不死と孤独とナイトウォーカー
細くなった三日月が心許なく道を照らしているような夜、わたしはとある公園を訪れた。
一般的に、未成年の女性がたった一人で夜中に出歩くのは危ない(そもそもいけないことでもある)のだが、わたしにはもう関係ないし、慣れた。
ここに来た理由はある人に会うからなのだが……まだ来ていないようだ。
歩道脇のガードレールに腰を掛けて、スマホを取り出し時間つぶしを始める。適当にSNSでも開くか。
そう思った矢先だった。
「こんばんは」
「……どこにいたの」
いつの間にか、わたしのすぐ横に少年が座っていた。少年は育ちの良さそうな風体をしていて、地面に届かない足をぶらぶらと揺らしながら機嫌よさそうにこちらをみている。
声を掛けられるまでまったく気配を感じなかった。不意に現れた彼に内心相当驚いたのだが、彼ならばこれくらいの芸当は簡単にこなすだろうなと感じていた。
「あなたが家を出たあたりからずっと横にいましたよ」
「最初からじゃない……声もかけずにわたしを観察して楽しんでいたってわけ? 気持ち悪い」
そんなところからわたしのそばにいたとは。相変わらず性格の悪い。彼は人畜無害そうな顔からは想像もできないほど性格が悪いのだ。
「心外ですね。護衛していたんですよ、護衛」
「なら声をかければいいでしょ」
「本人にも気づかれずに姫を守っているのがかっこいいんじゃないですか」
ロマンですよ、ロマン。そういって彼は憎たらしい笑みを浮かべた。
こんなやつと私が関わりを持つようになったのは、数週間前の出来事がきっかけだった。
◆
両親と弟が死んで、わたしはひとりぼっちになった。
遊園地に向かっていた私たちの車へ大きなトラックが突っ込んできたらしい。らしい、というのはわたしはそれを見ていないから。後部座席でうたた寝をしていた私が覚えているのは、何かが引きちぎれるような甲高いブレーキ音、直後に体が浮遊する感覚、そして耳から入って頭の中を埋め尽くした恐ろしい暴力の音と、とても苦しいという思い。
気が付けば真っ白くて生気のない部屋にいた。窓はついているがカーテンで遮られていて外の様子はわからない。灯りは無機質な蛍光灯が、私を監視するように照らしている。わたしの寝ていたベッドのそばにTVがあったが、リモコンがどこにも見当たらないので電源を入れることができない。
そこが病院の一室だと気が付くのに数日かかった。この数日間のことはフィルターがかかったようにしか思い出せない。見ている視点はわたしなのに、まるでひどくつまらないモノクロの無声映画を客席から見ているような疎外感があった。わたしがわたしであることを思い出した日、お医者さんはわたしの目に光が戻ったといった。そのときは何とも思わなかったけど、わたしたちの車に落としてきてしまった魂が、わたしの中に帰ってきたんじゃないかって、今は思っていたりする。
真っ白な部屋を出たわたしは真っ黒な服を着て、青い空の下、家族が眠る灰色の墓地を訪れた。いつの間にかわたしの家族は真っ白な骨と灰になって、冷たい石の中にいた。その石にはわたしたちの名字が彫られていて、わたしにはそれが表札のように見えた。ああ、ここがみんなの新しい家になったんだ。そう思った。でも、その家に入ろうとどんなに石の表面を触ってみても、どんなに家族を呼んでみても、何も起きることはなかった。そして暗い雨雲とともにやってきた冷えた風がわたしの中を通り抜けたとき、わたしはこの世界に取り残されたんだって実感した。頬を流れる涙が熱いから、わたしは生きているってわかった。泣けば泣くほど速く打ち鳴らされる鼓動が、わたしの命がわたしの中にあるって嫌になるほど教えてくれた。だから泣くのをやめた。そうしたらわたしの体は次第に冷えていった。そして、降り注ぐ雨がわたしの心の奔流を沈めてくれた。そうして穏やかになったわたしは、家族に背を向けて墓地を後にした。
