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『火粉を払う、息を吸う 10』 史絵

 まくらの「祈り」が判明した記念すべき日の、ありふれた翌日は、天気予報がよく外れる日だった。雨は早朝のうちに止んでしまった。しかし以降は晴れで、午前7時から午後6時まで降水確率が10パーセントを超える瞬間はないらしい。


……中庭のぬかるんだ地面を、意味もなく眺めてしまっていた。


 いつまでも泥を眺めていたって仕方ない。史絵(しえ)は目線を戻し、前進を再開。廊下にタツタツと靴の接触する音が響く。図書館棟、図書室に到着。



 きょろきょろと室内を見渡すと、いつもの位置に、彼女が……まくらが座っている。本を読んでいる。机の上には「祈り」の関連図書が2冊ほど置かれてあったが、今彼女が開いているのはハードカバーのファンタジー小説だった。ゆっくり近づくと、こちらに気付いて顔を上げた。

「や。こんにちは、まくら。何を読んでいたの?」

 本の背から垂れていたオレンジ色のしおり紐を挟み、さらに右中指まで挟んでから、ぱたと本を閉じる。紐とまくらの中指の位置から、まだ読み始めて間もないことが分かった。表紙の文字は、金色の箔で塗られており、夕日のせいでちらちらして何て書いてあるか読めなかった。

「こんにちは、史絵。ファンタジー小説。さっき見つけたんだ」

 表紙を見せてくれる。夕日の当たり具合が変わって、表紙の文字が見えるようになった。タイトルは……『エクセレント・マジック』。話を聞くと、さっきの授業時間の間に図書室内をうろうろ徘徊していたら目についたらしい。(この少女・まくらは、不登校から復帰するリハビリに図書館に通っている。いつかに史絵はこのことを聞いていた。)

 なんでも、『エクセレント・マジック』……この分厚いファンタジー小説の第6巻サブタイトルが『⑥土くれの魔術師』で、あらすじを見ると「ひょんなことから世界の運命を託された主人公一行が、旅の途中 荒廃の谷に住む土くれの魔術師と戦うことになった」というものだったらしい。気になったまくらは、シリーズの第1巻から読んでみることにしたらしい。

「(まくらがその小説を気になった理由が分かってきたなあ)」

 史絵はクスと笑った。


「じゃあ、それ借りてくの?」

 史絵は目線で、まくらの両手に抱えられたハードカバー本を指した。金色の箔で刻印されたタイトルは『エクセレント・マジック ①朝焼けの戦士』と読める。

「うん。面白そうだから」

「そっか」


 史絵とまくらは、放課後に一緒に帰る仲になっていた。毎休み時間図書室に来る史絵だったが、放課後に解放される分には図書室に居座ることは無かった。教室よりは図書室が好きなだけで、普通に図書室よりは自分の家の方が好きなのだ。ただ、今はまくらを迎えに、放課後にも一瞬図書室に寄るようになった。


 まくらが受付で本を借りてきた。本を借りれるということは、やはり生徒名簿には載っているのか。そんなことを考えながら、廊下に出る。薄い雲に覆われているが、まだまだ日は高く、じめじめと暑く、しかし窓越しで見ても分かるくらいに地面の泥は乾いていないままだ。

「じゃあ帰ろうか」

「うん」

「『エクセレント・マジック』かあ。ファンタジー小説って、長いこと読んでないかも。それ、面白いなら私も借りようかな」

「面白いよ、まだ20ページくらいしか読んでないけど」

「そんなに超序盤で面白いことが分かるのなら、きっと面白い小説なんだろうね」

 まくらが頷くと、長い前髪が揺れ 一瞬 目元から離れて、瞳が見えた。


 校門を抜けるとそこから、一切が舗装された道路でつくられた街だった。水たまりは点々とあったが、泥じみた地面はどこにもない。思えば、現代先進国で土はあまり見かけないものなのかもしれない。街中で見かける土といえば、立木、街路樹を植えるための、低い塀みたいなのに囲まれたあれくらいだろう。

