『火粉を払う、息を吸う 8』 史絵
まだ春の気配が残っていた。ただ雨の日が増えてきた。昨日はそこそこの雨だったし、今日は曇りだ。梅雨前線はそこまでやって来ている。
そんな中、二人の少女が河川敷に突っ立ていた。史絵と、まくら。
まくらが史絵に「“祈り”について教えて欲しい」と言ってから1か月が経った。その間ほとんど毎日、二人は河川敷で「祈り」推定テストセットをこねくり回してきた。自身の「祈り」の正体を突き止めようと奔走してきた。
二人がまともに会話するようになってから1か月だ。学校でも図書館で顔を合わせると、少し話しをするようになっていた。この間に、史絵は4回ほど「祈り」の内容が変わった。まくらのテストに付き合う関係で、史絵はあまり自身のテストができなかったが、それでも2回は手順と実りを週のうちに特定できた。一方で、まくらの「祈り」が判明するのにはこんなにかかってしまった……1か月もかかってしまった。
「最近人類が手にした新能力」というべきか、「最近世界に追加された新ルール」というべきか、「祈り」。理解不能な条件と組み合わせて、意味不明なバラバラの動作を、特定の順番で繋げて行うことで、不思議なリターンが返ってくる。……こう説明しても訳が分からないが、訳が分からないのが「祈り」である。
「祈り」とそれが実ったときの効果は一人一人のひとによって全く異なる。だから、「祈り」たいなら自身のソレがどういったものなのかを調べる必要がある。「祈り」は、正しい動作をしたとき、ほとんど何も感じないが、少し体がそわそわする。気のせい程度の心の高揚こそが、正しい「祈り」の上を歩んでいる確認であった。ポトフを作るときにニンジン・玉ねぎ→ジャガイモ→キャベツ→ブロッコリーの順番で入れるように、「祈り」もまた特定の動作を正しく繋げる必要がある。すると、いつかは、無理やり繋げられた動作たちは「祈り」となり、実るのだ。
そのときは急にやってきた。
まくらは、推定テストセットの指示書に従い、湿った土の上でえんぴつを転がしてみたり、湿った土の上に木の棒でざりざりとニコチャンマークを描いてみたり、あるいは湿った土を蹴り上げたりしていた。
「湿った土を蹴り上げる、も違うか……」
どうやらまくらの「祈り」に、「湿った土を蹴り上げる」という手順は組み込まれていないらしい。……最初からやり直しだ。
「(また最初からか。疲れるんだよな……)」
がっくしと頭を下げ、まくらは笛を取り出した。
「(まず、笛を吹く)」
笛からはバビュビュウ~と間抜けで不気味な音が出た。
「(次に、20メートルくらい走る!)」
のだが、別に、しっかり20メートル走ることは必然ではない。20メートル走った方が体のソワソワ、ワクワクは強く、おそらく「祈り」が実る際の効果がより強いものとなるのだろうが、いちいち試行のたびにか弱き女子中学生が20メートルも走っては疲れてしまうため、まくらはもう毎回5メートルくらいしか走っていない。
「スーーっ……ぜえ……」
深くひと息を吐き、吸い、息を整える。そして再開。
「(次に、木……木のかけら、を、石にこすりつける)」
ポケットに忍ばせていた、赤ちゃんの小指くらいの木の枝を持ち、しゃがむ。そして、足元に埋まっているそこそこ大きな石にこすりつけた。がり、と音を立て、石には白い線が引かれた。
「(で、コイントス!)」
小さな木の枝をしまい、枝をしまったその手で、同じポケットから今度は10円玉硬貨を取り出した。夕日に染まった銅が赤褐色に鈍くきらめく。それを、空高く放り投げ、両手で包み込むようにキャッチ!まくらとしては、手順の中で最も苦手な箇所であった。コインキャッチがヘタクソだからだ。
「ふう」
なんとか成功。
「(左足)」
お次は左足。左足のつま先で、地面を2回、とんとんと蹴る。靴に粘着質な土が付着する。
「(セロハンテープ!)」
まくらは「もうウンザリだ」といった顔で、上の服に貼ってあったセロハンテープを、べりべりと勢いよく剥がした。……以上が、この時点で判明していた、まくらの「祈り」の手順である。体は、繋がった動作を確かめるように、ワクワクを感じている。そろそろ実る気がする。
この次の手順はどうやら湿った土が関係していることは、指示書の指示から決定的なのだが、では実際どうすればいいかでまくらは行き詰っていた。というより、「そろそろ“祈り”実ってくれ」と願っていた。この願いは、数秒後に叶うことになる。
「頼むーー!!」
そう言って、まくらは指示書に従い、右手を尖らせ、湿った土に突っ込む!!……無論、勢いよく土に突き立てて突き指でもしたら悲しいので、慎重にゆっくりとズモモモと挿入する。
昨日の雨でぬかるんだ土に、ゆっくりと指が入っていく。冷たい。人体の構造に則り、まずは最も長い中指が土に入り、次いで人差し指と薬指がほぼ同着で土に触れた。深くまで突っ込むにつれ、土は硬くなっていった。「もう限界」というところまで来たとき、右手は指が2センチほど土に埋まっている状態であった。
「……あっ」
ふいに、体がそわそわしだした。心がワクワクしているとしか説明のできないこの感覚は……間違いなく、「祈り」の正しい手順を踏めたときのソレだ!!
