【夏っぽい短編シリーズ】其ノ壱 秘密の段ボール倉庫
ぼくがその倉庫に通うようになったのは、春休みがはじまった頃のことだ。町はずれの倉庫が並んでいる一角の端っこにある。
中に入ると教室くらいのガランとした空間に、新品の段ボールが山のように積んである。他には何もない。
商売から手を引いてしまった御隠居さんの持ち倉庫で、もうずいぶんと長いこと放置されてるらしい。しばらく前までは『不要段ボール ご自由にお待ち下さい』という張り紙が貼ってあって、何人かはもらいに来る人もいた。ぼくもそのひとりだ。
その張り紙が剥がされてからは、人が出入りしている気配は少しも感じられない。
「つまり、この倉庫の中の段ボールは、ぼくが自由に使っても誰も困らないってことだよね⁉︎」
そのことを思いついた時、ぼくのテンションは上限突破でぶち上がった。
叫び出したい気持ちを抑えて、さっそく家に必要な道具をを取りに帰った。ぼくはきっと『Sランク素材を手に入れたドワーフの親方』みたいな目をしていたに違いない。
ぼくは全ての『紙』を愛している。それは五歳の誕生日からずっとだ。お父さんがプレゼントでくれたペーパークラフトブックで、動物や乗り物を作ったその日から『紙』はぼくにとって特別なものになった。
何しろ遊びの幅が広い。切ったり折ったり、重ねたり、貼り合わせたり、千切ったり。
それに、ねだれば割とすぐに買ってもらえるし(安いから)、ずっと遊んでいても怒られない(ゲームよりは)。上手く出来れば、ほめてもらえる(邪魔にならなければ)。
両親にもぼくにも、双方都合のいい趣味だと言える。
段ボール工作にハマったのは、小学校三年生の時だ。夏休みの自由研究でお父さんのジープを作った。なかなかの出来映えで、三年たった今も、お父さんの書斎の棚に飾ってある。
ぼくが作ったものを、誰かが飾っておくくらい大切にしてくれる。それはぼくにとって衝撃的な出来事だった。
それからぼくの段ボール工作ライフがはじまったわけだけれど、好調な出だしとは裏腹に困難の連続だった。まず段ボールがなかなか手に入らない。ぼくは常に宅配便のピンポンを心待ちにして暮らした。でもそれだけじゃ全然足りない。
ぼくはすぐに近所の色々なお店に、段ボール箱をもらいに行くようになった。
一番上等な段ボールをくれるのは、文房具屋さんだ。しっかりと厚みのある固い紙質の段ボールが多いし、その割に中身は重くないので型崩れしていない。八百屋さんの段ボールは野菜の水分でふにゃふにゃになってしまっている。雑貨屋さんの段ボールは重い食器やフライパンが入っているので型崩れが激しい。ドラッグストアの段ボールは柔らかいものが多い。
段ボールを集めている時のぼくは『自分の目利きを信じてこだわりの食材を求めて旅する料理人』みたいな気持ちだった。
作りはじめてからは、とにかく敵が多い。まず、飼い猫のクロマルが邪魔をしに来る。なんで猫ってあんなに箱が好きなんだろう? 必ず入って出て来なくなる。他にもガムテープを転がしたり、段ボールで爪を研いだりするので少しの油断もできない。
次に二年生の弟が危険だ。『兄ちゃん、ぼくもやりたい』。絶対に言う。全然役に立たないくせに、むずかしいことをやりたがる。ちょっと目を離すと手を切って血を出したり、髪の毛に接着剤をべったりつけていたりするので、ほんと近寄らないで欲しい。
最大の敵は月に一度の『古紙回収の日』だ。ぼくの部屋からはみ出たものは、たとえ完成品だろうと、全て回収されてしまう危険性がある。
回収日の前日の夜には必ず、ぼくとお母さんの攻防戦が繰り広げられる。
そんな時ぼくは、自分が凄腕のドワーフの親方でも、旅の一流料理人でもない『ただの工作好きの小学生』だということを思い出して、ちょっと悲しくなる。
とまぁ、そんな事情があったので、ぼくがその段ボール倉庫を心の中で『秘密基地』とか呼んで、誰にも内緒で通い詰めても無理はないと思う。
まず最初に作ったのは、自分と同じくらいの大きさのロボットだ。戦車形態、飛行形態、二足歩行形態の、三段階変形。戦車のキャタピラと、飛行形態の翼の収納に苦労した。
「運転席に透明なセロファンを貼って……。よし! 出来上がりだ! すごい格好いい!」
この瞬間がぼくはとても好きだ。達成感が半端ない。もっとも、しばらくすると「ここはこうした方が良かったかも……」と、色々気になってしまうんだけどね!
