鎮☆ポコ~タヌキが異世界でいきなり最強!?~
~雨の音が聞こえる。暗闇の中。どれだけ歩いただろうか?
父母の顔はもう忘れた。その温もりは覚えているが、その声はもう思い出せぬ。
二匹は餌を探しに出たまま還らなかったから、恐らくそこで命を落としたのだろう。
飢えと寒さの中、一人震えていた子狸を拾ってくれた優しい主。
暖かいミルクと心地よい寝床とダンザブロウという名を与えてくれた新しい親。
主がいうには、大昔のとても強くて偉い狸の名らしいが、とうの本人には関係ない話だった。
それでも主のことは大好きだったし、主もダンザブロウが大好きだった。その手からご飯を貰い、ただ隣に座って空を眺める。
狸のダンザブロウには空の色はわからなかったが、空というのは、太陽が天高く昇るまでは水面と同じように青く、地に沈む頃には火のように赤く、そして夜にはただ星月を灯りとするだけの真っ黒な世界になるのだと聞かせてくれた。その日々は孤独であった彼にはとても幸せな時間だった。~
だが、ある日を境にプツリと主の消息が途絶える。
明日も来ると告げた主はあの夏の日を境にパタリと来なくなった。人に馴れた野生動物にとって、この予期せぬ突然の親離れは、その先に訪れる死へと続く逃れられない袋小路。
蝉の声が止み、夜に鳴く虫たちの合唱も終わり、寒そうな鳥のさえずりだけが聞こえるまで、ボロボロの段ボールと擦り切れた毛布に包まり何とか生き延びた彼だが、ついにその短い狸生に終わりの時が来た。主を探してねぐらを這い出しヨタヨタとさまよい歩いた。茂みを抜け国道へと飛び出した彼の視界を埋め尽くす真っ白な光と、耳をつんざくクラクションの音。
そして……。その瞬間セピア色のダンザブロウの世界に色が宿った。
灰色の壁、窓から見える青い、青い空。吹き付ける熱風と赤く燃え上がる炎。前も後ろも上も下も世界はダンザブロウの知らない色に満ちていた。
「ここは? どこだ?」
視線の先には人間の手。桜舞い散る墨染めの着流しの腰には刀と鉄扇。ただ毎日を生きるだけで精一杯であった子狸であるダンザブロウの脳内で知らない知識の奔流が荒れ狂う。
「やりました姫様! 鎮護獣の召喚成功です!」
聞こえるのは皮鎧にスカート姿の、やや甲高い少女の声。頭には犬のような耳、お尻にはふさふさの尻尾が見える。その言葉にうなずくのは、深紅の男物の軍服に身を包んだ赤毛の少女。燃えさかる炎の中、その少女の姿は炎の化身のように映る。
「イズミ王国が召喚師、アカネ・イズミが命じます。世の果てより招かれし異邦の獣。神に等しきいと高き者。その名は【二ツ岩団三郎】。どうか我らをお守りください」
(そうだ。俺は二ツ岩団三郎。最強無敵の狸の王)
召喚師の言葉を納得する前に彼は理解する。
(あの女、敵が居るといっていたな)
足下まで押し寄せる熱気の先に、様々な鎧を身にまとう獣たちと、一際巨大な影。さらに自分がいるのは包囲のど真ん中。二人の少女を守るように立っていた。
「ゲヒャヒャ! 残念だったなお姫様ぁ。このタッツェルブルム様に対抗するために呼び出した鎮護獣が、そんな獣の耳が生えただけの人間だったとはなぁ!」
獣たちの中心の大きな影、猫のような顔をした潰れたトカゲのような生き物が下品な笑い声を響かせる。
松かさのような鈍色の鱗が揺れるたびガチャガチャと音を立て、哄笑との不協和音は聴く者にとって酷く不快で、ダンザブロウを苛つかせる。
「赤の札を以て命じます。団三郎! 戦って!」
「承知した」
先ほど姫と呼ばれた軍服の少女の手には真っ赤な札。そこから発せられる光が、否応なしに戦う意思を生じさせる。ダンザブロウでない団三郎は、かつて耳にした陰陽師の符術を思い出す。つまり自分は、同じ名持つ子狸を介して陰陽師に召喚されたのだ。
「おい、そこのちび助。俺の毒気でお前達は死ぬ。そうでなくとも炎に巻かれてあの世行きよ」
圧倒的に優位な状況に勝ち誇る敵。ならば見せねばなるまい。化け物の中の化け物、二ツ岩団三郎の、その力を!!!
