血の滲むような思い
私はステージの上に立って天を仰いでいた。
私は無力だ。
私は予め圧縮した術式を持っていなければ魔法が使えない。魔術師がなぜ杖だけで魔法が使えるかというと、魔力エネルギーを使って四次元的な場所から物質を取り出すことが出来るからだ。つまり、彼らには私のように予め物質を圧縮するという行程は必要ないということだ。
だから、私が彼らと差をつけるためには事前準備に頼るしかない。
だが、いつも腰にあるはずの本を触ろうとしても、私の手は空を切った。祖母から貰った赤色の本。あそこには私が長年かけて思いついた魔術理論と大量の術式が保存されている。だから、本当に大切なものなのだ。それを簡単に奪われてしまうなんて、私はなんてドジを踏んでしまったのだろうか。
それだけじゃない。ルシアにあれだけ準備が大事だと説いておきながら、鍵になる本を失ってしまった私はその対応策すら満足に考えていなかった。
私は甘く見過ぎていたのかもしれない。いくら姉達が私を邪魔に思っているとはいえ、間接的に嫌がらせをしてきたしても、こんな直接的な嫌がらせまではしないだろうと高を括っていた。私はとことん姉達に嫌われているらしい。
私は自分の馬鹿さ加減に心の底からため息を漏らす。私はまだ期待していたのかもしれない。かつて私を見捨てた母や拒絶した姉達も心のどこか少しでも私に対する愛が残ってるんじゃないかって。もしかしたら、無能力者の私でもいつか受け入れてくれるんじゃないかって。
そんな感情があったから、私は主席を取るという決心はしていても、姉達を押しのけて、戦って、主席をもぎ取るという覚悟からは逃げていたのだ。本当はもっと前に覚悟しておかなければならなかったのに。
あぁ。観客席から沢山の生徒が私を見下げている。何も能力のない私は今からここでみっともない姿を晒すことになるのか。
あぁ。かつての魔力審査会のように、また私は能力者達に否定されていくのか。
ふざけるな!
私がここに至るまでどれだけ努力をしてきたか知らない奴らに、ただ才能を持っているだけでレールの敷かれた道を用意された奴らに、私を否定する権利が何処にある!?
こんな自分の常識以外のことを否定するだけしか脳のない甘ちゃん共に私は負けるのか?
冗談じゃない!
いいさ。そっちがその気ならこれからは私も容赦はしない。どこまでも冷たく、どこまでも徹底的に復讐ってやる。無能力者をナメるなよ。
覚悟は決まった。後は行動するだけだ。
私は対処法を考えようと頭を巡らせた。脳を働かせて、今抱えている問題点をまとめて行く。
術式を持ってない?
それなら、今から描けばいい。私には手があるんだから。
圧縮する物質がない?
ここには砂でも空気でもなんでも揃っているではないか。
ふふっ、問題点なんてたったの2つだけじゃない。さっきまでの私は一体何を狼狽えていたんだか。
私は早急に自分の指を使って地面に術式を描いて行く。
「圧縮」
地面にあった大量の砂を私は次々に圧縮していく。だが、物質を圧縮しただけでは私の魔法は発動出来ない。止まっている物質を動かすには力のエネルギーが必要だ。
私は次の術式を地面に描く。
「圧縮」
今度描いたのはエネルギーを圧縮する術式だ。空気はエネルギーの宝庫だ。空気のもつ熱のエネルギーを吸い取って、物質を動かす原動力にする。
これで下準備は完了だ。
これから発表時間の3分は私の時間だ。能力者ども、この私の、無能力者の足掻きを指を咥えて見てろ!
「解凍!」
その言葉を合図に私の演目がスタートした。初めに、先程描いた術式がステージ上を砂のベールで包んでいく。私の題目は水の双龍の伝説だ。砂を使う以上、まずここが海であることを観客に理解させないといけない。砂のベールは繊細に表面を波打って静かな海を物語る。
その最中にも、私の術式を描く手は止めない。次々に術式を描かないと軽い砂は空気の流れの影響を受けて、すぐに乱れてしまうのだ。
私は砂のベールの維持する術式も描きながら、主役である双龍を動かす術式も描く。くそっ。人差し指の皮が剥けた。止血してる余裕はないし、次は中指で、と術式を描き続けた。
そして、砂のベールからは双龍が姿を表す。先程まで穏やかだった砂の波も、嵐が来たように砂面が激しく踊り出す。砂の双龍はみるみると天に昇って、激闘を始めた。互いに噛みつき、互いに衝突して、その身を削って行く。
リハーサルの時のような迫力は出せない。しかし、その砂つぶ一つ、空気の流れ一つ間違わぬような繊細な制御により、その双龍の戦いは長年培わられた剣舞のように優雅さと緻密さを表現していた。
はぁ。頭が重い、身体が寒い、手が痛い。こんな繊細な魔法制御自体初めてなのに、それをぶっつけ本番で計算しながら術式を刻むには、脳への負担が大きすぎる。そして、空気から熱エネルギーを吸い取っているせいで私の周りの気温はぐんぐんと下がって、術式を刻む手まで悴んできている。その上、私の指は摩擦で皮を抉り取られ血が滲み、利き手は全滅、残るは左手だけだ。だけど、まだ指が残ってるだけ十分だ。
私はどれだけ辛かろうともゴールまで走り続けるだけだ。
そうして、双龍の空中戦が終わる。双龍は互いに傷つき、最後は眠る。砂のベールに姿を消した彼らとともに平穏に戻った砂面は何事もなかったかのように地面に戻った。
やり遂げた。
私が観客席に向かってお辞儀をすると、会場から割れんばかりの拍手が返ってきた。
ふぅと私は息を吐く。
もう半端で曖昧な目標を持つのはもうやめよう。私はもう逃げない。真っ向から姉達と対等に勝負して、勝つ! そして……。
春から夏までの“一学期”で首席の座を獲ってやろうと決めた。