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準備万端


 次の朝、私は早速出かける準備を済ませて、2つ隣のルシアの部屋の扉をノックした。

 私たちは学園近くの寮を借りて下宿している。この寮はグリモアル学園生向けに割引を行っているので、経済的にお得なのだ。特にルシアは自分で寮代や学費を払わなければならない。一応特別生は授業料の一部免除が適用されるが、それでも学生個人が稼ぎながら授業を受けるにはギリギリの金銭やりくりを強いられている。


「うぅ。ごめんね、ちょっと待ってて」


 扉の向こうから眠そうなルシアの声が聞こえてくる。たぶん彼は昨日も帰った後、バイトを遅くまでやっていたはずだ。そんな事情を知った上で、多少の遅刻に文句を言うのは野暮なので、私は「ゆっくりでいいからね」と釘を刺しておいて扉の外で待った。ルシアは他人を気遣うあまり、自分が無理をする癖があるから、彼には柔わらかい態度で接する方がいいと、長年の付き合いの中で知っている。

 外で待つこと10分。「おまたせ」という言葉と共にルシアの部屋の扉が開く。そこにいたのは、薄紫髪のショートボブで白のワンピースを着た完全無欠の美少女だった。


「どうかな? 急いで着替えちゃったから少しシワが寄っちゃったけど、大丈夫だよね? 変に見られないよね?」

「……うん。全然ダイジョウブ。ニアッテルヨ」


 訂正。完全無欠の美少女の姿をした男子だ。決して女子ではない。だが、その男子に女の子感という観点で負けている私は一体何なのだろうか。


「エリアちゃん。言葉に全然気持ちがこもってないよ?」

「少しそっとしておいて……。この敗北感を消化するには時間がかかるの」


 出来ればこのまま布団にレッツゴーして敗北感を噛み締めながら蹲っていたいが、今日の予定的にそこまでゆっくりしていられない。


「はぁ……。行きましょうか。まずは私の用事から済ませてもいい?」


 ルシアは首を縦に振るので、私たちは私の用事の目的地である王都の郊外へと向かった。郊外までは流石に遠いので馬車を手配した。馬車の賃借にそこそこの値が張ることは、ルシアには黙っておく。生活費もままならない彼に余計な出費を嵩ませるわけにはいかない。彼に気づかれないように後で私が支払いを済ませておこうと心に決める。

 森の中を進むこと約20分。馬車はようやく開けた場所に到着した。


「わぁ〜。凄い眺めだね〜」


 ルシアの覗く先には、水面が景色一面に広がっていた。ここは王都の近くにある最も大きな湖であるヒラサリス湖である。地下水脈から供給される水により、膨大な水量をもつこの湖は主要な川の源流にもなっており、運河として王都の発展に寄与している。人によって手入れされているため魔物の出現もなく、運搬目的だけでなく行楽地として一般人も多く訪れる場所だ。


「ルシアはそこら辺を回ってきていいよ。私はここでやることがあるから」


 私は湖の淵に座って赤い本を広げた。私が今からやろうとしているのは魔術に使う水の補充だ。

 昨日のリハーサルで本にストックしておいた水をかなり消費してしまった。私の魔術は事前に物や事象を“圧縮”しておかなければならないので、定期的にこうして補給することが必要だ。以前別荘に住んでいた時は、使われていなかった井戸から好き放題に水を徴収していたのだが、王都のど真ん中ではそうもいかない。なので、今後はこの湖を利用させてもらうつもりだ。

