リハーサル
「くっ……」
魔法美術の開催まで1週間を切った頃、私はとある問題で、目の前にある紙切れに頭を悩ませていた。
「警告通知、グループワークの件……」
同じように私と同じ状況で悩むルシアが小さく呟いていた。
授業が始まって以来、私たち2人はグループワークにおいて毎度仲間はずれにされており、与えられた課題を提出できていない。この紙切れに書かれた文書は、これ以上グループワークの課題を提出しないのなら、点数不足により即時退学とする場合があるという旨の警告文だった。
「ルシア。やっぱりアナタだけでもグループに入れてもらったら? 嫌がられているのは私だけなんだから、無理して付き合うことないよ?」
「うぅん……。ヘイキだよ。エリアちゃんを見捨てる方が嫌だもん……」
ルシア、、あからさまに紙を持つ手がプルついているのに、そんな強がりを言っても説得力はないよ。ここはルシアに嫌われてもいいから、無理にでもあの女子三人衆にお願いして、ルシアを引き取ってもらおうかと悩む。だがそうした場合、私は救いようがなくなり、本当に退学を余儀なくされてしまう。目的のためにはルシアの協力は必要だ。でも、友情で考えるとこのままなし崩し的にルシアに迷惑をかけ続けるのは望むところではない。本当に困った。
そんな困っている私の前に、さらに状況をややこしくする存在がやってきた。
「ちょっと、エリアさん? いつまでルシア君を独占する気ですの!? 早く私たちのグループに下さらないかしら!?」
前にルシアを勧誘した女三人衆のご登場だ。リーダー格の生徒から順に名前をマヒル、レスト、ココリというらしい。もちろん私から名前を聞いたわけではなく、向こうから勝手に厚かましく名乗られただけだ。
「だから、私はルシアを独占してるつもりはないって言ってるでしょ? グループに入って欲しければ本人に頼みなさいよ」
私は掛けられた濡れ衣をさらりと払う。というか、マヒル達は何度私の元へ来れば気が済むのだろうか。昨日もその前もこうして私の方へ恨言を言いに来るのだ。因みにどうやら、勧誘した日に彼女らに恥をかかせてやったというのは私の思い違いで、私は彼女らのとんでもない場所に火をつけてしまっていたらしい。
「本人には頼んでいるに決まっているではありませんか! しかし、『エリアちゃんを見捨てるつもりはないよ』と毎度毎度健気にそう言われては、私どももこんな可愛らしい子をそれ以上言葉攻めする気になんてなれないのです。ですが、あなたが根気強く説得すれば、ルシア君もきっと心を変えてくれますわ! さぁ早く、いち早くルシア君を説得して、私どもに可愛い可愛いルシア君を下さいまし!!」
マヒルはすごい剣幕で語り続け、はぁはぁと息を切らしている。ほら、こんな感じだ。日に日に言い分の中身に独特の言い回しが増えてきて、今では完全にオタク系を拗らせている感じになっている。このマヒルの感情が恋なのだとしたら、ルシアは一応男であるので、なんら問題ないのだが、この子の感情の起源はきっとそこではない。
なんだか怖くて、ルシア1人を預けようにも預けにくいのだ。
「だったら、グループにルシアだけじゃなくて、私たち2人を入れてくれれば良くないかな? それなら、ルシアも反対しないだろうし」
私が妥協的な案を提案するが、彼女らは首を横に振った。
「それはお断りですわ。だって、アナタが同じグループにいると知られたらあの方達に何をされるか分かったものではないですもの」
私は心の中で舌打ちをした。やはり、裏で私への扱いを取り仕切っている人物は間違いなくいるようだ。姉関連の人物であることは間違い無いが、今私が姉の元へ突撃しても知らぬ存ぜぬで突き通されるだろう。この仕打ちをどうにかするには、この状況を耐えつつ相手のボロが出るまで出方を窺うしか無い。とても歯痒くて仕方がない。
「大丈夫だよ、エリアちゃん」
私が難しい顔をしているのを察して、気を遣ってルシアが声をかけてくれた。
「エリアちゃんの事をもっと知ってくれれば、きっと認めてくれる人も現れるよ。だから、今は目の前のことに集中しよ?」
ルシアの言うことは希望的観測だ。私のことを知ってくれる機会なんてそうそうないだろうし、その上で認めてくれる人が現れるかなんて、確率は極めて低い。
でも、そうだ。今は目の前のことに集中せねば。警告通知だって、猶予はまだ2週間程度ある。今は直近の週明けに迫った魔法美術に向けて練習をしないといけない。
「ありがとう、ルシア。それじゃ、練習に行きましょうか」
私たちは目障りな三人衆をシッシと手で追いやると、屋外訓練場に向かった。今日の放課後は元々ルシアと2人で本番の演目の予行練習をすることになっていた。
今週の授業日は今日までで、休日は学園も使用できないので大規模な練習が行えない。週明けは1日おいてすぐに魔法美術が開かれる。実質ゆっくりと練習ができるのは今日が最後なのだ。
「じゃあ私が先にやろうかな。ルシアは少し離れて見てて」
うんとルシアは笑顔で頷き、私と距離を空けて立つ。
私はふうと深呼吸をして肩の力を抜くと、腰に提げた本を手に取った。ページをめくり、術式がびっしりと書き連ねられた1ページを上へと掲げた。
「“解凍”」
私の言葉と共に、術式から勢い激しく2つの水柱が空へと打ち上げられた。その水は龍の形を模しており、2つの双龍は相対するように天に登りながら睨み合いを続ける。