「おい。デカブツ。殺す前に聞いておく。お前は『化け物』か?」
「はぁ? 何を言ってやがる。五百の獣の軍勢を引き連れるこの俺が化け物以外のなんに見える」
「そうだな。名乗りも三流、手管は二流。一流なのは頭のめでたさだけのウドの大木か」
「キシャアァァァァァァ。お前、その減らず口を今すぐたたけなくしてやる。もがき苦しんで死ね!」
団三郎の挑発に激高したタッツェルブルムは鱗の隙間の毒腺から毒の霧を放つ。女達は殺すなとの命令だったが知ったことか。こんな生意気な獣を呼んだことを後悔させてやる。
「化け物とは自ら化けまた世界を化かす物。世界を化かすとはこういうことよ」
団三郎は腰から鉄扇を取り出して、舞でも舞うようにはらりと翻す。今にも降りかかろうとしていた毒霧が、ブワッと世界がめくれ上がるように舞い散る桜の花びらに変化する。その一陣の風は押し寄せる炎を全て桜吹雪に変え、彼らがいる城の広間に降り注いでいた。
「な、な、なんだこれは? なんなんだお前は?」
タッツェルブルムは眼前の光景に硬直する。呼び出された鎮護獣は牙も爪も鱗も無い非力な人もどき。それが鉄扇の一振りで戦況を一変させた。
「刮目せよ。化け物の喧嘩は典雅にして風雅、それでいて豪快なもの。さてさて。それじゃお前の髑髏を杯に、花見酒と洒落込もうか」
ザンッと響く抜き打ちの音。
「ゲッ。グギャ、な、にゃにを……」
タッツェルブルムが最期に見た光景は、桜の花びらが舞い散る中で己の身体が真っ二つにされる様子と、鎮護獣が抜いた刀が血と射し込む陽光で輝く煌めきだった。大きな音を立ててその身体が崩れ落ちる。
「我こそ佐渡の大狸、二ツ岩団三郎。こうなりたい奴は前に出よ。血飛沫を上げて踊らせてやろう!」
言い終わるよりも早く、敵方の兵は我先にと逃げ出していた。彼らを恐怖で従えていたタッツェルブルムを、わずか一太刀で絶命させるような相手に勝てるわけが無い。しばらく後にはその場には二人の少女と団三郎だけが取り残されていた。
「ありがとうございます。鎮護獣様」
アカネと名乗った少女は、安堵したのかその場に座り込んでしまう。あるいは団三郎を使役するのに消耗したのかもしれない。
「姫様の召喚術もお見事でした。さすがマサナリ・イズミ国王の血を、地球人の血を引かれるお方です」
「召喚師殿はやはり陰陽師であったか」
「少し違いますが、似たようなものです。この世界では地球から招かれた召喚師だけが、鎮護獣を呼び出すことができるのです」
「鎮護獣とは?」
「鎮護獣は元は地球の神獣、霊獣です。それを地球やこの世界の動物に融合させて召喚するのです」
「なるほど……」
部屋の中の鏡を見た団三郎は、自分の人間としての姿が記憶の中の姿と違うことを訝しむ。
「姫様、この鎮護獣様も?」
「そうよサーヤ。霊獣と同じ名を持つ生き物と融合して召喚に応じていただいているの」
サーヤと呼ばれた犬耳の少女は物珍しそうに団三郎を見つめている。
「こちらにいらっしゃる間は、何でもお申し付けください。鎮護獣様に便宜を図るのも召喚師の勤め。使役するからにはそれなりの代償を支払います」
「なら、そこのサーヤとかいう雌を寄越せ。それは最高の雌の匂いがする」
「えっ、えーー。姫様、自分はどうなってしまうんですか。姫様ーーー」
あまりの驚きに裏返った叫び声をサーヤが上げる。騎士の家に生まれたからには政略結婚は当たり前だと思っていたが、鎮護獣への貢ぎ物になる心の準備はまだできていない。それもまた当たり前の話。
「まずはお世話係を命じます。いいですね、サーヤ。団三郎様もそれでよろしくお願いします」
「ふむ。それでいい」
「そして団三郎様。私と本契約を結んでいただきたいと思います。そうすればもっと力を発揮できます」
召喚時の契約は一時的な物。真なる力を振るうには更に本契約が必要になる。
だが、その問いに団三郎は首を横に振る。
「それは断らせてもらう。狸は節を折らぬ者。このダンザブロウには既に主がおる故、俺の一存でお前を主に選ぶことはできぬ。ただし召喚主としては従ってやろう」
アカネはその申し出を呑むしかない。鎮護獣は意に沿わぬことをさせると著しく弱体化する。それでは国を守れない。
「ところで姫様、さっきから気になっていましたが狸とは何ですか?」
「こちらの世界ではポン=ポコと呼ばれる生き物です。団三郎様、変身をお解きください」
「承知した」
ポンッと音がして団三郎の変身が解ける。そこにはもふもふとした小さな狸がいた。狸の姿は元の子狸ダンザブロウのままだ。
「何これ、可愛い!」
思わずサーヤが抱き上げる。理想の雌の腕の中でキューンと鳴く団三郎。満更でもなさそうだ。
「余計な力を使いたくない。普段はこの姿で居させて貰うぞ」
(うわぁ。この姿でも声は渋いままなんだ……)
「はい。団三郎様。では、これからも私とともに隣国リンゲアを占拠した魔王ヒビキと戦ってください」
その名を聞き、ガバッと頭を上げる子狸。
「おい。いまヒビキといったか?」
「はい、魔王ヒビキ・ナガヌマ。突如世界に反旗を翻した地球出身の召喚師です」
「待ってくれ。それこそが我が主の名だ……」





