39・『透』
……俺の体は鋼鉄製。
ハミルトンは、そう言い聞かせつつ一歩踏み出す。
肩まで水に浸かった状態で歩く……それ以上の抵抗を感じるが、すぐに抵抗はなくなった。動甲冑が体の動きを関知し、それに併せて動き出したためだ。
モーション・トレーサー……中の人間の動きを感知し、体を覆う動甲冑が動きを再現する。安全装置たるアンチ・フィードバック・システムが働いている限り、素人でも容易に扱える。
問題は、今は安全装置たるAFSが解除されている点だ。
動甲冑は、着る戦車とも称される動力付きの巨大な甲冑である。身長は二メートル半にも達し、その重量は優に一トンを超える。
生身の人間のように身軽に動けず、即座にも止まれない。着用者は次の動きに移ろうとしても、動甲冑は、組み込まれた動力機構を持ってしても動作を止めきれない……などという事態が頻発し、動甲冑に中の人間が振り回されるのだ。
結果、着用者に骨折や脱臼などの恐れが出てくる。
AFSは、その防止機構であるが即座に止まれる程度の速さでしか動けなくなる。これは機動兵器である動甲冑には致命的な弱点となるのだ。
だから、この動甲冑の特性を、完全に体で覚え込む必要があった。自分の体と同様に違和感なく動かすための訓練……同調訓練が必要となる。
今ハミルトンがやっているのは、その最後のすりあわせだ。同調訓練は受けていたが、定期的に訓練を継続しなければ機体との同調が保てなくなる。しばらく、同調訓練をしていなかったため、次の出撃では、自分が動甲冑を使用する事はない。
……海兵隊で使ってた鍾馗とは、ほぼ同じに扱えるな。
内心、呟くが、ソフトウエアで機体特性は似せてある。基本形が同じであるため、ソフトウエアで機体特性を似せる事は難しくはない。
鍾馗はサイレンの海兵隊が使っていた動甲冑だが、アスタロスには積まれていない……全て使い潰してしまったのだ。今、ハミルトンが着用している動甲冑はクルフス製の動甲冑である。
クルフスの漂着艦から回収され、天道中継点で研究・解析されていた機体をコサカ女史を介し譲って貰ったのだ。
この動甲冑は船長の独断により、キュクロプスという呼称が与えられている。
クルフスでの正式名称はサイクロプス・セブン。サイクロプスの名を冠した動甲冑、その七番目の型である。
いかにクルフスの機体とは言え、同じ呼称は使いたくない……そう言った考えから、名前をギリシャ語読みに改めたのだ。
その呼称の由来となるのは、頭部にある巨大な集合センサーである。
集合センサーが、一つの目玉のように見えるため、一つ目巨人……サイクロプスの呼称が与えられたのだ。
このキュクロプスを、ハミルトンは慎重に動かす。
機体は壊しても数時間で修理できるが、自分の身体は、そこまで短時間では治らない。ここで怪我をしては、今度の作戦に参加できなくなる……それだけは避けたい。
急な動きは避け、身体が柔らかくなるよう脱力させる。
忘れかけていた感覚が徐々に戻ってくる。このまま本格訓練に入りたいところだが、訓練のために動甲冑を着用したわけではないのだ。
アスタロスの格納庫へと巨大な瓶を運ぶ……単に、それだけの雑用である。
貨物用エレベータの中に入り、人の身の丈ほどもある高さの瓶を持ち上げる。
……ムチャクチャ重いじゃねーか!
内心、愚痴るが、ハミルトン自身が重いと感じたわけではない。動甲冑内部に表示される出力表示と気体の反応から重いと判断しただけである。
「中身の水は、現場でも入れられるだろ?」
『水入れて運んだ方が、早く親父殿に実演して貰える』
動甲冑内のスピーカー越しにイリヤの言葉。
「まあ、そりゃそうだが……オレが転けて瓶割っちまったら、遅れは洒落にならんぞ?」
そうは言いつつも、ハミルトンは慎重に瓶を持ち上げ、危なげなく運んでゆく。
そして格納庫の隅で待ち構える船長達の前に、そっと瓶を下ろした。
『水を溢さず動甲冑で運んで見せた……お見事と言っておこうか』
船長に褒められ、思わず嬉しくなる……が、それは声には出さない。
「で、親父殿。『透』の極意は教えて貰くれるんだろ?」
『俺が教えるのは打ち方だけだ。極意は身体で憶えろ』
そう言いつつ船長は、瓶に向かって無造作に掌打を放つ。直後に、水面に小さな水柱が立ち上がった。
堅く弾力性が皆無のセラミックス製の瓶。
振動で水面が波打つのではなく、水柱が立ち上がる……プラスチックのように柔軟性がある素材なら理解できるが、堅い素材で何故そんな事ができるのかが、ハミルトンには理解できなかった。
「これが……『透』?」
『打撃の衝撃を、表層ではなく内部に浸透させる。故に『透』と呼ぶ。鋼鉄の甲冑越しに、相手の心臓を止める事だってできる……とりあえずハミルトン、動甲冑から出てこい』
言われ、ハミルトンは慌てて動甲冑の膝を着く。背面を開き、そこから這い出すように動甲冑を脱いだ。
「まるで脱皮だな……」
スピーカー越しではない船長の言葉。その言葉にハミルトンは苦笑する。
「機体の強度を落とさないよう、出入り口は小さく……理には適ってるよ。メンテや清掃に難があるけどな。個人的にはコイツの方が安心感はある」
サイレンの動甲冑。鍾馗は、その前面が大きく開くのだ。キュクロプスは、乗る、もしくは潜り込むと言った着用方法を取るが、鍾馗は着るに近い。
脱着は容易だが、開閉部が多いため、耐久力ではキュクロプスに劣る。だが、基本的な性能は、鍾馗とキュクロプスは、ほぼ同等なのだ。
「私は鍾馗の方が、性に合ってますね……素早く脱げるので、AI制御された動甲冑との連携も即座に行えます」
脱ぎ捨てた動甲冑をAI制御で囮として使う。そんな使い捨てを前提とした戦術を海兵隊は多用したのだ。
「動甲冑の補充は、今のところ不可能と思ってくれ。クルフス製ってのは気に入らないが、このキュクロプスは現行機だ。良く手に入ったモンだとは思うよ」
副長の言葉に船長は言う……つまり、安易に使い捨てるな、そう言いたいのだ。
「武器弾薬の補給。船や兵器の整備……今の我々には、課題が山積みです」
無論、副長も理解している。だから船長の考えを知るべく、あえてカマ掛けとして使い捨てを仄めかしたのだ。
現在のアスタロスは、推進剤の補給も満足に受けられない有様である。こんな状況で、船長は銀河征服などと言う目標を掲げた。しかも、具体的な話など、未だ一言も口にしていない。
「ホント、どーしたモンかねぇ……」
無責任に船長は呟く。
……親父殿。何、言ってるんだよ?
