8月3日(土)
高2の夏休みだというのにこれと言った予定もなくフトコロ具合も寂しい僕達は、くそ暑い新宿の街を徘徊していた。なぜ新宿なのか?それは僕らの高校が南口から徒歩数分という立地で、休みでも定期があるから集まり易いと言うただそれだけの理由なのであった。何を買うでもなく大手家電量販店を数件ハシゴしてゲームソフトを物色した後、あまりの暑さに西口のとあるファミレスで休憩することにした。勿論注文はドリングバーのみ。それだけで何時間も粘る気マンマンで店のドアをくぐった。
僕の目の前にはテーブルを挟んでフジサキとシノダの見慣れた、いや見飽きた顔がある。学校でも同じクラスだし常にツルんでいるのだからあたりまえだ。何が悲しゅうてわざわざ夏休みになってまで会っているのか自分でも分からない。勉強は中の中、スポーツは一切ダメのインドア派で彼女も当然のことながら出来ない(というか作る努力もしていない!)という似た者同士の境遇が自然と3人を引き寄せているとしか思えなかった。
「なあ、ゾンビが発生したらどうするよ。」
ドリンクバーで飲み物を調達してから着席すると、フジサキがおもむろに口を開いた。
僕ら3人の仲間内ではここ最近流行っているアソビがあった。それはアニメ・ゲーム・ドラマではありがちな設定なのだが、現実にはあり得ない空想上の状況下に自分が置かれた場合に、どのようのに行動するのが『正解』なのか、各自の持論を真剣に闘わせるというものだ。
先日は『街に怪獣が現れたらどう逃げるか』という話題で盛り上がったばかりだ。怪獣映画でありがちなのは、民衆が怪獣の進行方向に一目散に逃げるシーンだ。人間の心理としては分からないでもないし、迫りくる怪獣をバックに逃げるシーンを描くには、演出上そういう構図をもってくるしかないことも分かる。しかし人間が怪獣の進行速度より早く逃げられる訳もないし、怪獣が怪光線を吐こうものならば真っ先に餌食になること請け合いなのであって、そうした行動は全くの不正解なのだ。
では僕らがどんな結論に至ったかと言うと、まず現在自分がいる位置で怪獣の進路と直角に交わる直線を引き、左右のうちより怪獣から遠ざかる側へ、その直線に沿って逃げるというものだった。そして自分の真後ろに怪獣を捉えた瞬間に怪獣の進路と平行する直線上を怪獣とは逆方向に進むべしというものなのだ。怪獣映画においてはそのような避難民の姿を描いた例はひとつとして見た記憶がないのであるが、実際に怪獣に遭遇したときはそのように行動するのが正解だと僕らは考えたのだった。
このように劇中の登場人物の行動が必ずしも現実の世界では『正解』ではない事例は往々にしてあるのだ。かといって僕らはその矛盾点をあげつらって作品を批判するつもりは毛頭ない。商業作品としては多少不自然でも娯楽性のほうが優先されることは十分理解したている。僕らはただ、『現実に』そのような事態に直面した場合に『正解』の行動は何なのだろうという、僕らなりの回答を導き出すことにただただ喜びを感じていたのだった。
話はゾンビの話に戻る。
「まず武器が必要でしょ。最初からロケランは無理でもせめてショットガンくらいは欲しいな。」とフジサキが続けた。
「それじゃゲームの話だぜ。銃器なんて日本じゃ手に入らないよ。身近なもので探さないと。やはり定番はバットだろ。でなきゃスコップ。」シノダが応じた。
「ああ、やっぱスコップ最強説。」
「だな。」
この辺は巷でも散々議論が出尽くしており、3人とも異論はなく、この件ではそれ以上余計な時間を費やすつもりはない。
「次はどこに逃げるかだな。」フジサキが議事を進行するかのように続けた。
「――ショッピングセンター?」
なにやら気恥ずかしそうなトーンでシノダが声を絞り出した。あまりにもド定番な主張なので口にするのを憚る気持ちはわかる。だがベタ過ぎると言って侮ることなかれ、ショッピングセンターの優位性は誰の目からみても明らかだ。言うまでもなく食料をはじめ、あらるゆ物資が集積されているからなのだ。ゾンビの古典ともいえる映画の設定はダテではない。
「いいとは思うんだけどさ、デメリットもあるだろう。」僕は敢えて疑念をさしはさむようなことを言った。
僕らの議論は大体いつもこんな感じで進んでいった。すなわちフジサキが話題を切り出し、シノダは定説、言い換えればベタな意見を展開し、そこへ僕が異論を唱えるといった構図なのだ。
「それ賛成。オレも避けたいな。人間が集まるところはヤバいよ。絶対人間同士の対立が生まれるから。ゾンビよりよっぽとエゲツない。」
と言い終わるやフジサキはストローを啜った。
