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6・堕ちたる女神

 ミカサは、長くなってきた前髪を弄った。

 脱色を繰り返したせいで毛先が傷んできたし、そろそろ切ってしまいたい。この赤みがかった髪は、地の色ではない。

 かつての上官であり、伝説的な戦闘機乗りだった『神速の魔術師』その髪色を脱色で再現しているのだ。

 ミカサは、表情もなく周囲を監視する副長を横目で見る。

 綺麗な長い黒髪だ。ミカサも憧れるが、戦闘機乗りである以上、髪を伸ばす気はない。

 とは言え、副長は白兵戦のプロフェッショナルである海兵隊出身者であり、未だ前線に出張っている。だから、戦闘機乗りは、髪を伸ばさない事に対する口実に過ぎないという事をミカサ自身も自覚していた。

 副長が連れてきた子供に視線を向ける。海賊波止場で副長が敬礼していた少女で、まだ十代前半だ。副長の言葉から察し、船長の知り合いなのだろうが、この船に乗っているという事は、恐らく誘拐されたのだ。

 ミカサも誘拐されかけたが返り討ちにできた。その後、この船の連中が、この少女を標的にしたのだろう。という事は、自分で失敗した為に、より与し易い、この少女に標的に切り替えた、と。

 ……つまり、あたしのせいか。

 溜め息をつくと、ミカサはジャケットの下、脇に吊ったリボルバーを意識する。

 この船の連中を撃ち殺してやりたい衝動に駆られたが、それは副長が許さないだろう。この女は石頭で、船長に対し絶対の忠誠を誓っている。だから船長の指示には服従する。今回、人死には出すなと言われたため、この一件にも銃の使用にも制限をかけたのだ。

「アナタの名前は? アタシはミカサ。ミカサ・ソラ。ミカサは姓で、名前はソラね」

 まずは自分から名乗る事で、相手の警戒心を解く。

「ナルミ・ユウ……ナルミが姓でユウが名前……」

 少女の言葉に、ミカサは副長に視線を向け、そしてモニターに映るアスタロスを指さす。

「あの船の連中は、アタシを隊長とか中佐とかミカサさんなんて呼んでる。でもね、そこのアオちゃんも隊長なんて呼ばれる事あるし中佐は他にもいるしで、アタシの事は隊長や中佐と呼ばないようにね……呼ぶなら肩書きの頭にミカサをつけるか、もしくはクーちゃんとでも呼んで?」

