28・模擬戦開始
貨物用エレベーターの中で、戦闘区画を確認する……そして副長は眉間に指を当てた。
事もあろうに、船長室まで区画に入っていたのである。
「親父殿……船長室まで区画に入れちまってるよ。船長室の机……アレって本物の木で作られてるんだろ?」
ハミルトンの言葉である。
船長室にある机は、上質なマボガニーで作られた執務机だ。
天道中継点でコサカ女史と最初に面会した際に貰った物だが、宇宙都市では本物の木材は高級品である。つまり、船長への貢ぎ物と言うわけだ。
風のない環境では大きな木は育たない。風に吹かれ揺れる事で、木は幹を丈夫にするのだ。無風状態で育った木は、自重を支えきれず倒れてしまう……つまり密閉環境の宇宙都市で木材となる樹木を育てる事は極めて難しい。
だから基本的に、地球化が終わった惑星から輸入するしかない。必然的に価格も高騰する。
副長を始め、海兵隊員達も本物の木材が高級品である事を知っているのだ。あえて言わずとも配慮はするだろう。
……それ以前に、船長室まで辿り着けるかも判らない。
地の利は、防御側にある。
だからこそ、船長室を戦場となる区画に入れたのだろう。つまり、挑発というわけだ。
そう思い、副長は笑う。
「時間になり次第、即行動を開始する。勝利条件は、敵戦闘員の全滅、もしくは船長を討ち取る事。敗北条件は我らの全滅、もしくは時間切れだ」
「即行動ですか……そりゃまた、せっかちな」
ボルトが言うが、口調は楽しげで不満はないようだ。
行動開始の場所とタイミングは、海兵隊に委ねられている。しばらく様子を見て、それから行動を……そう思ったが気が変わった。
「全員、武器の最終確認を」
そう言い、副長自身も銃と弾を確認する。
手持ちの銃に装弾されている弾は、全てペイント弾。携帯している弾倉も、同じくペイント弾で実弾は一発もない。
それに倣い、各々の武器を確認している隊員達を横目に、副長はチューブ入りの戦闘食を口にする。今日の昼食である。
常人の倍以上ものカロリーを消費するのだ。常人と同じ食事量では到底、足りない。それを少量で補うための戦闘食である。
短時間で食べられ、そして高カロリーで消化吸収も早い。ただ、極端に甘く海兵隊員達には不評である。それゆえ、今日も海兵隊員達は量を食べてカロリーを確保していた。
副長も、普段はそうしている。
「ボス……よく食えますね」
「身体を軽くするため、朝食もコレだ」
ボルトの呟きに答える。食べる量を減らし身体を軽くする……その意図もあるが、単に甘くて美味いから、と言うのが本音である。生産に手間がかかるため、こんな機会でもなければ口にできないのだ。
「そりゃ、食う量が増えれば、それだけ身体も重くなり出る量も相応に……って、失礼しました!」
副長の視線に気づいたのか、ハミルトンは慌てたように取り繕う。
ただ、ハミルトンの言っている事は事実である。食べる量が増えれば出る量も増える。身体の中には、そこまで貯め込む余裕はないから、出す回数を増やし対応するしかない。
……身体強化を行った人間の持つ、頭の痛い問題であった。
懐から懐中時計を取り出す。髑髏を抱いた女神……アスタロスの紋章が刻まれた時計である。
訓練開始まで、あと二十分。
……いっそ、繰り上げて行動を開始しようか?