「そういえば、モクラはどうしてるの?」

 モクラ。まくらが「祈り」を実らせると土から生まれる、もぐら型の人形である。なぜか名付け親になってしまったため、史絵はその名を呼ぶのが少し恥ずかしかった。

「ここに……」

 そう言って、まくらは背負っていた鞄からすらすらと右肩 右腕を抜いて、お腹の前に持ってきた。学校のロッカーが使えない分 鞄に教科書類を全部詰め込んでいるようで、鞄はかなり重いらしく、持つ腕はぷるぷる震えている。その細い腕で指したところは、鞄の側面の長いポケットだ。普通は水筒などを入れるのだが、彼女のは水筒が入っていない。代わりに、丸っこくふくらんでいる。

「出ておいで」

 主人の声に応えるように、もそもそと何かが這い出てきた。茶色い鶏卵かと思ったが違う。そう、それこそがモクラであった。

「わっ、一日中そこにいたの!?」

 こくりと頷き、なぜか少し恥ずかしそうにまくらは説明し始めた。

「ボクの目の届く内で管理したほうがよさそうだったから……。ここなら、直射日光も防げてる、と思う」

「なるほどねえ」

 短く納得を示す史絵を横に、まくらは続ける。

「ずっと鞄のポケットにいて窮屈で退屈ではないの って尋ねたんだけど、かたくなに首を横に振るから、いいのかなって。……ホントにいいんだよね?ほんとうに、」

 主人のしつこい尋問に、モクラは首を縦に振った。モクラにとってはずっと鞄のポケットにいてもいいらしい、ホントにいいらしい。


 ひとけの多いところに出た。大きな道路に、スーパーや居酒屋、また自転車屋や洋服屋が面している。

 商店地区というのか、こうした店の集まった場所には、枠のようなものがある。洋服屋の枠、八百屋の枠、銭湯屋の枠、といった具合に。競争率の高い個人経営飲食店の枠がまた入れ替わっている。前までたこ焼きかなんかの店があったところが、焼き鳥屋になっているのだ。店名が目に入る。家に着くころにはさっぱり忘れているだろうが、これから毎日見るうちにいずれ覚えてしまうだろう。

「家ではモクラをどうしているの?」

 史絵は、今どきアニメでしか見ないような、庭にある犬小屋を思い浮かべた。犬猫は人間と一緒に屋内で過ごすようになったといっても、泥人形はどうだろうか。やはり外で飼うのだろうか。というか「飼う」という扱いなのか?だとすれば、爬虫類用のような透明な飼育ケージで飼われているのだろうか。

「昔メダカを飼ってたケースが空いていたから、土を敷き詰めて、そこに入れているよ。……何かおもちゃもあげた方がいいかと思ったけど、基本、ずっと寝ているから、別にいらないみたい」

「卵みたいに丸まって寝るの?」

「うん。でも、ボクが外出しようとすると付いてこようとするんだ」

 ファンタジー小説に出てくる魔法生物やら召喚獣、使役獣というわけではないだろうが、やはり主人のそばにいないといけないとかあるのだろうか。話を聞くと、少々不思議なところはあるが、どうもモクラが一般的ペットのように思えてならない。つまり愛玩動物のように。すると、自然と餌のことが気になった。

「餌とかあるのかな」

「よく分からないから、たまに霧吹きで水をシュッとやってるけど。……餌とかあるのかな?」

 まくらもよく分かってない様子だ。それも当然のように思える。


 空気を無料で入れてくれる自転車屋の前を通る。その次の信号で、史絵とまくらは分かれることになっている。

「じゃあ、また明日」

 ひらひらと手を振るために、だらんとしている腕を上げ、史絵がそう言ったとき、目の横の肌を冷たいものが走った。

「あ」

 まくらが上を見上げる。釣られて史絵もそうする。目に、曇天が飛び込んできた。黒々としているわけではないが、一面に灰を薄くペーストしたような曇りとなっており、太陽は和紙越しの照明のようにぼんやりしている。歩行者用信号は赤く輝いており、横断歩道の向こうに位置する本格系のカレー屋は毅然として全体カラフルなままだったが、なんとなく世界がモノクロになった感じがする。太陽を雲に覆われただけでこうなるのだから、人間の目に映る「色」が全て「光」の具合によるという話がどうも嘘ではないことをまじまじと実感する。

