へっぽこ勇者は魔王を倒したい!〜心配されすぎて強者が仲間になってくれてます〜
「いやあああああああ」
鬱蒼とした森の奥で悲鳴が上がる。
影のような黒いものに追われ、木々の間を走っているのは、金髪をキラキラと乱した少年だ。
柔らかそうな白い肌、質素な旅装備、大きな瞳にはぶわりと涙が浮かんでいる。
泥の水たまりに倒れ伏した。擦りむいた膝からは血が滲んで、影──魔物を寄せ付けた。
意外にも少年は、背中にくくっていた剣を構えた。
「いくぞぉ、ポコタ……!」
ぷるぷると剣先は揺れているが。
どろりと暗い影をぬりつけたような体色のスライムを捉えようとする。
ポコタは泥の中で中腰になって、重心を下げる。
まばたきをせず目を見開いた。呼吸を整えて耳を澄ませ、攻撃を成功させるイメージ。
チャンスは一度。魔物がこちらに向かってきた時。横薙ぎに払うのだ。
剣身が白銀にかがやいた。
今だ、と森を吹き抜ける風がささやく。
「我こそは勇者ポコタ! 聖剣エキュスガリバー、いっけええええそぉれ!!」
スッポーーーーーーーン
……剣は見事な放物線を描き、はるか魔物の向こう側まですっ飛んでいった。
その後の効果音も足すならば、ひゅるるるるるる……ズドン。あわれ聖剣。
これには魔物も、一瞬動きをとめていたほど。
あまりにもへっぽこすぎる光景であった。
「ううっ……」
ポコタ少年のべそである。
──かわいそうなほど消耗している。自分のやらかしによる精神ダメージ、転んでぶつけた体の痛み、頼みの綱である剣がなくなってしまうところまで自傷もいいところであった。このような森の中に望んでやってきたことも。
(それでも僕は強くならなきゃ。魔物のトラウマなんて克服して、きっと勇者に……っ)
魔物たちがポコタを喰らおうと、いっせいに駆け込んできた。
20体はいるだろうか。
(増えたぁ!?)
「ギブアップーーーー……!」
ポコタが叫ぶ。
このような声が響き渡るのは、およそ昨日ぶりであった。
森が笑った。
「はぁい」
甘ったるい声とともに、そよ風がポコタを包む。
目前には竜巻がぐるりとうねり、魔物たちを吹き飛ばした。
尻餅をついてしまったポコタが見上げた時、棍棒が真横をつっきっていく。
ひやりと硬直した瞬間、竜巻をこえてきたオークが殴り飛ばされていた。
「お姉ちゃんにまかせなさい♪」
ウェーブの黒髪がなびく。
白のワンピースが曲線の豊かな体をつつみ、魔導師用のアクセサリとブーツが銀にきらめく。銀の爪先がパチリと鳴ると、またたくまに風の盾が完成した。
(やっぱり……すごいなあ)
力というものを思い知り、ポコタは感嘆の息を吐いた。
くるりと振り返った彼女は、女神のような微笑みを浮かべている。そして笑った。
「勇者認定試験、失格よ♪ んー、まだ旅に出すわけにはいかないわ。魔物と向き合うのも怖いみたいよね。また森の歩き方とか索敵の仕方から、じっくり教えてあげる。ポコタはまだ10歳なんだから焦らなくて大丈夫なのよ〜。あとはねえ口上が長いっていうか……」
「うわああああ外で魔物攻撃してきてるから! お姉ちゃん悠長すぎるから!」
風の盾に魔物が群がり、ただただ防がれているので、積み重なっている様相がホラーである。
うようよと蠢いているのが内部からは丸見えなのだ。
防がれているとわかっていても心臓に悪い。
パッチン、姉が指を鳴らす。
ザシュザシュ! カマイタチのように風が舞い、魔物が切り刻まれていく──。
「魔物が怖いのに、勇者になろうなんてね?」
つんと優しく、ポコタのおでこがつつかれた。
がっくりと肩を落とすしかなかった。
陽の当たる森の広場で、二人は向かい合って、すり傷きり傷に包帯を巻いている。ひとりでできるよ……と言ったポコタが上手にできるはずはなかったし、姉にさみしそうに微笑まれてしまったらまかせるしかなかった。
「……さてと」
「まだやるの?」
「魔物は怖いけど、怖いからこそ慣れなくちゃ」
「あなたは確実に成長してるって。剣を取り出すのが早くなったし、引き際を判断できた。これからもお姉ちゃんが育ててあげるわ。……それなのにどうして急ぐの?」
黒曜石みたいな姉の瞳が、ポコタをまっすぐに見上げている。
ポコタは素直に返した。
「えーと、かっこわるいけどそのままいうね。僕はどんくさいでしょ。村での生活も、魔物退治も、みんなに助けてもらってばかり。だから勇者の血筋があるなら返したいんだ…………魔王って、悪いやつなんでしょ? 瘴気をまきちらして土壌を汚すし、日照を短くしてしまう、魔物が多くなる。それに、お父さんとお母さんも……」
魔王に殺された。
救急ボックスの蓋を閉めた姉は、そっと尋ねた。
「勇者ポコタ、魔王を倒したい?」
「うん」
「あなたは勇者の血筋。そしてご両親から私にあなたが託されたの」
姉は不思議な人である。
エルフなど森人なのかも、とポコタは想像するしかない。過去を語りたがらないから。
姉として暮らしてくれているが、黒髪黒目と金髪碧眼が姉弟ではないことは明らかで、さらに姉はずっと歳をとらなかった。
永遠の22歳だそうだ。
身寄りのないポコタと家族のように過ごしてくれた、それだけで十分恵まれているとポコタは思う。
「みんなが笑っていられるようにしたいんだ」
自分を奮い立たせるようにポコタはそういう。
弱いくせに、怖いくせに。
ポコタの大粒の涙は、宝石みたいだ。
うそみたいに綺麗事が似合う。
──なんて優しく育ててしまったのかしらと、姉は自分にため息を吐きたくなった。
森が鎮まっている。
こんな時はまた新たな魔物が生まれている合図だ。
姉が立ち上がった。
「さ、まだ早いことはわかったでしょ。帰ろう。お姉ちゃんが守ってあげ──」
ビュン!
