勇者は何度でも立ち向かう
かつてこの世界は神の手によって創られた。
神は創った世界に命のタネを撒き、そこから生まれた存在が人になったという。やがて世界に人という存在があまねく息づくようになると、彼らを憂いた神は人々を円滑に導くために導きの天使ガブリエラを造ったのだった。
ガブリエラは人に近しい感性を与えられたことによって、人心を解しながら神の意図に忠実に人々を導くという役割を担った。
そうして完成されたと思われた世界の秩序だったが、時が経った後この世界には致命的な欠陥があったことが明らかになる。
それは歳月の経過によって、世界に淀みが溜まっていくというものだった。その淀みは形を成して意思を持ち、世界に住む本来の住民である人を害する深刻な問題が発生したのだ。そんなその淀みから生まれた存在を人々は魔族と呼び恐れた。
魔族は放置すればするほど、どんどん勢力を増し世界を浸食していった。ついに世界の均衡が崩れることを危惧した神は、魔族を滅ぼすためにある装置を作り出す。
それが勇者カミーユだった。
その日とある村に純白の天使が降り立つ。村は天使を中心に神々しい光に包まれて、誰もが彼女の姿を仰ぎ見たという。
「我が名は導きの天使ガブリエラ。我が主、創世神の名の下に宣告いたします。この村のブラン夫妻の元へ次に誕生する子供、その子こそ魔族の魔の手よりこの世界を救いたもう勇者となる存在。神より賜りし世界の救い手、勇者カミーユであると」
勇者カミーユは世界に魔族が増加すると、適性のあるごく普通の人間の子供として生まれる。そうして生まれる勇者は、事前に導きの天使ガブリエラからの信託により誕生が宣告され、生まれたときから勇者カミーユとして育てられるのだ。
そうして16歳まで成長した勇者は魔族を討伐する旅に出る。
「さあ、勇者カミーユよ。ついに十六歳の誕生日を迎えましたね。私の名は導きの天使ガブリエラ、アナタを今までずっと見守って来ました。そして誕生日を迎えた今この時より、私は新たにアナタの側にてアナタを正しく導く任につきました。共に魔族を滅ぼしましょう」
「はい、導きの天使ガブリエラ様。共に世界を救いましょう、よろしくお願いします!!」
「そしてこれは我が主より賜りし、魔族を滅ぼすための特別な力を持つ勇者だけが使える浄化の聖剣です。これを使って最後まで立派に役目を果たすように」
「はい、ありがとうございます!」
村を挙げた盛大な見送りのもと、天使と勇者は旅立った。
ガブリエラは淡々と職務を全うし、カミーユは道中で数多の魔族を屠っていった。
「見て下さい、ガブリエラ様綺麗なお花ですよ」
あるとき道の隣を埋め尽くす色とりどりの花を指してカミーユは言った。
「ええ、そうですね」
カミーユは明るく気さくな性格であり、旅の途中でこのようにガブリエラへ語りかける事が度々あった。
「あ、このお花はきっとガブリエラ様に似合いますよ!」
そう言いながらカミーユは薄桃色の花を手折って、流れるようにガブリエラの耳元に差したのだった。
「……っ」
「あ、すみません……少し失礼でしたか?」
「いえ、構いません」
彼女は差された花に手をやりながら考えた。
(カミーユは普通の人間より私に遠慮がない。それは一緒に旅をしているからというよりも、私と同じ創造神の手によって作られた存在だからだという気がする……)
まず彼は人間から生まれていても、その役割や能力が普通の人間とは根本的に違う存在であった。直接神の手によって意図して作られた存在、その点においてガブリエラとカミーユは同じ存在と言える。
だからこそ彼女はカミーユに対して、当初から仲間意識に似た少し特別な感情を抱いていたのだ。
しかしその感情は彼女の性質ゆえに表面化することはなかった。
そんな二人の旅もついに佳境へ差し掛かる。
「気を付けて下さい。アナタは重要な存在なんですから途中で死ぬようなことは赦されません」
ある魔族と戦った後、カミーユは負傷してしまいガブリエラはその傷を癒やしていた。彼が怪我した時に治療を施すのも彼女の役割の一つだからだ。
「でもガブリエラ様がいつも治してくれるじゃないですか」
「それは私の役割だからです、まず怪我をしなければ治す必要もありません……さあ無駄話はここまでにしましょう。じき魔王の元に辿り着きます、最後まで気を抜かないように」
そして熾烈な戦いのすえ、勇者カミーユはついに魔王に勝利する。
「や、やりましたよ!! ガブリエラ様」
「ええ、アナタは本当によくやりました勇者」
ボロボロになりながらも、どうにか魔王を倒したカミーユは快心の笑みをガブリエラに向けた。