「いつのまにこんなに曇ったんだろう」

「さっきまで晴れてたのにね」

 二人は空を見上げたままに会話した。それはそれとして、さっき史絵の頬を走った冷たいものは何だったのか。もう空模様から推測はできるが、ぬぐってみる。それは無色透明の液体だった。やはり雨のようだ、と、納得する──よりも前に次の粒が空から落ちてきて、今度は額の上に(はじ)けた。スーパースローモーションで見たら、史絵のおでこの上に上からぶつかった雨粒が小さな冠を形成し、次の瞬間には崩壊する様子が観察できただろう。……雨の中だと、思考が間延びする感覚がある。一秒にも満たない間に更に次の雨粒が体にあたり、更にその次の雨粒が体にあたり、その現象はどんどん間隔を短くして繰り返されるようになった。つまり、

「雨が降ってきた」

 顔を正位置に戻す史絵に合わせ、まくらもそうした。ついでに小さく頷く。

「みたいだね」


「まずい!傘持ってきてないんだけど!」

 土砂降り!……というわけでもなく、かといって小雨でもない、最も模範的な雨が降っている。たたたた、と地面に無数の水の冠が打たれる。むしろゲリラ豪雨のような大きな雨ならば、「ゲリラ」とあるように、一過性のものであることが多いのだが、この中途半端な程度の雨は、安定して長期化するかもしれず、いつまで続くか分かったものではなかった。

 雨の中走っても危ないので、早歩きで、二人はドラッグストアに入店した。

「流されるように入っちゃったけど、まくらも傘持ってきてないの?」

「うん。私も……」

「朝って何チャンネル見てる?私のとこだと降水確率10パーってあったんだ。まあ私は、40パーまでは傘持ってこないけど」

「40パーセントで!?それは、勇気がある……」

 史絵は黒縁の眼鏡を外し、ぐいとシャツを引っ張ってそれでぬぐった。かけ直す。耳の上を流れる髪に、眼鏡のつるが、ぺっとりとくっ付く。その長い髪も少しばかり濡れてしまっているようだ。が、室内で待てばその内乾くだろう。


 暇なので店内をうろちょろすることにする。化粧品や、どう総称するか分からない消耗品の便利グッズ(足のむくみをとる薄橙色の靴下みたいなやつとか)など。面白いものは全くない。無意識のうちに、カラフルなものの多い飲食品のコーナーへ入っていた。蛍光色でやたら安いエナジードリンクが置いてある。薬とは反対に位置するような不健康性を感じたが、薬と毒は表裏一体ということなのだろう。ドラッグストアって、わりとなんでも置いてるようだ。

「傘は置いてないのかな」

 まくらがきょろきょろ店内を見渡す。傘。置いていそうなものだが、そうだったとしても二人は買えない。中学校の校則に則り、登下校の間 現金の持ち歩きは基本できないからだ。

「置いてたら、こういう日に、よく売れるだろうね」

 史絵は、消化器官のはたらきを助ける謎の錠剤の詰まった瓶を眺めながら、そう呟いた。


 店内に人は少ない。二人のほかに、レジに立つ店員、棚をがさごそする店員、それ以外に数人の客。客である証拠に、かれらは商品を手に取り、かごに入れていた。つまり史絵とまくらと違って、雨宿りしにきたわけではないのだ。


 じゃがりこの期間限定味を眺めていると、ふいにすぐとなりに誰か来た。右にいるのがまくらなので、左にやって来たそいつは極めて他人である可能性が高い。横目でちらりとしか見れないから、よく分からないが、あんな客はさっきまでいなかった気がする。

「……」

 まくら含め、三人並んでしゃがんで しるこサンドの栄養成分表示を覗き込んでいる構造になっている。たまたま隣に来ただけの客なのだろうが、こうした些細な人間との接触も、あまり得意ではないのでそそくさと去ろうとする。バッと立つ。コンマ遅れてまくらもスクと立つ。自然を装い、他の棚に移動する。すると、そいつもぴったし後ろをついてきているのが分かった。

「(な、何…)」

 早歩きしたかったが、できない。もし早歩きしてそれでもそいつが自分たちの後ろについてきたら、もうそいつがヤバいヤツだと確定してしまう。こうして、不安定な空気の中、三人はだらだらと遅い足並みで店内を回った。

