31・三倍段
L字に曲がった通路。その角を前に迎撃態勢を取る。
「大佐殿が退場した……」
イリヤの呟きに厨房長は覚悟を決める。
「ジンナイ大佐が強いのは認めるけど、数で押されたら勝てない。それに大佐殿の弱点は知ってるから、あたしでも勝てない相手じゃ無い」
技術は高いが身体は『普通』の人間だ。筋力や持久力、そして反射神経で強化人間に大きく劣る。
だから戦い方次第では、厨房長にもジンナイは倒せのだ。勝てる条件を揃えても勝率は三割程度だが、ジンナイは無敵の怪物ではない。
だから、退場は想定内だ。
「ハミルトンはアタシが貰う」
「トドメを譲れって?」
それ自体は構わないが難しい相談だ。
二対一で挑んでも勝てるかどうか判らない。それだけの技量をハミルトンは持っているのだ。
「後ろに流しちゃって……足音から察し、ハミルトンが向かってきてる」
そう言うと、イリヤは踵を返し走り去ってゆく。
「え……ちょっとっ!」
慌てて止めるが、厨房長の耳にも足音が聞こえる。
……まったくっ!
内心愚痴りつつ、欺瞞用の映像を投影する。無人の通路、その立体映像を、自分の居る場所に上書きし身を隠したわけだ。
航空隊連中も似たような戦術を使ったようだが、見破られ、圧倒的な火力で一掃されたようだ。
だか、今回は足音から察し一人だけ。張れる弾幕は知れている。
立体映像には気づかれるだろうが、正確な居場所は特定できない。だから、先手を取れるはずだ。
片膝を付いて銃を構える。構える銃はアサルトライフル……いわゆる自動小銃である。銃口下には、訓練用の銃剣も装着済みだ。
数度銃声が響き、壁や天井に何かが張り付く。
次の瞬間、ハミルトンが角を曲がって通路へと飛び込んできた。
厨房長が引き金を引く前に爆音。そして紙吹雪が舞う。
レーザー防御用の攪乱幕。それを先手を取って目眩ましに使ったのだ。
ハミルトンの姿が紙吹雪に隠れる。が、細い通路だ。盲撃ちでも数撃てば当たる。
だから迷わず引き金を引く。安全装置は連射に設定済みだ。
発砲と同時に擬装用の映像が解除される。
中で動くと擬装用の映像に歪みが出るのだ。それに、攻撃側の視界も若干だが阻害される。何より、紙吹雪によって双方の視界が遮られているのだ。もう、偽装する必要は無い。
装弾数五十発の大型弾倉が僅か五秒で空になる。弾は左右に散らして撃ったから、さすがに何発か当たっているはずだ。
そう思いきや、紙吹雪の中から現れたハミルトンには一発も当たっていなかった。
まるで、飛び降りるかのように現れたハミルトンに、厨房長は銃弾をどう避けたのか知った。
ワイヤー・アンカーで壁や天井にワイヤーを張り、それを用いワイヤーを伝う事で銃弾の上を移動したわけだ。
海兵隊の装備である手袋には、電気信号で特定の形状で硬化する液体金属が仕込まれている。掌を硬化し、ワイヤーを掴んだのだろう。
床の上を移動する……その先入観ゆえ、銃弾は低めにバラ撒いた。ハミルトンの方が、厨房長より上手だったわけだ。
既に数メートルまで肉薄されている。弾倉を交換している時間はない。だから銃を槍のように構え、鋭い突きを繰り出した。
銃剣術である。
突きを躱し、ハミルトンは厨房長の内懐へと踏み込もうとする。それを銃床による打撃で迎え撃った。
銃の前後を入れ替える、円を描く打撃である。姿勢が悪いため軽い一撃だ。だから受け止められた。
「このっ、馬鹿力っ!」
銃床を掴まれ、振りほどけない。だから、思わず叫んでしまう。
しかし、狼狽しているわけではない。
銃を捨てると、壁際に転がしていた棒を蹴り上げ掴む。イネ科の植物の繊維、それを圧縮して作った六尺棒……身の丈より長い合成木材の棒である。
銃剣術より棒術の方が達者に扱える。
……今度の打撃は、受け止めたら手を痛めるはず。
腕だけではなく、突進力や身体の回転、全身で力を紡ぎ出した薙ぎ払うような一撃である。
銃剣で防がれた。が、問題ない。
ハミルトンの方が芸達者だろうが、棒術一芸だけなら海兵隊にも遅れは取らない。ハミルトン自身も銃剣術を修めているだろうが、それでも負けない自信はあるのだ。
重い一撃にハミルトンの手から銃剣が飛ぶ。
……このまま決める。
そう思った矢先、手に持った六尺棒が引かれ姿勢を崩した。
手が届く間合いではない。だから虚を突かれた。
引かれたのは六尺棒の先端。そこには鎖に繋がった懐中時計が絡みついていたのだ。
……時計鉄鎖術!
