32・伸腕
通路に違和感を感じ、船長は足を止めた。見慣れた通路とは、僅かに違うのだ。
「イリヤか?」
船長の言葉に、まるで浮かび上がるかのようにイリヤが姿を現した。立体映像による偽装装置で身を隠していたのだ。
「さすが、親父殿だ……」
「逃げてきたってワケじゃ無いだろうが、ジンナイと厨房長は既に退場したそうだ……対し敵はハミルトンに副長、それにボルト。ジンナイは、しっかり仕事はしてくれたが、面倒な連中ばっか残っちまったな」
現在、二対三。ハミルトンが先行しているようなので、早々に片付けてしまえば二対二に持ち込める。
が、船長として一番嫌な相手はボルトである。
身長二メートルを優に超え、体重は二百キロを軽く超える。銃の扱いや格闘戦と総合的に優れた技術を持つがゆえ、非常に厄介な相手だ。
罠を張って迎え撃ちたいところだが、先行しているハミルトンは、罠の破法に通じている。
……だから、まずはハミルトンを片付けてからだ。
そう思い、イリヤを置いて通路を進もうとする。
「親父殿、ヘルメットも被らずに先に進むなんて!」
確かに船長はヘルメットを被っていない。それ以前に、防具らしい物を身につけていないのだ。
「俺のコートは防弾仕様……ライフル弾だって止められるよ」
そうは言うが、前は開いている。それ以前に、例えペイント弾であっても、目に当たった場合、命に関わる事もありうるのだ。
「問題ない……俺は親父殿に銃は使わない」
その言葉と同時に、通路の角からハミルトンが姿を現す。
ハミルトンもヘルメットは被っていない。金色の前髪が汗で額に張り付いているが、とりわけ消耗している気配も無い。
「ジンナイや厨房長は、上手くやり過ごしたみたいだな……」
だから、まだ副長達の姿が見えない。
「ああ、ボス達に追いつかれる前に、大将首を上げさせて貰うよ?」
言葉と同時に、ハミルトンは間合いを詰める。
直後に、倒れ伏した。
船長が肩に手を置き、そのまま抑え付けるように組み伏したのだ。
傍目には馬鹿力で押し潰したように見えるだろうが、重心……『機』を乱す事で組み伏せたのである。
「素手じゃ無理だよ」
揶揄するように言ってやる。
船長とハミルトンの体格は、ほぼ同じだ。
どちらも身長百七十センチ台半ば。ただ、より進んだ身体強化を施されたハミルトンの方が力が強く体重も重い。
つまり、身体能力はハミルトンの方が上なのだ。
だが技術経験で、その差を覆せないほど決定的な差があるわけでもない。
「ハミルトンって、Sランクの強化人間でしょ? ……親父殿はCプラス」
「近接戦闘で決定的な要素となり得るのは反射速度だ……俺は神経加速をやってる手前、ハミルトンの動きには付いていける」
決定的となるハードウェアの性能差はない。だから身体を制御するソフトウェアの完成度で、ハードウェアたる身体能力の差が埋められるのだ。
そう言いつつ、船長はハミルトンから離れる……終わらせる気は無い。ハミルトンの腕を、まだ十分に見ていないのだ。
立ち上がったハミルトンは、身構えるが掛かってこない。仕掛けたら、まだ同様に組み伏される……それを警戒し、後の先を取る戦術に切り替えたのだ。
……どうも、ジンナイは海兵隊連中に技の伝授はやらなかったみたいだな。
本人から、そう言った話は聞かされていたが、基礎ができているハミルトンにぐらい稽古を付けていたかと思っていたのだが。
内心、愚痴りつつ、船長はハミルトンへの興味を失う。
ハミルトンの扱う格闘術は、新古流の体捌きを下敷きにした軍隊格闘術だ。こと素手での縛りなら、そこまで手強いわけではない。
だから、早々に片付けてしまうつもりだ。武器を使われない限り怖い相手ではない。
「親父殿。ここはアタシにやらせて?」
イリヤに言われ、船長は考える。
イリヤではハミルトンには勝てない。が、イリヤと共闘したところで戦力が増強されるわけでもないのだ。
