27・食堂にて
アスタロスに来て一番良かったと思える事は、食事が美味い事である。
そんな事を考えつつ、ウィルは大食堂の入り口に置かれた狸の置物を撫でる。
擬人化された大狸で、編み笠を首に引っかけ左右の手には徳利と帳簿を持っていた。二十世紀半ばの日本で産まれた、商売繁盛のための縁起物なのだそうだ。
船長が天道中継点で購入し、その後、大食堂の入り口に置かれたのだとか。
船内時間では早朝だというのに騒がしい。
現在、海兵隊連中を筆頭に、戦場となる区画から備品の退避が行われているためである。この大食堂の近くまで『戦場』になるのだそうだ。
ウィルも参加してみたかったが、昨日、大浴場でイリヤに手も足も出ず、身の程を思い知ったため参加は断念した。それに資格が無いかも知れない。
身体を触られる事に慣れていないため大浴場で身体を洗われる際、必死に抵抗したのだが、あっさり動きを封じられてしまった……後は諦念である。
そんなイリヤも、海兵隊員には手も足も出ないらしい。
溜め息を吐く。
故郷じゃ、喧嘩は強い部類だと自負していたが、ここアスタロスでは下から数えた方が早そうだ。
再度、溜め息を吐くと食堂へ入り、そこから厨房へと向かう。
今のウィルは、このアスタロスじゃただの雑用係、その一人に過ぎない。
厨房内には、既に厨房長ら数人が働いていた。
「とりあえず、ご飯食ってからお仕事……何か食べたい物は?」
厨房長の言葉で、ウィルの目の前に画像付きのメニューが投影される。
「じゃあ、掻き揚げ丼で……」
昨日までの食事には無かった卵とじの掻き揚げ丼があったので、迷わずそれを選ぶ。
段階的に動物性のタンパク質が解禁されているような気配がある。昨晩ユーリに問うたら、段階的に胃腸を慣らしているのだそうだ。
ウィルの故郷である中継点では、クロレラやユーグレナ……ミドリムシを培養し、それを主な食料にしていたのだ。そんな環境で育った者達に、いきなり肉を食べさせたら胃腸が受け付けず腹を壊すのだとか。
他の乗員達との食事の差は余所者故の差別かと思ったが、余所者であるが故の配慮だったのだ。
仮に差別であったとしても、アスタロスでの食事が故郷の中継点より美味いという事実は揺るがない。それに、故郷では食料生産が追いつかない部分もあり、飢えた者が多かったのだ。
ウィル自身は飢えない程度の食事が常に与えられていたが、それは自分がアスタロスに送り込まれる身体強化まで施されたサラブレッドだからである。
身体強化を行った者の成長期における栄養不良は、脳の発達に致命的な影響を与える。従来ならば他を犠牲にしてでも確保される成長期の脳への栄養が、身体へ取られてしまうためだ。
頭の良さを売りにするサラブレッドには、致命的な障害である。
だから、ウィルは飢える事はなかった。アスタロスに送られる、大切な貢ぎ物だから。
「オレ……何やってんだろな」
目の前に置かれた掻き揚げ丼を見て、激変した食事環境から故郷を思い出した。
確かに自分は、中継点にとっての虎の子だったかも知れない。だが、アスタロスが欲していたのは虎の『子』ではなく成獣の虎だろう。
アスタロスに雇われた航空隊も、彼らの祖国であるアマツやアイギスに置ける虎の子ではある。何より即戦力になる。つまり虎の子であると同時に、成獣の虎と言えるわけだ。
対し、ウィルは戦力どころか、ただのお荷物である。
船長は食料生産プラントの扱いやメンテを教え、その上で故郷へと送り返すつもりのようだが、そんな事を望まれて自分は送り込まれたわけじゃないだろう。
「女の子がオレなんて言うモンじゃないわよ?」
そう言うと、厨房長は目の前に、キツネ色の固まりが一つ乗った小皿を置いた。
疑問を持つと同時に、目の前に、その正体の説明が表示される……ユーリの配慮だ。
牡蠣フライ……アスタロスの浄化槽兼用の養殖プールで育てられている貝の一種をフライにした物である。
