33・王手
通路には青い塗料が飛び散った痕跡。そして男子トイレへと続く足跡。コンバット・ブーツの足跡で、海兵隊以外は、この靴を使っていない。
「ハミルトンが殺られた?」
副長は呟く。
そう考えるのが妥当だろう。が、船長が、こんな派手な方法でハミルトンを仕留めるかという件には疑問が生じる。
撃ち合いをしたような形跡はない。塗料の飛び散り方からして、爆発物を模したペイント弾だろうが、ブービー・トラップを仕掛けたらしい痕跡もない。
『イリヤ大尉の作戦勝ちですね……ハミルトン大尉は、現在トイレに行っています。気が抜けたら、催してきたと』
船長ではなくイリヤがハミルトンを仕留めた。それなら、この状況も納得だ。
「舐めてかかった結果、罠に嵌った……そんなところか」
「訓練だと死体が動き回るのが厄介ですね」
副長の言葉に、ボルトは愚痴るように言う。
問題の死体がないため、ハミルトンがどのように殺られたのか推察できない。そう言いたいのだろう。
「銃を使用した形跡は一回だけで、銃でハミルトンがイリヤ大尉に遅れを取る事はない……格闘戦を仕掛けたら罠に嵌められた。そんなところだろう」
ユーリの言葉からも、イリヤにハミルトンが殺られた事は確実だ。
二人の実力差を考えると、まともに勝負したらイリヤは勝てない。小細工を弄し、イリヤはハミルトンを倒した。そこまで判れば十分である。
それで、警戒すべき事柄は絞り込めるのだ。
そもそも、まともに勝負して自分が勝てるとは思っていなかった。
一旦、退きつつイリヤは考える。
……だから小細工を弄したまでだ。それに、実力差を埋めるべく親父殿も手を打ってくれた。
それに乗れたがゆえの勝利である。
「次からは勝てないわね……」
呟き、通路に置いてきた予備の義手を取り付ける……いや、正しくは、こちらが本来の義手である。
さすがに自爆装置や伸縮機能などを盛り込んだ義手なんか身につけたくはない。が、この義手にも銃が仕込んである……ただ、装弾するのは、試射以来これが初めてだ。
……あと、一人ぐらい行ける?
上手く相手を油断させれば、もう一人ぐらい行けるかも知れない。
「腕、再生してなかったのか?」
唐突な船長の声。直後に、船長の姿が現れる。
先程、自分が使ったのと同じ偽装装置を船長も使ったのだ。
「この腕じゃないと、昔、親父殿から貰った銃が使えない」
義手ゆえに、状況に応じ指の長さが変えられるのだ。この銃を扱うときだけ、指を長くしている。
アスタロスの前に乗っていたパラス・アテネ。そのパラス・アテネに乗り込む前に、イリヤは船長と会っていた。
要塞にクルフスの無人兵器が突入。その脱出の際、大口径コイルガンによって左腕を失ったイリヤに、自決用にと手渡した銃だ。
旧型軍用拳銃であるナンブ十式。刻まれた登録番号は、末尾が1で頭に向かい0が五つ並ぶ。
きりの良い数字は、お守りになる。持っとけ……一命を取り留め、後に銃を返しに行ったイリヤに、当時の船長は、そう言ったのだ。
「オマエは右利きだろうに……」
試験管ベイビーは、ほぼ全てが右利きとして産まれてくる……これは常識である。
左利きは母胎の中でイレギュラーが生じない限り産まれない。そのイレギュラーが、人工子宮では完全排除されるのだ。
「銃は左手でも同じに扱えるようになった」
義手である左手でなければ、この銃は大きすぎて扱えない。だから左手で使いこなせるよう練習したのだ。
それともう一つ。
パラス・アテネに乗り込んでから知った事だが、船長の娘……自分のオリジナルは、船長同様、左利きだったのだ。
船長は溜め息を吐く。
何に対する溜め息なのか、イリヤは知りたい……でも聞けない。
「ハミルトンを倒しただけでも大金星だ。が、この流れじゃ負けは確定……サクッと負けてくるから下がってろ」
先に進もうとする船長。そのコートをイリヤは掴んで引き留める。
「親父殿は総大将。総大将自ら戦うなんて間違ってる」
「艦隊指揮の時は、俺の乗った艦も前線に出て艦隊の一翼を担ってたぞ?」
司令自ら前線に出る。それゆえ艦隊の士気は高かった。
「今回は引っ込んでた。だから、厨房長とアタシは秘策があると思ってた……無いとは言わせない。無くても勝つため全力を尽くしなさい!」