そんな考えが頭を過ぎる。
不意打ちで船内に突入された。そういった設定での防衛戦である。防御側も、何時どこから攻め込んでくるかは知らず、突入時間も訓練時間の枠内なら何時でも構わないのだ。
……だから繰り上げは拙いか。
時間前では防具を身につけていない可能性がある。
ペイント弾とは言え、剥き身の所に喰らっては無事では済まない。何より、ルール違反だ。
実戦でのルール違反ならともかく、訓練でのルール違反は頂けない。
それに、この模擬戦は乗員達のガス抜きも兼ねている。禍根を残すような真似は好ましくはない。
「今回の模擬戦だが、勝つのは当然として楽しんで戦うように。だが、禍根を残すような真似はするな」
まずは自分が楽しむ事。楽しめそうな相手は船長を筆頭に、ジンナイ大佐ミカサ中佐と何人か心当たりがある。
「俺は、親父殿に付き合って貰えれば満足だ」
「悪いが前回同様、船長は私が貰う」
副長の言葉にハミルトンは笑う。譲る気は無い……そう言いたいのだろう。
「先着順。一対一の勝負になったら、横槍は無し……その条件では?」
「承知した。逃げられた場合は、次に一対一の条件を揃えた者に優先権が移行する」
その提案に、副長は更に付け足す。
ハミルトンは笑顔のまま無言。つまり異存はない、と。
他の海兵隊員達は、時間が待ち遠しいようだ。
本気で……とは行かないだろうが、暴れられるのだ。二重三重の枷はあるが、通常の訓練よりも力を振るえる。
有事の軍人だった彼らにとって、さぞや嬉しい事だろう。
……そして、私も有事の軍人だった。
副長は声に出さず呟いた。
自身も頭のネジが飛んだ、有事の軍人だったという自覚はあるのだ。
警報と同時に『訓練』の文字が、あちこちに浮かび点滅する。
『訓練、訓練、船尾格納庫に侵入者多数。至急、排除に当たられたし。なお、訓練参加者はヘルメットを着用してください』
ユーリからの状況説明である。
ミカサは懐中時計で時間を確認し苦笑いする。
「全く、せっかちな……」
呟きつつ、脇に抱えたヘルメットを被る。
その側面に描かれる紋章は、赤いハイエナのシルエット。そして一『機』当千の四文字。
ヘルメット内蔵のスピーカーが、空気の振動を忠実にミカサへと伝える。足音である。それもか駆け足で複数。正面の十字路。その左からである。
戦闘区画から察し、突入は船尾格納庫だろうと当たりを付けていた。だから、近くまで足を伸ばしてみたら大当たりである。
『ミカサ中佐。親父殿から集合の指示が出てる。大至急、大佐殿のバーまで来て』
「嫌」
イリヤからの通信を一言で断る。
この場は引く事も可能であるが、その気があれば最初から出張らない。
チャンスは一度。
上手くやれば、一度に数人は仕留められる。
音もなくリボルバーを抜き、まるで斧でも構えるかのように頭上へと振りかぶる。
先陣を切って出て来たのは副長、次いでハミルトンである。
誰かを認識するより先に、ミカサはリボルバーを振り下ろす。と、同時に引き金を六回引いた。引き金を引く力のみで撃鉄を動かす、ダブルアクションによる六連射である。
コンマ数秒にも及ぶ長い銃声が一回。それと同時に、床に天井、そして壁面に六つの青い染み……ペイント弾の着弾痕である。
実弾のつもりで撃ってしまったが、これは反動の小さなペイント弾である。おかげで弾が思った以上にバラけてしまった。
副長は咄嗟に引っ込み、ハミルトンは十字路を通り抜け、反対側の道へと逃れた。
二人ともミカサを認識した上での行動である。
「やるねぇ……流石は海兵隊の隊長だ」
ミカサは嬉しげに呟いた。
ハミルトンは海兵隊の現隊長。副長は前隊長である。いずれも、並の腕ではない。
ミカサの腕が閃くと、六つの空薬莢が舞い、そしてリボルバーには六発の銃弾が装弾される。リボルバー用装弾器、クイック・ローダーを使ったのだ。
……足音から察し、相手は二十人前後。対し、こっちはアタシ一人。
絶体絶命である。
だから、ゾクゾクするような快感が背筋を這い上がってくるのだ。
訓練とは言え、副長とハミルトンはミカサと同等ないし、それ以上の腕を持つ相手だ。そして、その背後にも百戦錬磨の猛者達が控えている。
……これは勝てないか。
だから、殺られる前に何人、殺れるか。
ミカサは即座にそこまで考える。
直後に、目の前に筒状の物体が飛んできた。手榴弾である。
足下に落ちた手榴弾を、ミカサは力一杯、蹴り飛ばす。
スプレー缶のような形状から衝撃型手榴弾だと判断したのだ。広範囲に破片を撒き散らすのではなく、衝撃波で相手を殺傷する手榴弾である。
効果範囲は、せいぜい数メートルと言ったところだが、その狭い範囲ゆえに自分や仲間を巻き込み難い。海兵隊が使用する手榴弾は基本的にこれである。
十メートル飛んだところで手榴弾は爆発。所詮は訓練弾。爆発も、お粗末である。そして壁と壁面、天井には飛び知った塗料。
霧状になった飛沫が、ミカサのヘルメット、そのシールドに付着するが、すぐに色は消える。視界を阻害しないよう、即座に塗料が分解されたのだ。
……さて、どう暴れてやろう?
ミカサは内心呟いた。
訓練だから、遠慮無く無茶ができる。
訓練で無茶をして、実戦では自重する……それがミカサの、やり方だ。
死ぬ気など欠片もない。もし死んだら『隊長』こと『神速の魔術師』に、二度と会えなくなる。
『神速の魔術師』……アイゼルとの戦争末期。隊を率い強行偵察に出撃し、任務は果たしたが帰還できなかった。
だが、その乗機は残骸すら発見されていない。
アスタロスもにあるスーパー・ブラックホーク。その前身とも言える機体で、空間跳躍には至れないまでも、亜光速まで加速できる性能がある。
だからきっと帰ってくる。距離を考えると十年後に。
ミカサがアスタロスに乗っているのは、ウラシマ効果で時間を飛ばす……それも理由の一つである。




