031話 その正体はアーガス王国第二王子
魔の森の王がラミアの少女を体に巻き付けたまま、地上に降りてくる。赤いハーピーの少女、バーミリオンも木の幹から足を離し着地した。その前にホロウが立つ。
魔女のとんがり帽子が風で飛び、長く透き通るような美しい黒髪が揺れて広がる。
「主君、失礼致しました。彼等はあなたを女性だと思っていたようで。無礼な輩を招き入れた某に罰をお与えください」
ホロウがない頭を下げるように腰を曲げる。
「別にいいよ。お前たちの行動は、この《低級霊》が監視して、俺に報告しているから」
マルスが魔力を込めて目を凝らすと、魔の森の王の周りに透明な何かが数匹漂っていた。
(死霊との念話。魔の森の王の正体は……《屍術師》か)
マルスの思考がそこに行き着いたとき、こちらの大樹へとまた二人姿を現す者がいた。
「はぁ~あ~い♪ 言われていた薬草を採ってきたわよ~。ちなみにぃ~、フィリシアはさぼってました~」
「しれっと嘘をつくな。お前は何もしていないだろう。働いたのは、この私だ」
「……リリスとフィーか」
リリスと呼ばれた忠誠心のなさそうな女は胸がでかく、柔らかそうな金髪のロングヘアーだ。しかし、彼女もまた人ではない。魔物、《デーモン》。
身長は172センチくらい。左目の白目の部分が黒い、金色の瞳をしている。そして背中から漆黒の翼が生えており、宙に浮いていた。頭には山羊のような黒い角が二本生えている。身に纏うのはあらゆる肌が剥き出しの妖艶な衣装。そのヘソの下、子宮の辺りに禍々しいハートマークが刻まれており、先端がハートの形をした黒くて細長い尻尾が揺れている。一見ふざけているようで、何を考えているのか分からず、それが逆にミステリアスな雰囲気を漂わせていた。《デーモン》の中でも《サキュバス》と呼ばれる種族。
もう一人のフィリシアと呼ばれた女は、亜人、《ダークエルフ》。
耳の長い長寿の種族。背は168センチほど。艶のある褐色の肌に、これまた大きな胸。紫色の短い髪が風に揺れた。宝石のような紫黒色の瞳の左下に妖艶な泣きぼくろがある。潤いのある艶やかな唇が美しい。傍らには特殊な弓――《魔弓》を携えていた。
「……ん? ただの人間が、この魔の森になんの用だ?」
フィリシアの澄んだ目がこちらを見据える。別に人間という種族を馬鹿にしている様子はない。単純な疑問なのだろう。マルスがどう答えようかと逡巡していたところ……
「あら、わたくしとヒツギ様の魔城、《ブラッドムーン》にいないから、どこにいるのかと思いましたら、ここにいましたのね。あぁ、ヒツギ様ぁ~ん♪」
「どうも、ご主人様。ワタシもついてきました」
大量の黒い蝙蝠を引き連れて、新たに二人の女が現れた。感じたのは覇者の気配。
「うっ……ルナ、ドロシア、わざわざ俺を探しに来たのか……」
「もちろんですわ、ヒツギ様。ヒツギ様のいるところに、このわたくし、ルナ・バートリーありッ! 夫の側には良妻! 王の隣には王妃が必要ですからね♪」
ルナがヒツギの腕を抱きしめるように、大きな胸で挟んでホールドする。
「勝手に俺の嫁を自称するな」
「ですから、早くわたくしと結婚して本物の夫婦となり、子供を作りましょう! そのための準備も万端ですわ。いざ、わたくしたちの愛の巣、もとい《ブラッドムーン》へ!」
ルナに詰め寄られ、魔の森の王――ヒツギと呼ばれた少年は戸惑っていた。
「おい! 血を啜る邪悪な鬼。あまり馴れ馴れしくボスに近づくな!」
ホロウの隣にいたワーウルフのウルルが、いつの間にかルナに肉薄していた。
「チッ……あら、あらあら♪ 脆弱な薄汚い駄犬もいましたのねぇ」
「オレは犬じゃねぇ! 誇り高き狼だ!」
「わたくしはヒツギ様を愛している。だから、何をしても許されるの♪」
そう口にした、ルナの瞳はぐるぐると闇色に回り、狂気を孕んでいた。
抱かれたい。独占したい。黒く渦巻く、執着心という名の恋心。
ヴァンパイアとワ―ウルフが、人間である魔の森の王を挟んで火花を散らす。
「何か間違えていますか? ヒツギ様、わたくしのことを嫌いになりました?」
「……? いや、全然。愛しているのなら当然だよ。愛はこの世で一番尊いものだ」
(――待て、待て、待て。彼女は魔の森の王を、『ヒツギ様』と呼んだ……ヒツギ……まさか! いや、そもそもルナ・バートリーといえば、魔王の一人《不死王》じゃないか!)