 クーちゃんのクーは、ソラの音読みである。つまり、空と書くのだ。三笠空、それがミカサの本名なのだ。

「じゃあ、ミカサさんと呼ばせて貰います」

 少女……ナルミの言葉にミカサは笑った。

「アナタはユウちゃんがいい?」

「ナルミ……で、いいです……」

 自分の名前が嫌いなんだね……ミカサは心の中で呟いた。

「ミカサ中佐に、その子を任せてよろしいですか?」

 副長の言葉に、ミカサは溜め息をつく。船内での立場は、副長の方が上だが、階級自体はミカサの方が上なのだ。だからか副長はミカサに一歩引いて接してくれる。

 ……所属していた国家は違う上、軍の制度もかなり違っているんだけどね。

 そうミカサは心の中で愚痴る。

 副長は三等少佐で、ミカサは中佐なのだ。

 船長や副長の母国の軍は、兵の階級を廃し、士官・下士官の階級を、一等・二等・三等と更に三段階にしていた。だから一概に、ミカサの方が格上とは言えない。

「了解……せっかくだから副操縦席に座らせてあげるわ」

 副長率いる海兵隊員達が乱暴に、この船の船員達を連行してゆく。が、ナルミ自身は、それほど酷い待遇は受けずに済みそうである。

 少なくとも、この貨物船の連中よりは、アスタロスの乗員達の方が、よほど紳士的だ。それはミカサも良く知っている。

「……こんな事をやらかして、無事で済むと思うな」

 船長らしき男が、副長に向かって吐き捨てるように言うが、副長は意に介した様子はない。

 ……当たり前だ。この船のデータを調べてはいるが、この船を所有する麻薬組織も、アスタロスがあれば脅威にはならない。

 そもそも、アスタロスを追跡できる船など、人類圏全域でも数えるほどしかないはずだ。

「わたしは……帰れるんでしょうか?」

 ナルミのか細い声に、ミカサは考える。

 船は、天道中継点から離れつつある。現状から天道中継点に引き返した場合に消費される推進剤の量は、許容できる範囲を超えていた。

「すぐ帰れるかは、何とも言えないわね……」

 アスタロスとの合流地点を決め、それからミカサが送り届けても良いが、時間的なロスは馬鹿にできない。船長は、次の行動を既に決めているはずだ。となると、時間的な損失は受け入れられない……そう判断するだろう。

 だが、すぐは無理でも、ナルミは帰れるはずだ。

 船長は乗員が増えるのを嫌がるのだ。付け加えるなら、無責任な事も嫌がる。その辺にナルミを放り出してお終いなんて事は許さないだろう。

「ミカサ中佐。そろそろ帰還の為、ブラック・ホークまで戻ってください」

 副長の言葉に、ミカサはナルミへと視線を向けた。

「じゃ、ついてきて。たぶん……いや絶対に、普通の人が見る事のできない世界が見えると思う。せっかくだから、この状況を楽しんでみなさい?」

 我ながら無理を言っているとは思いつつ、ミカサはナルミに手を差し出した。その手を、ナルミは、そっと掴む。

『十秒後に、船内重力を停止します』

 船内放送で告げられ、そして五秒前からカウントダウンの電子音が響く。

 重力の無くなった船内を、ミカサはナルミを抱えて移動する。

 ……この子は無重力に慣れてるわね。

 ミカサに掴まり、荷物に徹しているナルミを抱えつつ、そう思った。

 下手に動くと重心がずれ、それで運動を制御できなくなり壁に激突……なんて事態もあるが、それをナルミは判っているのだろう。

 船内に興味があるのか、ナルミは首をしきりに動かしてはいるが、重心は、ほとんどずれていない。無重力状態に慣れた人間だが、筋肉の付き方は、重力下で生活している事を示している。

 ……一体何者なのやら。

 ミカサは内心ぼやく。

 船乗りの子供にしては、無重力下には不慣れだが、一般人とは明らかに一線を画している。それに船そのものには不慣れな気配だ。

 詮索するのは後でもできる。そう思い、ミカサは船体に穿たれた穴へと身を投じた。

 驚いたのか、ナルミは小さく声を上げた。

 穴の外側には、ブラック・ホークという機種名を与えられた大型機が取り付いていた。空気の漏出を防ぐ為、コックピットと穴は短いチューブで繋がれているのだ。

 穴は、もう一つ開けられており、そちらは、この機体の格納庫へと繋げられている。

「さて、全員乗ってる?」

 ナルミを服操縦席に座らせつつ、ミカサは声を掛ける。

『いつ出発しても問題ありません。なお、船内の気密保持は考慮しなくて良いとの船長からのお達しです』

 通信器越しの副長の言葉に、ミカサは溜め息をつく。

 ……ご立腹みたい。あの旦那、海賊なんて名乗っているけど、本当の海賊行為はこれが初めてなんだよね。おまけに、宇宙屋の仁義に関しては(こだわ)り持ってるみたいだし、そりゃ麻薬組織には、いい顔しないでしょ。

 船長の心情を察し、ミカサは苦笑いする。

『天道中継点、管制に捕捉されました……が、放置しても問題ありません』

 女の声が無線機越しに響く。アスタロスのオペレーター……ヒメの声だ。

 そりゃそうでしょ。

 ミカサは声に出さずぼやく。

 アスタロスの規模から察する事のできる戦闘力は、天道中継点が保有する軍事力、その三分の一に達する。積極的に相手なんかしたくはないだろう。それに距離もある為、すぐに駆けつける事もできない。

