宙へ翔ぶ日
「お、サオリお嬢さん、今日は大物が入港しているよ」
顔みしりの警備のおじさんの声に、サオリと呼ばれた少女は軽く手を振る。
いわゆる、顔パス。重要施設である宇宙港でも、アバウトな警備だ。
「まぁ、そういう土地柄だからねぇ」
サオリはため息をつく。のんびりした星なのだ、ここは。
気持ちを切り替え、宇宙船ドックの見学ギャラリーへ向かう。
「1番ドック」のドアを開けると、そこには。
とてつもなく大きい金属のかたまりがあった。
サオリの視界から大きくはみ出ている。
「うわ、でかいとは聞いていたけど、聞いていたけど!」
スケールの大きさに呆然としていたのもつかの間だった。
生来の好奇心が頭をもたげる。
船をしげしげと観察する。
とても美しいとは言い難い。
もともとはきれいな色だったのだろうが、今はあちこちが変色し、つぎはぎだらけだ。
外板はぼこぼこにへこんでいる。
そこに、無数のドローンやアンドロイドが群がり、修理にはげんでいる。
それでも、不思議なことに、不潔な感じはなかった。
むしろ、使い込まれた機械が持つ迫力に、心が惹かれた。
船首に目をやる。
船の所属を示す、日本の国旗。
それから、JANZではじまる登録番号。
うすれかかった文字で「こんごう丸」
「輸送船こんごう丸、か」
サオリは予習してきたデータを思い出す。
日本・オーストラリア・ニュージーランド連合、すなわちJANZの植民星が拡大するにつれて、辺縁宙域を担当する輸送船が必要となった。
そうした辺縁用輸送船の中の一隻が「こんごう丸」だ。そして、恒星間輸送船としては、最大級である。
「大きい大きいとは聞いていたけど、まるで戦艦ね」
もともと、戦艦を収容するためのドックにもかかわらず、手狭に見える。
「いつもは、こんな大きいドック、お金の無駄、とか思っていたけど」
ふと遠くに目をやると、これまた規格外な巨大コンテナをおろしている。
「あー、あんな大きいコンテナをおろすために、わざわざ地上まで降りてきたのね」
船には何箇所か出入り口のようなものが見える。
「どうしようか?」
以前から、ずっと思ってきたこと。
このまま、この星で、決まりきった毎日を過ごし、レールの上を進むことを選ぶの?
退屈な退屈なパーティーと儀礼的な会話。
とりあえずにっこり微笑んでいればすむ日々。
良い主婦になるための勉強をして、父の取り巻きの子供と結婚して、家庭を築く。
物質的には不自由の無い生活。
しかし、心は生きているの?
もう一度、船を見る。
「あなたは、私を違う場所へ連れて行ってくれるの?」
船と会話するうちに、心は決まった。
この先、大型船が地表に降りてくる、という機会が何回あるだろうか?
もちろん小型船ならばこの港で何回か見たことがある。
「小型船では絶対に見つかる。それだけは避けたい」
密航は重罪だ。さすがに、その場で宇宙に放り出す、ということは無いが、牢屋行きは確実。
サオリは未成年だが、そんなに甘い罰ですむとは思えなかった。
「家の方がどう考えても問題よね」
この辺境の星で、畜産業で成功して名家と目されるようになったサオリの家。
「何不自由無い生活というか、不自由しかない生活というか、観測者の位置によって解釈は異なるわね」
サオリにとっては、不自由しかないという生活に映っていた。
そんな中で、コンピュータ系の趣味と、宇宙港の見学は認められていた。
前者は家業のさらなる繁栄を得るため、後者は輸出入の業務の勉強になるため。
結局は、家のため、なのだ。
「決めた!」
このチャンスを逃すことはできない。
何とか、この船に潜り込んで、宇宙に出るのだ。
早足で、見学ギャラリーから出る。
「この先関係者以外立ち入り禁止」という表示を無視して、ドックを取り囲む部屋の一つに入る。
この部屋は彼女の秘密基地だ。
「うーん、相変わらずザルねぇ」
コンピュータを起動して、いつものネットワークの裏口から侵入する。
やはり、まったく脆弱性の修正がされていなかった。
「まぁ、ザルの方がありがたいけど」
苦笑しつつ、データを読み出す。
「三週間の修理か、これなら何とか間に合うかな」
密航といっても、それなりに準備がいる。
手ぶらで挑戦する気はなかった。