ミカサも使う時計鉄鎖術。
以前、ミカサと対戦した際は、手の内を知られる前に叩きのめした。
ミカサが振り回す懐中時計より、六尺棒の方が間合いが広い。その間合いの広さを最大限活用したのだ。
……あの対戦、ハミルトン大尉も見てたわね。
厨房長は、内心呟く。
つまり、手の内を知られているわけだ。
致命的な隙を作った。ハミルトンの腕なら、抜く手を見せぬ早撃ちで厨房長を仕留める事もできただろう。
が、ハミルトンは、ハミルトンは止めも刺さず脇を抜ける。
「ボス達の足止めは任せた!」
その言葉に、ハミルトン一人だけ先行してきた理由が分かった。ジンナイを副長達の足止めに使い、更に自分も足止めに利用したいのだ。
ハミルトンを追う余裕はない。それに、イリヤはハミルトンをくれと言った。その気は無かったが、イリヤの希望どおりに事は進んだわけだ。
ハミルトンを見送り、呆れたように溜め息を吐く。
「アレ、懲罰モノじゃない?」
紙吹雪の向こうに視線を向けつつ厨房長は問う。
「遺恨は残すな。楽しんで戦え……そう言った手前、懲罰はしません」
紙吹雪の中から、ボルトを従えた副長が出てくる。
二人ともヘルメットは被っておらず、後ろに従うボルトが持っている。そして副長の手には、一降りの木刀。
副長も楽しみたいのだろう。なら、受けて立とう。
厨房長もヘルメットを脱ぐ。
「釈迦に説法だろうけど……三倍段は御存知?」
副長の木刀より、厨房長の六尺棒の方が遙かに間合いは広い。
扱う武器の間合いの差は、使い手の強さに直結するのだ。
槍を持つ相手と刀で互角に渡り合うには、槍使いの三倍の技量が必要になる。後に真剣と素手の格闘技……空手に置き換えられたが、間合いが強さに直結するという本質は変わっていない。
勝負したいというなら、付き合っても良い。
ミカサは手の内が読み切れないため戦いたくない相手だが、船長との試合から察して副長は正統派の剣士だ。手の内なら、ある程度読める。
「知っているからこそ、剣で戦います」
船長に秒殺されたとは言え、副長が強い事は知っている。ミカサと副長の剣術勝負からも、その実力は十分に理解できた。
だから、得物である六尺棒の間合いを最大限活用させて貰うまでだ。
厨房長もヘルメットを脱いだ。視界は変わらないが、音などはヘルメットに仕込まれたスピーカー経由で耳に届けられるのだ。
機械を介する分、生身とは勝手が変わる。それを嫌ったのだろう。
……もしくは、ヘルメットを脱いだ事を挑発と感じたか。
「棒術を下敷きに槍術と銃剣術が使える。流派は……得物は違えど同門だし名乗る必要は無いか」
厨房長は呟く。
足運びの特徴からも、厨房長は新古流の使い手だ。
軍隊格闘術は短期間で水準以上に強くなる事を要求するため、身体の動かし方まで大きく矯正しない。が、本格的な武術や格闘技は基本的な身体の動かし方から叩き込まれる。
サイレンに置いて武術は、軍隊式か新古流の二派しか存在しない。かつて存在した流派の多くがサイレン本星と共に失われたためだ。それゆえ、サイレンに置いて新古流の使い手は容易に同門を見分ける事ができる。
新古流は素手での格闘術のみならず、武器の扱いも教えている。扱う武器によって細分化しているが根は同じである。
つまり、足運びなどの仕草に共通点が出るのだ。だから、ある程度は手の内は読める。
ハミルトンとの立合だが、同足の足捌きに新古流の癖が顕著に出ていた。
副長は深呼吸して、通路を見回す。
この通路は、さして広くはない。巨体のボルトでは上手く立ち回れないだろう。だから副長自ら前に出た。
「では、私も名乗りは上げない」
左手のみで、木刀の柄頭に近い部分を握る。
全身の力を抜き両腕は下げている。
相手に自分の挙動を読ませず、かつ即時に対応できる。脱力の構えである。
六尺棒の間合いに、自分から飛び込んでいくのは拙い。相手の方が間合いが広いのだ。だから、後の先を取る。
