36・決着
……アオちゃん。早々に旦那のペースに乗せられたわね?
中継映像を眺めつつミカサは思う。
まずは、小手調べを。そう考えたのだろうが、副長が本気を出す前に武器を奪われてしまった。
おまけに、賭の件もはぐらかされた。
もっとも、突っぱねられなかった事からも『脈あり』と考えて良いのかも知れない。
「さて、アオちゃんは、どう動く?」
「閣下の動きを見て、後の先を取る……私は、そう読みますね」
ミカサの呟きにジンナイが反応する。
その言葉に、ミカサはジンナイも『新古流』という、船長や副長と同じ流派である事を思い出した。
だから問うてみる。
「大佐殿や旦那の使う武術って、どんな武術なの? 日本武術の流れを汲んでいる事は、足運びからも判るけどさ」
同足……右手と右足、左手と左足を一緒に動かす歩法で、いわゆる難波歩きである。これが日本武術独特の足運びなのだ。
「帝国スメラで興ったオルミヤ流合気柔術……これに中国拳法の打撃技を取り込み、そして武器も扱う総合武術へと発展させた物ですね」
オルミヤの名はミカサも知っている。
帝国スメラの第四代皇帝が退位後、皇室からの離脱を宣言しオルミヤの姓を名乗り大公爵となった。
そのオルミヤの名を冠した武術となると……
「大公爵家の人間が、その合気柔術の開祖?」
「三代目の大公爵が開祖ですね……おや、副長が先に動きましたか」
副長が腕を振りかぶるような動作。その手に握られているのは、伸縮式の特殊警棒。
素手の勝負になるかと思いきや、副長が仕込み武器を使ったようだ。
ただ不意打ちではない。あえて予備動作を大きく取り、相手に準備時間を与えている。
「旦那……何本、警棒持ってるのよ?」
船長のコート。その袖口から飛びだした警棒を見て、ミカサは呆れたように呟く。
副長の一撃を捌くと、船長は間合いを取りつつ、空いた左手で抜く手を見せぬ早撃ちを見舞う……が、副長は事も無げに銃弾を避けた。
「船長も副長も……あと大佐殿やハミルトン大尉も、銃弾が発射される前に回避行動を取ってる」
「ミカサ中佐もですよ?」
ウィルの言葉にジンナイが付け足す。
確かにミカサも、射撃の兆候を読み取り回避行動を取ってはいたが『何となく』と言ったレベルでの回避でしかない。船長たち新古流の使い手のように、体系化した技術で射撃の兆候を読み取っているわけではないのだ。
だからウィルやナルミから向けられた視線を、曖昧に笑って誤魔化しておく。
『ペイント弾は、弾速が遅いので、やりにくいですね』
映像の中、副長が、ぼやくように言う。
回避に移る一瞬前、警棒が迷うように動いたのは、銃弾を警棒で止めたかったのだろう。副長には、それが可能なはずだ。
このアスタロスで一般的な拳銃弾は357マグナム弾である。その初速は秒速にして四百メートルを軽く超える。対しペイント弾の初速は百メートルほど。数分の一以下で反動も小さい。
「同感。凄く扱いづらい……」
だから、思わず同意してしまう。
おかげで通常弾のつもりで扱ったミカサは、狙い通りに連射が行えなかった。反動を抑え込むための動作が、逆に銃口を暴れさせたのだ。
結果、弾は盛大にバラけた……実弾だったなら、最低でも一人は仕留められたはずだ。
『遊んで頂けるのでは無かったので?』
『遊んでやるさ……オモチャ遊びなら、俺も手持ちのオモチャを使わせて貰う』
……なるほど。旦那は剣の勝負を避けたい。アオちゃんは素手の勝負を避けたいって、そんなトコロかしら?