それに、この模擬戦は、船員達のガス抜きも兼ねている。
「お互い、怪我しないようにな?」
気遣うように言ってやる。
ハミルトンは手加減できるだろうが、イリヤには無理だろう。が、大丈夫だ。怪我をさせずイリヤを退ける……それが可能なだけの実力差がハミルトンにはあるのだ。
直後に銃声。
ハミルトンが発砲したが、イリヤは躱した。
「『見切りの極意』……なんでできるんだ?」
身体の重心……『機』の揺らぎから、相手の行動を先読みする。それが『見切りの極意』であり、新古流に置ける基本技術である。
この『見切りの極意』を、中途半端ながらもイリヤに伝授したのだ……それもつい先日。
なんとか戦えるようになりたい。そのイリヤの頼みを聞き、銃弾を避けるための極意を伝えた。憶えは早かったが、格闘に転用できるレベルには達していない。
このまま戦えば、あっさり退けられて終わる。それでは面白くない。
「弟子ってワケじゃ無いが……俺が多少なり技を仕込んだ」
楽しげにハミルトンへ言ってやる。
二人の実力差を埋めるための、ハミルトンに対する揺さぶりである。
ハミルトンは、意外に心理戦に弱い。それに気づいてくれれば、いずれはハミルトンの弱点も埋められる。
「つまり、アナタと同じ外弟子ってワケね……」
イリヤも乗ってくれたようだ。
ヘルメットを脱ぐと、挑発するかのように笑っている。
……誰に似たのやら。
ハミルトンを挑発するイリヤに呆れつつも、船長はその場を離れる。
二人の立合を見ていたら、どこかで手を出してしまう……そんな思いがあったから。
イリヤは、ハミルトンの動作と同時に銃弾の回避行動に入った。
これは『見切りの極意』を身につけていなければできない事である。
早々に退場して貰って、あとは船長とのお楽しみに……そう思っていたが、色々とアテが外れたわけだ。
まずは予想以上に船長との実力差が大きかった事。もう一つは、歯牙にも掛けていなかったイリヤが、意外にも『使い手』であったという事実。
……しかも親父殿の直弟子と来たモノだ。
弟子ではない。船長は、そう言ったが『見切りの極意』は新古流の真髄とも呼べる技術である。
本来ならば、内弟子でなければ教えられないはずの技術……つまり、イリヤも自分同様、特別扱いを受けたわけだ。
奥へと引っ込んでゆく船長。その姿を見送りつつぼやく。
「やっぱり、自分の娘は可愛いのかね……」
「秒殺できたのにしなかった……息子も可愛いみたいよ?」
ハミルトンは、幼少期を船長と共に過ごした……船長に育てられたわけだ。だから、誰より親しみを感じている。
対しイリヤは船長の娘……その遺伝子を元に作られた強化人間である。
本星が破壊されて以降、サイレンは決定的なまでの人材不足に直面した。その解決策として、クローン技術転用の試験管ベイビーで補おうとしたわけだ。
生きている人間、そのクローンを作る事には抵抗があったらしく、死亡した軍人などの遺伝子を用い試験管ベイビーを作り出して人材の確保に当たった。
同じ遺伝子を持つ人間が複数存在しないよう配慮された結果、試験管ベイビーの枠は遺伝子情報が入手可能な死亡者にまで拡大された。
近親者に優秀な軍人が居る者などが、優先的に試験管ベイビーとして生まれ落ちた。
イリヤのオリジナル。その父親は、サイレン随一と言われた名将……船長である。クローンが作られたのは必然とも言える。
無論、船長もイリヤも、その事に気づいている。
船長自身、意識していないように振る舞っていたが、やはり意識していたわけだ。
溜め息を吐いて、ハミルトンは銃をホルスターにしまう。
相手が武術家なら、武術家として勝負するまでだ。
まずはイリヤから仕掛けてきた。
「……え?」
かるく『機』を乱してやったら、あっさり転んだ。だから思わず声が出た。
弱いのだ。
それに体捌きには新古流の癖が出ていない。
……罠か?