ゾンビ映画やドラマをさんざん見てきた僕とシノダには、フジサキの言いたいことはそれだけで十分伝わった。なるほど序盤こそゾンビこそが主敵であり脅威であることは間違いないのであるが、時間の経過とともに慣れてしまうのだ。その後の展開は決まって人間同士の争いになる。単純に食料が乏しくなって仲間割れするパターンもあれば、コミュニティーに妙なヒエラルキーが生じて抜き差しならぬ事態に陥ることもある。別の集団が物資を奪おうと襲ってくるかもしれないのだ。とにかく人間はゾンビと違ってなまじ知恵があるためにエグイ殺し合いになること請け合いなのだ。ウーアー言いながら、ひたすら直線的に襲ってくるゾンビの方が、よほど与しやすくチョロイ敵に見えてくるほどだ。
「田舎に逃げた方がよさげじゃないの?とにかく人口密度の低い所。食料も自給自足できそうだし。」そうシノダが言った。
「そうだな、それもいいけどどこかの離島の方が確実だな。ゾンビウイルスが蔓延していないところが見つかればそれに越したことはないでしょ。」フジサキはなおもストローを吸うが、もうグラスには氷しか残っていなかった。
「ユウキ、お前ならどうするよ?」
そう二人から水を向けられた僕は、如何にも勿体ぶったような口調で
「――そうだな、自分なら――
自宅に籠城するね。」と答えた。
「は?なにそれ?随分と地味だね。」シノダが吐き捨てるように言う。
「食料が尽きたらどうすんだよ?餓死するだろうが、確実に!」フジサキの口調も冷たい。
二人は僕の意見には思いのほか否定的であった。完全にアウェイ状態だ。その扱いに多少なりとも不満を覚えた僕は、いつにもましてムキになって熱弁をふるった。
「田舎も離島もいいかもしれないけど、そこまでどうやって行くんだよ?交通機関はマヒしてるだろうし、道路だってとても車が走れる状況じゃないよ。ましてや船なんでどこで調達するの?操縦できるの?実行できなければ意味ないんだよ?」
「そんな事言えば、食料問題が解決しない限りオマエの籠城作戦も非現実的だろう?食料は無尽蔵に備蓄できないし。」フジサキはすでに空のグラスをなおも啜りながらそう言った。
「ゾンビだって『生き物』なんだったら、食料がなくなったら『死ぬ』んじゃないの?ならそれまで粘るだけの食料さえあればいいんじゃないかな?」
「……?」
ゾンビが『生き物』だという僕の逆説的過ぎる言い回しに当惑したのか、二人は顔を見合わせて固まってしまった。しかしそれは何も僕オリジナルの発想でもない。映画だかドラマだかでも、「ゾンビが活動できる期間には限界があるのでは?」みたいな設定は見たことある気がする。オカルトや魔法の類でない限りは、エネルギーを補給しない限り無限に活動できるはずがないと考えるのが『科学的思考』というものなのだ。もし仮に「人肉を喰らう」ことがゾンビのエネルギー補給であるならば、犠牲者が底をつき人肉の供給が途絶えればそこで活動停止となるのが道理であろう。
「そう言われてみると、まずゾンビのスペックを決めないと話にならないかも……。」
シノダのいう事は尤もだった。本来ならまず敵の能力を知らないことには対策の立てようもない。どんな武器が有効かもわからないし、籠城作戦が有効かどうかも判定できない。ということは、彼の言う通りまず最初にゾンビのスペックを仮定しないことにはどんなに議論をしてもムダということになる。
しかしそれは同時に、どれだけ空想上のシミュレーションを繰り返したところで、実際に発生したゾンビが仮定と異なるものであれば本当に役立つゾンビ対処法にはなり得ないのだということを意味している。それゆえに、どんなに我々が対処方法を事前に検討したところで、どんなゾンビが発生するかを正確に予測できない以上は全くのムダになりかねないという、なんとも身も蓋もない結論に至ってしまうのである。
この手の空想アソビにおいては、置かれた状況設定を緻密にしない限り結論がブレブレになるのは当たり前である。しかし大抵の場合、いかにフィクションの世界といってもある程度のコンセンサスというものがあり、人々がアタマのなかで思い浮かべる光景には似たり寄ったりなことが多い。だから意外なほどに、前提条件の設定が問題になることがそれまではなかった。
