『火粉を払う、息を吸う 5』 史絵
うろうろと二人で、誰も来ないような図書館棟を歩き続ける。そしてぼそぼそと話をつづける。やはり会話は弾まない。まくらが聴いていた歌の話、それが終わった後は、図書館でいつも何をしているのかを聞いてみた。まくらは「宿題、とか……」とだけ言って、それからは「もごもご」としか聞き取れなかった。本は読むのか、と聞いてみることにする。
「じゃあ、本とかは読むの?」
「たまに」
「どんなのを?」
「ボクが読む本?えと、その、長めのファンタジー小説とか……。長いから、あんまり内容は覚えられないのだけど」
ファンタジー……ファンタジーか。もしかして、そういった世界観に登場する魔法などに興味を持ったところから芽を出し、現実世界の「祈り」を知りたいと思ったのだろうか。史絵は推察する。確かに、手から火を出したり、空を飛んだりする「祈り」もある。実りだけ見れば魔法のようなものだが……基本的に「祈り」は、過程が全くかっこよくない。魔法陣を描けば炎が出るということはない、浮遊草のとぎ汁を飲むことで翼が生えるということはない。「祈り」で手から火を出すとかだと、例えばウェットティッシュを2枚引き抜いたあとに、折り畳み傘を開き、その状態のまま鼻を膨らませることで、親指からライターくらいの小さな火が出る、という実例がある。これではファンタジー世界の魔法とは程遠い。
「まくらは、手から火を出すとか、空を飛べるようになるとか、そういう魔法みたいな“祈り”が欲しい?」
「えーいやどうだろう。あまり考えたことがなかった」
ぐるぐる歩き回っているうちに、図書館棟の外に出てしまいそうなところまで来た。というかここはもう、図書館棟と外界との境界みたいなところだ。日が差して、薄橙色の砂がちりちりと輝いている。一階の渡り廊下とでもいうのだろうか。ここまで、誰ともすれ違わなかった。
「(本当に誰も図書館に来ない。若者の読書離れか、これも)」
てきとうなことを考えていると、となりのまくらが口をゆっくり開いた。
「史絵はどんな“祈り”なの…ですか?というか、もう判明しているのかな、自分がどんな“祈り”を持っているのか」
この質問はあまり良くない。なぜなら普通の人と違って、史絵は毎週「祈り」の内容が変わるのだから。ここで「私って普通の人と違って“祈り”の中身が毎週変わるんだよね」と言えるわけがない。言ってみろ。そも信じてもらえないし、仮に信じてくれても面倒なことにしかならない。史絵とまくらはまだ、「これは2人の間の秘密ね」をできるほど仲良くないのだから。
だから史絵は、「おまえの“祈り”はどういったものなんだい?」系の質問には、必ずこう返事するようにしている、
「えええっと、実は、過程が複雑っぽくて、市販の推定テストセットでは調べられそうにもなくて……まだ、判明してないの」
実際、自身の「祈り」の正体を知らないという意味では、この言い方でも嘘ではない。苦肉の策。もう100回以上使い込まれた、史絵のメインウェポン的苦肉の策である。
「だから私が教えられるのは精々、推定テストセットの使い方くらいだけど……」
「ううん、充分、それを教えて欲しい。そっそうだ、今日の放課後にでも教えてくれる?ボクはその推定テストセットとやらがどこに売っているものなのか、何なのかも分かってないんだ」
「じゃあ私のを貸そうか?」
「いいの!?」
たっ。史絵はぴょんと段差を飛んで、中庭に出た。図書館棟‐中庭の境界線を超えたのだ。
「いいよ」
「祈り」推定テストセット。どこの誰が作ったものかも分からない。世界中で流通されだしたのは2004年くらいのことだったらしい。史絵はまだ幼少で、そのときの記憶は一切残っていない。世間でどんなことが起こっていたのかは知らない。すべて父から聞いた話だ。
「祈り」の出現はその始まりから今でも、人々の不安となった。天災でもない、戦争でもない、珍しい種類の「混沌の時代」が始まったのだ。海の底や宇宙の向こう……新生物に新物質……人が深いところ掘ればこそ未知のものを発見してきたが、彗星「恐怖の大王」と「祈り」はそれらとは違う。向こうからやって来た未知だ。人類がそっちに近づこうとする前に、あっちから人類側にやって来た。“襲来”といっていい。未知に“襲来”されるようなことは、人類にとって久しぶりのことであった。
「祈り」の出現に伴い、世界各地で新興宗教が起こった、また既存の宗教もそれを話題にすることは避けて通れなかった。実は「祈り」に大きなリアクションを取ったのは、科学者よりも宗教家の方が多かった。「祈り」はまず人によって内容がばらばらだし、そこに法則性はどう見ても無かった。科学者はそこに理を見出すことができず、一方で宗教家たちはそこに神秘や神性を、あるいは災厄性を見出したわけだ。
では、この「祈り」の推定テストセットは、どちらが作ったものだろう。科学者だろうか。大宗教家だろうか。これを使えば、なぜか個人の持つ「祈り」の大まかな内容が分かる。秩序のない「祈り」を読み解くことができるのだ。……この推定テストセットは、むしろ、「祈り」そのものよりファンタジーめいているように感じる。
「これ重いんだよね」
アタッシュケースくらいの大きさの、変なつるつるとしたケース。この中に、推定テストセットが収まっている。推定テストセット。そう、セットだ。それは、複数のアイテムから成るのだ。あまりに分厚い取扱説明書兼指示書を筆頭に、マルバツで答える質問が羅列されてある冊子、縦笛のように等間隔で穴が開けられた細い筒、砂粒の詰まった瓶、カラーチャート、7色ボールペン、碁石みたいな白黒の小さな石いくつか、17×17の小さなマス目が印刷された折りたたまれた大きなすべすべの紙、蓋を回すことで6種類の口の大きさを選択できる卓上調味料の塩胡椒みたいなプラスチック容器、針が逆向きに進む懐中時計……、……、……。他にもいろいろ。また、各自で用意するように指示しているものも多数あり、それは例えば、辞書、野草図鑑といった網羅的知識の書物、1000ページを超える物語本、普通の時計、電卓といった機器など。更に更に、こうした各自で用意するアイテムの中には、取扱説明書兼指示書が「もしこのテストでこういった結果が出たらこれを用意しろ」と指示され、その都度用意するものもあり、その種類は無限に近い(例:消しゴム、はさみ、ビニール袋、スーパーボール、ワインビネガー、しじみの貝殻、冷凍食品のバーコード部分、大学受験用の赤本、白熱電球、大根の葉、漂白剤、金魚すくいのポイ……と本当にキリがない)。
「これくらいでいいか」
そして史絵は、そんな推定テストセットの入った重たいケースと、いくつかの各自用意する必要のある必須アイテムを携え、これから河川敷に向かう。図書館棟でまくらと別れる前、今日の放課後に自身の「祈り」推定テストセットを貸すことを約束したからだ。今は放課後。
推定テストセットを使うときは、河川敷のような広くて何もない場所が好ましい。
「よい……しょ!」
ケースの取っ手部分を強く上に引っ張って持ち上げる。そこそこ重い。……それでは、まくらが待つ、近くの河川敷に向かうとしよう。




