9・銀河征服
何故、自分が……
イリヤ一等大尉は、内心ぼやきつつナルミを案内する。
栗色の髪に青い瞳、小柄な身体……
外見が十代半ばで幼いため軽く見られがちだか、アスタロス船内での立場は、かなり高い。故に見た目通りの年齢では無いのだ。
ナルミの名前は、貨物船襲撃時のミカサとの会話を聞いていたため既に知っていた。ナルミユウ……ナルミが姓でユウが名前。どういう字を書くかなんて興味はない。
「あの……あなたの名前がイリヤ?」
「海賊船アスタロスの砲術長で一等大尉。イリヤリサ」
イリヤは姓で名前がリサだ。
「どういう字を書くの? あ、あたしは鳴る海に優しいって書いてナルミユウ」
「入る里の谷でイリヤ。理の砂でリサ」
答えつつイリヤは内心、溜め息をつく。
副長は三等少佐でミカサは中佐にして第二航空隊の隊長。対しイリヤは一等大尉で砲術長……船内の立場は上位に位置する。が、この三人の中では一番の格下である。
付け加えるならば、現状で一番手が空いている。だからナルミの相手を押しつけられたわけだ。
外見的にはナルミより数歳ほど年上に見えるが、実際の年齢は二倍を軽く超える。遺伝子改造による不老化長命処理の副作用で、身体の成熟が止まってしまったのだ。
遺伝子調整で外見上の歳を重ねる事はできたが、あえて放置してある。
「砲術長って偉い人なんだ……」
操船と砲術を取り仕切る立場にあり、事実上、この二点においては船長に次ぐ立場にある。星の巡り合わせ次第では、アスタロス副長に抜擢されていた可能性すらあったのだ。もっとも、性格的には自分でも向いていないという事は、イリヤ自身も自覚していたが。
通路の先から、黒いボディスーツの上に、オレンジ色の緩衝ベストを着た少女たちが、興味深げにナルミに視線を向けている。
海兵隊の面々同様、船長が救助した、逃げ遅れた非戦闘員たちである。
「アレ、別に悪気はないから。単にアナタが珍しいだけだと思う」
ようやく少女たちに気づいたナルミに、イリヤは言ってやる。
彼女たちの興味はナルミ当人よりも、着ている服に向けられている。
……親父殿のコートや、航空隊が着るスペース・ジャケットにも興味を示したし、要は服が欲しいって事ね。
航空隊は、かつて自分たちが所属していた部隊の物を、そのまま着ているため、皆ジャケットは違うのだ。
イリヤは彼女たちの行動を、そう理解する。
この船の乗員は、大半が男女年齢関係なく黒いボディスーツの上に、オレンジ色の緩衝ベスト、又は背中に髑髏を抱いた女神の紋章が刻まれた黒いスペース・ジャケットである。
「あの人たちは?」
ナルミは問う。中には同じぐらいの年頃の娘もいたのだ、気にもなるだろう。
「この船の乗員で、掃除や料理なんかをやって貰ってる」
彼女たちは船長の意に反してアスタロスに残る事を選んだわけだが、それはイリヤ自身も同じだ。
正しく言えば、この船のサイレン系の乗員は、ほぼ全員が船長の意に反しアスタロスに残ったわけだ。例外を挙げるとすれば、ミカサを始めとする他国出身の航空隊の面々ぐらいである。
船長は、このアスタロスに一人で残る気だったのだ。
長すぎた軍隊生活で、船長は自分のために生きると言う事ができなくなっている。組織の存続、多を生かすために少を殺す……その為には己すらも切り捨てる。他の乗員たちも似たような物で、イリヤ自身も同様だ。
一人この船に船長が残ったとしたら、恐らくアスタロスを終の棲家に、死人のように生きるだろう。あるいはクルフスに特攻でも仕掛けるか……いずれにせよ、サイレン随一の名将と言われた男の最期には相応しくはない。
そんな最期は、イリヤ自身が断固として認めない。
だから、この状況は相互依存になっている。イリヤは現状を、そう分析していた。
今回など海兵隊員に仕事を与えるべく、ケチな海賊行為にまで手を出し、あげくに空振りである。
とは言え、食べるに困る環境ではない。
ずっと命がけで戦ってきた者達が暇を持て余す。これが一番、拙い状況だった。だから彼らに仕事を与えるべく、他国に身売りという道を選ばず、船長は海賊を選んだわけだ。
そこまで考え、イリヤは大きく溜め息をつく。
現状は、あまり宜しくない。
だが、船長は海賊とは別に、何か行動を起こすつもりなのだろう。それが銀河征服という、あの言葉と関わってくる。
本気で銀河を征服するかはさておき……である。
あるいは、その銀河征服を実行するために、海賊という道を選んだのかも知れない。
これに関しては良い兆候だろう。長らく受け身でしか行動を起こさなかった船長が、ようやく自らの意志で行動を始めたのだ。
