モノノケのカベ
「俺ぁ思うんだよ」
のっぺらぼうが、首を傾げながら言った。
「今人間社会ってのはバリアフリーってのが流行ってるだろ」
「そんな横文字言われても、オラはわかんねえ」
河童が頭を掻きながら答えた。
二人は、新鮮な空気に覆われた森深い山の一角で杯を交わしながら、久方ぶりの雑談に花を咲かせていた。
「オラが今住んでるところは、人間にド田舎って言われるような山の村だしな。そんなもんあっても伝わらねぇよ」
「そうか。まあ、そんな文化水準の違いがあったんなら、俺達がこうして会えなかったわけだよな」
彼等が最後にあったのは、明治時代になる前のことで、実に百年以上ぶりの再会である。
それだけに、話はいつまで経っても尽きなかったが、昔話に飽きたのっぺらぼうが、急に愚痴り始めたのだ。
二人は、物の怪学問会(つまりは妖怪の学校)に通っていた同窓生だった。
だから河童は、のっぺらぼうがやたらと愚痴りたがりなのを知っていたので、その愚痴に嫌な気はしなかった。むしろ、懐かしさを覚えた。
「オメーのその口も相変わらずだな」
「俺の口なんて、一体どこにあるってんだい」
「なら、お前はのっぺらぼうの癖して、どうやってサイセンタンを行く東の都で生きてきたんだ?」
「そんなんお前、簡単だよ」
そう言って彼は、懐から水性のマジックペンを取り出すと、自分の顔にキュッキュッと何かを描き始めた。
描き終わった時、そこにはふにゃふにゃした顔が生まれていた。
「えー? そんなんでオメー、よく警察にバケモンだって突き出されなかったもんだな」
「人間なんざ、所詮他人に興味はないってことさ。これで俺は人間と同じように仕事して、稼いで、物を買って生きてきたんだ。すごいだろう?」
「すごいな。オラなんて、もう廃れた田んぼに忍び込んではイナゴを食って、汚くなった水で不味い魚食ってきたってのに」
「酷い話だよ」
「まったくだ。格差社会なんて関係ねーって思ってたけど、バケモノの世界にもこうして手を伸ばしてきたんだな」
「よくそんなこと知ってるな」
「オラ、テレビ好きなんだ。だから爺さんのボロテレビを、こっそり目玉を伸ばして屋根裏から見てるのさ」
「そりゃお前ぇ、テレビ泥棒じゃないか」
「いいんだよ。人殺して金をぶんどっちまうよりかはマシだ」
河童が、目を上に向け、関係ないような顔をしながら、ちゃんちゃんこの懐から、煙管を吹かせた。
「壁があるな」
「ああ、でも天井にあるのは壁じゃなくて天井だろう」
「そうじゃない。俺達の日々の生活には壁があると言っているんだ」
のっぺらぼうが、着ていたスーツの懐から煙草を一つ取り出しながら言った。
「人間は、人間同士の生活における壁を無くそうとしてんだ」
「そんなんが人間にもあるのかね」
「ああ。目はあるのに見えなくなっちまった奴とか、口があるのにそれがきけねー奴とかも、普通に暮らせるような社会にしようって、今ニッポン様は変わってるわけさ」
「なるほどな。それは羨ましいだなあ」
「だが、俺達は何一つ保障されない。今や犬や猫だって、無慈悲に殺されれば裁かれているというのに。口の利けるバケモノの生活を保障しないなんて、馬鹿にしているよなあ」
近くにあった大木をドンと叩きながら、のっぺらぼうは強く語った。
河童も、それには同意したい部分が多くあるのか、激しく頷いている。
「俺は毎日、カップラーメンを食うだけのヒモジイ生活をしているというのに。シブヤって町じゃ社会の錆びた歯車みてぇな奴が、飲んだくれて同族を打ち殺してる有様だぜ。こちとら人間になりすまして、人間社会を少しでも豊かにしようと働いてやってるのに」
「そうだそうだ。オラは田んぼの仕事とか、そういうのはやっちゃあいねえが。人間の世界をぶち壊しにしないよう、山の泉で静かに暮らしてんだ」
「それだって、人間が言うシャカイコウケンという奴ではないかね」
「オラはそう思いてぇな」
「頑張った奴が馬鹿を見て、鼻くそ丸めて人の背中にくっ付けるような生活してるような奴が、毎日楽しくヘラヘラと暮らしているなんて、馬鹿げた話だ」
「本当だ。全く人間は何を考えてやがるんだ! オラ、すげえ腹が立ってきた」
二人が興奮して、木をドンドンとノックするように叩き始める。
昔だったら鼻で笑って聞き流していた愚痴も、今日に限っては彼等にとって共通の不満だったようだ。
一度火がついたら、なかなか消えないもので、二人は鼻息も荒く、それぞれの愚痴を互いにぶつけあった。
特に河童は、文化水準が成長していないところに住んでるわりには負けず劣らず不服なことがあるようで、のっぺらぼうが怯むほどに熱弁することすらあった。