「ねえっ!しっ、史絵!史絵!」
笑顔で史絵の方を振り向き、「ついにボクの“祈り”次の手順が判明した」ことを報告しようとした、ときだ。ぼこぼこと土が隆起し始めた。まくらの目の向く先の地面は、半寸動鍋に満たした水が沸騰するようであった。異変に気付いた史絵が駆けよる。
「どうかした?!」
「その、あ!えっ えっ えっ」
おろおろするまくらの目の前で、ついにソレは実った。ぼこぼこぼこっ。泥の中から、何かが飛び出した!!
「「うわっ」」
二人そろって後ろにのけぞる。反射的に目を閉じる。
どちゃっ。二人はしりもちをつく前に踏みとどまったが、とっさに支柱として地面に突き刺した足がじんじんと痛んだ。しかも靴下にまで泥が付いたのは確かめるまでもなかった。
なんとなく、目はつむったままにした。
「まくら、多分だけど、さっきのは、きっとまくらの“祈り”が実ったものだと思う」
「ホント!?ちょっと怖いけど、ついに……!」
おそるおそる、目を開き、その飛び出してきたものに目を向けることにした。
……考えてみれば恐れることはないのだ。十中八九、出土したそれはまくらの「祈り」が実ったものであり、十中八九、「祈り」が実ったものはその主にとって何かしらの得となる。つまり十中八九中八九の確率で、ソレはまくらと史絵に害を与えないモノである。なにもおそるおそる必要はない、史絵とまくらは冷静な気持ちを取り戻し、ソレをむしろ歓迎する気持ちで、ソレをまじまじと見つめた────
「……」
「……」
「…これがまくらの、」
「これがボクの“祈り”……!」
ソレは、泥でつくられたモグラの人形であった。しかも、ひとりでに動いていた。
「これはすごいぞ……!自律する人形を作れるなんて!すごい!」
史絵は興奮を隠すつもりもなく、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。もう1か月もの付き合いのあるまくらは、史絵が感情の表に出やすい人間なのだと理解しつつあった。普段図書館で見てきた佇まいからクールなイメージがあったが、それは順調に崩壊していた。
むしろ、隣に感情的な人間のいる分、まくらは変に冷静になった。じっくりと、どうやら自身の「祈り」の産物らしい泥人形を観察してみる。園いち器用な幼稚園児が粘土でつくったような、もぐら。ただ、二足で立って、しかものそのそ歩いていることから、ソレが粘土細工でも生物学的モグラでもないことは丸わかりであった。
まくらは、笑顔なような困ったような顔で尋ねる。
「……そんなにすごい?」
「そんなにすごい!!」
「へへ」
悪くない気がしてきた。
「しかし、このもぐら。生きているわけではない……と思うんだよね。図書館の本で読んできた限りでは、“祈り”によって動物的な生物を生み出した例は無かったから」
「じゃあ、もぐら型のナニカ?」
まくらは史絵の方を見て、答えを期待した。その間も土からできたもぐら型ナニカうろうろ動き回っている。まくらは、全知全能を期待して先生に全幅の信頼を寄せる生徒 のような目で史絵を見つめている。史絵は、「私だって“祈り”のルールを理解しているわけじゃないんだって」と思った。むしろ史絵は生来、この「祈り」とかいう不条理なシステムに特に振り回されてきている方だ。
「わ、私だって分かんないな……。このもぐらの正体が何なのか、誰に判ろうか」
「それもそうだね」
「ただ、ロボットというには動きが滑らかで、まるで生きてるみたいだけどね」
史絵はかがんでもぐらの顔を覗き込んだ。
まくらは丸めた手を自身のおでこにあてて、考え込む。
「生き物では多分なく、ロボットでも多分ない。う~ん。……にしても、もぐらの中でも特に間抜けな面。意思疎通はできるのかな」
「間抜けそうかな?私は、愛嬌ある顔してると思うケド。……でも意思疎通については、確かにそこが一番大事だね。えーと……お手」
しゃがんでいる史絵は、手を突き出してみた。すると、もぐらはこちらを見て、スッと、土でできた手を、史絵の手の上に乗せた。
「「おお~」」
意思疎通は多分できて、知性も多分あるみたいだ。
「さて、このもぐらちゃんは、まくらの“祈り”によるものだからね。主人の言うことの方がよく聞くんじゃない?」
「え、え~?」
まくらの肩をポンと触れて促す。まくらは少し照れたが、素直にしゃがんで、照れを払うように軽く咳をした。
「んんっ、……お手」
手を突き出す。しばらくもぐらはそれを見つめ、
「……」
「……」
「……」
そして、ピョンと跳ねてそこに乗った。
「「おおーーっ!」」
まくらの「祈り」:
①笛を吹く
↓
②20メートル以上走る
↓
③木片を、木片よりも大きな石や岩にこすりつける
↓
④コインを上に放り投げ、両手で包むようにキャッチする
↓
⑤左足のつま先で地面を二回蹴る
↓
⑥セロハンテープを剥がす
↓
⑦湿った土に右手の薬指を突っ込む
↓
◎「祈り」が実り、土から小さな人形を作ることができる!