「いえ、これも全部ガブリエラ様のお陰です……!!」
「そんなアナタに最後の役割を与えます」
「はい……なんでしょうか?」
まだ何かあるのかと言いたげな表情のカミーユは、それでも素直に頷いた。
「勇者カミーユよ、今からその浄化の聖剣をもって自ら命を絶ちなさい」
ガブリエラは今までと変わらない淡々とした口調でそう告げた。ただ胸の内では言葉と共に一つの決意も固めていた。
(もし拒否するようであれば、即時に彼を討たなければ……それも私の役割だから)
「な、何を仰っているのですか……?」
カミーユはそんな突然の言葉を飲み込めるワケもなく、ガブリエラに聞き返した。ガブリエラはそんなカミーユの挙動に叛意がないか気を払いつつも、やはり淡々と答えた。
「勇者カミーユ、アナタは今まで多くの魔族を倒し、ついに強大な力を持つ魔王までも打ち倒しましたね?」
「はい……」
「そうすることによって、アナタの中には浄化の力が段々と溜まっていたのです。そして最後に魔王を倒すことでついに完成しました」
「完成……何がです?」
カミーユは呆然とした様子で、それでもガブリエラに聞き返す。
「それは言うならば、世界を浄化する薬とでも言いましょうか」
「薬……」
「そしてそれはアナタが浄化の聖剣で死ぬことによって効果を発揮するのです。そう、この世界の魔族を一匹残らず消し去るという効果を……私の説明は以上です」
ガブリエラは話し終えると静かに口を閉じ、カミーユも考えがまとまらないのか俯いてしばらく沈黙を貫いた。
「……では、僕は死ぬために旅をしていたということですか?」
ようやく顔を上げた彼が絞り出すように発した言葉はそれだった。
「いいえ、世界を救うためです。神はそのようにアナタを造られました」
「……ガブリエラ様は最初から全部知っておられたんですね?」
「ええ、もちろん」
(彼は何を考えているのだろうか……私が非道で残酷だとでも責めたいの?)
ガブリエラのそんな疑念とは裏腹にカミーユはただ苦しそうで、そして何かに深く悩んでいるようであった。
今まで一番長い沈黙の後に、カミーユは恐る恐る問いかけた。
「……それを知っていてガブリエラ様は何を思い、僕と旅をしておられたのですか?」
「考えていたのは任務の遂行だけ、それ以外はありません」
「そうなんですね……」
そう頷くカミーユはとても悲しげでもあり、そして寂しげでもあった。
(まさか私の同情でも期待してたの? それでダメだったからと抵抗するつもりじゃ……)
内心で身構えるガブリエラに対して、何かを覚悟するような凛とした表情をした後に勇者カミーユは笑ってこう言った。
「分かりました……ガブリエラ様も今まで導いて下さりありがとうございます。僕は今からお言葉通りに最後まで使命を全うします」
「え、ええ」
予想していなかった発言にガブリエラが思わず拍子抜けしているうちに、カミーユは浄化の聖剣を持ち直し自らに剣先を突きつける。
「それでは、さようなら……っ」
そういって彼は最後まで笑顔のまま、自らの胸に深く剣を突き立てたのだった。その剣は背中まで突き抜けており、恐らくとんでもなく苦しいはずなのにカミーユはまだ笑っていた。
そしてそうしているうちにカミーユの身体は淡い光に包まれて、やがて端から光の粒となりサラサラと消えていった。浄化の聖剣が作用し、カミーユを世界を浄化するための物質に変換したのだ。
カミーユが消えた後には残された聖剣だけがゴロンと地面に転がり落ちた。
(これで無事魔族はこの世界から消えるはず、私に与えられていた特別任務も終わり……だけど)
転がった聖剣を拾い上げながらガブリエラは考える。
(分からない……なんで彼は最後に笑っていたの?)
彼女には人心に寄り添えるようにと造られた天使としての自負があった、だから自分に理解できない感情があるということがどうしても許せなかった。
(自分で剣を突きつける前に、私に言ったお礼も嘘ではなかったし……)
導きの天使であるガブリエラには心の他にも、人に惑わされぬために人の嘘を見抜く能力が与えられていた。しかし今はその力がかえって彼女を惑わしていた。
(勇者カミーユは一体何を考えていたの?)
ガブリエラがいくら考えても答えは出ない、彼女の記憶にある人にカミーユのような存在は一人もいなかった。悶々と悩んだ末に、彼女は一つの結論に辿り着く。
(別に今は分からなくても、次のカミーユに直接聞けば良いのよ)
そうしてガブリエラは自らの思案を切り上げて、もう何も残ってないその場を立ち去った。
そう、勇者カミーユは時が来ればまた生まれる。