記憶力
吐く息がすっかり白くなって、もうずいぶん経つ。
日課にしている朝のウォーキングの道のりも、ずいぶん暗い。
今この時期が、一番夜が長いのだなあ。
日の出ていない時間帯の幹線道路沿いを、息子と旦那とともに歩く。
今日は旦那の仕事が午後からなので、珍しく親子三人でウォーキングに来たのだ。
「あ、なんかいい事書いてある!」
「あっ。」
どちらかというと無言で歩くのが好きな息子が突如声をあげたので、びくりと体が跳ねた。
「え、何どうした、なにがあった!」
さんざんどこの肉屋がうまいだのどこぞの定食屋の刺身がうまいだの車でエナジードリンクカーとすれ違ってのどが渇いてコンビニ入ったら間違えてミックスジュースを買っただの帰りにアイス買って帰りたいだのしゃべっていた旦那の声をほったらかしにして息子の方を向く。
何やらしかめっ面をしているぞ、何事!!!
「ガソリンスタンドの光が眩しくて…、目が、眩んだ。」
旦那の斜め後ろを歩いていた息子は、ガソリンスタンドの眩しい輝きを肉壁でガードしながら歩いていたらしい。
少し遠くにある和食屋の海鮮フェアの看板に気を取られた旦那がいきなり駆け出したため、LEDライトを妨げていた肉の壁が消失し、眩しい光が無防備な目玉を襲ったようだ。
「ああ…眩しかった……。」
そうだなあ、最近のLEDは相当明るいから、夜の闇に目が慣れているとダメージが大きいよね。
ライトに目を背けつつ、看板に夢中になっているでかい人を追い越す。
「あーん!待ってよ!!まだ見てるのに!!!」
「信号赤だしゆっくり見てればいいでしょ……。」
渡らねばならない信号が、赤く光っている。
信号もLEDだけど、そんなに明るくないんだよなあ、やはり商業的なものは輝いてなんぼなんだな……。
「さっきは、明るすぎた。」
「まあ…確かに明るかったね、私もまだ目がちょっと眩しいや。」
暗闇で見た明るい光というのは、どうしてこうも網膜にそのあとを残すのかね。
まあ、気が付くと消えてるんだけどさあ。
「まだ目にレギュラー162円ハイオク190円軽油147円が焼き付いている。」
「はあ?!何それ、数字まで?!」
そんなにキッチリと焼き付くもん?!
いや…今、私の目玉に残る残像は…ずいぶん薄い!!
息子は…一瞬見た数字を目に焼き付けはしたが、その残像はすでにおぼろげになっているはず!!
現に息子はほんわかした表情で、ぼんやりと赤信号を見ているではございませんか。
「ちょ…なんか君ものすごい記憶力だな、あたしゃ数字なんか全然覚えちゃいないってのに。」
「……そう?」
信号が変わったので、息子と並んで渡り始める…旦那はまだ海鮮丼の看板に夢中になっている、ドンだけ食い意地が張っているんだ、……いつものことか。
「もう、君記憶力の無駄遣いしないでよ、そんなこと覚えるくらいなら円周率でも覚えたらどうなのさ……。」
そんな、毎日朝七時に変わるガソリンの値段を覚えてしまうくらいなら、公式の1つでも覚えて学習に生かしていただいた方がですね。
「円周率?3.141592653589793238462643383279502884……。」
ちょ!!!!!!!!!
指折り円周率を唱えている、息子、息子おおおおおおおお!!!
「ちょ、君、なに、それ合ってんの?!」
驚いてまじまじと息子を見たら、後ろからどすどすと接近してくる重量級のアスファルトにめり込む足音が聞こえてきた!
「え!なになに、円周率?あってるよ!!俺百桁まで覚えてるもん!!!へえ、すごいねえ、ふふ、お父さんを越せるかなー?!」
「越すつもり。3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899862803482534、21?17…。」
どうやらあっているらしいけど、確かめるすべもなければ確かめたい気持ちすらわかない私がここにいる!!
あんな意味のない数字の列を覚えるとか、とても正気の沙汰とは思えないっていうかこの人たちマジすげえ!!!
「おみそれしました、勘弁してください……。」
電話番号が覚えられないのが日常茶飯事の、たまに設定した暗証番号ですら間違えてしまうようなへっぽこ記憶力の持ち主である私にはですね、はっきり言って……後光が差して見える!!
ぐおお!!眩しすぎて真っ直ぐ見ることができないのは…気のせいなんかじゃ、ない!!
大口を開けたまま、閉じることもせずに円周率を唱え続ける親子を唖然と見つめる私、私イイイイイイイイ!!!
「えっへん!!!じゃあ帰りにアイス買っていいよね!!!」
「フライドチキン買う。」
その後、朝からやけにたくさん、コンビニで食料品を買い込むことになったわけですが。
「あ、そうだ、いいこと思いついたー!」
「……これも買うといい!」
そのレシートが、2222円だったので、また驚愕したという、お話です……。




