観察
それからの僕の生活は、暁光の時間にフリードリヒに起こされ、味のないサンドウィッチを食べ、煌刻の間に『畑』の管理をして、月光の時間にまた味のない食事をした後、輝刻まで午前中の続きや城で働くロスト達の手伝いをし、黄昏の時間に味のないアップルパイに舌鼓を打ったふりをして、宵刻前にフリードリヒにおやすみなさいと言って眠り、翌日の暁光にまた彼女に起こされるというルーティンを淡々とこなすものになった。畑の管理も慣れてしまえばどうと言うことはない。収穫が終わった後の後片付けだけはどうしても気分がすぐれなくなるが、大抵のものはそうじちゃんが食べてくれるので、僕のやることは汚れがないか確認するだけだったし、壊れた家を直すのも、にわしちゃんと呼ばれる男性型のロストがやってくれた。僕は彼らの仕事をより効率的にするために指示を出した。彼らは僕の指示をよく聞き、よく従った。僕の立ち位置は奴隷とほぼ変わらないだろうに、と最初は思っていたが、どうやら彼らは「代わりに考えてくれる人」に従うらしい。互いにああしろこうしろと言い合う脳が無いのだ。その証拠に、僕はフリードリヒとせばすちゃん以外が命令を出すのを見たことがない。
この数ヶ月で、星の民の扱いや、効率の良い堕とし方、この城で使役されている六種類のロスト達について等の理解が深まった。新しいことを知るというのは実に素晴らしく、ある程度の大きさのキャパシティを持ってこの世に生を受けたことへの感動と、それが隙間なく埋められていくことへの快楽を与えてくれる。それがたとえ、どんな分野であっても……。特に、彼らを観察するのが楽しみの一つとなっている今では、僕は城で働くロストたちの特徴や性格、役割をほとんど知り尽くしたと自負する。
赤子くらいの大きさで、首が長くて頭の部分が垂れ下がった丸いランプのような姿のロストはあかりちゃんと呼ばれ、少なくとも十体以上はいる。あかりちゃんの頭は空洞になっており、その中で赤黒い炎が燃えている。彼女らは薄暗い城内を巡回している。声をかければランプ代わりになってくれる。性格は無邪気で自制心が低く、巡回の合間にあかりちゃん同士で談笑したり、鬼ごっこをしたりするので、城内は局所的に明るかったり暗かったり、ムラがあることが多い。
次に、みはりちゃんと呼ばれるロスト。彼らはかなり喧しく、落ち着きがない。両手でちょうど抱えられるくらいの大きさで、球体の体に赤い一つ目、二本の触覚と細く短い四肢を持つ。数は二、三十体程で、常に城の内外を走り回ったり飛び回ったりしているので、彼らを見ない日はない。
女中の形をしたロストは、めいどちゃんと呼ばれていた。女性の姿だが異様に力が強く、加減を知らない。十数名のその精鋭たちは、怪力を持て余しながら、主に洗濯や魔王様の身の回りの世話をする。無口で愛想がないが、生真面目な性格で、仕事の邪魔をされるのを嫌う。彼女らが洗濯物を運ぶ際、廊下で葉っぱ一枚に侵入者と騒ぎ立てるみはりちゃんを手早く捕まえ、片手間に城外に放り投げているのを何度か目撃したことがある。
にわしちゃんはその名の通り庭師のようだ。城内にある広い庭をたった五人で分担して、毎日草木の手入れをしている。無口で職人気質。うっかり枝を切り過ぎてしまった時は、フリードリヒが慰めに来るまで落ち込んで動かなくなってしまう。
最も数が多いのはそうじちゃんだ。そうじちゃんは二体一組で、片方は言葉を話すが、もう片方はそれに相槌を打つだけ。そんな双子のロストが二十組以上、四六時中城の内外でゴミなどを食べている。加えて毎日三食、僕が残した料理を必ず食べに来る。彼らにとって魔王様の料理はこれ以上ないご馳走であるらしく、いつも僕が残すのを部屋の隅でもぞもぞ動きながら待っている。ツノのある芋虫のようで、丸っこくて可愛らしい見た目だが、畑の清掃で星の民の脳みそを美味しそうに食べていたのを見た瞬間、僕はもう二度と彼らを撫でないと心に誓った。
