魔女のお茶会にようこそ
「それじゃ、またね、充」
「おう。朝はいつもの時間でいいかな」
夕暮れが照らす交差点。俺――篠崎充はいつも通り隣を歩く彼女――秋月香音と共に下校していた。
「うん。っと……ごめん、ちょっとこっちきて?」
「うん? ……えっ」
唐突に呼ばれ振り返ると、香音の顔が眼前に迫っていた。そして、その唇が俺の頬に触れる。
香音とは確かに付き合っている。元々幼馴染で友人の期間は長かったけれど、高校に入ってからは恋人となった。……だから、頬にキスをされるのも決しておかしくはないのだけど、少なくとも香音はそういう事を突然するような大胆な性格ではなかったはずだ。
「どうしたんだ、急に」
「えへへっ、なんとなくしたくなっちゃって。……ダメだったかな?」
「ダメじゃないけど……珍しい」
「まあ、たまにはいいじゃん」
普段通りの口調ではあるけれど、注意深く表情を見てみると何かにおびえているような、怖がっているような、そんな表情をしていた。おそらくほかの誰も気づけないくらいちょっとした変化だけど、長年の付き合いから俺には分かってしまった。
「なあ、香音。なんかあったか?」
「へっ!? いや、そんなことは……ない、訳ではないけど。……でも大丈夫、たいしたことじゃないから」
「おいおい。……まぁ、深くは聞かないけどさ、困ったら言えよ」
長年の経験上、香音は本当に困ってるときは迷わず頼ってくる奴だと分かっている。だからまあ、本人が大丈夫だと言うなら大丈夫なんだろう。
「うん。――ねぇ、充。聞きたいことあるんだけど、いいかな?」
「いいけど……なんだ?」
「えっと、もし、もしもだけどさ……何かの拍子に私が居なくなっちゃたら、充は悲しい?」
そう問う香音の目は本気だ。なんの意図があっての質問かは分からないけれど、それなら俺も本気で返すのが道理だろう。
「悲しいに決まってるだろ。――もうこれ以上、大事な人がいなくなるなんて御免だよ」
香音は俺の答えに納得したようで、いつもの笑顔に戻る。……なんだったんだろう。
「そっか。――変なこと聞いちゃったね、忘れていいよ」
「香音。何があったか知らないけど、俺はお前の味方だから。絶対に」
「うん……ありがと。じゃあね、また明日」
香音はそれだけ言い残し、俺に背を向けて去って行ってしまった。
「何だったんだ……?」
首を捻りながらそう独りごちる。
「ボクにはなんとなく分かるけどね。まあ言わないけど」
「ルイス。出てくんなって言ってるだろ」
俺の独り言に反応して、鞄の中から可愛らしいピンク色のぬいぐるみがひょこっと出てきて、そんな意味深なことを呟いた。
この珍妙な生物――そもそも生命体かすら怪しいが――の名はルイス。およそ一月前に俺の前に現れ、よくわからん不可思議な非日常に引きずり込んだ正体不明の存在だ。
「まあいいじゃないか、周りに誰がいる訳でもないし」
「それはそうだけど。……で、分かるってどういうことだよ」
「言わないって言ったろ。そもそも今日は新月だ。そんなことを考えてる余裕はないんじゃないかい?」
「うぐっ……分かったよ。考えるのは後にする」
「それがいいと思うよ。――生き残る自信があるなら、だけどね」
そう、今宵の夜空に月は浮かばない。俺が非日常に誘われてから初めての新月。
今夜、俺は――人を殺す。
*
その夜、俺は町のはずれにある植物園の門の前に来ていた。当たり前だが門は固く閉ざされている。周囲には濃い霧がかかっていて、まるでここに人が来ることを拒んでいるようだった。
「時間だよ」
ルイスの声と同時に日付が変わる。瞬間、俺の目の前にある植物園の門が不気味な音を立てて開きだす。門の先は霧に包まれ見渡すことは叶わない。当然、中に広がっているのは普段の植物園ではない。
「さて、覚悟はできているかい? 新米魔女さん?」
「できてる……はずだ」
「なら良かった」
男なのに魔女と呼ばれることにも最初は戸惑ったがもう慣れた。ルイス曰く、ボクらが力を与えた存在は例外なく魔女と呼ばれている、ということらしい。
門をくぐる。すぐに濃い霧が体中を覆い、視界の一切が遮られる。それでもしばらく歩いていると、急に視界が晴れた。
「ったく。……いつ見てもよく分かんねぇとこだな」
そこに広がるのはこの世の物とは思えない風景。左右両脇を茨の壁が覆う植物で形成された迷路だ。普段はまるでゲームの世界から迷い込んできたかのようなモンスターが跋扈しているが、今は全くいない。そしてどういう理屈かは分からないが、俺の腰に二丁の拳銃が収まったホルスターがいつも通りどこからともなく現れる。これが俺の得物だ。
