動き出した影
グリモアル学園の魔術部門では、入学式の2週間後にすぐ学園行事が行われる。行事名は魔法美術の披露会である。内容はその名の通り、魔術を使い美を表現することである。例えばで言うと、魔術でどでかい噴水を作ってみたり、意匠を凝らした氷像を作ったりなどである。
趣旨としては、新入生に向けた歓迎会の一環で、上級生の上達した魔術を新入生に披露して、目標を高く持ってもらうことらしい。
しかし、これは学園行事であり、新入生も参加する。もちろん、行事の結果は成績にも反映され、主席を取るには入賞が必須事項である。
なので、放課後にしっかり練習ができるように私は授業中に英気を養っていたのだが、いつの間にか授業は終わっていて、代わりに私の前には一人の人影が立っていた。
「アナタがエリアさん、ですわね?」
私は眠気目を擦りながら顔を上げる。声の主はレモン色とも称すべき薄い金髪で、少し目尻が吊り上がった気の強そうな少女だった。確か、Bクラスで一番の成績優秀者と言われていたカーミル=アフターレだったはずだ。
入学3日目だというのに、私は何かと突っかかれることが多く、ストレスフルな日々を送っていた。モテる人というのはこんな心境なのだろうか。……絶対違うだろうけど。
「何の用ですか?」
私が訝しげに尋ねると、カーミルはハッと鼻を鳴らして喋り始めた。
「別にどうって事はないですわ。皆んな無能力者のアナタのことが目障りなのだと気付いてらっしゃるでしょう? だったら、早々に学園から立ち去った方が宜しくてよ、と申しにきただけですわ」
「……入学式にもそんなような事を聞きましたよ」
入学式では姉達の手下であろうマナ=グレイスが新入生全員の前でそう言っていた。まさかカーミルも手下の1人なのであろうか。見た目からして、誰かの命令をホイホイ聞くタイプには見えないが、人は案外わからないものだ。
「私は誰に何と言われようと自ら学園を去るつもりはないよ。学園で“主席”になるという目標を果たすまではね」
私がそう告げると、カーミルは鼻を鳴らして今度は大笑いした。
「何言ってらっしゃいますの!? 無能力者が学園主席? そんなことが出来るのなら、そこらの野良犬でさえ学園主席が務まりそうですわね!」
カーミルの軽薄な態度に私も思わず、腰に据えた赤色の本に手をかけていた。本のページに書かれた魔法の一発でもかましてやりたい思いだが、学園の舎内での私目的の魔法の使用は禁止されている。一瞬、本の四角の一角で殴ってやることも過ったが、冷静になって考えたら馬鹿らしかったのでやめた。
言いたい奴には言わせておけばいい。最後の最後に吠えづらをかかせてやった方が面白いし。
「私が主席になった暁にはその言葉、取り消して謝ってもらうから」
「ええ、全く結構です。なんでしたら、野良犬の真似をして吠えて差し上げても宜しくてよ。その代わり、アナタが魔法美術で入賞出来なかったら即刻退学してもらいますからね」
入賞出来なかったら元よりそのつもりだ。私が不甲斐ない成績なんて取ってしまったら、祖母に合わせる顔などないのだから。
闘志に燃えてきた私は放課後になると同時に、外へ飛び出し本番に向けた練習に勤しむのだった。
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カーミルは放課後の人が消えた学園内の廊下を辺りを見回しながら歩いていた。
「全くシルルったら。わたくしの方にアナタを探させるなんて、付き人としての意識が足りないんじゃないかしら」
目的は付き人のシルルを探すため。確かにエリアに絡む前は教室内に居たのだが、話が終わった後には教室からすっかり姿を消していたのだ。
(本当に手のかかる子だこと)
カーミルは呆れてふぅとため息を吐く。それでも探すのを止めないのはシルルのことが心配だからだ。
「カーミル様」
先程まで気配すら感じなかったのに、カーミルは突然後ろから声をかけられて、ギョッと驚いてすぐさま振り向いた。
そこにいたのは探していたシルルではなく、茶色の髪を目元まで下ろした女子生徒だった。
「誰、ですの?」
全く見覚えがなかった。新入生にも、有名な上級生にもこのような容姿の人はいなかった。無名な上級生の人かなとカーミルは当たりをつける。
「エリアさんに喧嘩をふっかけたそうですね?」
「何故それをっ……。オホン。それがどうかしましたの?」
一瞬会話のペースを掴まれそうになって、ハッと我に返り、カーミルは冷静になる。この不気味な存在の話に流されてはいけないような気がしたからだ。
「そう身構えないでください。私はただ貴方様にご協力したいだけですので」
「……一体何の協力でしょう?」
「私たちもあの無能力者には迷惑しているのです。魔術部門は無能力者でも入学できるなどと思われてしまったら、魔術部門のブランドが落ちてしまいます。直ぐにでも彼女を退学にしたい。ところで、貴女様は彼女が今回の魔法美術で入賞が叶わなかった場合に、彼女を退学させるという約束をしましたよね? 是非ともそれを利用させて頂きたいのです。“貴女様が彼女を差し置いて入賞する”という形でね」
「……それは不正な取引をして、ということかしら?」
「えぇ。貴女様の目的は、私たちの目的ともピッタリ一致しているのです。ここは是非とも私たちと手を組んで一緒にエリアさんを退学させましょう!」
確かにカーミルは彼女の入賞を阻止する為に、自らが入賞するつもりでいた。彼女の企みに乗れば、最良の形で目的に対する結果が得られるのだろう。
だが、カーミルは彼女の提案をハッと鼻で笑った。
「勘違いしないでくださる? わたくしはわたくし自身が気に入らないと思うからこそ、彼女を敵にするのです。そこに貴女の存在も目論みも介入させるつもりはありませんのよ。分かったのなら、さっさとわたくしの前から消えてくださらないかしら」
正直、カーミルは怒っていた。このような不正な取引の提案をしてきたということは、自分に入賞する力がないと暗に言われているとも同然のことだからだ。カーミルはBクラスであっても、自分の力には自信を持っていた。だから、このように侮られることは極めて不快だった。
カーミルの明確な拒絶に、余裕の笑みを見せていた女子生徒もあからさまに口角が下がっていた。
「そうですか。では、ご協力は結構ですので、せめてエリアさんの弱点か何かを教えて下さらないですか?」
ここまで強く拒絶したのに、いまだ食い下がってくるこの生徒のことが、カーミルは不気味で仕方がなかった。無視してこのまま通り過ぎたいところだが、この質問に答えなければ、ずっと付き纏われそうに思えて、カーミルは嫌々答えた。
「そういえば彼女は魔法を使うのに必要な杖を持っていませんでしたわ。代わりに大事そうに赤い本を腰に提げていましたけれど、それが彼女にとって重要なものではないのかしら? 本当かは知りませんけれどね」
その答えにようやく満足したのか、不気味な生徒はペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます。これで何とか私どもの目的を果たすことができそうです!」
カーミルは不気味そうに、足早に彼女の元を去っていった。
カーミルが見えなくなった後、その生徒は誰もいない空間で独りごちる。
「腰に提げた本。あの真っ赤な本のことですか。そうですか、なるほど。それが彼女の力の源なのですね」
その生徒の姿は輪郭がぼやけていき、みるみると姿が変わっていく。茶色で長かった前髪も、特徴的な赤髪に変わり、顔の雰囲気も元の姿に戻っていく。
「覚悟していなさい、エリアさん。魔法が何なのか勘違いしているお馬鹿さんには痛い目を見てもらわないといけないんだから」
マナ=グレイスは誰もいなくなった学園の中で高らかに笑っていた。