012話 武術の達人にして魔術の天才
「では、今日は無属性基礎魔術を二つ学びましょう。一つ目は《魔術障壁》です。魔術戦では幾多もの魔術が飛び交います。それから身を守る最低限の術を最初に学びましょう。方法は簡単。手のひらに魔素を込め、前方に丸い壁を描くように魔術円を展開します」
《魔杖》をカツンと鳴らしながら、ヒルデは右手のひらを前面に押し出す。
すると、透明に近い水色の魔術円が目の前に展開された。
「試しに軽く殴ってみてください」
「軽く? 小突く程度でいいんですか?」
「ふふのふ♪ 舐めないでください。軽くというのは言葉のあやです。『全力』でいいですよ。私の魔術障壁を素手で破ることなど、若様には絶対に不可能ですから。そう、ぜっったいにぃ! ここに来る前に調べましたけど、多少武術を齧っているみたいですが、あんまり強く殴りすぎて、自分の拳を痛めないでくださいねぇえ?」
(うっぜぇ……。マジでイライラする)
ムカつく顔で煽りに煽られて、むっとしたヒツギは、少々本気を出させてもらうことにする。魔術障壁ってことは、魔素で強化された魔力の壁だろう。
なら、こっちも魔素を身体に流し込んで肉体を強化すれば……
全身に気を巡らせ気血を流す。己が内に眠る体内魔素を解放。前世で『枷』を外す感覚に似ていた。目で見て肌で感じるほど、はっきりと紅蓮の闘気が炎のように立ち上る。
「《肉体機能増幅》」
「え!? 若様、それ、私が次に教えようと思っていた、無属性基礎魔術の二つ目、《肉体機能増幅》じゃないですかぁあああ! やばい! ダメっ! 壊れちゃうぅううう!」
慌てふためくヒルデとの距離を詰める。
「ふぇぇ、保有している体内魔素の量も桁違いですぅ。こんなの一方的な暴力ッッ! 膜が破けるぅううううう!」
「覚悟してくださいね、先生! 《金剛八式・衝捶》」
至近距離からの、中国拳法における中段突き。
震脚を打ち鳴らし放つ、神速の縦拳。それがヒルデの魔術障壁にめり込み、いとも容易く粉砕した。そのままヒツギの拳は、ヒルデの鳩尾に吸い込まれていく。
骨が軋み、筋肉が唸る。さらに加速する拳。爆ぜる力。解き放たれし剛腕が炸裂。
「無理無理無理無理ぃ! こんなときは――《アクアウォール》」
ヒルデの体の前に、瞬時にして水の壁が生成される。
大量の水は拳の突進力を失わせ、ヒツギの破壊拳は彼女の大きな胸の前で止まった。
「甘いな、先生。さらにここから――《凰式神拳・散華》!」
インパクトの瞬間に拳を捻り込み、《勁力》を加える。
ヒルデの《アクアウォール》を爆散させ、思いっきり水の壁を吹っ飛ばす。
「あっぶねぇえええええ! 何をするんですか、この暴力生徒は!」
「いや、先生が本気でやってもいいって言ったから」
「だからって、教えてもいない《肉体機能増幅》を使ってガチで殴らないでくださいお願いします! というか、なんですかあの突き! 若様、武術を齧った程度じゃないじゃないですか! マジで極めちゃってるじゃないですか! 何者ですかもうっ!」
「なんで逆ギレしているんですか……」
「むっきぃー! もういいです。いいですよーだ。若様がそんなにハッスルするなら、私も遠慮しませんよぉ!」
「お前は最初から俺に遠慮なんてしていないだろ」
額に青筋を浮かべたヒルデは、手のひらをヒツギに向ける。
「では、さっきの私のように《魔術障壁》でこれを防いで見てください。防ぎきれないと若様の『服のみ』が破けますよ」
凄く嫌なことを言って、「うひひひ」とキモく笑い、下卑た顔でヒルデは術を唱える。
「(服を)切り裂け! 《ウォーターカッター》」
無数の水の刃が迫る。加圧された水が目にも留まらぬ速さで襲いかかってきた。
(いきなりこれか。マジで遠慮がないな)
ヒツギはヒルデが魔術を発動する前に、瞬時に右手のひらを前面に突き出していた。
展開したヒツギの《魔術障壁》と、ヒルデの《ウォーターカッター》がぶつかり合う。
「チッ、服は破れませんでしたか……。なら、次はこれです。ただの《魔術障壁》では防ぎきれませんよ! 《アクアレーザー》」
高密度な水がレーザーのように勢いよく、一直線に突っ込んでくる。このままでは《魔術障壁》を破られ、こちらの体を貫通する勢いだ。
「殺す気かっ! 先生――――ッ!」
……クソが。回避は間に合わない。被弾覚悟で《化勁》か《纏》で受け流してダメージを抑えるか? いや、それぐらいなら、ぶっつけ本番でやるしかない。そう思い――
「――展開! 《多重魔術障壁》」
ヒツギは両手のひらを前面に押し出し、力のセーブは考えず、とにかくありったけの魔素を流し込んだ。目の前に多重の円が広がり、魔術障壁が二枚重なる。
「さらに、もう一枚!」
ぐっと奥歯を噛み締め、魔力を巡らせる。目の前に三重の《魔術障壁》が展開された。
「とっ、《トリプルプロテクション》!? またこのショタ生徒は、私が教えていないことをぉおおお! 後で私が手取り足取り腰取り教えるつもりだったのにぃいいいいい!」
苛立ちを抑えるように、ヒルデが悔しそうな顔で歯噛みする。
ヒルデの《アクアレーザー》は、ヒツギの三重魔術障壁によって、完全に防がれた。
「……今日は、もう教えることは……ありません」
完全にヒルデの元気がない。意気消沈。肩を落としてがっくりとうなだれている。
ヒツギはそんなヒルデの両頬を掴んで、こちらに顔を向かせた。
「今日はありがとうございました。また明日もよろしくお願いします。とてもいい勉強になりました。先生に教えてもらえて楽しかったです」
にっこり顔でヒルデに優しく微笑む。
(こいつにはこれからも世話になるからな。少しだけ媚びを売っておこう)
「…………天使かな? 天使なのか? もうたまらん! キスしてやるぅ! 若様の初めては私がもらうぅううううう!」
ヒルデが唇を突き出して迫ってきた。気持ち悪い。思わず、腹に中国拳法の《形意拳》の縦突き《半歩崩拳》をぶち込んだ。殴るというよりも、貫くに近い強烈な打撃。
「おっ……! ご、ごふっ……がっ……ぁ……」
「この変態」
「その蔑んだ視線すら……美し……い……ガクッ……げぼぉ……ぉぉろ」
最後にまたキモいことを口にして、ヒルデは眼鏡を落とし、白目を剥いて気絶した。
これにて、本日の授業は終了。変態教師との仲は一日で一気に深まった。