汚水の浄化に使え、更に食べられる……宇宙都市ではお馴染みの食料ではあるが、ウィルの故郷である『忘れられた中継点』では使われていなかった。
狭い中継点ではクロレラやユーグレナの方が食料生産、水や空気の浄化等、諸々の面で効率的だからである。
……ここじゃ自分はお客さんだ。
扱い自体、昨日知り合ったナルミと大差はない。
ナルミは天道中継点に帰る事が確定しているため、お客さんでも構わない。でも、自分はお客さんではなく、アスタロスの一員にならなければいけない。
だから、頑張るしかない。
そう自分に言い聞かせ、そして出された食事に箸を付ける……小エビの入った掻き揚げ丼、そして牡蠣フライも泣きたくなるぐらい美味しかった。
食堂入り口に鎮座していた狸の置物が無くなっている。その事に気づき、ナルミは足を止めた。
地平線公園でベンチの上で寝ていた、あの狸の置物である。
今日の昼過ぎに行われる攻守に別れた模擬戦。その戦場に、食堂付近は設定されていない。
だから戦場となる場所から食堂付近に避難してくる事はあっても、食堂前の狸を余所へ避難させる必要は無いのだ。
首を傾げながら、ナルミは食堂へ入る。
食堂に居る者達、その半数は、いつもとは出で立ちが違った。
身体が一回り大きくなっている……そう思ったが、ジャケットの下に分厚い耐弾ベストを着ているのだ。
そして腰には大きな銃を吊っている……模擬戦に参戦する者達だろう。
ミカサは普段通りの格好と思いきや、テーブルの上に大型拳銃が収まったガンベルトを置いている。
あの大きな拳銃。ビッグ・ヴァイパーという名で、ミカサの国が造った銃だそうだ。気に入っているらしく、副長も愛用している銃である。
散弾銃を大型拳銃サイズまで小型化した物で、雑多な弾が撃てる事が最大の特徴だとか。
「ミカサさんも参加するんですか?」
ミカサと相席しているのはカーフェン、そして厨房長だ。
「当然するわよ。あと、厨房長も参加するって……で、カーフェンは不参加?」
咎めるような口調で言うと、ミカサはカーフェンへと視線を向ける。
「怪我シたくナい。それに、海兵隊連中トじゃ咄嗟に手加減できる腕もナい。手加減なしで殴リ合ったら、一方的に負ケて終わルよ」
「ボクシング経験者でしょうに……」
ミカサは言うが、カーフェンの体格はミカサより十センチほど高い程度。二メートルを超える巨漢を多数揃えた海兵隊相手では、素手という縛りでも厳しいだろう。
「ミカサ中佐は短剣術や時計鉄鎖術とか色々心得あるけど、カーフェン大佐は武器の扱いなんて拳銃程度。海兵隊は短剣術や銃剣術も使ってくるから、白兵戦は厳しいわね」
厨房長の言葉である。
厨房長も参戦するらしく、防弾ベストの上にアスタロスの紋章が入ったスペース・ジャケットを着ている。
腰には拳銃。手には両端に緩衝カバーを付けた合成木材の棒。
「棒術を下敷きに槍術と銃剣術が使えるのよね……以前、ボコられたっけ」
ミカサの言葉に厨房長は笑う。
「武器の関係上、棒術の間合いは中佐の時計鉄鎖術より広い。だから、有利に戦える……」
時計鉄鎖術。船乗りの護身術であり、ナルミも知っている。
船乗りが肌身離さず携帯する、自分自身の時を数えるための時計。それを武器がわりに使う護身術である。鎖の先端に付いた時計、それを分銅代わりに振り回すのだ。
この時計鉄鎖術に使う専用時計、これは天道中継点の宇宙港でも手に入った。
鎖の長さは五十センチ強。確かに厨房長の手にある棒の方が間合いは広い。
「対策考えたから、次は負けないわよ?」
「今回は、同じ陣営の仲間よ?」
厨房長は苦笑混じりに言う。
『模擬戦参加者は、使用する武器を安全証明の上で登録してください。未登録の武器を使用した場合は、その場で失格……死亡扱いとなります』
ユーリが艦内放送で告げる。
