036話 force one's way into
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ミッドヴァルト北東上空、アーガス王国とカルトガルド公国国境付近にて。
「映せ……《黒鏡》」
ヒツギの詠唱と同時に、彼の前面に黒い縁の大きな鏡が現れた。
「《接続》――ヒルデガルド・エーベル」
その呟きに鏡が応える。硝子の中に一人の女性が映し出された。
「……あら? これは《黒鏡》ですね。人類の敵である《黒の魔女》が《七聖天帝》の一人、《放縦帝》であるこの私……ヒルデガルド・エーベルに何か御用でしょうか?」
「お久しぶりです、先生。お元気にしていましたか」
「もう! 私の素っ気ない態度はスルーですか。相変わらずのご様子ですね、若様」
二年前と変わらぬ笑顔でヒルデが笑う。今回、ヒツギがアーガス王国に手を貸そうと思った理由の一つには、彼女がアーガス王国の軍事魔導顧問を務めていることにもあった。
「ねぇねぇ、ひーくん、このおばさんだーれ?」
「ボスに対して、随分と馴れ馴れしいババアだな」
「でも、その片眼鏡はオシャレね。センスは悪くないわ。ウチには劣るけど」
「……あのねぇ、私はまだ二十五歳ですぅ~。おばさんでもババアでもありません~。確かに、あなたたちからしたら、あ、あれかもしれないけれど……。初めまして御三方」
ヒルデがバーミリオンとウルルとクインに対して一礼してみせる。
「そうか。お前たちはヒルデとは初対面だったな。彼女は人間とはいえ、俺の魔術の先生だ。あまり無礼な態度を取ると、俺も機嫌が悪くなる。今後は気を付けてくれ」
「そうとは知らず、申し訳ありませんでしたボス! ヒルデさんもすみません」
ウルルが急いで頭を下げた。彼女の尻尾がしゅんとうなだれている。
「ふふっ、プライドが高いワーウルフが人間に敬意を払うだなんて、若様も愛されていますねー。ヒルデちゃん、とっても安心しました。新しいお仲間も良い人たちですね」
ヒルデは、ウルルたち亜人のことを『良い人』と言った。
そういった些細な一言からも、その人となりが窺い知れる。
初めて見た、ヒツギの《黒鏡》に興味津々な三人とは裏腹に、すでにそれでヒルデと対話したことがある、リリス、フィリシア、ホロウ、ラクラ、ルナ、は平然としている。
「ヒルデ、もうすぐ戦線に合流する。というか、完全に乱入だな。どうする?」
「あら、無条件で助けてくださる気になったのですか?」
「助ける? バカを言うな。現地で死体調達をするついでに、気紛れで蹴散らすだけだ」
「相変わらず、若様はツンデレですなー。ホントは妹のモニカ様が心配なのでしょう」
「それだけではない。お前のことも心配だ。カルトガルド公国には《軍火帝》がいるから」
《軍火帝》、エルシア・ディッセンバー。世界に己の名を公表している、カルトガルド公国の武器製造者にして軍事顧問。その製造技術の高さ、質、用途等から、ヒツギは地球からの転生者ではないかと睨んでいる。この世界では珍しい、白衣を常に着ているという開発研究が恋人の病的な女だ。昔、一目見たことがあるが、左目は義眼で緑色に発光していた。
「……まさか《七聖天帝》になった私を心配してくださるのが、魔物サイドの《黒の魔女》一人だとは皮肉なものですね。形式は問いません。お好きに暴れてくださいな」
「お前こそ、相変わらずのアバウトさだな。いいだろう。勝利だけは保証しよう」
懐かしさに、楽しそうに笑いながら、ヒツギは《黒鏡》のチャンネルを切った。
「ヒツギ様ぁ~、見えましたよ。先陣は誰が切ります? わたくしが行きましょうか?」
ルナ・バートリーが背中に生えた黒い羽根を楽しそうにバサバサと羽ばたかせる。
「いや、ルナ。今回は俺の我儘で始まった戦だ。ここは俺が切ろう」
ヒツギは《支配者の椅子》の上で、目元がくり抜かれた灰色の仮面を顔に付ける。
ごく一部の人間以外に正体がばれないようにするための、余所行きの代物。それを付けることで、自分がただの人間ではないと自覚し、スイッチを入れるための儀式でもある。
そうこうしているうちにも、アーガス王国とカルトガルド公国の戦場に着いた。
「とはいえ、俺は所詮ちっぽけな、ただの人間だからさ。頼んだぜ、みんな」
ヒツギの信頼の言葉に、配下が目を光らせた。今こそ自分をアピールする場だと。
幾人かの兵士たちが、遥か頭上に浮遊するタイラントレックスの姿を目に収め、にわかに騒ぎ始める。やがてその騒乱は波紋となって広がり、視線を一点に集める。
その上で、ヒツギは高らかに宣言する。偉大なる、魔の森の王として。
「揺るがぬ意志で、世界の真なる悪を裁く、魔の森の王――ミッドヴァルトの征服者、《黒の魔女》たる『私』は、故合って一時的にアーガス王国の味方となろう」
その宣誓と同時に、タイラントレックスが重低音の唸り声を上げて下降する。
「悪いな、みんな。私の家族のためだ。例え忌み嫌われた《屍術師》になろうとも、私を育ててくれたアーガス王国への恩義はここで返す」
「お気になさらず。あなたというお方は、本当に義理堅いお人だ」
「私は~、いつも通り好きにやらせてもらうけど、それでいいのよね~?」
相反する答えを返す、ホロウとリリスにヒツギは頷いた。
「ホロウとリリスは好きにしろ。フィー、バーミリオン、ラクラ、クインは一般兵を相手にしつつ、アーガス王国兵を救援してやってくれ。ルナとウルルは、分かっているな?」
「ええ、人間の命を貪り散らかして、派手に吹き飛ばせば良いのでしょう?」
「いつだって、オレはボスの期待に応えるだけだ。オレは敵将を見つけて……殺す!」
「……まったく、頼もしいな。任せたよ、私の大切な仲間たち。では、行こうか」
数名の人間を踏み潰し、地面に着地したタイラントレックスが吼えた。
「蹂躙しろ、タイラントレックス!」
「うじゃうじゃと、鬱陶しいザコ共が! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す!」
タイラントレックスが翼を広げ、全身を旋回させて周囲の人間を無造作に蹴散らす。
「好きに暴れるがいい。お前の本領を見せつけるときだ」
「我に指図するな、ヒツギ。……邪魔だ、クソ蝿共が! 《ギガントマギア》!」
スカルドラゴンの振るう猛威が、両陣営構わずに襲いかかる。
「……ド、……ドラゴン!? それも異常に大きい……。決して、誰かに従うような存在では……。しかも骨!? あり得ない。これだけでも、主人の度量が伺える……っ!」
カルトガルド公国の兵士長が、困惑に満ちた叫びを上げた。
「我が《デミ・レギオン》よ! 為すべきことはただ一つ、我々の力を見せつけろ!」




