魔女と髑髏と
「メイル・ディストーレ……ディストーレ?」
台帳に書かれた名前を読み上げ、宿屋の主人はそう名乗る人物を見やる。
「ええ、何か」
つば広帽からのぞかせたのはまだあどけない顔で、答えた声は高く、しかし老婆のように落ち着いていた。
十代半ばの少女と見て取れるが、受ける印象はちぐはぐだ。
「お嬢さん、ひとりかい?」
「そういってるじゃない」
当然のように答える少女――メイルは、手提げ鞄を目の前で掲げるようにして持ち直し、再び主人に要件を告げた。
「それで、泊ってもいいのよね? それとも足りないの?」
「いや、3日分だね。お金は大丈夫だよ」
やたらと古びた銀貨を受け取り、鍵を渡す。
「ありがと」
主人に一言告げて、少女は従業員に案内されていく。
「さて、夕食の支度をしないとな」
その様子を見送り、主人は次の仕事へ取り掛かった。
――魔女が来る、魔女が来る! いい子にしないと、怖い怖い魔女が来る!
――魔女ってなぁに? 旅魔女! 悪い子さらって弟子にしちゃう!
そんな童歌の一節とあの少女を、結びつけることは、もうない。
一方、童歌の少女は食事の時間について聞きだしてから、案内の者を追い出し、素早く部屋を見回した。
間取り、方角、そこから予想される気の流れ。すべてを頭の中に思い描く。次に少女は鞄から複雑な図形が描かれた紙を取り出すと、部屋のあちこちに配置していった。
最後にまじないの言葉をつぶやくと――その部屋は外界から切り離される。
「いやさ、メイル。説明するのが面倒だからってあれはないんじゃない?」
「何が」
一人のはずの部屋に、二人分の声が響く。もう一人の声は少年のそれで、メイルよりは幾分低い声が会話を続ける。
「僕らのこと、知ってほしいっていう気持ちはわからないでもないけどさ」
「そんなんじゃない」
「ええ? じゃ、偽名使えばイーじゃん」
「めんどう」
「えぇ……じゃあなんで術まで使って」
「アイン」
少女はそこで、はじめて声の主の名前を呼んだ。すると嘘のように部屋に静寂が戻る。
メイルは鞄をじっと見つめていたが、やがてつば広帽の中から紙とペンを取り出して何か書き込み始めた。
彼女が集中し始めたころ、ようやく少年の声が戻ってきた。
「いやちょっ、口答えするなと!? そういうこと? そういうことしちゃいます!? 鬼だ、悪魔だ、魔女様だ! メイルさん? メイルさ~ん、聞いてますか?? 僕おしゃべりできないと寂しいんですけど? だって何も見えないもん……ぐすん……昔みたいに、アインお兄ちゃんってついてきてくれた素直なメイルはどこに行っちゃったの?」
「――お兄ちゃん、なんて呼ばないから」
一人で勝手にショックを受けているらしいアインをバッサリと切り捨てて、メイルはため息をついた。
(呼べるはず、ないじゃない)
そっと胸を抑える。
降りしきる雨と、真っ赤な血だまり。必死で儀式を行う自分たち。
彼を人ならざる者にしたその日から、自分は人でなしだ。あの頃のように接していいはずがない。
「なんて、ね」
追憶を打ち切り、作ったばかりの護符を片手にメイルは立ち上がった。
減らず口をたたく使い魔に、まずはお仕置きするのだ。
◇ ◇ ◇
翌日、つば広帽をかぶった少女の姿は路地裏にあった。
「うへ、ガラ悪……」
「“私たち”のような身の上ならこういう場所がお似合いでしょうね」
メイル達はある目的のために情報が欲しかった。魔術に関連した情報だ。
少女の姿は大変に目立っていた。こんな場所に町の住人は近づかない。
そんな少女にちょっかいをかけようとした人間は、その前に何かにつかまれ、身動きが取れなくなっていた。
「平和だねぇ」
「人の庭を、これだけ荒らしておいてか?」
アインの軽口に答えたのは、黒いローブを着た老人だった。
「こっちだ。連中の拘束は解いておきたまえよ」
老人はそう言いおくと、踵を返し、闇へと消えた。メイルは鞄をポン、と叩き、老人を追う。
「くそ、なんだって……ひっ!?」
影へと潜っていく腕は、白い骨の腕――つまりは骸骨。それらが影の中へ潜っていく光景はあまりにも気味が悪く。
ごろつきは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
メイルが案内された小屋は、無数の薬瓶で満たされた棚が押し込められたような、そんな場所だった。
「うへぇ、整理しなよ爺さん……」
「アイン」
「構わんよ、この年になると、そういうことをするのもおっくうでね。さて」
「答えて」
メイルは鋭く問いかける。
「ディストーレの名前、あなたは聞き覚えがあるわね?」