船長に対して言って良い言葉ではない。付け加えるなら、そもそもこの模擬戦。船長自身は後方から動く気など無かったようである。だから、ほとんど指示を出していない。
船長が招集以外の指示を出さなかったため、次席であるジンナイも、それに倣った。結果、各々が好き勝手に動き、海兵隊に各個撃破されてしまったわけだ。
「秘策ね……策の一環として、この模擬戦を承認したわけだが、模擬戦自体は無策で臨んでたな」
策……船長は、そうは言ったが、実際、そんなご大層な物でも無いだろう。
海兵隊の正確な戦闘力と、防御側の白兵戦能力の把握が目的だ。あとは乗員のガス抜き。
海兵隊も航空隊も暴れたがっていた。
だから実戦でやり過ぎないよう、事前に模擬戦をしガス抜きをしておこう……そういう考えだとイリヤは認識している。
「ヴァナヘイム要塞、その放棄の撤退戦。親父殿が素手でクルフスの装甲兵を倒したのをアタシは憶えてる……海兵隊屈指の実力者であるハミルトンを手玉に取ったし腕は確か。一対一の状況を、お膳立てしてあげる。親父殿だって、暴れたいんでしょ?」
「身体が鈍ってるから、暴れたら全身筋肉痛だよ……」
船長の愚痴に、イリヤは笑う。
「そしたら、マッサージしてあげる」
大きな溜め息を吐き、船長は笑った。
「ああ、頼むよ……あと、勝たなくて良い。一分だけ時間を稼げ……怪我するなよ?」
一分だけ時間を稼げ。その言葉にイリヤは笑う。
船長から、その言葉を引き出しただけでも大きな収穫だ。
指揮官たる者、容易く言葉を覆したりはしない。だから本気で勝つつもりになった……そう思ったのだ。
……とにかく時間を稼げばいいなら、簡単だ。
相手は副長とボルトだ。あの二人なら、時間稼ぎに付き合わせる事ができる。
拳銃の安全装置を解除し、そして薬室に弾を装弾する。
通路の真ん中で待ち構える。実戦ならともかく、これは訓練だ。だから、いきなり発砲はないだろう。
何より、副長も船長と遊びたいのだ。
……でも、簡単に遊ばせてやる気は無いよ?
心の中で呟きつつ、イリヤはヴァナヘイム要塞での出来事を思い出す。
装甲兵……装甲宇宙服を纏ったクルフスの海兵隊員。その装甲兵を船長が素手で倒す様を、イリヤは薄れゆく視界で捉えていた。
胸に打ち込まれた掌打。一瞬遅れて、装甲兵の顔を覆うヘルメットのシールドが、血で真っ赤に染まった。
奥義『真・二打不要』……後にジンナイから、技の名前だけ教えて貰った。打撃を身体の内側に浸透させ、内側から揺さぶり破壊する技なのだそうだ。
装甲兵を倒した船長は無表情にイリヤに視線を向け、そして銃を向けた。
大口径コイルガンの直撃で左手を失い、腹には大穴を空けられ腸が飛び出している。ショック死できないように造られた強化人間だから即死できずにいただけで既に死に体だ。
だから止めを……そう考えたのだろう。
当時、痛覚は完全に麻痺していたが、出血に伴う体温低下で耐えられない寒さを感じていた。だから、止めは臨むところだった。
あの時の船長は撃鉄を起こし、だが撃たずに撃鉄を戻すと銃をイリヤに手渡した。耐えられなければ自決に使えと。
そして船長はイリヤを抱え駆け出した。
イリヤの記憶は、そこまでである。次に気が付いたときは、再生槽から出された後だ。
短時間で再生槽を空けるため、再生不良を起こした左腕は、そのままにした事と、右手に銃をきつく握りしめていたため銃を取り上げるのに苦労した。そう軍医から愚痴混じりに聞かされた。
そして銃は傍らにあった。ナンブ十式……戦争が本格化した頃に採用された軍用拳銃。登録番号から察し、量産化、第一号の銃である。
左手を失った事は、どうでも良かった。ただ、銃を無くさず持っていた事が嬉しかった。
足音が聞こえる。
二人の足音で、一人の歩幅はずいぶん広い。副長とボルトが連んで歩いてくるのだ。
話を通せば、副長やボルトは一対一に付き合ってくれるはずだ。
だから、そこに付け込ませて貰うまでだ。
通路の真ん中でイリヤが待ち構えていた。
ヘルメットは被っていないが、それはお互い様だ。だから咎めはしない。
後に従うボルトに、待て、と手で合図を送ると、副長は一人イリヤに近づく。
「不用心に近づき過ぎじゃない?」
イリヤの言葉に、副長は足を止める。
「まずは光の礫が飛んでくる。それを躱せば、一瞬遅れて銃弾が通り過ぎてゆく」
