54・交戦
パラス・アテネの発した圧縮通信。
アスタロスを中継機代わりに使っての発信である。暗号化もされていなかった為、その内容はアスタロスに筒抜けだった。
『ここが命の捨て時だ。全艦、機動砲戦準備!』
パラス・アテネ艦長、スワ一等大佐の言葉を聞き、船長は呟いた。
「あの馬鹿が……」
大きく溜め息をつき、そして船長は頭を切り換える。
……鶴翼の陣は、ブラス准将の指示か?
声に出さず呟く。
スワ艦長は、指示された陣形と言った。つまり、あの陣形は親衛艦隊としても不本意なのだ。
「砲撃準備。ただし撃つな……まずは出方を窺う」
このアスタロスの火力を見せつけ、アルテミス級を下がらせる……そんな考えが頭を過ぎるが思い留まる。
そんな事をすれば、パラス・アテネに伏兵を与える事になる。指揮官として、勝機を逃すような手を打つわけにはいかない。
「アルテミス級……撃ってきました!」
散開したアルテミス級が、散発的な砲撃を行ってきた。が、アスタロスを守る障壁は破れない。
障壁に触れ、圧縮光子の奔流が拡散、減衰してゆく。
船体そのものに奔流が触れたわけではないが、アスタロスは重低音と共に振動する。が、先の集中砲火と比べれば、霧雨のような物だ。
「アルテミス級の砲撃は、あくまで牽制。本命はパラス・アテネだろうな」
船長は呟く。
一億トンに迫る巨艦、パラス・アテネ。その全光子砲を用いた一点集中砲火で、イシュタルの障壁を貫くつもりだろう。
実際、障壁を貫く事は可能だ。
先の集中砲火は、防御攪乱幕を使用して、なお障壁を貫かれた。
船の追加装甲たる女神像。空間装甲である居住区画。この二つを盾として、ようやく耐えたのだ。
その盾を失った今、パラス・アテネ一隻だけとしても、次の一斉射撃に耐えられるか妖しいところだ。
だから、一斉射撃をさせない。
その為には、防御にエネルギーを使わせ、一斉射撃の為のエネルギーを充填できない状況を作るしかない。
「親父殿、パラス・アテネへ砲撃を。一斉射撃に必要なエネルギーを充填させたら、アタシ達は詰む。だから防御にエネルギーを使わせ、充填させない事が大事」
イリヤも同じ結論に至ったようだ。
「よし、任せる」
だから任せた。
撃ち合いになったら、時間的な余裕はなくなる。指示を出す時間すら無くなりかねない。だからイリヤに一任する。
推進剤を温存するよう釘は刺した。イリヤなら言いつけに背くような戦い方はしないはずだ。
「了解!」
船長席を振り返り、イリヤは笑う。任せて貰えた事が嬉しいのだろう。
船長の胃がキリキリと痛む。
自分の娘……そのクローンに人殺しの指示を出したのだ。が、そうしなければ、このアスタロス一行は生き残れない。
……いっそ、降伏するか?
