30・紫電
アスタロス船内にある広場に罠を張って待ち構える。
広場と行っても幅五メートル、長さ三十メートルほどの広い通路でしかないが、船員達は、ここを中央広場と呼んでいた。
……さて、罠を張っている事は読まれている。破法はハミルトンを含む何人かが知っている。そうなると、まずハミルトンが出てくるか。
そう思いつつジンナイは耳を澄ます。
広場に繋がる脇道から足音。
追われている者の足音で一人。その後ろには十人を超える追っ手の足音。歩調から察し、追われる側は疲れ切っているが絶望はしていない。
「訓練ですしねぇ……」
呟くが、アスタロスの航空隊連中は、数多の死線を潜り抜けた猛者達である。実戦であっても、態度を変えないかも知れない。
実際、ミカサやカーフェンあたりなら、絶望的な状況下でも動じないはずだ。
あの二人。死に対する恐怖が完全に麻痺している、いわば頭のネジが飛んだ人間なのだ。
銃声。
それと同時に、逃げる足音が、緩やかになる。
「ジンナイ大佐……失敗したかも」
広場に入ると同時に、追われていた航空隊員は壁際に道を譲る……既に死亡判定が出ていた。
「手の内は、既に知られてますので問題ありません……巻き込まれないよう、ご注意を」
そうは言うが、海兵隊の手の内もジンナイは知っているのだ。だから条件は五分である。
深呼吸してからヘルメットを被る。
首の部分で、ボディスーツとヘルメットが繋がり一体化する。
再び銃声。
今度は連続した銃声である。が、目で追える程度の弾速だ。
床、壁、天井へと着弾し何かを張り付かせる。
……ワイヤー・アンカー。やはり、ハミルトンか。
ワイヤー・アンカー……高速振動鞭を張るための特殊弾頭である。着弾点を結ぶ形でワイヤー……振動鞭が張られたわけだ。アンカーの配置から察し張られた振動鞭は、ざっと三本。
天井と壁、壁と床。その角にも正確にアンカーが撃ち込まれている。振動鞭は天井や壁に沿って仕込まれたわけだ。
振動鞭を作動させる事でアンカーが壊れ固定が解かれる。そして巻き上げる事で振動鞭を張り、触れた相手を両断する。
もっとも、今回は訓練用のワイヤーであるため本当に両断される事はない。
ハミルトンの狙いも、振動鞭でジンナイを仕留める事ではないだろう。
先陣を切って飛び込んできたのは、予想通りハミルトンだった。
まずは、ジンナイが先手を取った、事前に仕掛けたワイヤー・トラップを発動させる。
訓練用の振動鞭だ。紫電を帯び発光はすれど身につける防具で止められる。問題は、実戦とは違い切断できないため、一人の動きを止めた段階で振動鞭が使えなくなる事だ。
一瞬遅れて、ハミルトンも振動鞭を使う。
互いの振動鞭が交差した瞬間、ひときわ強い紫電を帯び、そして消え失せた。
振動鞭で振動鞭を封じる……振動鞭は過電流で即時に分解できる。味方を巻き込まないための安全装置だが、それをハミルトンは利用しジンナイの攻撃を封じたわけだ。
が、ジンナイが仕込んだワイヤー・トラップは、五本十本で効かない。一つ二つ潰されたところで問題にはならない。
「悪いが、大佐殿にはボス達の足止めを頼むよ?」
手に握った手榴弾からピンを抜きつつハミルトンは言った。
「ここで、あなたと海兵隊をまとめて相手は厳しいですねぇ……」
だから、手間取るようならハミルトンを流してしまうのも手かも知れない。まだ後ろには厨房長とイリヤが控えている。そして更に後ろには船長が。
イリヤと厨房長ではハミルトンが抑えきるのは厳しいだろうが、船長なら抑えきれる……その腕がある事をジンナイは知っている。
