような表現だが、その意味は「殺す」と大差ないのではないか。

 こちらにたなびく銀髪と背中を見せながら、(さく)は歩くのを止めもせず、言う。

「いいんだよ。縫合したのは唇だけだ 鼻呼吸ができる。水はなくてもまあ3日は、飯はなくても2週間は生きれる。クーラーは付けたままだ」

 史絵は、涼しい車内で糞尿を垂れ流し段々渇いて飢えてゆく人間の様子を想像して、ひどく不快になった。頭皮にシャンプーを塗る機会も、泡立つソープを体にこすることも、できないだろう。生き地獄だ。というか警察がやって来ることは心配していないのだろうか。

 咲は「んな心配してねーよ」とほとんど言っているような態度で、ずこずこと歩きつづける。それをわけのわからない感情で、史絵はついてゆく。全力ダッシュで逃亡を図るのは、出来る気がしなかった。


 咲はべらべら喋りつづけたが、その内容は「ここらの林は比較的涼しくて快適だ」だとか「そろそろ7月に入るが今年の夏は暑くなりそうだ」だとか、今はあまり関係ないようなものばかりだった。

 割ってでも入った方がいいだろうか。史絵は「自分は戸惑っている」ということを強調するようにして、話しかけてみる。

「ああ、あの」

「なんだ、どうした」

「え……っと。いろいろ、聞きたいことがあります」

「それもそうだ。歩きながら聞こう」


「どうして私を誘拐したんですか?」

「……あのボーダーオバサンと私とでは、お前を誘拐した理由が違う。さっきも言った通り、わたしはお前を助けるために、あのオバサンとその属する組織を裏切ってきた」

「組織…」

 無意識に、史絵は、細胞が集まって組織となっている、理科の教科書のイメージイラストを思い出した。その「組織」ではないことくらいは、分かるのだが。史絵は首を振って、今度は漫画『名探偵コナン』に登場する『黒の組織』という悪者集団を思い浮かべた。言葉とその意味するものの像が頭の中で結びつく。「組織」とはつまり、人(それもおそらく悪い人)が集まったものを指しているに違いない。

「ああ、組織だ。宗教組織だな。そいつらが、お前のことを狙っている。狙っているというのはつまり、捕まえて、動物実験めいたことをするということだ」

「!!…ええ………なんで……」

 自分でそう思うというのもなんだが、自分は極めて平凡な、いち中学生だ。特別な才能もない。なぜ、宗教組織にその身を狙われているのだろうか。というかまだ、咲の話が本当だとは信じられない。でも、

「心当たりはないか?」

 ある。

「……」

 狙われる、心当たりは、ある。

「多分、自分で分かってるんだろ」

「……」

 言ったら確定してしまう気がして、なかなか自分からは言いだせない。そうしていたら咲が先に、

「“祈り”だ」

と言ってしまった。

 その通りだった。史絵の“心当たり”と一致している答えだった。


 史絵の「祈り」は、異様だ。特別だ。おそらく無二、おそらく唯一だ。

「(なんでバレてるんだろう?私の“祈り”の秘密を知ってるのは、私と、家族だけのハズ。極めて少人数にしか、知られてないハズなのに)」

 体中から汗が噴く。いっそまた雨が降ってこの不快な汗を洗い流してくれと思った。


 元・公園と、ボーダーを拘束した車が、どんどん後ろに流れてゆく。前方に見える限りの林は一面似たような景色で、もう結構進んだのか、まだ全然進んでいないのか、それすらつかめない。


「お前の“祈り”は特殊なものだ。大勢の誰かが欲しがっているくらいに」

「(今まで、自分や家族以外の誰かにこうして直接言われるのは初めてだな……。やっぱり私の“祈り”は、おかしいんだ)」

 それにしたって不思議だ。たしかに自分の「祈り」は、「毎週変化する」という、普通ではない要素を持っている。「祈り」が世界に発現してから10年間、史絵の他に、「祈り」が変化したという話は聞いたことがない。でも、そもそも「祈り」という概念自体が現時点の人類が持つ理論を超えているのだから、史絵みたいな特に特殊な「祈り」があってもよいのではないか。それはそう、あの(そら)に浮かぶ星と同じではないのか。宇宙には無数の星が浮かんでいるが、宇宙に星が浮かんでいること自体に神秘があり、その中に例えばひとつくらい「知的生命体が住んでいる」星があっても、別にいい。ほっといてくれればいいではないか。その星自身が「どうして僕は他と違うのだろう」と助けを求めない限りは。


