44・狙撃
アスタロスの制御は奪ったはずだった。
内部に侵入し、乗員たちの雑談すら拾える状況にまで踏み込めたのだ。あのアスタロスを、完全に乗っ取り制御下に置けたはずなのだ。
だが、乗り込んできた連中を、兵隊たち諸共にナノマシン稼働用のエネルギー波で焼き殺そうとした途端、アスタロスの制御どころか、このフォートレス・シックステクエイトの制御まで奪われた。
情報は拾える。だが、自らの意思を、この艦に一切、反映できないのだ。
「どうなっているっ!?」
ルーク少佐は狼狽し叫ぶ。
『どうもこうも、俺たちが、この要塞級の制御を奪ったって単にそれだけだよ?』
ガトー元帥の言葉である。
……有り得ないっ!
ルーク少佐は心の中で叫ぶ。
電脳のサポートを得られたからこそ、全知全能の支配者でいられた。電脳のサポートが当たり前だったからこそ、少佐は、その環境に馴染んでしまった。
意識するだけで必定な情報にアクセスできた。するべき事も、即座に判った。BMIにより、それが当たり前な環境に身を置いていたのだ。
それ故、BMIから切り離された現状に戸惑っている。
が、まだ諦めてはいない。
勝つ方法を……勝てないまでも、自分が死なず、この場を逃れる方法を必死に考えている。
長らく使っていなかった艦長室の通話機を手に取る。
「艦長のルークだ。通路に狙撃手を配置しろ……相手は『海魔の王』だ。捕らえる事が出来れば、連中に対するカードとして使える。何より、クルフス本国に対する大きな手土産となる」
指示を出しつつも、一つ引っかかることがあった。
あのガトーが、この艦長室まで出張ると口にした途端、愛人の女が慌てたようにガトーの元に向かったのだ。
しばし考え、そして結論を出す。愛人兼ボディーガードと言うわけだろう。
……軍の最上位階級。元帥の肩書きは伊達では無いか。
内心呟きつつ、ルーク少佐は策を練る。
このフォートレス・シックステクエイトの艦内にも死角はある。以前、その死角を突かれ殺され掛けたのだ。だから、そこを突かれないよう、立ち入りできないよう蓋をしたのだ。
だが、所詮は蓋だ。簡単に外すことはできる。
先程、通話機で指示を飛ばした相手は少佐の腹心である。
然るべき餌で釣り、自分に服従することで散々、甘味を味わってきたのだ。
ここで恩が売れるとは思っていないだろうが、自分が優秀で手放せない道具だとアピールする機会程度には認識しているはずだ。
『了解。例の死角を使います』
ルーク少佐に次ぐ立場にあるボイド中尉の声である。
サイレン・クルフス戦、その敗走時に回収した重戦闘艇の艇長だった男だ。そして、艦隊から脱落したように装い、逃げ出すよう唆したのも、このボイド中尉である。
……流石に判っているようだな。
ルーク少佐は呟くが、このボイド中尉の事など欠片も信用していない。
ガトーを仕留めた後は、寝首を掻かれないよう気を配る必要はある。が、それでもガトーよりは与し易い。
事が済んだ後、邪魔になるようなら始末してしまえばいい。このフォートレス・シックステクエイトの幹部連中は、そうやって始末したのだ。
だが、BMIから切り離され、自らの五感からしか情報を得られなくなったルーク少佐は、正しく状況を理解できてなどいない。
今まではBMIを介し、無意識に乗員の動向を監視し反乱の兆候などを察知していた……そう、無意識に。である。
無意識下の行動だったが故に、ルーク少佐は自らの置かれた状況。その拙さに気づけないで居るのだ。
笑いながら、斜め前を歩く副長を眺める。何故だか副長を怒らせるのが楽しいのだ。
ルーク少佐の居る艦長室までのルートは確保した。途中、誰も潜んでいないことも確認済みだ。記録を確認したところ、滅多に男を艦長室に近づけていない……あの少佐は、部下すら信用していなかったのだ。
……こりゃ、中継点の連中に少佐の処遇を委ねるべきか?