私が魔法美術の演目の題材に選んだのは、太古の水の双龍の戦いを描いた神話だ。この話は王国の南に広がる海の成り立ちとして知られている。激しい双龍の激突は世界の一部をめちゃくちゃに破壊してしまうほど大きなものだったと語られているが、同時に激突により生まれた水飛沫が世界全体に広がり、土地を潤し、雨を降らせ、生物を豊かにしたともされている。
今の時代では水は手軽に手に入るので、私の魔法の大半は水を使ったものに依存している。私の特性と相性がいいし、私なりに双龍に敬意を示し、日頃の感謝を伝えるという意味でもこの話はぴったりの演目題材だった。
「解凍、解凍!」
私は次々とページをめくり、魔術を発動させていく。私によって作り出された双龍は互いに身体を激突し合い、水流を放ち合い、噛みつき合う。その戦いの激しさは音となって空間を震わせ、水飛沫となって私たちの服を濡らしていく。
自分で作っておいてなんだが、私はここまでの規模の魔術を使うのは初めてだ。それを実際にやってみるとなると、威力が今までと桁違い過ぎて自分でもひくレベルだった。
やがて水龍は力を使い果たし、ただの水となって眠りにつく。その神話通りに、私の作った水龍達も形を歪め、ただの水飛沫となって飛散していった。空一面を覆っていた水流がなくなり、太陽を覗かせると共に、飛散した水の粒が光を乱反射し、虹を作った。
暫く空を眺めていたルシアは、ハッと我に返って口をパクパクさせながら私に近づいてくる。
「す、凄いよ! 凄すぎるよ、エリアちゃん! これなら、魔法美術で入賞するなんて夢じゃないよ! 最優秀賞も取れちゃうよ!!」
ルシアの絶賛の嵐に、私は思わずたじろいだ。でも、私も手応えは掴めた。
本番に自分の持っている魔力分の魔術を使う他の子達とは違い、私は本の中に圧縮した術式の数の分、魔術が使える。つまり、事前に膨大な術式を本に刻んでおけば、その分大量の魔術が使えるということだ。事前準備が非常に大事な今回の行事において、私は他の子達よりもかなりのアドバンテージを持っていると言えた。
「ほら、今度はルシアの番でしょ。早く準備しなさい」
あまり褒められ過ぎても恥ずかしいので、私は誤魔化すようにルシアの身体をくるりと回して、背中を押した。ルシアもそれに応えるように前へ出て、私の方へ振り返る。
「それじゃあ、見ててね」
ルシアは杖を取り出して手にすると、杖の先を空中で踊らせるように術式を描いた。
その術式に応じて魔術が発動する。ルシアが得意なのは炎を扱う魔術だ。ルシアは演目に扱う魔術も炎を選択したようだ。
ルシアの周りからは突如火花の柱が上がり、炎の弾が空へと打ち上がる。打ち上がった弾は大きな火花の爆発となり、その熱を帯びた粉が私たちに降ってくる。ふわふわとしたルシアの雰囲気に似合わず、演出はとても派手だった。
炎のパワーを途切れさせないように、ルシアが懸命に汗を流して奮闘する様子に、見ているこちらにまで熱の波が伝わってくるようだった。
最後にひとしきり火の粉を巻き上げて、ルシアの演目はフィニッシュだ。熱を失い、落ちてきた焦げ残りがハラハラと舞う中、私はルシアの元へ駆け寄った。
「凄いじゃない、ルシア! 魔力の制御も格段に上手くなってるし、使える魔力量も増えてる。さては隠れて猛特訓してるわね」
「へへ、エリアちゃんには負けたく無いからね」
ルシアはそう言って笑顔を見せるが、何故だかその表情には陰があった。
「何かあったの?」
ルシアは頷いて、手に持っていた杖の方に目を向けた。
「つい力を入れ過ぎちゃって杖にヒビが入ったみたいなんだ」
ルシアから受け取ってよく見てみると、杖に使われている木の木目に沿ってピシッとひび割れているのがわかった。
「大切なものなのに、どうしよう? 杖がないと上手く魔力も制御できないし。本番まであと少しなのに……」
そのルシアの杖は昔私がプレゼントした物だ。10歳の時から孤児院育ちの彼には魔法の才はあっても、その才を伸ばす環境はなかった。その時の私は気まぐれのつもりで、杖を買って彼にあげた。それ以来、ルシアは執拗にその杖を大事に使ってくれていた。正直かなりの安物だったし、魔術師の杖は消耗品な面もある。丁寧に使っていたとはいえ、6年も使っていれば壊れるのは無理もない話だ。
「新しいのを買う他なさそうね」
ルシアは目に見えてしょんぼりと肩を落とす。そこまで杖に思い入れなくても良いのに、と私は思ったがふと私の腰に提げた本のことが頭をよぎった。この赤い本は祖母からプレゼントされたもので、もう8年間ほど使っていた。これも高いものではなく、どこの商店にでも買えるような代物だ。でも、この本が突然無くなってしまったらと思うと悲しいし、辛い。ルシアもこのような気持ちなのだろうと察しがついた。
「明日学園も休みなことだし、何とか修理してもらえる店を探しましょう? 私もちょうど出かける予定があったから」
私の提案に、ルシアはピクッと頭を上げて目を輝かせた。
「本当!?」
「えぇ。ついでに予備の杖も買った方がいいと思う。一本だけだともしもの時に困るだろうし。一緒に選んであげるから」
「わーーい! エリアちゃんとお出かけだぁ〜!」
ルシアは私の話を最後まで聞かず、手を挙げて喜んで走り回っている。もぅ。いつになったらこういう子供っぽいところが治ることやら。
でも、とりあえず明日の予定は決まった。後は、どのような順番で予定をこなしていくかで私は頭を悩ませるのだった。