ワイヤー・トラップを消費せずハミルトンをやり過ごせるなら、後に続く海兵隊に万全の状態でもって臨めるのだ。
素早く拳銃を抜くとハミルトンに向ける。フル・オートによる射撃が可能なマシン・ピストルである。
楽はしたいが、だからと言って簡単に通してやるわけには行かない。
「口では、そう言っときながら……っ!」
射撃の直前、手に衝撃を受け銃口を逸らされた。
ミカサの使う時計鉄鎖術、それを真似たのだろう。懐中時計を振り回し当てる事で、銃撃を逸らしたわけだ。
ハミルトンの挙動は読めていた。が、先手を打てると思ったのだ。しかし、ジンナイの予想よりハミルトンは早かった。
だが、一時しのぎだ。フル・オートによる連射を全て避けきる事など不可能だ。
そう思った瞬間、ハミルトンの投げた手榴弾が爆発した。
風圧と共に、銀色の紙吹雪が視界を覆う。
対レーザー防御用の攪乱幕である。
この銀色の紙吹雪は特殊な鏡面処理が施されており、レーザー光線を百パーセント近く反射する。
舞い散った紙吹雪により、レーザー光線を乱反射させ封じるのだ。
封じられるのはレーザーだけではない。一時的とは言え、視界も遮られる。
だから、放たれた銃弾はハミルトンを捉えきれなかった。
「実戦で、これをやったら、仲間に殺されますよ?」
呟きつつ、ジンナイは紙吹雪が落ち着くのを待つ。
ハミルトンに気を取られている間に、広場へ侵入されたようだ。だが、好都合である。
かなり近い間合いでハミルトンと渡り合ったため、罠はないと判断したのだろう。
自ら罠に飛び込んできたとも知らずに、である。
ジンナイが張り巡らせた『結界』とも呼べるワイヤー・トラップ。その中に、十人を捉えている。
ボルトや副長、特に手強い二人はいないが、一度に数を減らせる絶好の機会である。
「さて、大佐殿の『本気』を見せて頂きましょうか……」
その言葉に、ジンナイは笑う。
希望されたとあらば、躊躇する必要など無い。
「では、遠慮無く……新古流暗器術・奥義『無限刃』」
広場に仕掛けられた分子振動鞭が一斉に機動しアンカーから解放される。一瞬のうちにワイヤーが広場全体に張り巡らされた。
無数のワイヤーが紫電を纏って輝き、海兵隊員達の身体を捉えている。
『高速振動鞭は、装甲服をも切り裂きます……ワイヤーが触れた全員が致命傷を負ったと判断しました』
それぞれの首・頭・胴を捉え、致命傷となるようワイヤーの動きを操作した。問題は、身につけた防具のおかげで、ワイヤーが触れた事に気づかない可能性である。
「お前は喰らってるけど……俺も喰らってるか?」
「ああ、喰らってる。全員、殺られたな……ハミルトン大尉のアホっ!」
ハミルトンが先に行ってしまったため、ジンナイが仕掛けたワイヤー・トラップは無いと誤解したらしい。
どうやら、皆、死亡判定を受け入れてくれたようだ。
先程、ジンナイが『仲間に殺される』そう言ったのは、後続の者達に危険を周知せず先へ進んだ。その軽率な行動を指しての言葉である。
「ハミルトン大尉だが、ありゃワザと何も言わずに先に行ったぞ。大佐殿に俺たちの足止めをさせ、大好きなパパと水入らずで遊ぶ時間を作るためにな」
「そこまで読めていて、何故、静止を掛けなかったんです?」
遅れて広場へ入ってきたボルトに、ジンナイは問う。
「コイツらは大佐殿の『本気』を見たがっていた。だから、お膳立てした。それに前回はボスが御大と遊んだ。次は大尉でないと不公平だと思ったので」
そう、ボルトは楽しげに言うと、ワイヤーを広場へ向かって射出。そしてジンナイの巡らせた振動鞭の『結界』を過電流で焼き切った。
ジンナイは溜め息を吐く。
……そして、ボルトは私と遊びたいと?