「五十年ばかり前に滅んだ村か」
「そして魔術師流派の名前だった」
「……」
「事前に調べたわ。この地区だけ不自然に変死者が多く、しかもその多くが心臓を抜かれている」
「ちょっと感覚広げてみたけど、ビンゴだ。知り合いがいる」
「ふん、貴様ら、あの忌々しい一族の生き残りか!」
老人の気配が膨れ上がる。それは紛れもなく魔力の奔流で、ただの人間のそれとしては、異常。
「だがもう遅い!我が工房で貴様が勝てる可能性など万に一つもない!」
「よく言うわ、他人の魂で魔術を紡いでいる分際で」
「ここの死霊たち、やけに僕らに協力するもんね?その正体は無念に死んだ人たちだったわけだ」
「ほざけ、いくら吠えようと強者の糧と消えるのみよ!!」
呪文もなく放たれた闇の弾丸。あたりに漂う死霊を飲み込んだそれは、老人から放たれたものとは思えないほど荒々しく、苛烈なものであり。
当たれば少女の体などひとたまりもないことだけは確かであった。
「まったく、やってることは魔力量でのゴリ押しじゃない」
「八十の爺がやることではないね、これはひどい」
相対する少女は涼しい顔でそれをしのいだ。手提げ鞄から護符を取り出し、それを掲げる。発動した結界が魔力弾を散らし、その欠片が何かを貫く。
「何!?」
「口ではああいいながら、自分を守る手段は講じてる……工房でしか戦えない魔術師なんて、こんなものね」
「死霊避けの結界ってあんた……結界の基点の隠し方といい、どうも大成しなかったタイプだね」
アインの言う通り決着は明らかだった。死霊たちの狂奔が、老魔術師を包み、その中で老人は狂声を上げる。自らの狂気に飲まれていく。
渦を巻く狂霊たちが、メイルの目の前で膨れ上がっていく。
「あ、まずっ」
「……アイン?」
「実体化するよこれ!よりによってナンシーばあさんの心臓だ!死霊術師だった!!」
「後でお仕置き!なんで言わないの!?」
メイルは鞄に手を突っ込んでアインを取り出した。
それは、白い白いシャレコウベ。
「私を守れ、使い魔よ」
「僕には目がない、敵を見据えることができない」
「ならば受け取れ、私の目を。敵を破るひと時、この視界を使え」
暗い眼窩に光が宿る。それは少女の目と同じ翡翠色の鬼火。
代償に少女の視界は鎖された。しかし彼女はひるまない。
「僕には腕がない。これでは君を守れない」
「かりそめの腕を与えよう。地を捏ね、お前に合う腕を作り出そう」
石畳がめくれ上がり、削れ、石の体を形作っていく。
瞬く間に均整のとれた少年の、首なしの石像が形作られた。
「僕には自由がない。魂は未だ貴女の裡にある」
「ならば器を与えよう。我が魔の力をもって自由を与えよう」
シャレコウベがひとりでに浮かび、首のない石像に収まった。
像に魂が吹き込まれる。
「約定に基づき、脅威を排せよ! アイン・ディストーレ!」
像が――アインが動き始める。
ぐらりと傾いだ、メイルを受け止めるために。
「ごめんね、あとは僕に任せて」
急激な魔力の消費で気を失った彼女を横たえ、アインは動き出す。
歩く姿は生身の人間とそん色なく、ドクロの頭がなければ、異形の存在とは認識できないだろう。
アインは呪文を唱えると、体と同じく地面を削り作った石剣が出来上がる。呪言を刻んだそれを構え、アインが走る。
「恨みはないけど、このままじゃ迷惑だからね」
恨むなよ、と。
わずかな感傷と共に、振りぬく。
(君たちと僕の違い、実はそんなに多くないんだ)
不本意に死んだ。無残に死んだ。
それでもアインには、引き揚げてくれた人がいる。
「終わったよ」
メイルは目覚めない。――目覚めても、自分をひと目見ることさえかなわない。
その頬をゴーレムの指の背で撫でる。この体には触覚などないけれど。
「悔しいな、やっぱ」
役目を終えた体が、崩れていく。
◇ ◇ ◇
「空振り、ね」
「そう簡単に見つからないよ、焦らない焦らない」
アインの能天気な口ぶりに、メイルはため息をついた。
工房の資料には目的の物はなかった。死者をもてあそぶような輩なので、あまり期待はしてなかったが。
「もうとっくに生きてた頃のトシ越えちゃったしね、メイルと一緒なら、それで」
「ダメ、あなたをちゃんと人間に戻す。それが私の使命よ」
――それがかなった時、メイルはどうするのだろう? いや、どうなるのだろう?
アインは浮かんだ考えを言葉にしなかった。人の枠から外れているのはお互い様だ。
まだまだ二人の旅は続く。そう思うとアインは悪い気はしなかった。
「ところでお仕置きの内容だけど」
「あーあー聞こえない聞こえ……ちょ、ビリビリする!?なにこれ!?」