辺りに響き渡るような大声で愚痴を三〇分ほどぶつけあったた後、二人は揃ってため息をついた。
「自分達の住んでる国が、こんなに酷ぇところだったとは気づかなかった。俺だけならともかく、オメーがそんなにウダウダ愚痴ほどなんだから、相当だろう」
「まったくだ。人間は地球を自分のモノだと勘違いして、他の奴等のことを忘れてる。だから俺みたいな奴が出るんだ」
「つくづく妖怪にもバリアフリーってのが必要だとわかったな。うんうん」
「でも、必要だとしても、俺達に何が出来るっていうんだい」
そういわれると、のっぺらぼうは何もいえなかった。そんなこと言われても、彼には愚痴ること以外に、やれることがあるとは思えなかったのだ。
声まで枯らして何を怒鳴り散らしていたんだろうと、二人はガッカリして酒を飲みなおした。
ガッカリして飲む酒は、あんまり美味くはなかった。
「出来ることならあるさ」
酒を一口飲んだところで、急にあたりに風が吹いたかと思うと、下駄がコロンと落ちる音がした。
まさか、一部始終を人間に見られてしまったのではと、二人は警戒して木陰へ飛び込んだ。
近づいてくる下駄の音に、二人は身震いしたが、彼等の前に現れたのは、人間ではなかった。
しかし、姿は人間にソックリだ。ただ、鼻と顎鬚が異様に長く、目がやけに大きなことを除けば。
「ああ、天狗でねえか」
河童が指を指しながら言った。
「よくぞ知っていたな」
「馬鹿な、天狗を知らない奴は人間にだっていやしねーよ」
「それが今の時代、ワシを知ってるものも随分と減ってしまった。天狗の威厳など、もはや昭和の時代に置き去りにされてきてしまったのだ」
と、天狗は腕で涙を拭った。
「不憫だなあ」
「おっと。お前達の愚痴に華を添えるために降りてきたのではない。我等に出来ることを伝えに、ワシはやってきたのだ」
「して、それは?」
のっぺらぼうが興味深々といった様子で聞くと、天狗は嬉しそうにニコッと笑った。
そして少し焦らした後、自分用に持ってきた酒を飲みながら、赤い顔をさらに真っ赤にして宣言する。
「ジキソするのさ」
「なんだって?」
「要はワシらの悲痛な声を世に届けらればいいのさ」
「でも、大勢の人間の前で俺達妖怪が出るなんて、妖怪の社会問題ではないかい?」
「だから、直接総理大臣にジキソするのよ。ワシらのことをバラさんように厳命してな」
と天狗が全てを語り終わると、河童が水かきを広げながらパチパチと大きく拍手をした。
「オラは感動した。ようし、そうと決まったら明日ジキソと行こう!」
「でも河童よ。俺はともかく、天狗やオメーはどうやって一緒にジキソするのさ?」
のっぺらぼうの疑問はもっともだった。だが、人間社会にどっぷり浸かっているのっぺらぼうだけを行かせるわけにはいかない。
どうしたものかと二人が悩んでいると、天狗が一着のコートを投げ渡した。天狗も、いつもの羽織ではなく、人間のコートを着ている。
「それを使えばよかろう」
「どうしたんだい、これは?」
のっぺらぼうが、目を見開きながら言った。
「ワシの住む山で自ら命を絶ちおった不届きモノから剥ぎ取ってきたのだ。こうして役に立つのなら、ヤツラだって本望だろうよ」
「おお。それはいい! これで、オラ達揃って総理大臣にジキソできるってもんだな」
「ああ! では、妖怪社会の未来繁栄を願い、三人でカンパイしよう」
そして、カンパーイ! という声が山の中に響いた。
だが、それを聞いたものは、山の獣だけであった。
翌日、三人は国会議事堂の前にいた。
天狗とのっぺらぼうは、やたら胸を張っていたが、河童だけはオロオロしていた。
初めての都会というだけでも緊張するのに、自分だけ肌の色が違うから、余計に人間の目が気になるらしい。
「そろそろ、総理大臣の仕事が落ち着くころだ」
「で、天狗さん。どうやって俺達首相に会うのだ?」
「なあに、ワシは天狗だ。あんな飾りだけの警備員など、ここから官邸まで飛び越してしまえば、物の数ではないわ」
「なるほど。俺達には随分頼もしい味方がおるなあ。これは勝ったも同然だ」
上機嫌なのっぺらぼうだったが、それに対して河童はまだおろおろとしていた。
「どうした? ちょっと生臭いが、お前もなかなかのもんだぜ」
「そうか? いやあ、もう。なんていうか、見るもの全てが始めてで、腰が抜けちまった」
「情けないな。俺達はジキソしにいくんだ。もっと心を大きく持て!」
背中を叩かれ、河童はようやく引けていた腰を真っ直ぐに戻した。
河童の心も決まったところで、コート姿の天狗は二人を抱えると、空高く跳躍した。