しかし、ことゾンビともなると事情がいささか異なる。過去から現在に至るまで、あまりにも様々な作品が生み出された結果、それと同じ数だけのゾンビを人々が思い浮かべるからである。当然のことながら人々がそれをゾンビと認めるための必要不可欠の要素というものがある。それは「死者が歩き回る」という設定だ。その次に挙げるとすれば「ゾンビに噛まれたものはゾンビになる」というもだろう。ここまでならば、万人に異論のない所だろう。しかしそれ以上の属性となると極めて曖昧というか自由なのだ。例えば先ほどの、何を食っていつまで動くのかという問題。ノタノタと歩きまわるのか、素早く走り回るのかという問題。そもそも何でゾンビ化したのか、科学的説明を一切受け付けないオカルト要因なのか未知のウイルスの仕業なのか、はたまた宇宙生物の侵略の結果かという問題。挙げていけばキリがない。どんな風に面白い物語にしようかと、才能あるクリエイターたちが日夜知恵を絞って新設定を考えているのだから、どんどんバリエーションが増える一方なのだ。
しかし僕はかねてより、そんな事情は十分承知した上で、いかなるシチュエーションであろうと当てはまる普遍の真理があると思っていたのだ。
「どんなスペックだろうと、籠城が成功しないのであれば、もうその時点で詰みなんだよ。」
恐らく僕はそのセリフを吐きながらドヤ顔をしていたはずだ。テーブルの向こう側で、二人は僕に更なる説明を促すような表情をする。二人にはそれを求める権利がある。なぜならば、僕はまだその発言をするに至る十分な説明をしていない。気持ちがはやっていたのだ。
僕は続けた。
「もしそれなりの食料を用意して籠城しても生き残れないようなケースならば、その時はもう人類がゾンビの掃討に失敗して、文明なんて崩壊しちゃってるんじゃないかな?だとすれば、そんな世界で別の策を弄してどうにか生き残ったところで絶対地獄だよ。いっそのことさっさとゾンビになっちゃったり籠城に失敗して飢え死にした方が幸せなんじゃないかな?」
「それは反則だろ、死んだ方がマシというのは!」
フジサキは既に氷も解けきって、完全にカラになったグラスをもって抗議した。
「そうだよ!それじゃ思考停止だ。試合放棄だよ。」
シノダも当然ながら責め立てた。
「いや勿論生き残ることを狙って籠城するんだよ。最初から死ぬつもりは毛頭ないよ。でもそれでもダメなら、もう諦めるほうが正解なんじゃないかと思うんだよ。」
もしハッピーエンドがあるとするならば、それは籠城中にゾンビが死滅あるいは掃討されるシナリオのみなのであって、籠城作戦で首尾よくゾンビより長生きして無事もとの文明社会へと生還することこそが唯一の勝利ルートだというのが僕の理屈だった。文明が崩壊してしまったら、仮にどんなに足掻いて生き残ったとしてもそれはもう正解とは言えないのだ。そう言えないほどの苦悩が待っているのだ。それは二人に言わせればただの論理アソビなのかもしれないが、僕にはまぎれもない真理に思えたのだ。
「仮に生き残ってたとして、俺達じゃヒャッハーな集団の仲間になれそうもないしな。」フジサキがボソリと漏らした。彼にも文明崩壊後の世界で生き抜く自信は無いと見える。
「だろう?とても僕らには生き残るガッツがないと思うよ。むしろそいつらに明日の為に播くタネさえも奪われる村人の側だよ。」
フジサキが僕の意見に靡いてきたのを見るや、僕は彼の世界観に乗っかって説得を試みた。
「……でもさ、最後の最後の瞬間、キミは本当に受け入れられると思うの?死というものを……心穏やかに……。そんなの絶対無理だよ。もがき苦しみながら惨たらしく死んでいくんだよ、きっと……。それでもいいの?」
そのとき僕が押し黙ってしまったのは、「惨たらしい死」という表現に背筋の凍る思いをした結果では全くなかった。その言葉を吐いたシノダの顔があまりにも鬼気迫るものだったので、その圧に気おされたからに他ならない。その時の僕は全くと言っていい程、シノダが示唆したシチュエーションについてリアリティーをもった想像ができなかったのだ。
「とは言うものの、そうなったら生きていても苦しいだけというのは確かだね。電気も水道もない、アニメも見れなければゲームもできない、ただただ生き残るために這いずり回るのは苦痛でしかないかもね。」
僕がそれ以上説得するまでもなく、結局シノダも僕の意見に歩み寄ってきた。なに、彼にとっても、所詮死というものは仮説上のいちエンディングのパターンに過ぎなかったのだ。齢17歳にして、そう簡単に死というものを、こんな空想アソビのなかで現実的迫力をもって想像できる方が異常というものであろう。
二人がこれほどまでもアッサリ僕に同意したのは、何も僕の意見が卓越していて二人が丸め込まれた結果ではない。もともと僕ら3人は似た者同士なのだ。どんなに正論と異論に分かれて意見を闘わせたところで、それほどの対立は生まれなかった。結局のところ、最終的には僕達はみんなが納得するような結論に達していたのだった。
気が付いたら店の外はすっかり暗くなっていた。今日の課題も仕上がったようなので、僕らはそろそろ解散することにした。