使用する銃は本物の銃ではあるが、弾は圧縮空気で撃ち出されるペイント弾である。ライフルなど強力な弾を使う銃の場合、反動の小さな圧縮空気でも排莢できるよう、排莢システムを交換する必要が出てくるのだとか。
「拳銃は、素で弾が流用できるんだけどねぇ……重火器使いたい海兵隊は大変だ」
そう言いながら、ミカサはテーブルに二丁の拳銃と懐中時計。そして伸縮式の警棒を並べてゆく。
一丁はリボルバー。一丁はセミオートの拳銃である。
訓練に使うペイント弾は、炸薬の代わりに圧縮空気を使うが雷管は実弾と同じである。雷管の爆発で発生した燃焼ガスによって、薬莢内の圧力が限界を超えペイント弾が撃ち出されるのだ。
初速は秒速にして百メートル。拳銃弾の数分の一だそうだ。
昨晩、イリヤから説明を受けたのだ。
バイザー付きのヘルメットも被るとの事で、撃たれても大怪我に繋がる事はない。怪我に繋がるとすれば格闘戦だろう。
食堂にいる海兵隊員達が、テーブルの上にライフルを並べて分解。そして手持ちの端末で撮影を始める……登録作業だろう。
実弾ではなく、ペイント弾に銃を対応させた事をユーリに示しているわけだ。
「そう言えば、食堂の入り口にあった狸の置物。アレ、どこ行ったの?」
「閣下が持っていったわよ。あの狸に重要な任務があるとか言ってたわね……」
ミカサの問いに厨房長が答える。
あの船長のやる事だ。
今回の模擬戦で使うつもりだろうか? とすれば、あの狸は壊されてしまうかも知れない。
物言わぬ置物とは言え、あの狸には少しばかり同情してしまうナルミであった。
「この模擬戦、かナり、厳密なルールが設けラれテる……武器を解禁しテの本気の戦闘ナら、攻守双方、共に無事じゃ済まナいから、当然と言エば当然か」
カーフェンの言葉はおおむね流暢なのだが、母国語ではないため所々アクセントがおかしくなる。
「動甲冑や強化服の使用禁止ね。艦内に突入しての白兵戦。これって、強化服や動甲冑での力押しが基本だけど、それを禁じた……ホントに使われたら、一方的にやられちゃうからね」
ミカサの言葉にナルミは引っかかる。
「それって、本来なら船内に乗り込まれた段階で負けって事ですよね?」
「確かにそうだけど、突入まで漕ぎ着けるのが凄く大変。オマケに、突入したは良いけど艦に自爆の指示が出されてて……って事が結構あるの。だから海兵隊の損耗率は凄く高い」
海兵隊の別名は死体袋軍団……ボルトが、昨日そう言っていた。
地平線公園で、副長と共に船長を迎えに来た傷顔の大男である。
その時は死体の山を作るから、その名を冠されたのかと思ったが、どうやら損耗率の高さ故の別名のようだ。
だからか、ボルトを始め海兵隊員は何か悟ったような……達観したかのような不思議な雰囲気がある。その雰囲気が、時折だがミカサやカーフェンからも感じられるのだ。
……ああ、そうか。
彼らの共通点に、ナルミはようやく気づいた。
戦場では、海兵隊は元より、ミカサやカーフェンと言った戦闘機乗り達も死と隣り合わせだと言う事に。
少し前に、ミカサ本人が語ってくれた。
属していた、アマツ最強と謳われた航空隊。『赤いハイエナ』こと特選隊も、自軍を逃がすための囮に使われ壊滅的な損害を出し解体されたとか。
百戦錬磨の隊員、計二十七人の中で生き残れたのは、たった七人。
海兵隊員やミカサ、そしてカーフェンにとっても、死は身近な物だったのだ。
……やっぱり、あたしは余所者なんだ。
ナルミは、そう実感する。
同じ人間のようであっても、彼らとナルミは異なる人間なのだ。
それだけではない。
このアスタロスに乗る者達は、ナルミとウィル以外は皆が戦争を知っている。
そしてアスタロスの一部の乗員達は、船長の事を閣下と呼ぶ。
閣下の敬称。
軍に置ける敬称の扱いなどナルミは知りもしないが、それでも船長が高位の軍人であった事ぐらいは察する事はできる。
だからこそ疑問が生じる。
船長は、いったい何者なのだろうか? と。