ハミルトンは内心ぼやく。
問題は表面化していないものの、現在のアスタロスは色々と拙い状況だ。一度でも戦闘を行えば、その問題は表面化するだろう。
食料は船内設備で自給可能だが、武器弾薬に関しては補給に頼るしかない。そんな状況で、本心かはさておき、全くアテがないと宣言したのだ。
「今度の作戦で、一つの方針が出せるでしょう」
副長は落ち着いた声で言うが、一瞬だけ非難するような視線を船長へと向けていたのをハミルトンは見逃さなかった。
……ボスは親父殿のフォローに回った。つまり、一対一で込み入った話はしてないって事か。で、親父殿も、ボスに探りを入れた。
逃げ場のない多数の視線の中、副長は船長に探りを入れた。つまり一対一の条件下では、込み入った話になる前に逃げられていた。そうハミルトンは判断したのだ。そして、船長も、副長の反応を見極めるべく、あえて失言をして見せた、と。
だが、船長は何も気づいていない様子で、楽しげに瓶を見つめる。
……水面下でボスと腹の探り合いやってるのに役者だな。
内心そう思うが、船長はサイレン随一と呼ばれた名将である。別段、不思議では無いとも思えるのだ。
「さて……『透』を乗せた究極の打撃が『真・二打不要』だ。が、まずは普通に『透』を打てるようになってからだな」
そう言いつつ、船長は瓶から数歩離れ、そして勢いよく瓶に向かって踏み込んだ。
踏み込みの際の足音で、格納庫内の空気が震える。そして船長の放った掌打が瓶を捉えると同時に、その中央から大きな水柱が立ち上がった。
新古流における打撃。その究極の形と言える大技……奥義『真・二打不要』である。
「凄げぇ……」
思わず声が出た。
船長と副長。その水面下で行われていた腹の探り合いの事など、意識の彼方へ飛んで行ってしまった。
「瓶の中に細工があるんじゃ?」
海兵隊のケントが声を上げるが、ジンナイが瓶に向かって繰り出した掌打を見て黙る。
ジンナイの掌打でも、水柱が立ち上がったのだ。
「この船で『透』が打てるのは、今のところ俺とジンナイだ……ジンナイも俺と同じ事ができるから『透』の事はジンナイに聞いてくれ」
言外に、ジンナイも『真・二打不要』が打てると宣言したわけだ。
あの、海兵隊で格闘戦では最強と目されていたボルト。そのボルトを一撃で倒した大技をジンナイも使える、そう宣言したわけである。
「切り札の存在は秘匿せよ……以前、閣下が教えてくれた事ですが?」
「最終的な勝利。そのためには手段を選ぶな……そうも教えたぞ?」
ジンナイに船長。どちらも楽しげだ。
船長とジンナイの付き合いは長い。だから、あの遣り取りは納得できる。その輪の中に、副長も入りつつある。
だが、自分は今のところ入れそうもない。
そう思うと、無性に悔しくなる。
腹立ち紛れに瓶に向かって掌打を放つ。
何気ない一撃ではあったが、小さな水柱が瓶の中央から立ち上がった。
新古流の奥義『透』が自分にも打てたのだ。
「それが『透』だ……今の感覚を忘れるな。で、瓶は固定し水を抜いておけ。あと三十分で空間跳躍に突入する」
「ちょっ、親父殿。もう少し練習させてくれよ!」
空間跳躍突入までの僅かな時間。それを利用しての技の披露……事前に聞かされ承知してはいたが、いざ自分が『透』を打てたとなると、技術の固定のため反復練習をしたくなる。
「拳や腕を痛めかねない。次の作戦が終了し、安全が確保されるまで、お預けだ」
船長に言われ、ハミルトンは折れる。折れるしかない……師であり、父親でもある男の言葉なのだ。
「……承知」
渋々折れた。その気持ちが言葉に滲むが構わない。
直後に拳が振るわれた。
指の付け根を掠らせる、痛みを与える事に特化した一撃である。
「船長の言葉に不満を持つな……黙って従え」
どこか不機嫌な、副長の言葉である。
前回は負けた物の、素手という縛りなら自分は副長と互角以上に戦える。その事実を思い出し、ハミルトンは気が付いた。
副長は『透』を打てないと言う事に、である。
その不機嫌の理由、それに気づいたハミルトンは苦笑した……本気で痛かったのだ。
だが、気分は悪くない。
この点に関し、自分は、ハミルトンは、副長より船長の近くにいる、それを実感できたのだから。
船内時間において、あと三十分ほどで空間跳躍に突入である。