だから迷わず付いていく。イリヤは、そう決めていた。例え、向かう先が地獄であっても船長を裏切らないと。
イリヤがナルミを連れて船内を歩いている頃、船長は副長と対峙していた。
場所は船長室。机を挟み、船長は椅子に座って副長は立って。
机の隅には、花瓶が一つ。生けられているのは、青々とした葉をたたえた木の枝である。
船長は、マボガニー製の大きな机に両肘を付き、溜め息混じりに副長へと視線を向ける。
「銀河征服の計画なぁ。細工は流々、仕上げを、とくと御覧じろ……じゃ、納得できないか?」
溜め息混じりに船長は言う。
「納得できませんね……我々の今後の身の振り方にも関わってきます。何より、船長の計画を知らなければ、手を貸す事もできません」
……あんな事、言わなきゃ良かった。
船長は内心愚痴るが、後の祭りである。
「副長の考えている銀河征服とは違う。だから聞いたら落胆するぞ?」
そもそも、船長自身が考える銀河征服は、実行に移すにしても、さして人手は不要である。自分自身と、アスタロスの中枢電脳であるユーリがいれば、後先を考えなければ、今すぐにでも実行に移せるのだ。
ただ、今の立場上、後先を考える必要はある。問題は、足が付かないよう、いかに秘密裏に実行に移すかだ。
百人を超える大所帯。その責任者という立場上、身内を巻き込まない為、実行には細心の注意が必要なのだ。
「ですから、聞かせてください。仮に落胆しても、私は船長を裏切りません」
……裏切ってくれても、一向に構わないんだけどねぇ。
内心、ぼやくが、副長が自分を裏切らない事は確信していた。少なくとも、この船、アスタロスに属している限りは。
「俺の言ってる銀河征服は、この船の乗員の食い扶持を保証する物じゃない。成功しようとしまいと、俺たちに明日はないさ」
戦争を終わらせた事で、自分としては仕事を終えたつもりだ。
あとは、のんびり余生を過ごす、そのつもりでいたが、過去の柵は簡単には断ち切れない。かつての立場もあってか、国が無くなっても、未だ船長は縛られているのだ。
「船長の考えが、どんな物であっても、我々は、貴方に付いていきます。それこそが、我々が生き残る道ですから」
副長の言葉に、船長は露骨なまでに大きな溜め息をつく。
「俺たちは、国家という組織から切り離された枝葉に過ぎない。祖国たるサイレンは散り散りになり、今は存在しない。このアスタロスの俺たちは、そこの花瓶の花と同じだ……臨終を延ばすのが精一杯で、いずれは枯れる。そうなる前に、身の振り方を考えておけ」
要は、自分を見限ってくれて良い。そう船長は言いたいわけだ。
「花……ですか。咲いてませんね……?」
副長に言われ、船長は花瓶に視線を向ける……確かに花は咲いていない。貰った二週間前は花が咲いていたと記憶していたが、飾られてすぐに天道中継点へと上陸し羽を伸ばしていたのだ。
花瓶に生けられて既に二週間。だが、葉は青々としている……おもむろに船長は、花瓶から枝を引き抜いた。
……枝からは、立派な根が生えていた。
「普通は、もう枯れてるぞ?」
「鉢に植え替えましょう」
そう言って、副長は微笑むと、船長の手から枝を取り上げ退室した。
それを見送った船長は、大きく溜め息をつく。
「ユーリ。この花瓶、水に肥料か何か入れてたか?」
『掃除の者達が管理してましたが、水耕農場から液体肥料を持ってきて使っていましたね』
……そりゃ、根も生えるわ。
船長は内心、愚痴る。
水耕農場はアスタロス船内にあり、肥料を溶かした水で農作物を栽培する、いわば野菜工場である。
つまり花瓶の水も、単なる水ではなく肥料が溶け込んだ水というわけだ。
「副長……俺の言葉を誤解するぞ?」
『それが目的ではなかったのですか?』
ユーリの問いに、船長は溜め息をついた。
世の中、儘ならぬ物である……それは知っていた。
軍人時代は元より、軍から解放された今も儘ならない事だらけだ。
でも、あの頃よりは、ずいぶんマシだ。
そう思い船長は笑う。
今は逃げる事ができるのだ。そして、いずれはアスタロスからも逃げ出すつもりである。
だが、その前に自分の後釜を育て上げる必要がある。その後釜が、あの副長だった。
ただ……優秀だが、父親同様、副官気質なのは頂けない。が、何とかしよう。
船長は、声を出さずに呟いた。
父親と言っても血の繋がりのない養父ではあるが、副長は育ての親とよく似ていた。
シモサカアオイ……漢字で書くと下坂葵。戦死した……船長自らが死地へと赴くよう命じた、かつての部下、その一人である。