ボルト両手を空けたのを見て、内心、冗談じゃないと思う。明らかにボルトは格闘戦を狙っているのだ。
こと格闘戦では体格が物を言う。
身長は二メートルを超え、体重は二百キロを優に超えるボルトが相手では、三分の一以下の体重しかないジンナイでは勝負にならないだろう。
付け加えるなら、ボルトはフルチェーンされた強化人間。対しジンナイは身体強化は一切行っていない……体質的に行えなかったのだ。
筋力や持久力の差は、まだ戦い方で埋められる。致命的なのは反射速度の差だ。
その差ゆえに、ジンナイはハミルトンに遅れを取った。
だから、まともに格闘戦などする気は無い。
殴りかかってくるボルト。その動きは読めている。
拳を掌打で迎え撃ち、払うようにして身体の重心を乱してやる。重心を乱す事で相手を投げる……合気道の基本技である。
ボルトの巨体が宙に舞った。
が、妙な違和感を感じる。思いの外、ボルトか簡単に投げられたのだ。
違和感の正体には、すぐ気づいた。あえて逆らわずボルトは投げられたのだ。その真意も読めている。
だが、いまさら引くわけにも行かない。だからボルトが体勢を立て直す前に、銃で止めを刺す。
ジンナイは即座に決断を下す。
だが、引き金を引くより先に銃声が響いた。
胸への着弾。ボルトの使った銃は、大口径のビッグ・ヴァイパーである。十二番ゲージの散弾銃を大型拳銃サイズまで小型化した物で、口径は十八・一ミリ。散弾、炸裂弾に徹甲弾など、多用な弾が扱える銃である。
この至近で撃たれたら、例え散弾であっても無事では済まない……死亡判定は妥当だろう。
「なるほど。あえて投げられ、後の先を取る……殴り合いにならないよう配慮された。そう言うわけですか」
格闘戦はポーズだけで、ボルトは最初から銃で決着を付けるつもりだったのだ。
「大佐殿なら、即興で『結界』を張る事もできたでしょう?」
「後に控える副長に使うつもりでした」
即興でも紫電の『結界』は張れるが、手持ちのワイヤーでは一回分だけだ。
教え子だったボルトの手の内は、ある程度読める。だが副長の手の内は、そこまで読めない。ボルトより、副長の方がジンナイにとって厄介な相手なのだ。
「そうなっては困るので、まずはボルトを先行させました」
いつの間にか広場に副長が入っていた。恐らく、ボルトとの戦いも見ていたのだろう。
「ロートルゆえ、副長には勝てませんね……身体能力の差が歴然です」
状況的にボルトは倒せても、副長までは無理だっただろう。拳銃の間合いでは副長に勝てない。そして副長の目の前で罠を張るなど不可能だ。
……まあいい。足止めはしたし、数も減らした。最低限の仕事はできた。
ジンナイは満足げに溜め息を吐く。
思ったよりも戦えた。
身体が付いていかないので海兵隊と肩を並べるのは無理だが、防御戦闘なら手に負える事も判った。要は戦い方次第だ。
「大佐殿が、神経加速の処置を受けられたなら、大尉も俺も、ここで退場してましたよ」
ジンナイが目で見て対応できないような状況であっても、海兵隊員達は目で見て対応できるのだ。
見て認識し、脳か手足に動くように指示を出す。そのタイムラグが、海兵隊員達、強化人間は極めて少ないわけである。『普通』の人間であるジンナイは、そうは行かない。
強化人間になれる適正、それがジンナイには無かった。だから前線には出ず教官職に就いた。おかげで、まだ生きている。
それが幸か不幸かは、未だジンナイには判らない。
視界の隅に捉えた海兵隊の一人から『光の礫』が、ジンナイに向かって飛んでくるのが『視え』た。高速振動鞭によって死亡判定を受けた一人だ。
礫を躱すと同時に銃声が響く。
「神経加速を受けていない人間が、何故、銃弾を避けられる?」
殺気は無かった。そもそも当てる気なら、視界の外から撃っただろう。
「重心の微妙な揺らぎから、発砲や打撃などの兆候を読み取っています。要は一瞬、早く攻撃の兆候を察する事ができるわけですね。新古流では、これを『機』と呼んでいます。機動、機会の『機』です」
重心の揺らぎから、事前に相手の機動を読み機会を制す。よって新古流では、これを『機』と称していた。
ただ、これによる先読みにも限界はある。
ボクシングのような打ち合いになったら、回避もできなくなる。連打によって逃げ道が塞がれるため、例え読めていても防御が追いつかなくなるのだ。
「死人が銃を撃つな」
不機嫌なボルトの言葉に、ジンナイは笑う。
「では、死人とのお喋りも、ここまでにしましょうか……」
生き残りは攻が三人、守が二人。ここまで持って行けただけでも上出来だ。
上手く行けば、船長と副長の一騎討ちも実現するかも知れない。
どうやら、船長は副長を気に入ったらしい……異性としてではなく、副官そして武術家として。
長らく稽古を付けていなかったハミルトンも気にしているようだし、上手く行けば胸の内で燻っている物が再燃してくれる。
……戦争末期は、閣下にそんな暇はなかったが、今の閣下は暇を持て余している。
何か切っ掛けがあれば、また弟子を取るかも知れない。
だから、思い出したようにジンナイは言ってやった。
「ああ、閣下の道場での二つ名ですが『左道』の他に『間合いの支配者』と言うのもありましたね……」
間合いを誤認させ、相手を翻弄する。ジンナイも同じ事はできるが、船長は更に上を行く。警戒して掛からなければ、容易くあしらわれて終わるだろう。それでは面白くない。
ジンナイは副長に期待しているのだ。