「ボルトさん……勝負が付くまで手出しはして欲しくないな?」
「そんな事したら、ボスに殺されるよ」
……殺しはしないし、怒鳴る気も無い。
内心そう思うが、ボルトが手を出す事はないだろう。
この狭い通路では、巨体のボルトは上手く立ち回れない。それを理解して通路へと踏み込んだのだ。
つまり、副長と厨房長の勝負を間近で見たい、そういう事だ。
ボルトの言葉に厨房長は笑う。そして鋭い突きを繰り出してきた。
木刀で捌き、内懐に踏み込もうとするが更に捌き返された。だから間合いを取り直す。
……実戦ならば指を狙うが、今回、それはできない。
指を狙う事も、副長には可能だ。
木刀で強打すれば、厨房長の指は潰せる……だが、そんな事をしたら、船内の食事に支障が出るのだ。遺恨云々以前に、それだけは拙い。
厨房専属の者で、一番の料理人が腕を振るえなくなる……副長にとって致命的な事態である。
「あえて、離れたわね?」
「間合いが近すぎて、木刀が振るえませんので……」
嘘である。息が掛かる間合いでも、副長は骨を砕く一撃を繰り出す事が可能だ。
木刀に六尺棒が軽く触れる。次の瞬間、木刀に強烈な一撃が加えられる。
逆らわず流したが、厨房長の振るった六尺棒は壁に食い込んでいた。
「手加減して……が、抜けてるわよ?」
厨房長の言葉に、副長は笑ってやる。
肯定の意思表示だ。
……見抜かれていた。ならば手加減は不要。
副長は、相手に左側面を晒す半身の構えを取る。そして顔の高さで木刀を構え切っ先を厨房長へと向けた……突き技を放つ、霞の構えである。
「木刀で、広い間合いを持つ六尺棒相手に突き技勝負って正気?」
そう言いつつ、厨房長も六尺棒で副長と同じく霞の構えを取った。
明らかに厨房長の六尺棒の方がリーチは長い。木刀が厨房長の身体を捉える前に、六尺棒が副長の身体を捉えるだろう。
だから副長は、端から厨房長の身体など狙っていない。
厨房長は、副長が初撃を捌き後の先を狙ってくる……そう思っているだろう。間合いから考えれば『普通』は、それしか手はないのだ。
だから、後の先を取らせず一撃で決める。その腹づもりでいる……『機』の動きからも、それは読めていた。
数秒の睨み合い。
同時に二人が大きく踏み込み、そして渾身の力で突きを放った。
木刀と六尺棒が正面からぶつかり合う乾いた音が響く。
数秒後、六尺棒が床に転がる音……
転がった六尺棒は、厨房長の遙か後ろ……副長は、真正面から突きで突きを迎え撃ち、そして厨房長の手の中から六尺棒を真後ろへと飛ばしたわけだ。
得物を失った厨房長は、諦めたかのように溜め息を吐く。
「参った……降参。ホント、あなたって化け物ね」
厨房長の言葉に副長は笑う。
これほどの使い手が、まだ船内にいたのだ。嬉しくないわけがない。
「また、遊びましょう」
副長の言葉に、厨房長は声を立てず笑う。
次の標的は船長だ。
あの船長が、ハミルトンに後れを取る事はあるまい。
厨房長が降参し、戦いは終わった。
現在、ハミルトンは慎重に先へと進んでいる。間もなくイリヤと船長が待ち構えている通路へ出るだろう。
だが、次の戦いまで、多少の猶予はあるのだ。
ナルミは大きく息を吐き、食堂の壁面に投影される映像から視線を外す。そして二本のペンを手に取った。
両手に一本ずつ持ち、目の前で先端同士をぶつけてみる。
ゆっくりやれば問題ないが、速くした場合、先端同士が掠る程度で、ぶつかって力が拮抗するなどという状態にはできない。
「ナルミ……何やってるの?」
「副長が厨房長の扱う棒を、木刀で突いて真後ろに押し飛ばしたわよね……何であんな事ができるんだろうって」
自分でペン先をぶつけ合わせても、正面からぶつけ合わせるのは難しい。まして、あの二人は、敵味方に分かれ戦っていたのだ。