 でも、こうなれば逆に考えるしかない。逆にこの状況を利用してやるのだ。自分の「祈り」の正体は、史絵自身も気になっていた。数が極めて少ないだけで自分の他にも、こういう特殊なルールのある「祈り」を持つ人間がいるのかもしれない。この咲という者は、そうした人たちを知っているのかもしれない。

「私……以外にも、こういう変わった“祈り”を持つ人はいるのでしょうか。例えば、その、“組織”に」

 咲の「いない」という返事はあまりに速く、一瞬史絵は言葉が理解できなかった。構わず続ける。

「お前は唯一無二らしい。だからみんな血まなこで探してる。組織はお前の“祈り”を手に入れたくて必死だ」

 これはいよいよすごい表現が飛び出てきた。自分は「組織」と呼べるような規模の団体から探されていて、しかも、「血まなこ」で、らしい。

 ずぅぅんと気分も顔もうつむいて、前を行く咲の靴を目で追うように歩いていると、その靴がぴたりと止まった。つまり咲がぴたりと止まった。だから史絵もぴたりと止まり、顔を上げ、「どうしたんですか」と尋ねる。咲は「血まなこ、っていうのは」と言いながら、守るように史絵の胸の前に手をバッと広げ、

「ああいうヤツの目だな」

と言った。

 目の前には、血まなこ……充血した目をぎらぎら光らせる男がいた。


 ぱちり。と音がしたので、何事かと音の方を向くと、バタフライナイフがあった。血まなこの男の右手に握られているかたちで。

「なんでここがバレたんだ?あいつは拘束しているし。なあ、お前、なんでここが分かったんだ」

 咲が僅かにも物怖じしない様子で言った。

 史絵は「あんな血走った目の人間と会話が成立するのだろうか」疑問に思った。が、あんな血走った目の人間にも思っているより理性は残っているらしく、普通に、「あのボーダーのばあさんに発信機付けてたんだよバカ」と答えた。

「え!?うーん、チェックした方が良かったな。あー、ウチらの組織なら、そこまでしちゃうか。発信機とか、付けちゃうか」

「こっちも遊びでやってんじゃないからな。で、咲。おめえそのガキどうするつもりなんだよ」

「……この子が誰なのか、分かるのか?」

「このタイミングでお前が拾ってるってことは、史絵ちゃんだろ」

 当然のように名前が知られていて、怖い。そのくせ血まなこの男は、史絵というよりはずっと咲の方を向いて話しかけている。

「よお咲、その史絵ちゃん……とっととこっちに渡してくれよ。裏切るとどうなるか、分からないだろ?俺も分からない、組織を裏切ったらどうなるかなんて、知りたくもないからな」

 想像していたよりずっとベラベラ喋るものだから、史絵の中で彼のイメージがガラガラ崩れていった(といっても出会ってまだ1分ほどだが)。血走った目をしていても、案外普通に会話できるものだ。それにしても会話内容が気になる。聞いたところ、この血まなこの男──「血まなこ」と呼ぼう──は、咲やボーダーおばさんと同じ組織に属しているようだ。そして組織は、自分の「祈り」を手中に収めるつもりのようだ。な、なんのために……?困惑する。ここの空気は重くて、吸えたものではないと、ふと思った。


「あの血まなこの男……“祈り”が実ると、ナイフで切った果物を硬質化できる」

 急に、咲が、血まなことの会話の文脈から外れたことを言い始めたのでなにごとかと思ったが、どうやらこれは史絵に対して言ったことらしかった。咲があの男の「祈り」を知っているのは、咲と男が同じ組織に属している証明だった。

「これから私が戦う。お前も、知ってた方がいいと思ってな」

「……離れていていいですか?」

「離れたとこにいても危険だから、気を付けろよ」

 弱弱しい声で「はい」と返事してから、足を一歩引く。

「(ナイフで切った果物を、硬質化?……あんまり、危険と言うか、戦いに使えそうなものには聞こえなかったけど)」

 少しづつ後ろに下がる。頭の中では、あの血まなこがナイフをリンゴに突き立てて、硬質化したリンゴつきナイフをハンマーのように振り回している様が思い浮かんでいた。可笑(おか)しい、と思った。