数秒ほど睨み合った後、副長は溜め息を吐いて警棒を捨てる。どうやら、船長に合わせるしかないと諦めたようだ。
『では、胸を借ります』
言葉と同時に副長は動く。
素早く間合いを詰め、最小の動きで掌打を繰り出す。
……剣術使いゆえに、指や拳を痛めかねない打撃は避ける、か。
ミカサは内心呟く。
当のミカサも、拳は滅多に使わない。副長同様、掌打が中心だ。指や拳を痛めては機体の操縦に支障が出るのだ。
副長の打撃にあわせ、船長も踏み込んだ。
重心を乱す事で、相手を投げる合気道式の技である。
次の瞬間、副長の身体が宙に舞っていた……が、腑に落ちない。意図的に投げられに行ったように見えたのだ。
それを示すかのように、投げられたはずの副長は船長の背後に着地する。
「掴まれまいと逃げましたね……」
ジンナイは呟く。
……成る程。柔道でも掴まず投げ飛ばした場合、身の軽い相手は膝立ちぐらい、やってみせるからね。
投げ技を決めるためには、相手の動きを封ずる意味でも、身体を掴む必要があるのだ。だから技を不完全にするべく、副長は自ら飛んだのだ。
が、副長の狙いなど、船長は、お見通しだったようだ。
身体を大きく回転させての回し蹴りを副長へと見舞う。
着地をした直後の副長には、手で受け止めるだけで精一杯のようだ。
いや、単に受け止めただけではない。身体を宙へ浮かし衝撃を逃がしている。そして後転で勢いを殺しつつ、間合いを取った。
まだ、勝負の行方は見えない。
一瞬の躊躇の後、拳を握る。
掌打では、圧倒的にリーチが足りないのだ。拳を痛めるリスクより、掌打より広い間合いの利を選んだ。
身体を掴まれては、そのまま投げられるか転がされ、止めに繋がれる。勝機があるとすれば、打ち合いぐらいだ。
幸い体格差は、さほど無い。男女の性差もあり、船長の方が肩幅が広く、気持ち背が高い程度。強化人間である分、力では劣っていない。
純粋な打ち合いに持って行ければ、技術や経験の差は身体能力で埋められるのだ。何より、新古流は打ち合いを重視していない。打ち合いのみに限定すれば、技術の差はないだろう。
跳ねるようなフットワークで間合いを詰め、そして立て続けに拳を繰り出す。
防御されるのは想定内だ。
当てる必要は無い。持久戦を仕掛け、船長のスタミナ切れを待つのだ。単純な持久力だけなら、強化人間たる自分が、神経加速のみの船長に負ける道理はない。
船長は、露骨に嫌がっている。
そもそも新古流は、動と静の区切りが明確な武術だ。ボクシングのように、ひっきりなしに動き回る戦い方は『試合』という形式では、まず無い。
だから、明らかにペースが乱されているのだ。
「コートを脱ぎますか?」
船長に、一息付かせるため一旦、間合いを取る。
数回深呼吸した後、船長は口を開いた。
「いや、脱がない。俺はコイツで体重を稼いでるんだ」
その言葉に、副長はようやく合点がいった。船長が無駄に思い防弾コートを常時着ている理由について。
強化人間である副長は筋肉組織や骨密度が高いため、見た目に反し体重は重い。対し船長は、見た目どおりの体重である。
そして、一対一の格闘戦に置いては、筋力のみならず体の重さが有利に働く。
打撃には、体重が乗せられる。つまり体重が重いほど、威力のある一撃が乗せられるのだ。その上、重い体重故に投げ技に対しても踏ん張りが利く。
「成る程。信用されていないから防弾コートを……とは思ってませんでしたが、てっきり大リーガー養成ギブスの代わりに着ているのかと」
普段から防弾コートを着ているが、船長は船内では隙だらけだ。その気があれば、簡単に命は取れる。だから、副長は船長から離れたくない。
船長に死なれては困るのだ。アスタロス一行を纏め上げるだけならともかく、人類圏の各地に散ったサイレン残党。その残党達を導く事は、船長にしかできない。
だからこそ、天道中継点で船長が姿を眩ました際、必死になって探したわけだ。
副長の言葉に船長は怪訝な顔をする。
「副長……大リーガー養成ギブスなんて言葉、何処で憶えたんだ?」
「……女には秘密が多いんです」
そう答えつつ、攻撃を再開する。
船長は、副長の繰り出す拳を、悉く捌いてみせる……が、それでも副長が押していた。
新古流格闘術は乱打を苦手とする。だから、その苦手な乱打でもって、押し切るつもりなのだ。どうやら、上手く行きそうである。
……右腕には、もう仕込みはない。が、左腕には、何か仕込んでる?
拳を捌かれる際に当たった堅い感触。そこから察したのだ。
その左腕が副長に向けられる。
……銃か警棒か。
そう副長が身構えた途端、船長に内懐へと踏み込まれた。
仕込み武器の存在を示す事で、それをフェイントとして使ったのだ。
腹に船長の手が触れたと思った瞬間、副長の身体が宙に浮いていた。すさまじい力で、押し飛ばされたのだ。
が、後ろには通路が続いている。壁に当たる事もなく足から着地した。
「新古流・奥義『寸当て』……あのブルース・リーが使ったワンインチ・パンチと基本は同じだ」大きく息を吐くと、船長は楽しげに言葉を続ける。「手の内を晒さず遊ぼうかと思ったが、手持ちのカードを全部使った方が楽しめそうだ。だから本気を出すぞ?」
……あのブルース・リーって誰ですか?