「厨房長は少しでも早く武器を当てるべく、最小の動きで突きを放っています。つまり、完璧なまでに真っ直ぐな突きを繰り出しました。副長は、それを読んで突きで迎え撃ったわけですね……双方共に高い技量がなければ、あんな事はできません」
退場し、食堂へとやって来たジンナイの言葉である。
厨房長は強かったが、それ以上に副長は強かった……そういう事だとナルミは理解する。
「この船に居る人間って、ほとんどが『戦士』みたいだけど大佐殿は違うみたいだね。なんか反応が遅れ気味な部分がある……銃弾避けたときは妙に早かったけどさ」
「『戦士』?」
ウィルの言葉に、ナルミが反応する。
「いわゆる強化人間の事ですかね……私は体質的に身体強化が難しいらしく筋力・持久力・反射神経で強化人間に劣っています」
言われ、ジンナイがハミルトンより反応が遅れ気味だった事を思い出す。
「でも、鉄砲避けたときは、動作と同時に動いてたよ?」
「それは『機』……微妙な動作から相手の挙動を先読みできたからですよ。あと、先読みできても、動作途中などで即時対応できない場合などは、例え読めても防御が追いつきません」
だから、ハミルトンを取り逃がし、そしてボルトとの勝負にも負けた。そう言いたいのだろう。
思い返してみると、ジンナイの反応は、まるで先読みしていたかのように動くときと、対処しようとしたが間に合わないときの二通りがあったのだ。
恐らく、挙動から先読みして動いた際と、目で見て対応した際の違いだろう。
「オレも『戦士』なんだけど、大佐殿には勝てないと思うなぁ……技、教えてくれない?」
ウィルの言葉に、ジンナイは苦笑いする。
「私は弟子は取りません」
「格闘技ってのは、要は技術なんだよな。つまり習得可能な技……『戦士』としての身体を持ってるオレなら、最終的には大佐殿より強くなれっぎゅっ!」
妙な叫びを上げて、ウィルが頭を抱え蹲る。
咄嗟に視線を向けると、海兵隊のケントが拳を振るったようである……航空隊の罠に嵌り相打ちになって退場してきたのだ。
指の付け根をウィルの頭に掠らせる一撃だったようだ。
「俺たち海兵隊だって、素手じゃ大佐殿に勝てるか怪しいのに、オマエみたいな小僧が何言ってるんだよ」
「小僧ではなくウィルは、お嬢ですよ?」
どこか避難めいた口調でジンナイは言う。
妙に静かになったウィルに視線を向けると、ウィルは声を殺して泣いていた。
成長を促進させた結果、外見的にはナルミより年上に見えるがウィルは、まだ十歳なのだ。手加減された一撃であっても、相当痛かったのだろう。
「ウィル……大丈夫!?」
ナルミは慌てるが、それ以上にケントは慌てていた。
「お嬢って……てっきり男かと」
「女の子よ……ホルモン投与で性差が出ないように調整されてただけで、これから胸も大きくなって女の子の身体になってくわよ?」
近くにいたミカサも、非難めいた口調でケントに言う。
「痛かった……」
呟くように言うと、ウィルはナルミに抱きつき、その肩に顔を埋める。
「悪かった……一発、殴ってくれ」
ウィルの前で膝を着き、ケントは神妙な顔で言う。
そっとナルミから離れると、ウィルは躊躇無く拳を振るった。
……後にジンナイが語ったが、打撃とはベクトルの魔法であるとの事だ。全身で紡ぎ出した力を拳なりに乗せて相手に叩き込む。
無重力状態に慣れた人間は、このベクトルを身体で理解しているため、特に意識せずとも極めて効率的に力が紡げる。
ウィルは『忘れられた中継点』で生まれ育った無重力状態に慣れた人間であり、筋力低下を防ぐため重力下にも適応済み。おまけに強化人間である。
つまり、ウィルの一撃は強烈だった。
素人で子供。そう舐めていたケントは、顔面にクリーンヒットを喰らい、一撃で昏倒したのである。
……ウィルって、怒らせたら怖いかも。
油断していたとは言え、一撃で海兵隊員を昏倒させたのだ。
伸びてしまったケントを見て、ナルミはそう思うのだった。




