ネームレス・フェアリーテイル
全ての人間の一生は一つの物語のようなものだ。
そこには喜びも、怒りも、悲しみもある。
人生に退屈を感じるのならば、
ほんの少しの好奇心と勇気さえあれば良い。
新しい冒険を望むのならば、
自分の心の赴くまま挑戦するべきだろう。
挫けそうになるときがあれば、
あなたの心を支える拠り所の存在を思い出してほしい。
もしもそれでもどうしようもないときには、
文句を言いながらもアイツがあなたを助けに来てくれるだろう。
超が付く程のひねくれもので、目付きが悪く、喧嘩好きで、
本当のことを言うのが大嫌いな、
世界一頼りになる主人公が…。
『物語の登場人物たちも生きている』
童話作家だった私の祖父は口癖のように言っていた。
物語には必ず主人公がいる。
主人公を支える仲間や師匠といった脇役たちがいる。
主人公の前に立ちはだかるライバルや魔物といった悪役もいるだろう。
中には無残に殺される一般人だっているかもしれない。
「いいか、真琴。俺は登場人物を作品の中で殺すことが悪いことだと言っているんじゃねえ。必ずそのキャラクターごとに役割ってもんがあるからな」
皺だらけの手で私の頭を撫でながら祖父は話を続ける。
私の祖父は子供やその親から根強い人気を誇る童話作家だった。
子供の頃から物語を考えては、多くの人に聞いてもらうのが好きだったらしい。
家族に内緒で有名な小説投稿サイトにも作品を投稿していたという話を聞いたことがある。
そんな祖父が書いた物語は数多くあった。
例えば、悪魔に出会った少女が旅を経て、悪魔に掛けられた呪いを解く話。
例えば、酒好きの太っちょドワーフとトマト好きの少女吸血鬼が最高の宝物を見つける話。
例えば、怠け者な船長の下に集まった頼れる仲間たちが冒険の末に悪神を倒す話。
どの作品の登場人物たちも、まるで実在するかのように生き生きとしていた。
悪魔と語らう少女は悪魔に恐怖を感じながらも、読者が応援したくなるほど悪魔に掛けられた呪いを解こうと奮闘していた。
ドワーフと吸血鬼は作中でいかに自分の好物が素晴らしいものであるかを語り、トマト嫌いな子供やワインが苦手な大人の読者からも苦手が克服出来たと感謝の返事が届く程だった。
最初の内は読者からの人気のなかった怠け者の船長が、仲間たちを守るためになけなしの勇気を振り絞って悪神に最後まで立ち向かった場面は、今でも数多くの読者の心に残っている。
虚構の存在だということを忘れてしまうかのように。
まるで実際の出来事をそのまま描写したかのように。
読者たちを時に励まし、時に驚かせ、時には別れの辛さを思い出させた。
私も『読者』としてその物語を通して多くのことを学ぶことができたと思う。
そんな私を見ながら、いつも祖父は安楽椅子に腰掛けながら言っていた。
「いいか、真琴。お前と俺だけの一生の秘密だぞ?」
至極真剣な表情で祖父は話を続ける。
「俺の書く物語の登場人物たちは生きている。それどころか、世界中のあらゆる物語の登場人物たちもだ。あいつらは物語という世界の中で生きていて、人々に忘れ去られたときがあいつらの死ぬ時だ」
「たとえ物語だとしても、誰かが覚えていれば、その登場人物たちも記憶という時間の中で生きていく」
「だからこそ、俺は俺の登場人物たちが生きていけるように……誰かの記憶に残るような話を今も書き続けているんだよ」
まるで自分に強く言い聞かせるかのように祖父は言っていた。
「勿論、お前にも他の奴らにも俺の考えを押し付けるつもりはねえよ…。ただな…」
後に続く言葉はいつも同じだ。
そしてそれは、病院のベッドに横たわる祖父と最期に話した時も変わらなかった…。
だからこそ、私は目の前の光景に目を背けることが出来なかった。
私の大好きだった祖父の物語の世界を守ろうと必死に戦うアイツの姿を…。
始まりは祖父の書いた一冊の物語からだった。
幼い頃に祖父から読み聞かせて貰った童話。
心優しい少女が悪魔に掛けられた呪いを解こうと奮闘する物語。
【「エマと炎の悪魔」(著:御伽真実 /ジャンル:童話)】
『むかし むかし
花が咲き誇る とある田舎町に
エマという名の少女がおりました。
エマは心優しく 町のみんなに慕われており
エマも町のみんなのことが大好きでした。
北に困っている人がいれば 助けに行き
南に病の友人がいれば 看病をしにいきました。