その晩は、次に何を作ろうか考えながらベッドに入った。
そして、とびきり楽しい夢を見た。
夢の中でぼくは、完成したロボットの運転席に乗っていた。操作方法は全部ぼくの頭の中にある。青いボタンを押して、二本のレバーを交互に操作するとロボットが歩き出した。段ボールなので重量感には欠けるけれど『ウィーン、ウィーン』という稼働音も想像通りだ。
オレンジ色のボタンを押して、左腕のロケットパンチを発射する。『ガシャン、ズゴーン!』という音と共に、発射の反動で運転席が揺れた。
ぼくは震えた。『どうかまだ目が醒めませんように』と、相手も定かでない祈りを捧げた。だってこんなの、信じられないくらい楽しい。
足もとのレバーを思い切り踏み込んで、戦車形態へと変形する。キャタピラがガラガラと音を立てて回った。時々『ガコン』と大きく車体が揺れる。段ボールの継ぎ目の重なっている部分だ。こんなところがリアルだなんて、ちょっと笑ってしまった。乗り心地も最悪だった。
最後に飛行形態。天井のレバーを引くと、収納スペースから翼とプロペラが出て来る。
も、もしかして、飛べるんだろうか? だって車体に比べたら、翼もプロペラも小さ過ぎる。
「行っけぇぇー‼︎」
プロペラが勢いよく回り出し、翼からのジェット噴射がふわりと車体を浮かす。浮遊感に全身から汗が吹き出す。
そこまでだった。
目を覚ましたぼくは、自分の部屋のベッドの上にいて、両腕を天井に向かって突き上げていた。
「ゆ、夢……。そうだよな……夢だ……」
あまりにもリアルな夢だった。ぼくは操作レバーを握っていた右手を、そっと開いた。強く握り込んでいた手のひらは、じっとりと汗ばんでいた。
次の日からぼくは、動物園を作ることにした。小さい段ボール箱の形を活かした、四角い動物たちだ。家からずっと集めていたラップ類やトイレットペーパーの芯を山ほど持って来た。繋げたりまとめたりしながら、象の鼻や、動物たちのツノや脚を作る。リアルさよりもデフォルメされた可愛らしさと、ポップな面白さを優先した。
キリンの首に苦労したけれど、カバの口を開く仕掛けは、自分でもなかなかの出来だと思う。
「よーし、完成! ちょっとコレ、誰にも見せないのもったいないよな!」
安定の自画自賛だ。ひとりなのでなんの問題もない。ちょっと弟に見せてやりたいと思ったけれど、きっとすぐに壊されるのでやめておくことにした。
その晩、ぼくはまた夢を見た。
ロボットの時とは違い、ぼくの視点はどうやら動物園のお客さんだ。夢は動物園に入るところからはじまった。『だんぼーるどうぶつえん』。作った覚えのない看板を眺めて、入園ゲートをくぐる。
段ボール箱の動物たちは、全部放し飼いだった。象がトイレットペーパーの芯を繋げた鼻で、赤いリンゴをつかんで口に運ぶ。ゴリラがドラミングをすると、バコバコとボール紙を叩く安っぽい音がした。
大きなツノを持つヤギ同士が、ツノを突き合わせて喧嘩している。ぼくはツノが壊れてしまわないかハラハラした。
キリンがグラグラと危うい首で歩いて来た。ぼくが慌ててガムテープを出して首の補強をしたら、嬉しそうに尻尾を揺らして行ってしまった。
カバがのんびり昼寝しているのを見ながら、お弁当を食べる。取り出したおにぎりは、当然のように三角形の段ボール製だった。
目が覚めるとぼくはやっぱりベッドの上にいて、起き上がった途端にお腹がぐぐぅーっと鳴った。
朝ごはんを食べながら、夢のことを考えてみる。偶然かも知れない。今までだって工作をしている夢は、何度も見たことがある。でももし、作ったものの夢を必ず見られるとしたら……。
なんて楽しいんだろう! 自分で作った街で遊べるシミュレーションゲームみたいだ!
