第4話~2日目②冒険のはじまり~
雨が上がった。
小屋を後にし丘陵を降りた双葉とユイは、ふもとにある、名も知らぬ寂れた駅へと再びやってきた。ホームは雨の後の土とも草の匂いとも知れぬ独特の香りに包まれていて、昨晩2人を運んできた電車は、そのままの位置に停車していた。
……そう、昨晩、だ。
「結論から言おう。僕の世界に、夜は来ている」
昨日、双葉が発見した小屋へと辿り着いた2人は、互いの経緯を共有し、この状況について夜通し意見を交わした。そして議論が一服すると、ユイは睡眠を試みようとし、その直前に双葉の認識について指摘をしたのだった。
思い返せば、この世界から人間を見失う直前、通勤途上で眼科に行こうと考えていた気がする。
……あの時、すでに奇妙な世界へ迷い込みつつあったのだろう。
今まで双葉は、おかしな事態が発生しているのはあくまでこの世界なのであり、自分には何ら変化が生じていないものと考えていた。それは、双葉の姿や声を認めないユイを前にしても同様であった。
だが、その認識は誤っていた。
双葉の視界からは、かつて感じていた明るさや暗さといった明度が失われていたのである。
ショックかと問われれば、当惑がないわけでもない。
ただ、指摘を受けるまでその欠落を知覚すらしておらず、特段の不自由を覚えていなかったことも事実である。そもそも、『ない』ものの認識とは相対的なものであり、『あった』ことの認識があってこそ成り立つものなのだ。
「この世界を探索してみよう」
情報収集の必要性を再認識した双葉とユイの『差し当たりの目標』であり、ふもとの駅を再訪した理由である。
ホームに佇む電車のドアは開いている。双葉とユイが乗り込むと、なかば想定通り、電車は動き始めた。
「小屋の周り、もっと探索しなくてよかったかな」
双葉はユイから借りたスマホへ文字を打ち込むと、横に座る彼女の目線の先へ運んだ。
「いやあ、花畑が広がっているだけじゃないか」
「あの不思議な形をした花……彼岸花だよね。なにか意味があるのかな」
スマホの画面に目を走らせたユイは口を開くと、何かを逡巡するような表情を浮かべ、会話の間を置いた。
電池を気にしているのだろうか。無駄話をしてしまったかと双葉が反省していると、その沈黙はユイによって破られた。
「あの丘陵、あの花畑を見て僕が真っ先に抱いた印象はね。真っ赤だな、てことなんだ」
「……え?」
調子の外れた声が出た。ユイが何を言っているのか分からなかったからだ。
双葉は次の言葉を待ちながら、その表情を伺う。
ユイは車窓の外を流れていく丘陵地帯を眺めながら、言葉を続けた。
「大島君は、ついさっき、小屋の中で、雨上がりの空に浮かんでいた虹を見たかい?」
「……いや見てないけど。あった?」
「遠まわしで申し訳ない。恐らく君は、色覚も消失しているぞ」
丘陵地帯を駆け抜けた電車は見知らぬトンネルを通過したのち、再び新宿駅のホームに到着した。
『……線の内側まで、お下がりください』
頭がまたこんがらがりそうだ。結局、電車も新宿へ逆戻りだし。
駅に流れるアナウンスをボーッと聞いていた双葉は、ユイの後から電車の外に出て、ふと足元の違和感に気が付いた。
そうだ。
ホームにあるこの突起は、黄色い線ではなかったか。
「いや色彩と光……表面色も光源色も全く認識できないのなら、そもそも何も見えないか。制限されていると言うべきか?」
ユイはぶつぶつ呟きながらホームの中ほどにある階段を下り、道なりに進んでいく。
行く当て等あるのだろうか。この電車は、直通なのだろうか。
双葉は、ユイの背中から視線をずらし、彼女の頭越し、進行方向に目をやった。
「ちょっと待って!」
双葉は叫んだ。
ユイが先導する先、改札の外に仁王立ちする少女を、双葉は発見したからだ。
いや少女と呼ぶにはやや大人びて見える。高校生位だろうか。
ユイより年も背も一回り大きく見える彼女は、冬だというのにデニムにアロハシャツいったラフな服装をしている。半そでから除く小麦色の肌と、ハリネズミのような寝癖が付いた髪が印象的だ。
「待ってたぜ」
不敵な笑みを浮かべながら、彼女はよく通る声を構内に響かせる。
菊川ユイはその存在に気が付いていないようで、彼女の待ち構える改札の外へと歩を進めていく。
敵か、味方か。
想定外の第三者を前に双葉の思考は回転を始め、その直後に、意識ごと断ち切られることになる。
「……動けない」
「おっ、起きたか」
先ほどの少女と思しき声を聞きながら、双葉は意識を取り戻した。
「悪ぃな、手足は縛らせてもらった」
瞼を開く。誰かの靴。
目線を上げれば、改札の外にいた少女がヤンキー座りの体制で、こちらを見下ろしていた。
双葉は、自身が彼女の言葉通り手足をロープのようなもので縛られていて、そのまま床に転がされていることに気が付いた。
「ここは……」
「はっ、『ここは』って。よく見ろよ」
目の前の少女は不敵に笑う。
「お前の職場だろ、大島双葉」
首だけ動かし周囲を見る。横たわる双葉を挟むようにデスクの列が並んでいる。
ここは確かに、新宿にある私の会社、それも私のデスクがあったフロアだ。
「……お前は誰だ。どうして私のことを……」
「一つだけ答えよう。俺は篠崎。篠崎 巴だ」
篠崎は気だるげな表情を浮かべながら、頬に片手を添える。何処かで怪我をしたのだろうか。指先で唇の血を拭っている。
「質問は受け付けない。ただ一つ、お前に要求があるだけだ」
篠崎は、双葉の顔を覗き込み、セリフを読むような淡々とした口調のまま、言葉を続ける。
「俺も、例の小屋に連れていけ」
――失せもの その5:色彩
1~2週間に一度の更新を予定しております。
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