 私が白紙のページに圧縮の為の術式を書き始めると、その隣にルシアが腰掛けた。


「……別に私に付き合う必要はないからね? そんなに面白いものも見せられないし」

「ううん。ここにいた方が楽しいと思うから」


 ルシアがニコッと私に笑いかける。そんな太陽よりも眩しい笑顔を向けられたら、こっちは黙って目を背けることしかできないじゃん。

 ルシアが良いのなら、これ以上深くは突っ込むまい。

 私は気にせず、白紙のページを難解な暗号で真っ黒に染めていく。


「圧縮」


 術式が完成したところで、私は唱える。すると、術式の文字に向かって湖の水が勢いよく吸い込まれていく。ただ視覚的には吸い込まれているように見えているが、実際は“水”の情報が文字の情報として暗号に置き換わるという“変換”が起きている。これが圧縮の原理、だと私は解釈している。これを“解凍”という、逆の手順を踏むことで魔術が発動できるというわけだ。

 術式に圧縮が完了したら、私はページを次にめくり、術式を書いては水を本の中に圧縮していく。ルシアとの間に無言の時間が続く。もちろん、気まずいなんてことはなく、のんびりと流れている時間がむしろ心地よかった。

 10ページ分くらいの術式に圧縮を完了させたところで私はホッと一息ついた。


「こんなものかな」


 湖の水かさが数ミクロン減ったかも知れないが、環境に大きな影響はないだろう。圧縮をする時にはこういった環境への配慮も行わなければならない。下手をすると生態系を壊したり、天候異常も起こしかねないからだ。

 私は本をそっと閉じて、ルシアに向き直った。


「さて、私の用事は済んだから、今度はルシアの用の方ね。王都の魔道具店の品は高いものばかりだし、せっかくここまで来たのだから、近くの魔道具店に寄ってみよっか?」


 私の提案にルシアは「うん」と快諾したので、早速待たせていた馬車に乗り、移動する。ヒラサリス湖は王都だけでなく、各都市の流通に関わる要所なので、それなりに大きな都市が湖の南側に存在する。

 北側にいた私たちはぐるりと湖を回って対岸の街に入った。休日の街並みにはやはり人が多く行き交っており、馬車で通るには難しかった。私はこっそりと御者に運賃を支払うと、ルシアと共に徒歩で街に繰り出した。


「へぇ〜。港町ってこんな感じなんだね〜」


 ほとんど遠出をしたことのないルシアにはどの街も新鮮に映るようだ。ただ港町だけあって、建物や店に並ぶ商品には他国の文化が混ざっているため、新鮮に映るのは当然でもある。

 ルシアはあっちらこっちら目移りして店前に立ってはしょんぼり肩を落として帰ってくる。多分欲しいものがあって、でも値段を見て断念しているのだろう。


「欲しい物があるなら、お金貸そうか? いつ返してくれても良いし」

「……ぅんん、いい。今日は杖の修理をしに来たんだから……」


 ルシアは顔をシワシワにして、喉から声を振り絞るように出して首を振った。


 ルシア、超欲しいのがバレバレだよ……。

 今買ってあげるのは野暮なので、今度機会があった時にこっそり買ってプレゼントしよう。


 そんなこんなで、魔道具店を目指して、角を曲がったり路地に入ったりしているうちに、少し古めの外観の魔道具店を見つけた。


「とりあえず入ってみよっか」


 お店には扉が付いてなかったので、入り口を素通りして中に入った。店内は奥に広く作られているのか、なかなかの広さだ。私たちの探している魔法用の杖もズラリと並んでいるが、魔力を込めるだけで刻まれてある魔術が自動で発動する魔具なども多く置いてあった。魔具自体は珍しいものではないが、刻まれた魔術しか使えないので利用用途が限られる。なので、あまり好んで買う者はいない。この店はかなりマニアックな趣味の人が営んでいるようだ。


「へいっ、らっしゃい!!」


 私たちが商品を眺めていると、魔道具店に似つかわしくない筋骨隆々の店員の大きな声が聞こえて来る。ひとまず、ルシアの壊れた杖の修理が出来るか確認しなければいけない。私はその大柄の男の店員に話しかけた。