他人事のように考えつつも、艦長室へと向かう。
この要塞級を縦に貫く中央通路。その全長は五百メートルを超える。途中から照明が切れているらしく、その先まで見通すことは出来ない。
そして、ルーク少佐の居る艦長室は、明かりの付いている方向にある。
ハミルトンやケントら六人は通路の交差部分、その最終確認に出向いている。だから船長の側にいるのは副長だけだ。
「御機嫌ですね、船長?」
副長は足を止めて振り返る。
「副長は御機嫌斜めのようだけどな」
その副長を追い抜き、船長は言う。
互いの立ち位置を入れ替え、そして二人は歩きながら話を続ける。
「総大将、自ら敵地に踏み込むなど、正気の沙汰ではありません」
副長の言葉に、船長は押し殺した声で笑う。
「笑い事ではありません」
更に続く副長の言葉は、見事に聞き流した……妙な違和感を感じたのだ。
「正気でなくとも構わんが、副長は常に冷静でいてくれよ?」
だから足を止めて船長は振り返る。
「私は常に冷静です」
副長も足を止める。
普段より口数が多い。若干、冷静さを欠いている気配がある事に船長は気づいていた。が、周囲の警戒は怠っていない。
……その副長が気づいていないとなると、この違和感はなんだ?
副長の長い黒髪が、僅かながら靡いている。足を止めているにも関わらず、である。
それに気が付き、船長は違和感の正体に気づいた。
通路に、先程までは吹いていなかった風が吹いていたのだ。だが、ごく弱い風だ。
宇宙艦船は、船内の空気を循環させてはいるが一定方向に風が吹くようにはなっていない。だが、副長の髪の靡き方からして、風は常に一定に吹いている。
風が起こるとすれば、空気が漏れているか、意図的に風を起こしたかだ。
艦の中央近くで空気漏れの可能性はない。空気の状態はユーリが監視しているため、毒ガスも考えにくい。
……つまり、意図的な物ではなく、この風は二次的な物か。
そう判断し、船長は副長の背後……風下へと視線を向ける。
直後に小さな光が瞬いた。
「っ!」
考えるより先に身体が動いた。
時間が引き延ばされる。
副長を突き飛ばすと同時に、その反動で船長も後退した。
銃弾が空気を掻き分ける、強烈な風圧に叩かれる。
恐らく副長、その頭を狙ったのだろう。が、銃弾は副長の髪を掠めただけのようだ。それが通路を舞う、数十本の黒髪から確認できた。
僅かに遅れ、銃声が響いた。
そして引き延ばされた時間が元へ戻る。
後方で安全確認をしていたケントが、ライトで通路の先を照らす。突き当たりには、銃を持った二人の男。
それを確認すると同時に、副長は抜く手を見せぬ早撃ちで、ビッグ・ヴァイパーを二連射した。
「アイツ化け物かっ!?」
狙撃手は思わず叫ぶ。
射撃前に、こちらの存在に気づき回避行動を取った。それならば銃弾の回避も不思議ではない。不規則に動く相手に、遠くから銃弾を当てることは極めて難しいのだ。
だが、引き金を引いた直後にガトーが動いたのだ。
相手との距離は二百メートル強。この狙撃銃の初速は秒速にして九百メートル強。着弾まで、空気抵抗による減速を考えても着弾までコンマ三秒ほど
当然音よりも速く、銃声が届く頃には相手は銃弾を喰らっているはずだった。
銃火は確かに見えただろう。だが、それを銃火と認識し、即座に回避行動に移れるかは別問題だ。
ましてや、ガトーは自らの身を守るだけではなく、あのボディガードの女も守ったのだ。
「弾をバラ撒くぞ!」
フォローの為に控えていた相方が、そう言いつつ銃を構える。
長い一直線の通路だ。アサルト・ライフルで広範囲に弾をバラ撒けば、接近される前に相手を仕留めきることも可能だ。
そう思い、排莢しつつガトーと取り巻き連中に銃を向ける。
ライトによって目を眩まされているが弾のバラ撒きが目的だ。少しぐらい目を眩まされたところで問題はない。
ボディガードの女が腰の銃を抜き発砲した。立て続けの二連射である。
大口径の大型拳銃だ。あの銃身では弾道のブレも激しいだろう。この距離では、まず当たらない。
「当たるかよ!」
そう呟き、相方の射撃を待つ。連射を受け逃げ惑う連中に、狙撃銃での止めをくれてやるつもりだったのだ。
僅かに遅れ、銃声が耳へと届く。頬に飛沫が触れた感触があったが、集中していた彼は気にも留めなかった。
……何故、銃撃が始まらない?
