6.レイジ君レイジ君レイジ君
エマコの実家は名のある領主であるため、そこそこ裕福な家庭の生まれであった。
彼女の両親も可愛い一人娘を大事に大事に育て、なに不自由のない幸せな日々を送らせていた。
そんなある日、彼女は領主同士のお付き合いで、同じく領主の娘であるバーネットと知り合うことになる。
年が近く、またエマコの持ち前の明るさから、相手に大層気に入られてしまった。
2人はすぐに意気投合。
というよりは、バーネットの方がグイグイ来ていた。
何かと手を繋ごうとしたり、会うたびにハグしてきたり、挙句の果てはキスまで……。
それはそれはもう、まるで仲の良い姉妹みたい、あら~。と、ご近所でも噂になるほどであった。
『アタシは冒険者になる。エマ、一緒に来てくれないか』
冒険者になるのがバーネットの幼い頃から夢であった。
エマコもその話を何度も聞いたので、次第に興味を持つように。
悪いお友達の悪い影響を受けてしまったのだ。
そのうち2人は育成学校のような所へ通うようになった。
そして時は経ち、エマコは14、バーネットは18。
この頃には、エマコの母親は病で亡くなっており、男で一つで育てていた父親はとても心配していた。
しかし、当時の彼女はまだ若く、おまけに反抗期。
外の世界に出たいという好奇心も強かった。
結局は両親の反対を押し切り、その若さで家を出た
冒険者なんて危険な仕事をやろうとしているのだ。
危ない目にあったり、グロテスクなモノだってたくさん見てしまった。
正直、本当に死ぬかと思った場面もいくつもあった
でもかなり充実した日々だった。
良い仲間たちと出会い、また持ち前のスキル【回復士】として、みんなに頼りにされた。
それは幼い頃、身体の弱かったエマコからは、想像もつかない姿であった。
そして、4年の月日が経ち、
実家にいる父親にも、そろそろ顔を出そうと思っていた矢先、今回の悲惨な事件が起きた。
これまでの全てが、たった一度の強盗によって全部奪われた。
大事な母親の形見まで失くしてしまった。
これでは見っともなくて家に帰れない、ということは特にないのだが、それでも両親への申し訳なさでいっぱいである。
せめて形見のペンダントだけでも何とかしたい。
エマコは毛布に包まりながらそう思っていた。
それに、
「うぅ……レイジ君……なんで」
レイジ=アルバード。
子供の頃に何度も絵本で読み返した白馬に乗った王子様。
それが彼だった。
彼とは長い間、苦楽を共にするうちに、エマコは特別な感情を抱くようになった。
それ自体は、冒険者としてはよくある話である。
しかし、思いを寄せたのは王子様などではなく、ただの屑野郎だった。
やはりエマコ自身、悪い人間に引っ掛かりやすい傾向があるようだ。
何はともあれ、いつしか彼のことばかり考えるように。
つい彼を目で追ってしまう。
隣にいるだけで胸が張り裂けそうな気持ちになる。
この思いを伝えずにはいられない。
というわけで、ナケナシの勇気を振り絞って告白してみたのだが、結果は……、
『悪い、好きな女がいる』
だった。
分かっていた。
彼が初めから自分に気持ちがないことくらい、エマコはとっくの昔から分かっていた。
長いことレイジを見てきた。
だが、彼の視線の先にいたのは自分ではなく、いつもバーネットだった。
自分はただの引き立て役。
彼の目に入る隙間なんて1ミリもなかったのだ。
なるほど、クズという生き物は、さらに最上位のクズに惹かれるというわけか。
もうそう思うしかないだろう。
「やっぱり、レイジ君のところに、行ってたんだね……」
エマコは勘づいていた。
おそらく、いや、絶対にそうだ。
バーネットは彼のところへ行っていた。
あの独特で変な匂い。
彼との行為を終えたあとに、いつも放っていたあの匂いだ。
自分をほったらかして、自分がこんなにも苦しんでいる中で、親友は彼と……。
さっきはどういうつもりで身体に触れてきたのか。
自分への遠回しな当てつけだったのだろうか。
エマコだって年相応の女の子だ。
男女の行為に興味がある。
彼と一度はそういう関係にもなってみたかった。
でもそれは、その役は、いつも親友のバーネットだった。
「バネちゃん……ウソつき、ウソつきだよ……」
ずっと一緒にいよう。
そう約束したではないか。
エマコは裏切られたような気持ちになる。
心にドロドロしたモノが溜まっていく。
どうしてこんな気持ちにならなくていけないのか。
「…………」
自分がどんなに頑張っても、必死にアピッても、彼は振り向いてくれなかった。
ならせめてそばにいたい。
彼のそばでずっと笑っていたい。
だが、それすらもエマコには叶わなかった。
「会いたいよ……レイジ君……レイジ君」
もう、何かを望むこと自体ダメなのかもしれない。
全て夢物語、過ぎた願いだった。
そう思った方がずっと楽になれる。
「レイジ君……レイジ君……」
このままきっと独り寂しく、孤独に朽ち果てていく。
一人ぼっちで老婆となって惨めに過ごすくらいなら、もういっそのこと、本当に……。
エマコは不意に近くにあった、木製のペンに手をかけた。
中の芯を取り出し、全部床に捨てる。
スッ、それを自身の首元まで持っていく。
手が震えながらも、涙を流しながらも、ゆっくりと近づけていく。
ピトッ、寸前止めた。
「…………」
本当にそれで良いのか。
負けたままでいいのか。
ヤられたままでいいのか。
首から血が滴り、床に沁み込んでいく。
「……イヤだ、イヤだよ」
そう、彼は自分が初めて好意を寄せた男の子だ。
やっと誰かを好きになれた。
この気持ちは誰にも負けない。
だから、簡単には諦めたくない。
誰にも渡したくない。
「負けたく……ない」
あんなビッチに敗北したくない。
「絶対にイヤ」
少女の悲しみが憎悪に変わり、さらに歪んだモノへと変化していく。
エマコから淀んだオーラのような形をした何かが、宿主の身体から這い出そうとしている。
それは寂れた部屋の中を広がるように覆っていく。
言いようのないドス黒い心が、身体の中を支配していくのが分かる。
そして、
「……そっか、うん。そうだよね」
不意に吹っ切れたような笑みを浮かべた。
そうだ、邪魔な人間は排除すればいい。
彼にたかろうとする悪い害虫は、自分がお掃除してしまえばいい。
「仕方ないよね。だってレイジ君、人気者なんだもん」
しかも、寄ってくるのは生臭いゴミ女ばかり。
「これじゃ、レイジ君があまりにも可哀そうだよ」
彼が浮かばれない。それは良くないと思う。
「私が何とかしないとね。フフフ……フフフフフフ」
やがて気味悪く笑いだす。
「フフフフフフフフフ……」
レイジ君、レイジ君、レイジ君
「アハッ! アハハッ! アハハハハハハハッ!」
レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君レイジ君。
彼女の狂った笑い声が、部屋はおろか、外にまで響いてくる。
──バンッ!
「──どうした⁉ エマ!」
お風呂上がりのホカホカなバーネット。
「……うん?」
エマコはゆっくり首の向きを変える。
「っ⁉ お、お前、エマ、なのか……」
ただ目を見開くバーネットをジッと見て、
「……あっ! いた〜!」
明るく、笑った。