雲が近くに見えてきた、というところまで跳ねたかと思うと、次に着陸したときには、もう総理官邸の入り口であった。
そこから、天狗の神技である壁抜けの術を使って、外の壁から官邸内に侵入した二人は、警備員に見つからないようにそっと動きながら、ようやく総理大臣の部屋へとたどり着いた。
三人の間に言葉は無かった。だが、もうこれからすることは決まっていたのだ。
そして、天狗によって、総理大臣の部屋が開け放たれた。
「うん? 何かね、君達は」
禿かかった頭と、とぼけた顔が特徴の総理大臣が、眼鏡越しに三人を眺めていた。比較的、相手は取り乱さなかった。
これは話せる相手だと確信した三人は、揃ってコートやスーツを脱いで、本来の格好へと姿を変えた。
のっぺらぼうに至っては、水性マジックをその場で落とし始めたではないか。
日本を背負って経つ総理大臣の前に、三人の妖怪がこうして姿を現した。
「始めまして、私は」
「ぎゃあああああ! バケモノだ! 私を食いに来たのだろう! 緊急要請! 私の部屋に得体の知れないものがやってきた! 発砲を許可する、すぐにバケモノどもを撃ち殺せ!」
「あの、総理大臣?」
「ええい、近寄るなバケモノめ! 気持ちの悪い! おお、君達、来てくれたかね!」
と、歓喜の声をあげた首相を見て、後ろを振り返ると、そこには銃を構えた人間が数人、こっちを睨んでいた。
三人は、揃って青白い顔をした。
「総理、伏せてください! 覚悟しろ、このバケモノめ!」
ダダダダダダダダと、乾いた銃声が部屋の中を支配した。
三人は、これはマズイと前に向かって全力疾走すると、銃弾で割れた窓から揃ってピョンと逃げ出した。
逃げ出した後も、警備員達は遠ざかる三人に向かって無数の銃弾を放ち続けた。
人の通れないような山の中を、三人の妖怪が歩いていた。
「危なかったな」
何も無い顔を泥だらけにしながら、のっぺらぼうが言った。
「ああ、エライめにあったわい」
天狗が、銃弾を掠めて破けたスーツを広げながら、ほっと息をついた。
「オラ……ガラスの破片で水かきをちょっと切っちまったよ」
そして河童が、間の切れた水かきを、涙目で眺める。
「それは、果たして治るのか?」
「ああ、大丈夫ですよ。一週間もすれば戻るだろうし、水に潜ったって染みるこたぁねえ」
「悪かったな。大事な水かきまでこんなことにしてしまうとは……」
「天狗さんが悪いんじゃねえ。オラ達が揃って悪かったってわけなのさ」
と、河童が立ち止まって、そうつぶやいた。
二人は、そんな河童に合わせて止まり、何かを語ろうとしている彼の顔を見た。
「壁なんて壊そうと思って壊れるものじゃないのさ。オラはなんとなくわかったよ」
「何を悟ったようになってんだ、オメーは」
「オラ達は、どんなに頑張ったって壁は壊せねぇ。オラ達に、壁をぶち壊すってやり方は、最初からあわなかったんだろうなぁ」
「話そうとした途端、蜂の巣にされるところだったんだもんな」
「結局のところ、オラ達に出来るのは、その壁の中でどう効率良く、そして気楽に生きられるかなんだろうな。無理して壁を壊したって、結局俺達も人間も幸せになれないと思うのさ」
そういって、河童はまた歩き始めた。
「オラ、帰るわ。この山にある河から海に渡っていけば、懐かしい故郷に帰ることが出来るし、もう寝たい」
河童は、そして大きなあくびをしたかと思うと、二人の前から消えていった。
するとそれに合わせてか、天狗もため息をついて、木の上に飛び乗る。
「ワシも退散することにするかな。人間世界にいつまでも居座ってたら、命がいくつあっても足りんよ。まったく」
そんな捨て台詞を残したかと思うと、風とともに天狗はのっぺらぼうの前から姿を消していた。
のっぺらぼうは、ふと自分の顔を鏡に映してみた。
そこには、目も鼻も口もない。それらしい窪みすらない。
「俺も、国に帰るかなあ」
のっぺらぼうは、スーツを捨てて、昔着ていた甚平を羽織ると、山の静寂の中に消えていった。
「妖怪らしい場所で、らしい生き方をして食って寝てたほうが、俺は気楽でいいや」
そんな一言を残しながら、彼は本当に自分の故郷へと帰った。
水木しげるの短編漫画を読んだ衝動で、それっぽく書いた作品。結局、何がやりたかったのだろう? 自分でもわからない。話の中に込めた毒は、ある人をとてもヒステリックにしてしまうかもしれない。だけど僕は、絶対に悔いることはしないし、謝罪もしない。ただそれだけ。にしても、伝承上の河童は人間に変身出来る力を持っているので、使おうと思ったんですが、結局田舎もの臭さを出すためにやめてしまいました。もったいない。