ワンピースの肩のあたりが、切れた。
背後で大きな衝撃音。
姉が振り返った時にはまぶしくて光景を確認できなかった。
目を必死にこらしていると、こちらをいたわる幼い声を聞いた。
「大丈夫!?」
「う、うん。それよりポコタ……!」
光がようやく収束して様子を確認した時、姉は唖然と口を開いていた。
え、とポコタがやっと己の腕を見る。
しっかり握られた聖剣が、ゴーレムを突き刺している。小さな手の甲には勇者の紋章がかがやいている。
血脈に沿うように現れた紋章は、盾のようにみえた。これは勇者の本質をあらわすのだという。
「や、やったー! 勇者の技、できたよ!?」
ようやく、ポコタはそのことを宣言した。
しょんぼりしていた顔は晴れやかで、明るい笑みを携えている。
(…………認めるしかなさそう、ね……。旅立ち……)
ワンピースの肩布をぎゅっと縛りながら、姉は手を広げて勇者ポコタを受け入れようとした。
「やったじゃない! ポコタ!」
「お姉ちゃん!」
ポコタが駆け寄ろうとする。
感動の一場面で──ずべっ。
転んだ。
せっかくの手の紋章も泥にまみれて台無しであった。
「お姉ちゃっ」
こけっ。ずしゃー。
また走り始めたはずのポコタは、靴の底が破けてしまって地面に顔面着地した。
かわいそうに青の瞳からぶわりと涙があふれて泉のようになっている。
姉はゆっくりと両腕を下ろしてから、そっ……と挙手した。
「ねえ、わたしもいく」
「あ、危ないよ!?」
よろよろとポコタが到着した。傷だらけの頬を姉の手がはさんで、まっすぐに見つめる。
「お姉ちゃんあなたより強いもの」
「うぐっ」
「生まれてからずっと面倒見てきたのよ、心配に決まってる! ポコタが死んじゃったら私の心が死んじゃうわ……お願いよ、強くなるまでサポートさせてほしいの」
ぐいぐいと詰め寄られてポコタはひるんだ。
「勇者の力はどんどん目覚めていくらしいから、いつかは倒されちゃうだろうけど」
「お姉ちゃんは倒せないよお」
さっきまで困った顔をしていたポコタは、くすくすと笑っている。
それくらい姉を倒すことがイメージできないのだろう。
勇者が倒さなくてはいけないのは魔王だけなのだ。
結局、さみしい顔をされてしまったら、姉との旅立ちに合意するしかなかった。
「……手を繋いで帰ろう」
「うん」
ずっとこうしてきた。明日からは旅に出て、お互いの手が武器を握ることになる。
「これからは名前で呼んで。これはね、けじめよ」
「マオ姉?」
くらり……と姉が揺れた。鼻を押さえている。
どうしたのかとポコタが慌てているが、なんてことはなく言葉のチョイスが絶妙すぎて鼻血が出そうだっただけ。
マオはポコタが大好きだ。
心配そうに見上げてくる優しい顔も、姉が「マオ」だと言われて気づかない鈍感さも全部。
勇者が倒さなくてはならない魔王とは、マオである。
マオも勇者に倒されることを望んでいる。
強い魔王として400年を生きた。たくさんの戦闘で生死に飽き、この世を離れたかったのだけれど勇者にしか倒されない。最強の勇者を育てて倒してもらおう、と画策したものの、赤子を育ててみたらどハマりした。
今となっては勇者ポコタの世界を保ってあげたいのだ。
だからポコタを強くする。
いつか倒されるために。
「お姉ちゃん物知りなの。まずは街に行って冒険者ギルドに登録するでしょ、そして勇者パーティとして各地で修行して、やがては魔王を倒すんだから」
「頑張る……!」
「私も頑張る」
二人はくすくすと笑い合った。
「あっ、そうだ。勇者認定試験、合格!」
”理想を告げると同時に力を発揮できる者こそが、勇者である”。
旅が始まった。
ポコタが転んだ。





