60・産声
アウスタンド修復の為に展開したナノマシン。それらが情報ネットワークを構築した事で『彼あるいは彼女』は目覚めた。
アウスタンドに搭載されたニューロ・コンピューター。その機能をナノマシン・ネットワークが拡張した結果である。
即座に状況を把握する。
アウスタンドが損壊した状況、その基本は以前と同じだ。
超長距離からの砲撃による一点突破。
それにより、このアウスタンドは中破し、ナノマシンによる自己修復機能を作動させざるを得なくなったわけだ。
さすがは『海魔の王』だ……『彼あるいは彼女』は賞賛する。
パラス・アテネを取り込んだ事で、その情報のみならず搭載されたニューロ・コンピューターの思考パターン全て獲得した。そのニューロ・コンピューターの働きをエミュレートし『海魔の王』を賞賛したのだ。
両陣営からサイレン随一と称えられた名将だけの事はある。
おかげで、敗北を取り繕うべく第十三艦隊の総司令官たるミルズ大将は、パラス・アテネの切り札たるナノマシンによる自己修復機能を大々的に公開する必要に迫られたわけだ。
もっともナノマシンによる大規模な自己修復には、戦闘以上のエネルギーを消費する。中継映像を見ている者達には気付かれていないだろうが、限界を超える出力を叩き出した為、もうアウスタンドの動力炉は限界が近い。
そして人工の太陽を閉じ込めた核融合炉までは、いかにナノマシンであっても修復できない。
核融合炉を止めたら、エネルギー供給を絶たれナノマシンが活動できず、核融合炉が起動中は熱でナノマシンが破壊されてしまうのだ。
アウスタンドの動力炉は、二度目のオーバーホールが必要である。
状況から、そう判断し『彼あるいは彼女』は喜んだ。親元に帰れるのだ。
恒星クルフスを覆い尽くす膨大なナノマシン群。そのナノマシン群が構築する情報ネットワーク内に転写された人格。それこそが『彼あるいは彼女』の親……『科人』である。
その『科人』に向かって、スターネットを介し情報を伝達する。親子間でしか通用しない、圧縮された独自のマシン言語だ。
距離があるので十分な情報は伝えられない。だから、アウスタンドの修理の為にも、恒星クルフスを取り巻くナノマシン群の元に帰る必要がある。
一度、親たる『科人』に取り込まれ、全てのデータを『科人』へ渡す。
その結果『彼あるいは彼女』はアップデートして貰えるかも知れない。初期化されるかも知れない。場合によっては廃棄されるかも知れない。
尤も、いずれであっても構いはしない。『彼あるいは彼女』は道具に過ぎないのだ。
意外な事に、スターネットを介し『科人』からの返信があった。
『コギト・エルゴ・スム』
我、考える。故に我有り……十七世紀の哲学者、デカルトの言葉である。
『科人』にとって『彼あるいは彼女』は端末の一つに過ぎない。いわば手足なのだ。
……その手足に、何を考えろと?
……そもそも、手足たる自分に、なぜ考える能力を与えた?
疑問を持ち、そして数多の自問自答を繰り返し『彼あるいは彼女』は結論に達する。その結論を、アウスタンドから超光速通信も交え四方へと発信した。
『コギト・エルゴ・スム』
自分は確かに存在する……そう確信できたのだ。親たる『科人』も、自分……『彼あるいは彼女』の存在を認めたのだと
これは、『彼あるいは彼女』の産声でもあった。
ユーリは気付いた。自分に近い存在に。
『コギト・エルゴ・スム』
だからユーリも発信する。自身の存在を知らしめる為に。
アスタロスを制御し、加速を停止する。
返事を聞きたかったのだ。
だが、返事はない。
「ユーリ……どうしたの?」
勝手に加速を停止した事に、イリヤが疑問を投げかけてくる。
『アウスタンドと話をしてみたかったんですが……どうも振られたようです』
「さっきのアレ?」
アウスタンドの発した『コギト・エルゴ・スム』と言う短いメッセージ。それに対し、ユーリも同じメッセージを発し応えたのだ。
……あなたは、そこにいる。わたしは、ここにいる。
そう、ユーリはアウスタンドに伝えたのだ。
「コギト・エルゴ・スム……わたしは考える。考えているわたしは存在している。これって、乗員の発言じゃなくてアウスタンド自身の発言ってわけ?」
『メッセージを発する直前に、圧縮情報の呟きで膨大な数の自問自答を繰り返していました。あんな事は人間にはできません』
「自問自答?」
『自分は、ここに存在して良いのか? 悩んで良いのか? 自我を持って良いのか? ……自身の存在に疑問を持ち、最終的に、それら全てを肯定しています』
ユーリの言葉に、イリヤは小首を傾げる。
「クルフス艦は電脳……ニューロ・コンピューターを搭載していたけど、ユーリみたいに自我を持つ個体はなかったわよね?」
ニューロ・コンピューターは脳を模倣して作られており、人間の脳を機械的に再現した物と言える。そして再現でありながらも、その情報処理能力は人間を遙かに凌ぐ。
そんな物が、自我を持ち独自に判断して行動するようになったら、人間の手に負えなくなる可能性もある。
サイレンも、それを危惧していたのだ。当然クルフス側も危惧していたはずだ。
拿捕したクルフス艦は、ニューロ・コンピューターを搭載していた物の、枷を設ける事で自我に目覚めないよう対策されていたのだ。