船のコンピュータシステムに入ろうと試みたが、厳重な防壁で侵入は不可能だった。
むしろ、普通の船とは思えない堅いセキュリティであり、付け入る隙はまったくなかった。
「ま、かえって安心ね」
負けを認めたくない気持ち半分、安堵半分でつぶやく。
命を預ける船が、いい加減なコンピュータ運用をしていたら良い気持ちはしない。
もちろん、船のコンピュータに侵入できない場合の計画も立てていた。
「今日はこんな所ね。明日から忙しくなる、か」
その言葉どおり、サオリの日常はがらっと変わった。
のんびりとした日常、ゆっくり過ぎゆく時間はもう過去のもの。
いろいろな「お誘い」も、「今、ちょっと忙しいので」でやり過ごす。
相手がどう思っても、正直、知ったことではなかった。
あまりにも普段と違う様子に周囲の者は心配したが、サオリはどこふく風。
両親は家業に忙しく、使用人から間接的に聞くだけで、まったく心配はしていないようだ。
準備することは山ほどある。自分専用のAIと相談しつつ、必要なものをかきあつめる。
有利だったのは、ツケで何でも入手できることで、こればかりは自分の境遇に感謝した。
物資は毎日、宇宙港の例の秘密基地に積み上げていった。
彼女の人生のうちで、もっとも忙しい三週間が過ぎていった。
そして、決行の日がやってきた。
ポニーテールを風になびかせながら、いつもの宇宙港へ。
「おや、サオリお嬢さん、今日は学校から直接かい!?」
警備のおじさんに、にっこり笑って手をふる。
制服のままだから、高校生であることがモロバレだ。
が、出港時間の関係で仕方がない。
まずは、今まで貯め込んだ荷物を船に運ばないといけない。
宇宙港のシステムを使って、数人のアンドロイドを呼ぶ。
幸い、出港前の慌ただしさのためか、船の周りには人が居ない。
サオリを先頭に、荷物を持ったアンドロイドの行列が船に向かう。
はたから見ると、「女子高生と召使いの行列」という微笑ましい光景だ。
その実、最も危険な瞬間であった。
コンピュータの記録や画像は後から細工するつもりだったが、人間に目撃されたらお手上げである。そう思うと、手のひらに汗がにじんで来る。
幸いにして、無事に船にたどり着くことができた。
船の乗船口でIDを入力する。
事前に荷物を運び入れること通知していたためか、あっさりとドアが開いた。
「ふぇーーー」
船内に入ると、ため息が漏れた。
「いけない、まだ安心しちゃダメ」
あたりを見回していると、いきなりピコッというアラームが鳴った。
「ば、ばれたか!?」
なんて事はない、自分のコンピュータのアラームである。
「まったく、もう。私、ビビリすぎ」
ディスプレイを見ると、船のネットワークに接続されている。どうやらこの区画は来客用で、ゲスト権限でのアクセスが可能になったようだ。
「大きい船だから、マップぐらい表示できないと、迷子になるもんね」
と、都合よく解釈する。
「会議室、ミーティングルーム、商談室、応接室、打ち合わせ室、待ち合わせ室、準備室、休憩室。似たような部屋ばかりね」
会議室にしても、人数別にいくつもある。
「まったく、誰かしら。宇宙船に余分な空間など無い、とか言っていたのは」
いくつかの部屋をネットでチェックする。
「バス、トイレ、ネットワーク端末付き、か。バスとトイレが別なのが良いわね。この、休憩室が良さそう」
使用履歴を見ると、ここ数年使われていないようだ。隠れる場所としてはここが良さそうだ。
休憩室に入ると、数年使われていないはずなのに、清掃が行き届いているようだった。
「ホコリまみれだったら、どうしようかと思ったけど」
まずは、監視カメラの画像やコンピュータのログを消しにかかる。
その上で、自分はちゃんと宇宙港を退出した、というニセの記録と画像を書き足した。
「状況終了!」
伝統的にのっとって、計画の完了宣言をする。
身体から力が抜け、どっと疲労が押し寄せる。
サオリは安堵感の中で、幸せな眠りについた。
彼女は分かっていた。
宇宙船の中では、空気が一番の貴重品であることを。
彼女は知らなかった。
ゲスト区域が与圧箇所ではないことを。
宇宙に出れば、この部屋も空気が無くなる。
もちろん、ホコリも一緒に無くなる。