そんな考えが頭を過ぎる。
直後に、イリヤが砲撃を開始した……まるで、船長の退路を断つかのように。
アスタロスの主砲から、パラス・アテネへと圧縮光子が撃ち出される。四門、全ての主砲から放たれる一斉射撃である。
兆候を察し回避機動を取ったが、主砲を動かし追尾。そして、ついに圧縮光子の奔流がパラス・アテネを捉えた。
動力炉の発する、ほぼ全てのエネルギーを防御に割り振って、その奔流を防ぐ。
「一度の斉射で、この威力か……」
スワ艦長は呟いた。
完全にパラス・アテネを捉えていたら、無事では済まなかったはずだ。そして、アルテミス級では、薙ぎ払うような掃射にも耐えられないだろう。
「アルテミス級では、弾除けにすらなりませんね」
副長の言葉に、スワ艦長は決断する。
「全アルテミス級の乗員に次ぐ。艦をAI制御に切り替え脱出しろ。無人艦として突っ込ませ、このパラス・アテネが一斉射撃を行う為の時間を稼ぐ」
指示を出した直後に、イシュタルが二度目の砲撃を放ってくる。四門全てを用いた一斉射撃だ。
距離がある上、回避機動も取っている為、今回も直撃は避けられた。が、防御に食われてしまう為、エネルギーの充填に専念できない。おかげで一斉射撃を行える状態には、遅々として辿り着けないでいる。
スワ艦長は、歯ぎしりする。
……イシュタルはエネルギーの充填時間が恐ろしく短い。対消滅炉のレスポンスの良さは聞かされていたが、これ程とは。
だが、破損した船首両舷に据えられた巨大な二門の光子砲。その威力を考えれば、この充填時間の短さにも納得は行く。
砲としての規模が数十分の一なのだ。エネルギーの充填時間も、数十分の一程度まで短縮できてもおかしくはない。
そして、小さな艦体故に防御面積が狭くできる。
恐らく、あのイシュタルは、このパラス・アテネ以上に強固な障壁を張れるはずだ。その障壁を破るには、全光子砲を用いた一点集中砲火を直撃させるしかない。
そして砲を確実に当てたければ、できるだけ近づいてから撃つ、これ以外に無い。
だが、近づくほど回避は難しくなり、直撃を受けたら、このパラス・アテネですら危うい。……危険な賭となる。
だから、アルテミス級を時間稼ぎの捨て駒として使う。
相手はサイレン随一と言われた名将。『百戦無敗』にして『海魔の王』である。だが、完全に単独行動を取っていた。
取り巻きの部下はいるだろうが、間違いなく一隻のみでの行動である。サイレン再興など、もう考えていないのだろう。
が、先の銀河征服の宣言で、サイレン残党達が勢い付くはずだ。ここで取り逃がせば御輿として担ぎ上げられ、クルフスにとって大きな脅威となるだろう。
クルフスに帰順した身として、それは許容できない。
「牽制の為、副砲による砲撃を開始しろ。イシュタルの砲撃をパラス・アテネに引きつける」
効かなくとも構わない。
アルテミス級の乗員を脱出させる時間さえ稼げればよいのだ。
アルテミス級から無数の小型艇が離れてゆく。
パラス・アテネの一斉射撃、そのエネルギー充填時間を稼ぐ為の捨て駒として、無人化したアルテミス級を使う気なのだ。
「そのまま、突っ込ませれば良い物を……」
エスティーノ大佐は愚痴る。
脱出させずに突っ込ませれば、それだけ勝利が近くなる。結果、多数の戦死者を出すだろうが知った事ではない。
「サイレン将兵は優秀だ。その中でも、あの親衛艦隊は最精鋭と言える猛者達だ。こんな所で使い潰すな」
ブラス准将の叱責を、エスティーノ大佐は嗤う。
「散々、サイレン将兵達を疑い試しておきながら、貴方は一体、何を言っているので?」
「ああ、散々、疑い試した。その結果、あの親衛艦隊は、かつての主たる『海魔の王』を前にしてもクルフスを裏切らないと確信した」
確かにそうだろう。
あの親衛艦隊は、『血路を拓き、我らが屍を舗石とする』……つまり、ここで死んでみせると宣言したのだ。
ここでクルフスの為、命懸けで戦い忠誠を示し、同じくクルフスへ帰順した同胞達の覚悟を固めさせる、その契機となるつもりなのだ。
ならば、望み通り死なせてやればいい。確かに帰順したサイレン将兵の中でも屈指の猛者達だろうが、クルフス軍全体を見れば、失った所で取るに足らない損失でしかない。
そして、これを機に帰順したサイレン将兵の決意も固まるだろう。
「ならば、ここで使い捨てるも一興かと」
「馬鹿か貴様は。親衛艦隊の兵力だけでは、イシュタルを抑え切れるか妖しい。抑えきれなかった場合、我らが負ける可能性も出てくる……まだ遅くはない、フィアレスとセイント級を前に出せ」