どんな罠なのか皆目、見当も付かないが、ハミルトンは、そう考える。
あの船長、直々の指導を受けた弟子が、こんなに弱いはずがない。
身を起こしたイリヤが再び殴りかかってくる。先程と同じく、左手で殴りかかってきた。
ハミルトンは違和感を感じる。
人間は、右利きになるよう遺伝子レベルで刻まれている。左利きは、母胎の中でイレギュラーでも起こらない限り後天的な要素だ。そして人工子宮では、そのイレギュラーが完全排除される。
実際、イリヤは右利きのはずだ。ペンも箸も右手で扱っていたし、左手は右手ほど器用には動かない。
……そのイリヤが、何故左手の打撃に拘る?
体捌きも軍隊格闘術の物だ。技術も、実戦で磨かれた海兵隊相手には、まったく通用しないレベルでしかない。
右手の中指で、殴りかかってきたイリヤの額を弾いてやる。
痛かったのだろう。イリヤの動きが止まった。
「実戦なら、もう終わってるぞ?」
よほどの実力差がない限り、殴りかかってくる相手の額を指で弾くなどできない。つまり、イリヤとハミルトンには、決定的なまでの実力差があるのだ。
だから降伏しろ。
ハミルトンは言外に、そう言っているのだ。
だが、イリヤは降伏する気は無いらしい。再び拳を構えた。
「新古流格闘術・奥義……」
「奥義?」
奥義の言葉に、思わず問い返す。イリヤの技量は、奥義が伝授されるレベルには到底届いていないのだ。
直後に、光の礫が眉間に向かって飛んでくるのが『視え』た。『見切りの極意』によって捉えられる攻撃の兆候である。
「『伸腕』っ!」
無意識の内に回避行動を取る。直後に、自分の頭があった場所までイリヤの腕が伸びていた……それも物理的に。
「義手?」
「治療装置を早急に空けるため、再生不良起こした左手そのままに再生槽を出されたの。間に合わせの腕のつもりだったけど、生身の腕より便利に使える」
作動音と共にイリヤの腕が縮む。
そしてハミルトンは、イリヤが左手による打撃に拘った理由に気が付いた。義手ゆえに痛覚が無く、おまけに重い……そのまま左手が凶器となるのだ。
「直撃してたら、俺、死んでたんじゃ?」
『可能性はありますね……ですが、ヘルメットを脱がなければ大丈夫です』
……つまり、メットを脱いだオマエが悪い。ユーリは、そう言いたいワケか。
内心、そう思うが、その通りなので文句も言えない。
「一発芸は、避けられたら後がないぞ?」
「かもね……」
そう言いつつイリヤは掴みかかってくる。
左手の握力なら骨を砕く事もできるだろう。だから掴まれる前に左手を掴む。
直後に掴んだはずのイリヤの腕が軽くなった。左手を切り離したのだ。
そしてボディスーツにも使われる特殊繊維が腕に絡みつく。義手が腕に絡みついて離れなくなったのだ。
「おいっ!」
呼び止めるが、イリヤは踵を返して走ってゆく。
『自爆装置機動。起爆十秒前』
イリヤの声でカウントダウンが始まる。
追うべきかと思ったが、まずは、この爆弾を始末する必要がある。
「ユーリ。振動鞭で腕を切断する。承認は?」
腕もろとも爆弾を排除したと言う事にし、死亡判定を免除してくれ。そう言っているわけである。
『承認します』
ユーリの言葉に振動鞭を取り出す。その間もカウントダウンは進んでいるが、まだ間に合うはずだ。
『六、五……メンドイ以下略』
投げやりにカウントダウンが中断され、義手に仕込まれたインクが飛び散った。
「ユーリ……遠隔操作でカウントダウンを早めた形跡は?」
『ありません。当初から、この設定のようです』
ユーリの言葉に、ハミルトンは大きな溜め息を吐く。そして声を上げて笑った。
「あの、お茶目さんめ……」
楽しげに呟く。
イリヤはルール違反をしたわけではない。ルールの枠内で策を弄して勝利したわけだ。つまり、イリヤの方が上手だったと。
死亡判定を受け、ハミルトンも退場である。
31話・後日談
ウィル「ホントゴメン……前歯折れちゃったけど、大丈夫?」
ケント「気にするな。放っときゃ生えてくる……拳痛めただろ」
ウィル「うん。なんか手が痺れるようなカンジ……」
ジンナイ「それはヒビぐらい入ってるかも知れませんね……」