 史絵が、回り込めるような大木のそばまで行ったことを確認して、咲は目線を前に戻す。

「じゃあ……もう予想が付いてると思うけどよ。今から私、組織 裏切ってあの子を助けることにするから」

 いつの間にか手にはラムネ菓子の瓶が握られている。ざらざらと手に出すと、ガッと一度に口に詰め込んだ。

「んぐっ……はあ。……お前を倒したら、あのボーダーのところまで戻って発信機を壊しておかないと」

「じゃ、お前は、」血まなこが叫ぶ。「裏切りモノだな!」

 張り上げた声と同時にこちらへ駆けてくる。ひゅっと、何かを放り上げる。しかしどうも、咲に投擲攻撃を加えようとしているわけでもない。放り上げられたモノはくるくると宙を回転して上ってゆく。弱い太陽の光に、白いインクが応えるように光る。缶だ。白色い缶が宙を舞っていて、真ん中に紫のマークが見える。業務スーパーで39円で売っている、ぶどうジュースだ!それを、──ザクリと、ナイフで突き刺した。ぶしっ、ぶぶぶぶ、ジュースは勢いよく噴き出す。咲は、ごろんと左に転がり、飛沫(しぶき)がかからないように避けた。馬の尾のような銀髪がひゅるりと短い軌道を描く。さっきまで咲がいた地面に、紫色の氷柱(つらら)が無数に突き刺さっている。()()()()()()()()()の粒だ。

 ジュースは、果物に該当するみたいだ。ナイフが裂いたジュースは、硬質化して飛び出す。地面に落ちたぶどうジュースの缶からは、七支刀のように硬質化したぶどうジュースが突き出ていた。そこから一方向に伸びるかたちで、紫色の氷柱の刺さった道ができている。

「(あの“祈り”は、ああして使うんだ……!)」

 木の裏から覗いていた史絵は、あんぐりと口を開けて驚いていた。「ナイフで切った果物を硬質化できる」という「祈り」、そんなものでどうやって戦うのかと思っていたが……なるほど ああすればフルーツジュースがとげ爆弾に早変わりというわけだ。いや、それよりも、

「(どうやって実らせたの!?“祈り”の手順みたいなものは、一切見えなかった!)」


 血まなこの“祈り”の手順が、まったく分からない。……咲は、どうやらラムネ菓子を飲み込むだけで“祈り”が実る。これは「“祈り”の簡略化」だとか言っていた。血まなこのも、そういうことだろうか。にしても、何もせずに“祈り”を実らせているように見えるのだが。史絵は、“祈り”の簡略化を、この場で自分だけが知らないことがひどく「弱い」ことのように思えた。そして「帰りたい」と強く思った。


 しゃがんだ姿勢の咲は、何か掴んだかと思うとそれを投げた。“それ”は、一瞬のうちにバッと広がる。小石の混ざった、林の土だ。雨を含んでいる土はすぐに地面に落ちる。3メートル以上は離れている、血まなこの男には届いていないはずだ。それでも砂粒が口に入ったかもしれないのを気にして、男は「ぺっ」と唾を吐き捨てる。

 それから何かに気づいたように、男は左へ、咲から距離を取るようにジャンプした。直後、空中で連鎖的に音が鳴る。さっきまで男の心臓が位置していたところで、バチバチバチと。宙で、石と砂と土がぶつかりあっていた。それらはおにぎりみたいな塊になって、ぼとっと落ちた。

「……左手で土をまっすぐ投げたすぐ後、右手で石を放り投げたか。地面に落ちた土を、俺のうしろへ投げた石と、()()しようとした」

 血まなこは、ゆっくり、誰かに教えてやるかのように言った。咲が「ちっ」と舌打ちする。

「なんでわかったんだよボケ」

「咲……お前の“祈り”は興味があるなあ。それを使えばよ?、例えばよ?、地球と月を縫合できたりするのかね?」

「そんなの わかるわけないだろ」

「おいおい、自分の“祈り”の性質に、もっと真剣になれよ」

 血まなこはふいに、咲から顔をそらすかたちで後ろを向いた。つかつかと近くの木まで歩くと、黒くて大きなものを持ち上げた。リュックサックだ。カチ、カチと留め具を外す。すると、中のものを勢いよく放り出した!


 缶だった。無数の缶が、ごろごろと周辺に転がる。白を基調に、真ん中に大きくぶどうのイラストが描かれた、シンプルなデザインの缶。ぶどうジュース。

数学(スーガク)やら(ブツ)(リ )やらの定理と違って、自分の“祈り”の性質は教科書に載っていない。自分で調べる必要がある。……果物はな…………ぶどうに限る。俺の“祈り”で果汁が硬質化したとき、一番よく切れるからな」

 咲は、

「林に、生分解されないゴミを、ばら撒くな、ボケ!」

と言って、ラムネ菓子を自分の口に放り投げた。




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