だから結局これは何てアニメの曲なんだよ 2/まくら
チャイムが鳴る一分前、ぴったり一分前にソイツは、がたた、と音を立て席を去った。
「(……そろそろ2限目が始まるのか)」
図書館から一般生徒が全員いなくなったのを確認して、まくらは音楽プレイヤーとイヤホンを取り出した。やはり髪は短めの方がいい。イヤホンをスムーズに耳に接続できる。
といっても、イヤホンからは…音楽プレイヤーからは、やはり同じ音楽しか流れないのであった。メロディーに乗せて心の中で歌う。
「(…囁いてばっかりのスピーカーを君は息で吹き飛ばした、時代が望んだヒーロー…目の前で倒してよ)」
もう6年の間、ずっとこの歌を聴いているのだ。正直、もはや本家の歌を聴かずとも、脳内で完全に再現して再生できる。これはもはや好きの域を超え、環境音と同じなのだ。雨の音、強く吹く風の音、遠くで嘶く雷の音、混雑した駅の喧騒、そして『ブルース・ドライブ・モンスター』。全部同じだ。
もう何千、何万回とこの歌を聴いているうちに、歌詞の内容も脳のどこにもひっかからなくなった。夜、寝ているとき窓の向こうでざあざあ雨が降っていても気にせず眠れるように、まくらは寝ているとき枕もとでこの『ブルース・ドライブ・モンスター』を爆音で流されても……気にせず…気にも留めず眠れるだろう。
では彼女はなぜ、いつも聴いているのか。その曲が普通の人にとっての雨風のようなものであるというのなら、まくらはわざわざ音楽プレイヤーから雨風の音を垂れ流している、変人ということになる。イヤホンを外した方が、外界の雑音に耳を傾けたほうが、まだ新鮮だろう。
……果たして本当にそうだろうか?彼女は変人なのだろうか?
違う。好き好んで雨風の音を聞く人間もいる。それと全く同じだ。喜怒哀楽…「感情を動かすから」、以外にも、音楽を聴く理由は、好く理由はある。
「(あ…父さんが歌ったバージョンだ)」
それは「安心するから」、だ。
かくして、まくらは、学校の休み時間以外のほぼ全てでは、音楽プレイヤーで『ブルース・ドライブ・モンスター』を聴いている……というのが日常になっていた。
次は理科の宿題を終わらせよう。いつも、3限目までには一日分の宿題を終わらせている。今日は調子がいいのでもう少し早く終わらせることができそうだ。終われば、すぐに読書だ!
そして2限目と3限目の休み時間の最中、まくらは今日の分の宿題を完遂した。あとはゆっくり、興味のある分野を勉強したり、好きな本を読んで過ごそう。両手を組んで天井へ向かって、伸びをする。背筋がぴんと張り、ごき、と小さく骨が鳴る。気持ちがいい。
「く、う……」
少し声が漏れてしまった。やばい、いそいで口を閉じる。さっと前の方に眼球だけ回す。こちらがチラ見しているのがばれないように、こっそりと。すると、やはりソイツはいた。長い髪に、丸っぽい眼鏡。ソイツはこうやって毎休み時間ここに座っているのだ。
ソイツは、こちらに気づいてすらいない。そんな様子だった。ただ本を読むばかりだ。「祈り」に関する本を、読むばかりだった。
「(狂っているのか……?)」
ならばこっちも、気にしてやんない。まくらは勢い良く席を立ち、トイレへと向かった。
図書館に、図書館棟にやって来るやつがそもそも少ないのだ。だから図書館の近くのトイレも当然、人は少ない。その分、掃除係も手を抜いているのだろうか、かなり汚かったが。
かちゃ。するする。スカートなどを下ろす。……夏は嫌いだ。便座がべとべとする。
かちゃ。ジャー。用を済ませ、個室トイレの扉を開ける。
「!」
すぐそこにソイツがいた。びく、反射的に体がのけぞる。誰だって、扉を開けたら誰かいる…というのは驚くだろう。そして恥ずかしい。
「(び、びっくりした……。)」
そそくさと手洗いを済ませ、出てゆく。
「(“祈り”か……ボクは自分の“祈り”がどんななのか、もうあまり気にしなくなったな。推定テストセットはそこまで高価ではなかったと思うけど……ボクも確かめるべきなのだろうか)」
あの眼鏡のやつのことが気になる。
「(あの眼鏡は、なんで“祈り”なんか調べてるんだ?自分の“祈り”が何か気になるのなら、もうとっくに推定テストセットを試しているはず。まさか、テストセットで推定が出来なかった?……まさか。だとすれば、とんでもなく複雑な“祈り”だということになる。その可能性は低い。)
「……」
「(もう自分の“祈り”は知っている、と考えるべきだろう。だとすればなぜ……)」
考え、考え、考える。誰もいなくなった図書館に、独りぽつんと座ってからも考える。……普段「祈り」に興味がないまくらは、その発想が出るまで少し時間がかかった。それは閃きに近かった。