見かけ上は元に戻ったわたしに休む暇はなかった。現実や社会といったものは子どものわたしへも容赦なく押し付けられた。無我夢中でそれらを片付け、やっとすべてのことが終わったと思えたのは2月ほど経った頃だった。月明かりの落ちる部屋の中で肩の力を抜いて横になる。そうするとそれまで感じなかった、感じることを忘れていたもの、孤独、空白、心のうろを自覚させられた。家の中は静かで人気が無くて、思い出と幻影ばかりが目に映った。気を抜けばすぐに母が呼ぶ声が聞こえた。視界の隅で弟が走り去る姿を見たのは数知れない。夜になれば父がドアを開けて帰ってくるんじゃないかと思い、数時間も玄関で待ち続けたこともあった。どうしようもなく、わたしはひとりぼっちだった。
いつしか、わたしは家にいることが苦痛になっていった。ノイローゼというかうつ状態というか、そんな感じ。とにかく、家族の匂いがしない場所へ行きたかった。日中はダメだった。歩く人たちは皆当たり前のようにそこを歩いていて、わたしのようにどこかから逃げてきた人はいなかった。そういう人たちを探すと、より暗くて、より鮮やかで、より危ない場所へ向かわざるを得なかった。わたしがたどり着いたのは、黴臭くて、じめじめしていて、薄暗くて、けばけばしくて、うるさくてたまらない場所。そこは通りから路地裏に少し行って右に曲がり、三つ目のビルの地下にあった。やはりというか、そんなところにある場所だから昼間に生きる人は見当たらなくて、そのかわりにいろんな人がいた。自慢ばかりする人、常に誰かのそばにいないといけない人、クスリを使っている人、暴力的な人、腕が傷だらけの人、いつ見ても泣いている人。そして皆、おもいおもいに心の寂しさをごまかしていた。刹那の喧騒に身をゆだねて、自分という目をそらしたい存在を希釈していた。わたしは入れなかった。なぜかはよくわからない、ただそこが一度落ちれば出られない蟻地獄のような、ゆっくりと破滅へいざなう底なし沼のような気がして怖かった。数日後、見たことのある顔が地下へ向かう階段の中ほどで、くしゃくしゃの紙クズのように丸まって死んでいた。わたしはもうそこへは行かなくなったから、今はどうなってるのか知らない。
どこへもいけなくなったわたしは、緑の多い公園で夜を明かすことが増えた。はじめは変な人たちから話しかけられることもあったけど、なにをあらわしているのかよくわからないあのオブジェや、錆びすぎて役割を失った立っているだけの看板みたいに無視されるようになった。月のない夜は真っ暗ですぐ先も見えなくて、世界が半径1メートルまで縮まったみたいで安心した。月のある夜は遠くの木の葉っぱを数えられるほど鮮明に世界が見えた。そんなところで木々の匂いやそれに混じる人工物の匂いを嗅いだり、風が物と触れ合う音を聞いたりして過ごした。
そうしてまた数日経った頃、わたしはあなたに出会った。月のない夜、半径1メートルの世界の先にあなたは現れた。そのときのあなたは白いシャツの腹の部分を抑えながら、よろめきながら前のめりに歩いていた。あなたの歩いた後ろには血の道しるべが落ちていた。時期に立っていられなくなったあなたは口から大量の血をこぼし倒れこんだ。血だまりの中でぐったりとするあなたを見て、わたしは数か月ぶりに心がざわついた。駆け寄るとあなたは聞いたこともない音を漏らしながら苦しげに息をしていた。蝋燭は消える瞬間が一番輝くという。命も同じように、今まさに尽きようとしているそのさまを鮮烈に見せつけていた。わたしはその命が消えないように、「どうしたらいい」と尋ねた。するとあなたは「あなたの命をぼくに」と言った。わたしがうなづくのを見たあなたはわたしを押し倒して、わたしの首筋へ喰らいついた。わたしの中を流れる命が血液とともにあなたへ吸い込まれていくのがわかった。わたしは冷えていく体温を感じながら迫りくる死を待っていた。そしてわたしの命のすべてが尽きたとき強烈で抗えない優しい睡魔がわたしの瞼を閉じさせた。そこでわたしは終わった。
そう、終わるはずだった。なぜかわたしは生きている。胸板をたたく鼓動がそう告げている。そして目の前にはあなたがいる。穏やかな顔でわたしの話を聞くあなたが。
さあ、これでここまでの話はおしまい。わたしは、あなたのことが知りたい。
そう言うと、黙って話を聞いていた少年はゆっくり口を開いた。
さて、どこから話そうか______