マルスの脳裏にある人物が浮かんだとき、目の前にもう一人の女がいた。
「なっ、なんだ……こいつは?」
先程、ヒツギにドロシアと呼ばれた女だ。しかし彼女もまた人間ではない。
魔物、《シェイプシフター》。本来シェイプシフターに性別はない。
シェイプシフターとは、他人の姿かたち、声や服装までも完璧に真似ることができる魔物だ。だが、ドロシアは華奢な女の姿をしている。それでもその顔はなかった。
ライトグリーンのショートヘア。目も眉も鼻も口もない。通称――《ノーフェイス》。
他者を圧倒するような気迫は持ち合わせていないが、物腰が低く、柔和で理知的な気品を感じる。清楚なメイド服を着ているせいもあると思うが。
今は159センチほどだが、その能力は《変幻自在》にして《千変万化》。
つまり、身長や体重に体格はおろか、性別すらも自由に変えることができる。
「ご愁傷さまです。ルナ様が来た以上、あなたたちに生存の道はありません。ルナ様は清楚なお嬢様を気取っていますが、実際は粗雑で癇癪持ちの、気性の荒いお方ですから」
「ほら、そこっ! ドロシア、わたくしが目を離した隙に何をしていますの? そこの人間共、ひれ伏せ! こうべを垂れよ! わたくしは《真祖》の一人ですわよ」
その魔性の声だけで、マルスたちは強制的に跪かされた。
ヒツギにすり寄って豊満な胸をわざと押し付けていた、ルナがこちらに来る。
彼女は魔物、《ヴァンパイア》。それもヴァンパイアの中のヴァンパイア、《真祖》だ。不老不死の本物の化物。この場にいる誰よりも危険な存在である。身長はヒツギと同じく165センチ。銀髪のロングヘアーはサイドの先端が縦ロールになっている。後ろ髪は尻の辺りまで伸びていた。ルビーのような魔性の赤目。あの瞳を見てはいけない。ヴァンパイアの紅蓮の瞳には《魅了》の能力があり、見たものを虜にするという。
他にも死徒を操る能力や、蝙蝠や霧に変身できる力を持ち、自分の体液、唾液や血液に特殊な成分を配合することができる。さらには特殊な風魔術や雷魔術まで得意という。
人外の怪力を持つが、少ない弱点としては、日光と銀が知られている。
黒を基調とした白のレースやリボンで装飾された、胸元が大きく開いた妖艶なドレスで豊かな胸を強調していた。きめ細やかな白い肌が露出しており、爪が長くて黒い。
これでヒツギを除いて、九体の魔物と亜人に囲まれた。
「も……もう、絶対逃げられませんよね……。た、隊長……っ!」
エマが泣きながらマルスに助けを求めてきたが、こればっかりはどうしようもない。
(否、交渉次第か。なにせ、相手はあの『ヒツギ』なのだ)
「はぁ、なんでこんなどうでもいい日に限って、ぞろぞろと集まるのかな。まあ、あいつがいないのは幸いだ。せっかくだ、お前も起きろ。《暴竜王》タイラントレックス」
ヒツギの紫水晶のような両目が血のような赤に変わり、瞳に逆ペンタクルの魔術円が浮かぶ。その瞬間、通常の人間ではありえないほどの、猛烈な魔力の放出が確認された。
屍術師としてのヒツギの命令に、マルスたちの背後にずっといた、ドラゴンの死体が意識を呼び覚まされる。醜悪な口から覗く乱杭歯のような骨の牙が鈍い光を放つ。
「……くだらないことで我を起こすな、ヒツギ。貴様は我をなんだと思っている?」
重低音の、ビリビリと体の芯に響く高圧的な声。大気すらもが震撼する。
マルスとウィルとエマが大量の冷や汗を掻きながら、背後を振り返ると――
そこには竜骨の塊、動く屍竜、魔物、《スカルドラゴン》が顕現していた。
全身骨でありながら、普通のドラゴンの数倍の巨体を誇る《暴竜王》。元魔王の一人にして、三年前――この魔の森を支配していた最強のドラゴン。それがタイラントレックス。