そう問いたくなるのを、副長は堪える。ブルース・リーを知らずとも、船長の言わんとする事は理解できるのだ。
『寸当て』は、速度自体は知れているため打撃としての威力は低い。が、トータルで紡ぎ出される力は、同じく奥義である『二打不要』にも匹敵する。
いずれも、全身を用いて効率的に力を紡ぎ出す、この一点では同じなのだ。
「船長なら、壁に向けて『寸当て』を放つ事もできたのでは?」
壁に向けて『寸当て』を打ち込まれたら、力を逃がす事ができなくなる。壁で逃げ道が塞がれるため『寸当て』の力が余すところ無く身体に伝わるのだ……内臓破裂は必至だろう。
「それじゃ、遊びにならないだろ?」
つまり、船長は本気で遊んでくれる気になったわけで、本気の勝負をする気は無い……せずとも勝てる。そう言いたいのだろう。
……だとすれば自分は、どう足掻いても船長に勝てない。
……アオちゃん。旦那に呑まれたわね。
船長と言葉を交わした途端、副長の気配が変わったのだ。
先程までの副長は、船長に勝てる気でいた。が、今は違う。
何とか優勢に持って行けたと思ったら、まだ船長は本気を出していなかった……そう言われ、萎縮してしまったのだ。
船長は本気を出していない……ミカサの見立てでは、ある意味正しくある意味間違っている。
最初から船長は本気だった。ただ今は、本気で勝つ気になっただけだ。本気で勝つため、副長に心理戦を仕掛けている。
船長の方が芸達者だか、技の切れ自体に差はない。剣技だけなら、副長の方が秀でているとすら言える。
その剣技での勝負から逃げられ、素手での格闘戦……ボクシングのような打ち合いに持って行ければ押し勝てただろうが、船長のハッタリに呑まれたのだ。
いや、一概にハッタリとも言えない。
『寸当て』を用い、副長を壁とサンドイッチにすれば、そこで勝負は付いていた。それが可能な状態で、あえて通路の先に押し飛ばす方向で『寸当て』を放ったのだ。
さすがに本当に技を決めるわけにはいかないが、船長なら直前で技を外す事もでるはずだ。そして副長も、それを理解できる技量がある。だから、負けを認めただろう。
だが、それをしなかった。
主導権を握った船長が、あえて勝敗を先送りした。それも『遊ぶ』ために。
この事態に、副長は平静さを欠いてしまった……だから呑まれたのだ。船長の仕掛けた心理戦……その術中に填ってしまったわけだ。
副長は仕掛けるが、先程までの技の切れはない。
あっさり捌かれ、副長の身体が宙に舞った。相手の力を利用する合気柔術の投げ技である。
腕を掴む事で受け身を封じる事もできたが、船長はあえて掴まず投げたようだ。
だから副長は、膝立ちで着地する。
直後に、船長が重い蹴りを見舞った。
咄嗟に防御た物の、副長は蹴り飛ばされ転がる……転がる事で衝撃を逃がしたのだ。
「こりゃ、旦那の勝ちね……」
呑まれなければ副長が勝っただろう。だが呑まれた。
二代目当主が本気を出す……そう宣言した事で。
「いや、私は副長が勝つと思いますよ? ……もしくは引き分け」
ジンナイは楽しげに言う。
だが、ミカサには、そうは思えない。気合い負けしている手前、副長には、もう勝ち目はないはずだ。
「大佐殿の予想って、さっきは外れたじゃん」
「いや、副長の足下には、木刀や銃が転がってる」
ウィルの言葉にナルミが応える。
言われてミカサも気づく。
船長は、あえて副長を武器のある場所へと誘導したわけだ。だが、副長は、武器を拾おうとはしない。
武術家としての、意地だろう。
『これじゃ、俺が勝っちまうぞ?』
そう言いつつ、船長は副長へ向かって左腕を突き出す。
二人の間合いは数メートルほど。手を伸ばして届く距離ではない。とすれば、船長の行動はコートの袖に仕込んだ銃の準備動作だ。
副長も、その動作には気づいたようだ。だから足で拳銃を蹴り上げつつ腕を伸ばす。
まるで魔法のように、蹴り上げられた銃が副長の手に収まる。
と、同時に二人が発砲した。
ユーリは、二人に死亡判定を表示した。が、ペイント弾が当たったのは副長だけだ。
胸に青い塗料……その飛沫は、副長の顔も汚している。
そして副長の放った弾は、船長の頭を掠め、遙か後方の天井に着弾していた。
「引き金引いてから銃口逸らしたわね……」
ミカサは、咄嗟に副長が銃口を逸らした事に気づいていた。ジンナイも気づいているだろう。
有事の軍人故に、咄嗟に相手の眉間を狙ってしまったわけだ。それに気づき、副長は慌てて銃口を逸らした、と。
『船長の勝ちです』
『副長の着てるボディ・アーマーは、357マグナムでも貫けないよ……それに副長は銃で俺の眉間を捉えていた……だから副長の勝ちだ』
『でも当たってません』
『咄嗟に外したからな』
咄嗟に外す……並の技量でできる事ではない。
船長は諦めたかのように息を吐いた。
『では、引き分けとしておくか……』
『私の判定では、最初から引き分けです』
抗議するかのようにユーリが口を挟む。
その言葉に、副長は吹き出した。
『解りました……引き分けで手を打ちましょう』
かくして、今回の模擬戦の勝敗は、双方の大将同士の一騎討ちに縺れ込んだあげく、引き分けという結果に終わったわけである。