その疑問が、彼の最後の思考となった。
副長の放った銃弾が、彼の頭を吹き飛ばしたのだ。
ライトで照らされていた二人。その頭が立て続けに弾け飛んだ。
下顎から上を無くした体から真っ赤な血が噴き出す。凄惨な光景だが、それで眉を顰める程、繊細な神経は持ち合わせてはいない。
この距離から標的を仕留めたのを見て、船長は思わず呟く。
「よく当てたな……」
ビッグ・ヴァイパーは、大型拳銃サイズの散弾銃である。銃身が短く集弾率は悪い。弾道のブレが激しい為、この距離では身体に当てることすら厳しいはずだ。
「光点照準の追尾弾頭です」
弾頭に組み込まれたカメラが、射撃の瞬間、レーザー・ポインターで照準されていた場所を記憶。そこへ向かって突っ込んでゆく弾頭である。星暦初期にあったレーザー誘導弾の発展系だ。
射出と同時に弾丸に組み込まれた翼が展開。弾道のブレを補正しつつ標的に向かってゆくのだ。
「ありゃ、弾道のブレを修正する程度の追尾能力しかなかったはずだぞ?」
小さな弾頭の為、それが精一杯なのだ。
「照準した場所を確実に撃ち抜く弾です。正しく照準さえすれば問題ありません」
事も無げに副長は言うが、相手との距離は二百メートル程あるだろう。
レーザー・ポインターで照準箇所を目視できるとは言え、あの一瞬で照準と射撃を両立できるなど、並の腕ではできない事だ。
「魔弾の射手だな……」
「魔弾たる光点記憶追尾弾があればこその成果です……申し訳ありません。狙撃手に気づけませんでした」
船長が気づけたのも偶然に近い。二人とも、気の緩みがあったのだ。
だが、もう互いに隙はない。
「俺のコートは障壁が張れる……が、副長は防具で銃弾に耐えるしかない。目の前で頭打ち抜かれて死なれたら、流石に寝覚めが悪い」
船長のコートは防弾仕様である。その上、重力慣性制御を応用した障壁を張り、銃弾を逸らすどころか静止させることすら出来る。
バッテリーの保ちを度外視するならば、一発のみなら対戦車ライフルの銃弾すらも障壁で『止める』事が出来るのだ。
あくまで試験用に作られたコートであるが為、不完全と言える部分も多い。が、個人用の装備で、これほど効果的な銃弾に対する防具は存在しない。
天道中継点の協力者。コサカ女史が率いる開発チームが作った、防弾コートの試作品である。
『この要塞級。他の要塞級と、若干ですが基本構造に違いがあるようです。ですが、その違いが構造図に反映されていません。実際は通路が長くなっており、監視に穴が開いていました』
その穴に狙撃手を配置した。そう言うことだろう。
「この要塞級。特殊な仕様の艦なのか?」
『いえ、ただの施工ミスでしょう。艦の性能や強度に影響が出ない箇所である為、放置されていたようです』
……なるほどな。
監視に穴が開くのが嫌で、あのルーク少佐は問題の場所に蓋でもしていたのだろう。その蓋を開けたが故に、空気の流れに変化が出たわけだ。
『ボス……ドン詰まりに部屋があった。でも、通路に蓋をして出入り出来ないようにしてあったようだ。あと、問題の部屋。壁に穴開けて入ったらしい』
現場の確認に走ったハミルトンの言葉である。
こんな部屋や監視の穴が幾つもあるとは思えない。蓋がしてあったとの言葉から察し、あのルーク少佐は猜疑心が強い。だから自らが把握できないような箇所があることが、我慢できないのだろう。
「船長。直前に狙撃場所に気づけたようですが、どうやって気づいたんですか?」
「風が吹いていた。風上は見通せたが風下は照明が消えて見通せない。だから風下へと視線を向けたワケだ……が、単に運が良かっただけだ」
壁に穴を開けたことで、気圧差によって風が生じたのだ。だが、気づけたのは運が良かったからだ。
こんな場所で、大事な自分の予備を失うわけにはいかない。
副長には、自分の後釜になって貰うつもりなのだ。
「風……ですか。僅かですが、確かに吹いていましたね」
ただ、それが副長には危険とは結びつかなかった。が、次からは対処できるだろう。
副長は、サラブレッドにして強化人間である。つまり、それができうる人間として造られたのだ。
船長自身の身は守れなくとも構わない。まずは自分の身を守る。副長本人が組織のトップに立てば、それも出来るようになるだろう。
組織の為の道具に徹しきれる人間。
気に入らないが、組織を自分の道具に使う人間よりマシだ。
だから、今のアスタロスに自分の後釜を安心して任せられる者は、副長しか居ない。