「あの、店長さんを呼んでもらえませんか?」

「店長なら俺だが?」


 おっと。マニアックな品揃えな上に、店長がまさかの体育会系だったとは。さすがに修理の線は望み薄かもしれない。


「おいおい。今俺を筋肉だけが取り柄の筋肉店長だとか思ったろ? 筋肉だけの」


 しまった。知らず知らずのうちにそんな表情をしていたとは不覚だ。これは流石に失礼が過ぎる。私が素直にすいませんと謝ると、店長は驚いた顔をして笑った。


「ガッハッハ! こっちは冗談のつもりで言ったんだがな。このギャグ、毎回、でお客さんに一発かますんだが、受けは上々だぞ?」


 いや、それはたぶん冷や汗ダラダラで苦笑いしてるだけだと思います……。


 しかし、その真実を告げるのは流石に憚られた。


 おっと、だいぶ話が脱線してしまった。本題に戻ろうと私はルシアに杖の件を話すように促した。


「あの、実はこれを修理してもらいたくって」


 ルシアは昨日壊れてしまった杖を店長に差し出す。店長はそれを縦横斜めさまざまな角度から観察した。


「なるほどな。確かに修理となると難しい作業になりそうだな。2週間くらいかかると思う」


 修理完了が2週間後では、2日後に差し迫った魔法美術(マジックアート)までには間に合わない。覚悟はしていたようだが、ルシアは眉を下げて「そうですか」と静かな声色で言った。

 だけど、修理してもらえるだけでも幸運な方だ。普通の木の棒なら、再生魔法で元に戻すことが出来るが、使い込まれた杖は使用者の魔力により変質しているため、外部からの魔法が効きにくく修理が難しい。そのため、普通は使い捨てるのを勧められることが多いのだ。


 しかし、このままではルシアは魔法の杖無しで魔法美術に出なければならなくなってしまう。


「ルシア。やっぱり新しい杖は一本買わなきゃだね。杖が治ったら、予備としてその後も使えるんだし」

「う〜ん……」


 ルシアは喉を鳴らしながら、財布の中を確認して頭をかいていた。

 少し顔が青いのを見ると、修理代金を出すので精一杯なのだろう。


 もぅ、やっぱりルシアは手のかかる子だ。


 私は杖の並ぶ展示ケースを一通り見定めて、目についた一つを手に取った。白金色が特徴のシルクスと呼ばれる樹木から切り出した、しなやかな杖だった。ちょうどルシアのイメージにぴったりだ。


「店長さん、こちらの品をプレゼント用で一つ包んでくださいますか」


 店長さんは毎度ッと言って私から白金の杖を受け取った。しかし、ルシアが私に待ったをかけた。


「やめてよ! 僕、いつもエリアちゃんに買ってもらってばっかりなのに。これ以上迷惑かけたくないよ!」


 ルシアの目は涙で薄く潤んでいた。私もルシアならこういう反応をすると思っていた。普段なら穏やかに接して宥めるところだが、今回の私は敢えて冷たい口調で言った。


「何言ってるの? 買ってあげるだなんて、誰が言ったのよ?」


 私は店長に料金を払って、包んでもらった杖をルシアの手に握らせた。


「出世払いに決まってるでしょ? ルシアには主席になった私を脅かす存在になってもらわないといけないから。ライバルがいなきゃ張り合いがなくなっちゃうだろうし、ね?」


 ルシアはプレゼントした杖をぎゅっと胸に押し当てた。


「うん。エリアにもらった杖2本で本当のライバルになってみせるよ。もしかしたら、僕が先に主席になっちゃったりしてね!」

「もぅ。それだと私の面目が丸潰れじゃない」


 でも、その意気で来られる方が私の闘志も燃えてくるのでちょうどいい。

 私たちはその杖にお互いがこの先ライバルであり続けることを誓い合った。


 修理の依頼も店主に頼んだ私たちは、夕日が水面いっぱいに映った湖に思いを馳せながら、馬車に揺られて帰路へと就いた。


 久々に充実した休日を送れて、しっかりリフレッシュも出来た。魔法美術の準備も済んだし、後は本番を迎えるだけだ。



 私の主席への一歩目のスタートだ。


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