ファミレスを出ると目の前は青梅街道だ。午後8時ではあったが相変わらず渋滞している。街道沿いに数分駅方面へ歩くと、僕は二人に別れを告げ自宅マンションの玄関をくぐった。
「お前、本当にいい所に住んでるよな。」
「羨ましいよ。」
そう言うと二人はそのまま駅方面を目指して歩き去った。
確かに僕の住環境は恵まれていると思う。僕は先週からこの青梅街道沿いのマンションで一人暮らしを始めていた。もともとは都内の別の場所で家族と暮らしていたのだが、事情があって一家で父親の故郷にUターンすることになり、今は両親と中二の妹は岡山で暮らしている。僕はどうしても今の高校を転校したくなかったので親に懇願し、どうにかこうにか東京に残留させてもらう許しを得た。東京の家を引き払うと同時に購入したのがこのマンションなのだ。もし僕がこのまま東京の大学に進学するのならそのまま住めばいいし、使わなくなったときは賃貸にまわして稼ぐというのが親の目論見らしい。1DKの単身者用でそれほど広くはない。新築間もないので、現段階では僕の他はまだほとんど入居者がいなかった。館内には新築の匂いがただよい、エレベータには荷物搬入用の養生がしてあるような状況だ。
部屋に入りカーテンを開けると高層ビル群の明かりが見えた。窓を開けて外の空気を入れる。部屋は7階立ての3階にあり、外の喧騒が結構部屋のなかに流れ込んできた。
僕はベッドに寝ころんでTVをつけた。アメリカのどこかの地方都市で、デモ隊が暴徒化し警官隊が衝突して死者が出ているらしかった。どうせまた差別に対する抗議か、銃規制を求めるデモが先鋭化したのだろうと、特段気にもとめなかった。ここ最近アメリカではよくある光景だったからだ。
それよりも僕としては、先ほどまでのファミレスの話が頭から離れなかった。
先ほどは言い忘れたが『籠城作戦』には他の策とくらべて明らかなアドバンテージがあるのだ。それは事前準備が可能だということだ。いや正確にいえば、それが誰にでも比較的容易にできるというとだろうか。過疎地や離島に逃げるにせよ、とんでもない金持ちであれば事前にいくらでも準備ができる。移動手段にヘリやクルーザーを用意すればいいのだし、避難用として別荘でも用意しドッサリ物資を集積しておけばいい。アメリカなら銃器を持ち込んで十分な武装をすることすら可能だろう。なんなら数年間は持ちこたえる食料さえ準備できるのだ。まあ、ゾンビ対策という名目でそんなことをやる奇特な人はいないのであるが、金持ちならばたまたま別の目的で所有している物件をそのまま流用できる可能性はある。
しかし僕のような一般人でも、『籠城作戦』ならばとりあえず自宅に食料を備蓄するだけで準備ができてしまうのだ。しかもそれが同時に地震などの大災害への備えともなり得るから、実行するにあたっての心理的ハードルも低いというのが大きい。
さらに忘れてはならないことがある。それはゾンビが『感染症』という属性を帯びているという事だ。ゾンビに噛まれたものはゾンビになる、それはあらゆるゾンビ作品に共通する要素なのだ。という事は、不特定多数の人がある場所に集まることは理に適っていないのだ。もし鳥インフルエンザが爆発的に猛威をふるったとしたら当然「自宅に留まる」ことが推奨されるに決まっている。ゾンビが『感染症』という側面を持っている限り、それに準じた行動をとることが合理的判断というものなのだ。
そんなことを考えているうち、明かりも消さぬままいつしか僕はウトウトしていた。
「暴動の発端は――目撃者の証言では――容疑者が銃器を所持していなかったと――地元警察当局は――銃器の使用は――正当な判断であり、適切であったとの見解――。」
ニュースの内容は断片的にしかアタマに入って来なかった。画面には現場に居合わせた目撃者が、スマホで録画した映像が映し出されていた。容疑者は銃器を所持していないように見える。警官は容疑者を制圧しようとしている。しかし容疑者の抵抗が尋常ではない。ついに警官は警告の後、容疑者に向けて発砲する。驚くべきは、銃撃を喰らっても容疑者が全く怯むことなく警官に襲い掛かってきたことだ。銃弾がそれていたのか?ついに警官は恐怖に駆られたのか、残弾のすべてを容疑者に発射した。同僚の警官も全弾を撃ち尽くしたようだ。明らかに彼らは目の前で起こった事態に取り乱し、興奮していた。
僕は現実とも夢とも判然としない状況でそのニュースを見ていた。もしかしたらさっきのゾンビ談義が影響して、なんでもない平凡なニュースをあたかも意味ありげに感ただけなのかもしれない。その時僕にとっては眠気の方が勝っていた。それ以上ニュースを深く考えず、いつの間にか僕は眠りにおちていた。