そのあとも、電車や自動車を作れば乗って走る夢を見た。剣や盾を作れば、それを装備して段ボールの魔物と戦う夢を見る。
家で作った時は見ない。倉庫の段ボールを持ち帰って材料にしてもダメだった。段ボールを他から持ち込んでも同じだ。
あの倉庫で、倉庫にある段ボールを使って作ると夢を見る。それが条件だった。思い込みかも知れない。あの倉庫と段ボールに、そんな不思議な力があるとはとても思えない。
だけど、理屈や原因なんてどうでもいいと思った。
ぼくはほんのチビの頃から、ぼくの紙工作が『最後にはゴミになる』ことを知っていた。どんなに上手く出来ても、どんなに褒められても、いずれ壊れて捨てられてしまう。その儚さと潔さを含めて、ぼくは紙工作が好きだった。
秘密の倉庫が見せてくれる夢は、頑張って作ったぼくへのとびきりの『ご褒美』みたいなものだ。だいいち、悪いことなんかひとつもない。
夏休みに入って、ぼくはずっと作ってみたかったお城の制作に入った。大物過ぎて、今まで手が出なかったけれど、頭の中には完成図が出来ている。
高い塔や、兵士が巡回する通路のある城壁、はめ込み式になっている堀にかかる吊り橋を作る。大きな建物は二つ。大広間や謁見の間がある本宮と、王さまや王妃さまの住居になる後宮だ。本宮は二階建てにして、大広間には大きな窓とバルコニーを作る。後宮はとんがり帽子みたいな屋根をいくつもつけたら、シンデレラ城みたいでいい感じだ。
ぼくは自分の工作技術の全てを注ぎ込んだ。細かい部分にも手を抜かないで、わからない部分はお父さんに頼んで、設計図や写真をプリントアウトしてもらった。朝から自分で作ったおにぎりを持ち込んで夢中で作業した。そして夏休みの終わる三日前。ようやくお城は完成した。
ぼくは、言葉が出なかった。握っていたカッターナイフをコトリと置くと、いつの間にか鳴いていたひぐらしの声が、開け放った倉庫の入り口から小さく聞こえて来た。
その晩、ぼくは最後の夢を見た。
高い塔には、悪い魔法使いが閉じ込められている。捻くれ者で心に大きな傷を持つ。優しい侍女が食事を運ぶために長い螺旋階段を昇ってゆく。きっといつか傷が癒えて心を開く。
頑丈そうな城壁には、おしゃべりな若い槍兵と、足の悪い初老の弓兵がゆっくりと巡視している。
はめ込み式になっている吊り橋が、大きな音を立ててが堀に架かる。隣国からの使者が何か重要な手紙を持って訪れたらしい。
城門には口の悪い皮肉屋と、寡黙で力自慢の門番が立ってる。大広間では舞踏会の準備が進んでいて、王座のある謁見の間では魔物討伐の会議中だ。
後宮には美しいけれど口うるさい王妃さまと、双子の王子さまとお姫さまが住んでいる。イタズラ盛りの双子は、礼儀作法の授業を抜け出して城下へ遊びに行く計画を立てている。
長い長い夢だった。まるで一冊の物語を読んでいるみたいだった。お城のどこを覗いても、そこにいる人たちの気持ちや事情が見えてくる、不思議な夢だった。
「あーあ。終わっちゃった……」
目が覚めたぼくは、これが最後の夢だということを、なぜかはっきりと自覚していた。
ノロノロと遅い朝ごはんを食べて、ぼくは倉庫へ向かった。ガラガラと重い鉄の入り口を開けると、静まり返った広い倉庫内には、何一つ残されていなかった。山のように積んであった段ボールも、たくさん作ったぼくの作品も、置きっぱなしにした工具や袋に入れてあったゴミすらもない。
ぼくはゆっくりと頭を下げて、誰にともなく「ありがとうございました」と言って、入り口を固く閉じた。
倉庫からの帰り道は、いっそ清々しかった。きれいさっぱり消えてしまった作品も、不思議と惜しいとは思わない。ぼくは一度だけ、振り返って倉庫を見て、そのあと全力で駆け出した。
なぜならあと三日で、全ての夏休みの宿題を片付けなければならないからだ。きっとお母さんに「今までどうしてやらなかったの?」と叱られることだろう。そうしたらぼくはこう応える。
「どうしても、やりたいことがあったんだ」
お母さんがぼくのこの気持ちを、少しでもわかってくれるといいなぁと、切実に思った。
おしまい