その言葉を言い終えた直後、イリヤから光の礫が放たれる……発砲の兆候である。
が、読めていれば避ける事も難しくない。
「一分だけ付き合って。それだけ稼げば、親父殿が勝つための布石を打ってくれる」
勝つための布石。
大がかりな重火器の使用は禁止されている。それに防御側が使える武器など拳銃程度。それを使っての罠は考えにくい。ブービー・トラップも考えられるが、一分程度で何ができることやら。
状況的に船長が勝利するには、一対一での勝負に持ち込むしかないはずだ。
それ以外の手があるなら、後学のため引っかかってみるのも有りかも知れない。
「武器は使わない。ボルトには勝負が付くまで手を出させない……その一分、稼いでみなさい?」
……えらそうな事を言っているけど、イリヤ大尉の方が年上なんですよね。
内心、ぼやきつつ副長は間合いを詰める。
イリヤが銃の安全装置を操作する。
安・単・連……安全・単射・連射を表す頭文字。単にセットされたレバーが連へと切り替えたようだ。
連射……フルオートによる弾幕で副長を仕留める。そう狙っているのだろう。
深呼吸すると、軽く腰を落とす。そして滑るような足取りでイリヤへと向かう。
奥義『縮地』……重心のブレを抑える特殊な歩法により、相対した相手に気取られることなく間合いを詰める。
術中に填ったイリヤが副長の接近に気づいたのは、銃が払いのけられてからである。
あっさり銃を取り落とすが、副長は、それに違和感を感じる。そこまで強く払ってはいないのだ。
銃を手放したイリヤの左手。その掌が副長へと向けられる。
直後に光の礫が『視え』た。
回避と同時に銃声である。
「奥義『轟』……」
奥義などと仰々しく飾り立てられてはいるが、隠し持った銃で騙し討ちといった技である。その奥義の名を、副長は口にした。
「轟き……?」
問い返すイリヤに、副長は、銃が仕込まれた左手に触れる。堅い感触からして、やはり義手のようだ。掌底には銃口が開いていた。
……手の小さなイリヤ大尉に、ナンブ十式が使えるカラクリは、この義手にあったわけですか。
内心、納得しつつイリヤに説明してやる。
「銃なんか使わない。相手にそう思わせた上で、不意打ちで銃を使う技ですね」
再び銃声。
どうやら仕込み銃は、フルオートによる連射が効かないようである。ならば、避けきる事は難しくはない。何より動きに無駄が多すぎる。
六回目の銃声の後は、撃鉄が振り下ろされる乾いた音。排莢されない所から察し、義手に仕込んであるのは改造リボルバーだろう。
後退して間合いを取り直しつつ、副長は結論を出す。
やはりイリヤは強くはない。
ただし海兵隊を基準にした場合の評価である。体捌きの基礎もできているし、素人相手に遅れを取る事はない。戦艦乗りとしては及第点に達している。
「舐めた態度取ってないで、本気を出したら?」
品定めするような副長の態度が気に入らなかったのだろう。イリヤの口調には若干の怒気が含まれていた。
……望まれたなら仕方ない。
「では、遠慮無く」
イリヤの言葉に、そう返すと、殴りかかってくる拳を払い『機』……重心を乱してやる。
そして、床に転がったイリヤの顔めがけ足を踏み降ろし、紙一重のタイミングで足を逸らした。
足が床を踏みしめる音が大きく響く。
「お見事……」
相手を地面に転がし止めを刺す。これが新古流格闘術における必殺の流れである。
イリヤに死亡判定が出る。もう、あとは船長一人だけだ。
「ボス。急がないと一分過ぎちまいますよ?」
ボルトは、どこか楽しげに問うてくる。あえて時間を掛けている事に、気づいているのだ。
「ユーリ。あと何秒残ってる?」
『カウント開始時間が不明ですが、イリヤ大尉の宣言から、既に五十秒が経過しています』
どうやら、イリヤは一分の時間稼ぎはできたようだ。
これで、船長は勝利のために全力を尽くす必要が出たわけである。
……ずいぶん温い条件だ。やはり、船長も暴れたかったのだろう。
副長は内心ぼやく。
海兵隊の創設者が船長であり、最初期は教官も務めていた。だから、間違いなく燻っている物があるのだ。
何より、船長は韜晦して見せてはいるが、あれで腕は立つ。
王手を掛けたと言いたいが、そうも言っていられる状況ではない。
だが、この状況を副長は楽しんでいた。