 店内のBGMが、雨と混じる。


 史絵は、てきとうに歩くふりをして、棚整理している最中の店員の近くをキープすることにした。何かあったときにすぐ呼んでやるという考えのもとだ。大人に恐怖する一方で、大人に頼らざるを得ないのが子供なのだと感じる。

「(後ろの人、まだついてきてる)」


 しばらく経った。気づくと、まくらのうなじに一粒の汗が留まっていた。もう店内に入ってだいぶ過ぎたから、外で浴びた雨粒がまだ付着しているわけではない。となると おそらく冷や汗。まくらも、状況のヤバさをほとんど確信しているらしい。史絵も同意するように、汗腺から汁を噴き始めた。

 史絵は店員のところまでつかつか歩き、

「あの、傘って置いてませんか?できれば二人入るような、大きいの」

と言った。

 何か考えがあったわけではないが、とにかく行動によって状況の打開を試みたのだ。大声で騒ぎ立ててみようかとも思ったが、穏やかな選択肢からやってみることにした。それはそれとして、ドラッグストアは傘は置いているのだろうか。

 店員はにこやかに申し訳なさそうな顔をして、傘は置いてないことを説明した。代わりに雨が止むまで雨宿りしていけばいい、と言ってくれたが、正直そうすぐ止みそうな雨でない。それに、あまりここに長居はしたくない。なぜならまだ後ろに……


 耐えられなくなり、というよりもう面倒くさくなってしまい、史絵は覚悟を決め、後ろを振り返ることにした。そのツラをまずは見てやる。窓の外の雨の様子を確認するふりをして、振り返る。ばさ、と髪が揺れる。落としたカメラに映った映像のように視界がぶれる。それだけ勢いに任せて振り返った。

 すぐに目に入ったのは、濁った窓の向こうの雨だ。まだまだ安定して窓に線を引いており、まだまだ止む気配はない。視線の奥に合っていたピントを前にもってくる。次に、そいつと目が合った。

「(女性!)」

 意外なことに、女性らしい。そいつのことを不審者と仮定していたので、驚いた。ふつう女子のうしろをつけまわす不審者は男性だと思うものだ。そいつは女性らしかった。長いわけでもなく、短いわけでもない、丁度普通の髪で、顔も普通 か 地味寄りだ。30代真ん中くらいだろうか。全てが地味な中、印象に残るのは、強いていえば服。白地に青のボーダーシャツ。目が一瞬ちかちかした。


 次の瞬間、ボーダーシャツの女はにこぉと笑い、ぼそぼそと何かを呟きはじめた。

「…………………………………………………………」

 本当に小さな声で、何て言っているのか分からない。しかし聞いているうちに、意識はそのまま、右足の動かし方を忘れてしまった。ここに血が流れて、肉があって、それを骨で支えて、全てをまとめて皮膚でくるんで、だから今立てている……んだっけ??

 史絵は忘れてしまった。忘れてしまったことに、30秒ほどして気づく。

「あっ、か、」

 がしゃんと、膝から崩れ落ちそうになる。だがそれも、急に止まった。見ると、右手を強い力で引っ張られている。まくらだ。まくらが、支えてくれていた。そして事態の異常さに気づいているようでもあった。


 まくらと、そのボーダーの女は少しの間にらみ合う。ふいにボーダーが口を開いた。

「……外へ出ましょうか」

 まくらは今にも泣きそうな目で、ぐったりした史絵を見た。よく分からないが、そのボーダーの女のターゲットがどうも自分らしいこと、それだけは確かで、だからまくらを巻き込んでしまったことを史絵は申し訳なく思った。

「……」

 声も出なくなっていた。舌が上手く動かせない。反応を示さないまくらをジッと見つめたのち、ボーダーの女はしびれを切らせたのか、乱暴に手を伸ばし、グイとふたりまとめて外に引っ張りだした。すごい力だ。


 外は雨がいまだ降っている。


 雨が降り始めてからしばらく経つために、もう外にいる人はほとんどいない。向こうの大きな道路にちらほら傘をさす人が見える。

 そんな中、ふたりはズルズルと引っ張りだされ、近くの屋根付き駐輪場までやってきた。急展開についていけないが、この後どうされるのかはなんとなく予想がついた。

 ボーダーの女が車のキーのボタンを押したからだ。どうやらこれから、““誘拐””が起ころうとしている……。




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