「新月の夜だからね。敵はいないよ。その代わり会場への道が開けてる。相手はもう来てるかもしれない。ま、だからって急がなくてもいいけど」
「了解」
一歩一歩、ゆっくりと歩を進める。果たしてこの先にどんな奴が待っているんだろうか――
*
この場所の名は“ハコニワ”という。それはこの世界ではないどこかに無数に存在していて、魔女一人当たりに一つずつ用意されているらしい。入り口は日本各地にある門や扉で、どれも夜になると周りに霧が出るだとか神隠しが起きただとかそんな都市伝説がある場所らしい。
「ま、月に一度の”お茶会”でやられちゃえばそのまま元の世界には帰れないからね。神隠しだと思われてもしょうがないかな」
今ルイスが言ったように、日々ハコニワの魔物を倒して力を付けた魔女たちは、新月の夜に一対一の殺し合い――”お茶会”というらしい――をすることになっている。それに敗れれば当然命を落とす、というわけだ。そしてそれに生き残り続け、この戦いをどこからか見ている大魔女様とやらのお眼鏡に適えば、なんでも願いを一つ叶えて貰える。まあありきたりな報酬だ。
「しかし、俺らを戦わせてその大魔女様とやらは何をしたいんだ?」
「単なる暇つぶしさ。我らが母上はセラエノでの生活に退屈してらっしゃるからね。刺激的な戦いを見るのが娯楽なのさ」
「……悪趣味なこって」
さて、お喋りもここまでだ。目の前に普段はない広大な空間が見えてきた。あれが会場とやらだろう。
*
会場へ入ると、反対側の入り口の近くに一人の人影が見えた。まだはっきりとは分からないが、あれが俺の対戦相手で間違いないだろう。かなり大きな刀を腰に差しているのは辛うじて分かるが……
「いたよ。はぁ、己の運のなさを呪いなよ、充」
「はぁ、なに言ってんだルイス。どういう意味だ……」
「嘘――」
俺とルイスの会話に声が割り込む。それは、絶対にここでは聞くことのない筈の声。その声の主が、こちらへと歩いてくる。
「充……?」
「か……のん……?」
目の前にいるのは一人の少女。俺が最も大切だと思っている女性。それが今、殺すべき対象として目の前にいる。
――香音だ。
「噓だろ、なんで……」
噓だ、嘘だ、そんなことある訳がない。いや、あっていい筈がない。 俺は混乱していた。自分がこれからしなければいけないことへの覚悟など、刹那でどこかに消え去ってしまうほどに。
「……そっか。そういうこともあるか」
対して香音は一瞬涙を浮かべただけですぐに平然とした表情に戻ってしまった。そして腰の刀を抜き、俺に突きつける。
「充。いくよ」
「なっ……待ってくれよ!!? なんで、なんでこんなことしてるんだよっ!?」
「なんで、ってそれは決まってるよ。叶えたい、ううん、叶えなきゃいけない願いがあるからだよ。充だってそうでしょ?」
香音の目には一切の迷いはなかった。もし俺が一歩でも動けば、迷うことなく手の刀で俺の首は刈り取ってしまうつもりだろう。
「なんで……なんでだよっ!? おかしいだろこんなのっ!?」
「覚悟を決めて、充。後少しだけ、待ってあげるから」
香音はそう言って刀を鞘へと戻した。しかし体から溢れ出る殺気は微塵も収まる気配はない。言葉通りあくまでも時間をくれただけなんだろう。もし俺がこのままでいれば、香音は躊躇なく俺を切り捨てる。そんな確信めいた予感があった。
「あの余裕、多分もう何回かの新月を魔女として過ごしているね」
「そんな……はは、マジかよ……」
ルイスの言葉が正しいのなら、香音はもう何人かの魔女を殺してきている、ということになる。乾いた笑いしか出てこなかった。とても現実を受け入れられない。
――香音が人殺し? 冗談じゃない、いつもバカみたいに優しい、お人好しという言葉を体現したかのような性格の香音が?
「残念ながら現実だよ、これは。さあ、そろそろ覚悟を決める時だ。――たとえどんな犠牲を払ってでも願いを叶えたい、そう言ったのは君自身じゃなかったかい?」
分からない、分からない、分からない、噓だ、噓だ、噓だ噓だ!!
「うわあああああっ!!!!」
もはや何もかもわからなくなり、半ば狂乱したかのような叫びをあげながら腰のホルスターから拳銃を二丁引き抜く。香音はそんな俺の姿を見て、待ってましたとばかりに微笑んだ。
「良かった。一方的に殺したら、さすがにちょっと後悔しただろうから」
香音が再び刀を抜き、構えを取る。やはりその目に迷いはない。これから始まる惨劇はどうやっても避けられそうになかった。
「はてさて、どうなる事やら。楽しみに見物させてもらうよ、お二人さん」
ルイスのそんな楽しげな呟きは、二人には聞こえず。
――非情な戦いの幕が今、上がる。