ある日 エマは友人の看病をした帰り道に
雨宿りをするために 洞窟へと入りました。
洞窟の中で雨宿りをするエマの耳に
助けを求める声が 聞こえてきました。
それは 洞窟の奥からでした。
不思議に思ったエマは 声のする方へ
ゆっくりと 歩いて行きました。
すると 洞窟の奥からうっすらと
明るい光が差している場所を 見つけました。
エマは その洞窟の奥深くで
しゃべる不思議な炎を 見つけました。
その炎は 自らを炎の悪魔だと名乗り
エマに 自分をある場所に連れていって欲しいと 頼みました。
最初は悪魔のことを怖がっていた エマですが
炎の悪魔が 悪い魔法使いに呪いを掛けられ
長い間 暗い洞窟の中で過ごしていたことを知ったエマは
可哀想な炎の悪魔を 助けることにしました。
炎の悪魔と 洞窟を出たエマは
炎の悪魔に案内されるまま
四つの街を巡り 七つの怪物に出会う旅へと出ました。
旅の途中でエマは
意地悪な猟師のおじいさんや 怖い顔の盗賊たち
悪い魔法使いにも 出会いましたが
決して 諦めることなく
勇気と 知恵と 優しさを振り絞り
困難を 乗り越えて 行きました。
そして エマはついに目的の場所へと
たどり着くことが 出来ました。
そこで炎の悪魔は 一人の青年へと 姿を変えました。
なんと 炎の悪魔の正体は
悪い魔法使いによって 姿を変えられた
とある国の 王子様だったのです。
エマは その王子様と結ばれて
いつまでも 仲良く暮らしたそうです。
めでたし めでたし……
めでタシ メデタシ……
………
……
…
夜の町には絶望が満ちていた。
月明りも星の輝きもなく、辺り一面には炎が立ち込め、真昼の様に照らし、
煙と死と炎が町の隅々までを覆いつくす。
花の都と呼ばれ、住民の笑いが絶えない、
美しい町としての面影は最早そこにはなかった。
そして、唯一の生き残りである少女は、
未だに燃え続ける町を呆然と見つめ続けるのみ。
少女を助けてくれた優しい猟師の老人は炎に飲まれ、
怖い顔の盗賊たちも少女を守るために荒れ狂う炎に立ち向かい飲まれた。
魔法使いも少女を決死の覚悟で守り抜き、散っていった。
炎に囲まれた広場には、私と少女を除けば動く影が二つ。
全てを燃やし尽くすまで動き続ける悪魔と
その悪魔に勇敢にも武器を手に立ち向かう少年が一人。
「お願いだからもう止めて!!火の悪魔さん!!」
声を振り絞り、少女は叫ぶが、悪魔にその懇願は届かない。
未だに燃え続ける教会を背に悪魔と勇敢に戦い続ける少年。
悪魔の一撃が大地を唸らせ、
身に纏う業火は全てを焼き尽くそうとする。
眼前の死を紙一重で躱し、
悪魔へと刃を届かせようとする少年。
少年は勝利を渇望し、
ただ目の前の悪魔を倒すことだけに心血を注ぎ、
数多の炎と刃が交差する。
その光景を見たものは誰もが口にするだろう。
誰もが切望し、誰もが見惚れ、両者が命を削る、
異形の存在に立ち向かう英雄の様な戦い。
だが、ここには私と少年、少女と悪魔以外の観衆は誰もいない。
理由は簡単、少年と今も戦う悪魔が少女以外の全ての生物を燃やし尽くしたからだ。
『読者』さえいない舞台で悪魔と戦う姿は滑稽で愚かな振る舞いにも見える。
眼前には炎を操り、狂ったように笑い続ける炎の悪魔の姿。
対するは決して諦めることを知らない目付きの悪い少年。
互いに満身創痍であり、次の一撃を決めた方がこの戦いの勝者となるだろう。
だが、それでは駄目だ。
少なくともこの悪魔を倒したところで問題は解決しない。
この物語の根本的な問題が解決しない。
その前に、そもそも何でこんな事態になっているのかを、
最初から順番に説明しなければならないだろう。
何故、最初に私の祖父の紹介をしたのか。
何故、話を燃えた町での戦いから始めたのか。
そして、悪魔と戦う少年は何者なのか。
その疑問に答えるためにも少しだけ時間を遡らなければならない。
始まりは一週間前。
祖父の遺した本が眠る書斎で私は黒い狼の姿をした怪物に遭遇した。
怪物から必死に逃げ回る私の前に現れたのは、目つきの悪い一人の少年だった。
少年は瞬く間に怪物を倒し、怪物を一冊の本に封じ込めた。
それが、私と少年との最初の出会い。
あるいは、出会いと別れ、希望と好奇心に満ち溢れた名前のない冒険の始まり。
そして、この『物語』のプロローグでもある。