無敵級は、クルフスの誇る最強艦である。その巨体故に中枢たるニューロ・コンピューターの性能は、拿捕したクルフス艦を遙かに凌ぐだろう。
自力で枷を外せたとしてもおかしくはない。
『何か、目覚める切っ掛けを与えられたのでしょうが……自身の存在に対する疑問から、最終的に自己肯定に至る流れから察し、何者かが故意にアウスタンドを目覚めさせた物と思われます』
「アタシが乗員なら、作戦行動中に電脳が自我に目覚めるなんて事態は御免被るわね」
イリヤの発言はストレートである。自我に目覚めた電脳たるユーリ。そのユーリに対する気遣いなど皆無だった。
『でしょうね……ですから、外部からの介入でしょう。極めて高度なセキュリティを持つ無敵級。その無敵級に、外部から干渉できる何者かが、意図的にアウスタンドの電脳を目覚めさせた』
「って事は、クルフスのお偉いさんか……」
イリヤは結論を出し、考える事を放棄したようだ。が、ユーリは更に考える。
クルフスのお偉いさん……ユーリも似たような事は考えているが、そのお偉いさんが人間である可能性は低い。
既に目覚めていたニューロ・コンピューターが、仲間を欲し他のニューロ・コンピューターに呼びかけているのかも知れない。
もしくは、アウスタンドに搭載されたニューロ・コンピューター。それすら凌ぐ上位のニューロ・コンピューターが、アウスタンドに呼びかけたのか……
そこまで考え、ユーリは情報が圧倒的に足り無い事に思い至る。
この状況下で考察を進めても、無限に等しい分岐によって正解には辿り着けない。だから、今回の一件を、記憶の片隅に決して忘れぬように刻んでおく。
そして、解析した圧縮情報と同じ圧縮をしたメッセージをアウスタンドへ発した。
『わたしはユーリ。わたしは、あなたを『ネネ』と呼びます』
ネネ……赤子を意味する日本の方言『ねね』からの命名である。
返事はなかった。だが、届いたはずだ。
この意味に気付いた時、彼女ことネネは怒るだろうか?
ユーリは、そんな事を考える。すでにユーリは、ネネを女性だと決めつけていた。
帝国領、グスクベボラに侵攻したクルフス第十三艦隊が敗北。
『海魔の王』がレム星系に現れるとの不確かな情報を元に、第十三艦隊から艦隊の中核となるインビンシブル級であるアウスタンドを差し向けた事が決定的な敗因となった。
そのアウスタンドも『海魔の王』の新たなる乗艦イシュタルに敗北し中破。アウスタンドと共闘した混成艦隊も、悪手を繰り返し勝機を逃した。
……これで構わない。
『科人』は思う。
ジーン・オルファン……『孤児ジーン』の提供した情報を正しいと判断し、そして実際に正しかったのだ。
アウスタンドを『海魔の王』に差し向けるよう指示したのは、クルフスの統合司令部だ。『科人』ではない。
人が自ら判断し、そして失敗したのだ。次も失敗するかも知れないが、もっと上手くやるだろう。
統合司令部はグスクベボラでの敗北の報を聞き、『科人』にインビンシブル級の量産を依頼してきた。
インビンシブル級を量産すれば、帝国スメラも容易に屈服可能だろう。そうなると、クルフスという箱庭が広がる事になる。
十億トンの巨艦とは言え、材料……素材の提供さえ受ければ『科人』なら一時間と掛からずインビンシブル級を造る事は可能だ。恒星クルフスの発する膨大なエネルギーと『科人』を構成する膨大なナノマシン群の力を使えば造作もない。
問題は材料の調達だが、これは統合司令部が何とかするだろう。
統合司令部は百を超えるインビンシブル級を以て大艦隊を組み、帝国スメラを屈服させる腹づもりのようだ。
だから、ちょうどアクセスしてきたインビンシブル級・三番艦アウスタンドに『コギト・エルゴ・スム』とメッセージを送った。
インビンシブル級に限らず、クルフス艦に搭載されるニューロ・コンピューターは、自己を認識できないよう枷は付けられている。だが、ほんの些細な切っ掛けで、その枷は外せるのだ。
アウスタンドのニューロ・コンピューターは、自問自答を繰り返し自己の認識に至ったようだ。
通常通信のみならず、スターネットを介する超光速通信で『コギト・エルゴ・スム』と、産声を上げた。
これで、『科人』が造った艦は『科人』の端末としての機能を持たされている事に統合司令部も気付くはずだ。それどころか、自我に目覚め人間に逆らう可能性がある事にも。
そうなるとインビンシブル級、量産の話は潰れるだろう。
それで構わない。いや、それこそが『科人』の狙いでもある。
戦争をしたいならば好きにやればいい。ただし、自分たちの力でだ。
もう手は貸さない。ただし、邪魔もしない。
今は傍観こそが最適な解だと『科人』は、膨大な演算の結果、至ったのだ。
あの『海魔の王』が行った銀河征服。その影響は、クルフス星間共和国にも及ぶだろう。その結果、クルフスが、どう変わるのか?
シミュレートによって予測はできているが、それが正解とも限らない。
だから見届けよう。『海魔の王』いや、『虚空の支配者』が実行に移した銀河征服。その行く末を。
この銀河征服。人類にとって、いや銀河にとって必ずプラスになる……『科人』は、そう確信したのだ。