 そして中継点の一部の者たちは知っている。実際はアスタロス単体の戦闘力だけで、実際は天道中継点の総戦力、その数倍に達しているという事実を。

 コックピットのキャノピーを閉めると、ミカサはブラック・ホークを起動する。

 動力炉の中で、正物質と反物質が対消滅を起こす事によって発生する膨大なエネルギー。それがブラック・ホークに命を吹き込む。

 キャノピーが透き通り、真上には貨物船が見える。

 副操縦席から、ナルミがため息を漏らす気配。

 貨物船との距離が、僅かずつ離れてゆく。船体に穿たれた穴、そこから漏れ出す空気が船を押しているのだ。

 重力制御のみの機動で、ミカサも機体を船から離しアスタロスへと向かわせる。

 推進剤を消費する反動推進と比べれば、圧倒的に加速も悪く遅いが、この距離なら大して問題ではない。

 アスタロスの方からも、こちらへと近づいてきている。

「推進剤を抜く気?」

 アスタロスの推進剤が心許ないのは知っているが、この貨物船は約三百メートルであるのに対し、アスタロスは千二百メートルに達する。推進剤を奪っても、大して腹の足しにはならないだろう。

『ああ、気休めだけどな。その後『忘れられた中継点』で再度、推進剤を補給する』

 船長の言葉に、ミカサは、その考えを察した。……この人は、麻薬組織と一戦交える気なんだ、と。

 麻薬組織相手なら、略奪を働いても良心の呵責も少ない……そう言う事だろう。

「アスタロス号って……戦艦なの?」

 ナルミの言葉にミカサは我に返る。

「戦艦ね……イシュタル級のネームシップ。つまり一番艦として造られ、元の名前はイシュタル。バビロニアの女神様の名前ね。それを海賊に鞍替えするにあたり、アスタロスと改名した。アスタロスは女神イシュタルが、キリスト教によって悪魔とされた際の名前……つまり堕ちたる女神ってところかしら?」

 知られた所で問題ない情報なので、ナルミに説明してやった。

 女神イシュタルが悪魔に転ずる際、性別すら変えられてしまったが、船首を飾るのは女神像……つまり船長はアスタロスを女性として捉えているのだろう。

「少佐に中佐……乗ってる人は、みな軍人?」

「正しくは、元軍人ね。軍隊時代の階級で呼び合ってるだけ。だから、軍属ってワケじゃない」

 ミカサを含め、ごく一部は軍属だが、それを説明する気はない。

 アスタロスの船底へと回り込むと、開かれたハッチへと機体を滑り込ませる。

「中の人……宇宙服着てない……!」

 驚いたようにナルミは呟く。

「空気の漏出を防ぐ為の力場(フィールド)を張ってるのよ」

 ミカサは簡単に説明してやる。

 こんな事が可能な船を造れる国は、今のところ人類圏随一の造船技術を持つ帝国スメラぐらいなものだ。だが、アスタロスはスメラの船ではない。

 このアスタロスを造った国は、ミカサの母国より、百年は科学技術が進んでいた。そんな国ですら滅ぼされたのだ。

『これから宇宙は騒がしくなる』

 アスタロスに出向を命じられた際、上司から言われた言葉だ。

 この船で、最新の戦術を学び、母国へそれと伝える。それがミカサに与えられた使命だ。

 このアスタロスを造った国、サイレンは滅ぼされはした物の、その残党が人類圏の全域に散らばった。つまり、サイレンの持つ帝国と同等の技術が、人類圏のあちこちに拡散したと言っても良い。

 確かに宇宙は騒がしくなるだろう。

 その時、母国が出遅れないための布石、その一つがミカサの存在なのだ。

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