人語が喋れることも驚きだが、この中で唯一ヒツギに対して態度が悪く、不遜で偉そうだ。しかしその体はヒツギの《屍術》である《死体強化》で骨のコーティングがされており、密度と強度が上がっている。つまり、彼はヒツギのサポートなしでは活動できない。そもそも、タイラントレックスはすでに死体であるため、《死の超越者》である屍術師、固有魔術《屍術》を持つ者に支えられなければ、この世で活動できないのだ。
ということは、このタイラントレックスですらも、ヒツギの配下にある。
「ヒツギ様に大口を叩くな。この痴れ者が! 死した蜥蜴の分際で、よう吼えるわ」
「お前こそ、ヴァンパイア風情が、人間であるヒツギと結婚できると思っているのか?」
「……あらぁ? もう一度死にたいのかしら?」
吸血鬼とドラゴンの間で魔力と闘気がぶつかり、木々を揺らすほどの衝撃波を生む。
改めて思い知らされる、この場にいる十体もの強者を従えている、ヒツギの実力を。
殺気の束。今ここに、小国ならば数刻で滅ぼすことができる戦力が揃っていた。
「二年間、魔の森に潜み牙を研いできた。これがヒツギ・フォン・アーガスの現在の姿」
「……え? 隊長……今、なんて言いました? まさか……」
思わず漏れたマルスの呟きに、ウィルが反応を示す。
今度こそ、マルスははっきりとこの場の誰にでも聞こえる声で言った。
「女性のような顔に艶のある黒い髪、珍しい紫水晶のような美しい瞳。間違いない。彼は二年前に死んだと言われている、アーガス王国第二王子、ヒツギ・フォン・アーガスだ!」
「まさか、あの……ヒツギ様?」
マルスの言葉にエマが目を見開く。隣のウィルも信じられないという顔をしていた。
それも無理のない話だ。彼は二年前――十五歳のときに、優れた魔術師にのみ発現する《固有魔術》が、数十年に一人しか生まれない、人や魔物の死体を操ったり、死体に憑依するなどの忌み嫌われた能力《屍術》だったため、迫害され国を追放されたと言われている、誰よりも優秀過ぎた、アーガス王国第二王子なのだから。
固有魔術が《屍術》だと発覚する前は、アーガス王国史上最強の王子ともて囃されていた。その実力は精鋭のアーガス王国兵数十人が束になっても相手にならないレベルだったと言われている。その上、頭脳明晰で非の打ち所がない、まさしく《王》の器だったのだ。
「なっ、なぜ、なぜだ! なぜ、そんなあなたが! あのヒツギ様が、こんな醜い姿をした、亜人や魔物の側におられるのですか!? おかしい……こんなの間違っている……!」
いつもは物静かなウィルが、珍しく大きな声を出してヒツギに食ってかかる。
「ははっ、ウケる」
それを鼻で嘲笑う者がいた。
ヒツギ・フォン・アーガスの体に巻き付いている、ラミアの少女だ。
「マジで言ってんの? だとしたら、やっぱりウケるよ。リーダーがウチらの側にいるんじゃない。ウチらがリーダーと一緒にいたいの。お前たちのように姿かたちでその者の在り方を決めつけたりしない、自分とは違うってだけで誰かを差別したりしない、そんな人の側に。ただの人間風情が、ウチらの《王》を下に見るな!」
「クインが言った通り。ヒツギ様は素晴らしいお方だ。思考に行動、すべてが理に適っている。我々を導いてくださる完璧で完全なる存在。そもそも某たちは主君の圧倒的な力の前に平伏し、嫌々従っているのではない。まあ、中にはそのような者もいるが……」
ホロウの兜付きの頭部が、タイラントレックスのほうを見る。
「某たちは主君の志に惹かれているのだ。見た目だけではなく中身。その人柄、器の大きさ、格の違いに魅せられている」
「……だ、そうだ。くだらん御託はそれで終いか? ならば、次は俺の問いに答えろ」
ヒツギが一体自分たちに何を聞いてくるのか、マルスにはその予想がつかなかった。