そして最後に、せばすちゃん。他のロスト達と違い、彼は一体しか存在しない。影のように現れ、影のように消えていく。せばすちゃんは城内で働く者達の司令塔だ。僕に仕事を与えるのも彼で、柔らかな物腰に、自分が奴隷であることを忘れてしまいそうになる。それが彼らの手口だと知っている僕は、表向きは従順でいて、決して信用してはいけないと言い聞かせながら彼と接する。
僕はフリードリヒのことも知っておく必要があると思い、注意深く彼女を観察しようとした。しかし、彼女と接することができるのは起床と食事、就寝の時間だけで、それ以外で彼女を見かけたことがあまり無い。せっかく彼女と一緒にいることができる時間も、まるで台本があるかのように、決まった台詞を吐きながら僕を使ってままごとをするだけで、必要以上に語ろうとしないのだ。何かを隠している、と、僕は思った。今日もいつものように味のない食事を堪能した後、フリードリヒがどこかへ消えたのを確認し、僕は彼女の秘密を探ろうと城の中を歩き始めた。
「しぇあとちゃん、おれたちとあそぼうよぉ!!」
そう叫びながら、毛のような手足がはえた球体がいくつかこちらに近づいてくる。身構える間もなく、球体達の体当たりを食らい、僕は尻もちをついて倒れた。痛みで動けない僕の上に、今がチャンスとばかりに飛び乗った球体達が跳ねる。
「ねぇあそぼうよぉ!!!!」
寄って集るみはりちゃんをようやく押し退け、僕は体を起こした。衝撃でズレたメガネの位置を正し、レンズ越しに彼らを睨む。
「……みはりちゃん、急に体当たりするのはやめてくださいと、この前もお願いしましたよね?」
「え?そんなのしらないよぉ。」
「おれはいわれたぁ。たぶん……。」
「おれも、いわれたきがするぅ。」
「なにそれぇ、おれきいてないけどぉ。」
みはりちゃん達は大きな赤い目をぱちくりさせながら、言われた、言われてないと口論し始めた。その騒音に、耳が破けそうになる。
「……ちょっとよろしいでしょうかっ!」
負けじと、僕は大声を出した。その瞬間、みはりちゃん達は僕を見つめながら、はたと無い口を閉じて押し黙る。声を荒げたことを恥じつつ、僕は静寂の中で小さく咳払いをしてから再び口を開いた。
「この城の歴史を知りたいのですが、どなたか詳しい方はいらっしゃいますか。」
僕の問いに、彼らはひそひそ声で相談し始めた。しばらくして、真ん中にいたみはりちゃんが、
「そぉいうむずかしいのは、せばすちゃんにきいたほうがいいとおもう、ます。」
と、控えめに答えた。そうですか、と返し、僕はゆっくり立ち上がる。
「しぇあとちゃんはこれからおべんきょうするますか?」
服の裾を掴んでいるみはりちゃんが、弱々しい声を出す。全員が萎んだ風船のようにぐったりしているように見えた僕は、仕方なく、彼を優しく撫でて裾から引き剥がした。
「ええ、僕はこれからお勉強をします。だから遊ぶのはまた今度です。いいですね?」
僕の言葉に、彼らは目を爛々と輝かせて体の弾力を取り戻す。
「またこんどだってぇ。」
「またこんどってなにぃ?」
「きっとあしたかあさってかしあさってのことだよぉ。」
「ちがうよぉ、きっとにしゅうかんごのことだよぉ!」
『また今度』の定義を議題に低レベルな論争をしながら、騒々しい球体の一団は僕を置いて去って行く。僕は踵を返し、せばすちゃんを探して再び歩き出した。