「まさか、自分の“祈り”に不満がある、とかか?」
図書館には誰もいなかったので、まくらはつい、声に出して言ってしまった。
「(かといって、それもおかしな話だ。どうも、聞いたところじゃ、“祈り”というのは後天的に内容が変化することはないはずだ。既に確定している“祈り”を持っているのなら、もうそれで妥協するしかないではないか。……難しそうな本を引っ張り出してまで、これ以上“祈り”を調べてなんになる?)」
気になってきた。
いつもあの眼鏡のやつが本を抜き取っている棚から、本を探してみよう。きれいに羅列されてある本たち。その全てが、「祈り」に関して書かれているものなのだ。多い。
「ブ厚っ!何を書くことがあるんだよ……こんなに」
一際、大きな本が一冊あった。3年分のギネスブックくらいの、厚さ、大きさだ。しかし本を横から見ても埃をかぶった白色しか見えない。黒いページやカラフルなページは無い。この本を読むつもりなら、写真もカラフルな挿絵も、期待しないほうがいいというわけだ。
タイトルを見て、笑ってしまった。
「はは……」
『「祈り」とは』
「大層なタイトルだ……。どうせ、あの眼鏡のやつはもうこれは読破してるんだろうなあ、とっくに」
ぺら。重たい表紙をめくると、他とは紙質が違うツルツルのページが数枚分あり、それは目次だった。大きく4つの部で分類されている。一つの部には沢山の章があり、一つの章の中にさらにいくつかの節があった。なんてめんどくさいのだ。例えば、第3部の7章、4番目の節……ここでは、アメリカのペンシルベニア州で大きな勢力を誇るある新興宗教と“祈り”の関係性についての考察がされてある。
「(……へえ、アメリカにこんな宗教団体が……え!?ここじゃ、教祖の“祈り”を信者が一日中真似するの!?ふつう“祈り”は一人一人別なんじゃないのか?なんの意味があって…?)」
字が小さくて読みづらい。長時間見るのは視力の低下を加速させる恐れがある。斜め読みでさっさと読んでいこう。こういうのは本の最初らへんと最後らへんを読めば大体分かるものだろう、とまくらは思うことにした。
本に書いてあったこと。まとめると。「祈り」は一般的に、2003年彗星が地球を駆けて以降人間が手にした不思議な力のことを指している。
「祈り」はふつう、複数の特定の行動を組み合わせることで構成されているが、各行動に前後との連続性はないように見える。また、「祈り」は人によって異なる。全く同じ手順、全く同じ実り(「祈り」によって得られる効果・恩恵のこと)は、今のところ世界に一つとしてない。
なんとなくは知っていたが、「祈り」がどういったものなのかをまともに知るのは、初めてだった。だからだろうか、あまりピンとこない。少し首をかしげる。
「(本には、『“祈り”を構成する手順…複数の特定の行動それぞれに、前後との連続性がない』とあるけど。これはどういうことだ?)」
少しページをめくると、具体的な例があった。見てみる。
具体的な「祈り」の例:東京30代男性のケース
①500mlペットボトル飲料水を一口飲む
↓
②自身のへそに小指を置いて、みぞおちあたりまでなぞる
↓
③「ryo」の音を発音する
↓
④発音の後、その口を閉じずに蠟燭に灯りをつける
↓
「祈り」が実り、2本の紐に該当するもの同士を完全に接着することができる
「(……なるほどね、これはこれは……確かに、本の言ってる通りなのか。各行動に前後との連続性がまるでない。ペットボトルで水を一口飲んだあとに、自分のへそからみぞおちを小指でなぞる理由がない。知らないと、そんなあまりに限定的な行動をぴったりその順番で繋げようとは思わないもの)」
意外に面白いな、「祈り」。
……
気づけばずっと読んでいた。3限目が終わったチャイムが鳴った。
「わ、もうこんな時間か。一日は短いな……」
そして3限目が終わったその休み時間も、ソイツはやってきた。ソイツは、やはりボクの前の席についた。そしてやはり「祈り」関連の本棚から本を取ろうとしている。そして気づく。本棚に大きな穴が空いていることに。
そう、その棚で一番大きい本は、今、ボクが読んでいる。本棚には無い。そして無い分の空洞が本棚にあった。ソイツはしばらくその空洞を見つめ、そしてこっちを向いた。明らかに、こちらを見た。……目が、あった。
「あ……」
まあ、目が合っただけなのだけど。びっくりした。ボクは小心者なのだ。あまりこっちを見ないでほしい。
その後、ソイツは何事もなかったかのように、本棚から本を抜き取り、いつもの席についた。
休み時間は始まったばかりだ。