ブラス准将の言葉に、エスティーノ大佐は考える。
確かに一理ある。だが、指揮権を凍結した准将の意見に従ったとあらば、自分の評価が下がる可能性もある。それは拙い。
何より、あのパラス・アテネはサイレン最強を謳われた戦艦だ。仮にイシュタルが勝ったとしても、無事では済まない。今以上に損傷、損耗し戦闘能力も低下するはずだ。
その状態ならば、このフィアレスが負ける道理はない。
何しろ、このフィアレスは、パラス・アテネと同等以上の戦闘力があるのだ。
「今の指揮官は私です……ですので、私のやり方でやります」
ブラス准将は慎重かつ臆病。そう評価していたので、自身の乗るフィアレスで挑むなどと言い出すとは思わなかった。
が、自棄になった。その程度にしかエスティーノ大佐は考えていない。
「当艦隊とイシュタルを結ぶ直線、そこから僅かに外れた場所に暗幕らしき熱源を幾つか確認」
その報告に、エスティーノ大佐は、モニターで所在を確認する。
慣性のみで直進しているようだ。おかげで、このフィアレスに正面を向けられず投影面積は、最大値の十分の一以下だ。
あんな狭い陰に隠せる物など知れている。恐らく、脱出艇でも隠しているのだろう。
あの陰に隠せる程度の艦艇では、空間跳躍などまず無理だ。ならば、イシュタルを沈めた後にでも確認、回収すればいい。
エスティーノ大佐はそう判断したが、ブラス准将は違うようだ。
「光子砲で吹き飛ばせ」
「イシュタルの乗員ならば生け捕りにしたい。後で回収しますので、今は放っておきましょう」
「伏兵の可能性もある。それに、この状況下だ。脱出艇なら白旗を掲げるだろうし身を隠す必要は無い」
更に言葉を続けようとするブラス准将に背を向ける。
『元』艦隊司令の言葉など、エスティーノ大佐には聞く価値もないのだ。
パラス・アテネへ向けて砲撃を続ける。
あのパラス・アテネは防御に徹している。もう、帰る事も放棄したのだろう。惜しげもなく推進剤を使い、回避機動を取っているため完全に捉えきれない。
そして、副砲による砲撃も開始した。
障壁だけで防御可能な威力だが、圧縮光子の奔流がアスタロスの照準を乱してくれる。
……おかげで、決定打が浴びせられない。
イリヤは唇を噛みしめる。
対しアスタロスは、空間跳躍の為、推進剤を温存している。
取り巻きのアルテミス級を後方に下がらせた……恐らく乗員を降ろし、特攻させる気だろう。
……パラス・アテネのエネルギー充填を邪魔するだけで手一杯。これって、ある意味、幸運かも。
かつての仲間を殺さずに済む。これは確かに幸運だろう。だが、相手の狙いが読めているのに、それを阻止できる余裕がない……これは拙い。
……この布陣相手じゃ勝てない。
イリヤは声に出さず呟く。
間もなく、後方へ下がったアルテミス級が突撃を仕掛けてくるだろう。そうなったら、流石に凌ぎきれない。
アルテミス級の相手をしている内に、パラス・アテネが充填を終え、一斉射撃を仕掛けてくるだろう。パラス・アテネのみに専念した場合も、その間にアルテミス級に間合いを詰められ、近距離から電加砲の砲撃や体当たりを喰らう事になる。
どう転んでも、勝てる未来が見えないのだ。
だが、怖くはない。船長も一緒なのだ。問題は、付き合わせるには多すぎるほどの者達が、このアスタロスに乗っている点だ。
「アルテミス級……加速。突っ込んできます!」
オペレーターのヒメの言葉を聞くまでもなく、状況は把握している。
突っ込んでくるアルテミス級は、デゴイ風船と暗幕をバラ撒きながら、その所在を欺瞞する。
「親父殿……」
覚悟を決めて?
そう言葉を続けようとする。
が、それを遮るように船長は言った。
「よし、勝った」
確信に満ちた言葉だった。
同時に船橋内の空気が軽くなる、物理的な意味ではなく精神的な意味で。
いや、船橋内だけではないだろう。
船橋内の遣り取り、その全てに聞き耳を立てていた者達の吸う空気が軽くなったはずだ。
だが、船長が何を以て勝利を確信したのかは判らない。
だからイリヤは問う。船長の真意を知る為に。
「勝った……?」
「まだ、勝ちが見えただけだ。気を抜いたら負けるぞ?」
船長の言葉と同時に、アスタロスへと向かってくるアルテミス級。その中央に、巨大な光の花が咲いた。
先行し、敵へと向かっていた航空隊。スーパー・ブラックホークが放った対消滅弾が炸裂したのだ。




