26・前夜
左手の指を立て、突きを繰り出す。
船長に無理を言い、なんとか教えて貰った新古流の奥義『伸腕』である。
指を伸ばした分、リーチが伸びる。単に、それだけの技だ。
第二関節で指を曲げる熊手という平たい拳で繰り出すのが一般的だが、イリヤの左手なら、指を立てた貫手という型での突きでも問題はないと言われた。
左手は義手で痛覚はなく、壊れても容易に替えは利く。おまけに生身の腕より丈夫だ。
たかが数時間の稽古で、奥義など身につけられる物ではない。そう愚痴りつつも船長は、この奥義を教えてくれたのだ。
ただ、この奥義の神髄は相手に間合いを誤認させて用いる事にあり、そこまでの事はイリヤにはできない……つまり、容易に再現できる型のみを習っただけなのだ。
が、なんとか使い物になりそうだ。そのための策もある。
問題は格闘戦の機会が、攻守に別れた船内での模擬戦であるかどうかだ。恐らく拳銃が主体になるだろう。
ただ、狭い船内なら近接戦闘が主体になる。だから船長から習った体捌きは役に立つはずだ。
拳銃を使った近接戦闘。その手解きでナルミは全身に痣を付けられた。圧縮空気によって撃ち出されるゴム弾であっても、距離が近ければ目では追えない。
痛くなければ憶えない。その考えの元、船長には内緒で防具も省略した。その結果が、体中の痣である……船長との稽古は、全て無表情で通したのだ。
おかげで、得られた物がある。
微妙な重心のブレから、射撃のタイミングが漠然と読めるようになったのだ。
銃口の向きから狙いは読めても、射撃のタイミングが読めなければ銃弾は躱せない。が、さんざん痛い思いをしたおかげか、漠然とだが射撃のタイミングが解るようになったのだ。
これなら、海兵隊相手にも、多少なりと戦えるだろう。
模擬戦では守備側。地の利も活かせるはずだ。
「イリヤ大尉……何やってるの?」
「親父殿に習った技の確認」
遅れて風呂から上がってきたウィル、その問いに答える。
「その左手を使われたら痛いよなぁ……」
突き出された左手を見て、ウィルは顔をしかめる。
イリヤの左腕は義手である。
生身の腕より堅く、そして重い。それ故、そのまま凶器となるのだ。
……場合によっては、痛いでは済まない可能性もある。
そう思ったが、ボルトを筆頭に海兵隊の化け物連中を思い浮かべ、連中なら平気だと思い直す。
問題は、あの化け物連中と相対した際、自分が無事で済むかという点である……いや、問題ない。軽く、あしらわれて終わるだろう。
ウィルは指を立てた構えを真似るが、よく理解できないらしく首を傾げている。
「どういう技?」
「指を立てたり平たい拳を握るなりしてリーチを伸ばすの」
そう言いながら、熊手の握りをしてみせた。
納得したらしく、ウィルも握りを真似、軽く壁を殴る。
「指、痛めそう……」
貫手は元より熊手でも、指や拳を鍛えなければ怪我をする。いや、単に拳で殴るだけでも素人の場合は、容易に拳を痛めてしまうのだ。
付け加えるのであれば、イリヤの格闘戦技術は素人に毛が生えたレベルである。
「ウィル、パンツ一枚で何やってるのよ……服着なさい!」
既に着替えを終えたナルミが、ウィルに真っ黒な繊維塊を押しつけると強引にボディスーツを形成する。
ナルミ自身、アスタロスに乗り込んで数日にも満たないが、手の届くところにある機材は問題なく使いこなしている。サラブレッドだというのは、伊達では無いようだ。
サイレンでも遺伝子改造は行われていたが、その技術はディアス多星系連邦に属する宇宙都市の方が格段に上である。ノウハウの蓄積が桁違いなのだ。
それを考えると、ウィルも相当な物だろう。既に、それらしい鱗片は見えている。
……『忘れられた中継点』は、虎の子を送り込んできたわけだ。
人材の育成。それに必要なリソースを確保する事は難しい。狭い閉鎖環境であった『忘れられた中継点』などは特にそうだろう。
恐らく、ウィルを育てるのに、かなりの無理を行ったはずだ。本人も、それは自覚している。あの狭い閉鎖環境で自らの境遇に気づけないなど、まず考えられない。
何も考えていないようで、ウィルは結構な食わせ者だ。そんな気配が感じられるのである。
育てれば、ウィルは間違いなく戦力になる。そう考えたから、ユーリは自らの持つデータを開示したわけだ。
「大尉……どうしたの?」
視線に気づいたのか、ウィルが問うてくる。
「いや、アナタって、実は結構な食わせ者なのかも……と思って」
「食わせ者かはさておき、どうやれば本当にアスタロスの一員にして貰えるかを色々考えてるよ」
その返事に、イリヤは溜め息を吐く。
やはり、ウィルは食わせ者であった……けど、憎めない子だ。
昨日の模擬戦では電加砲の間合いに無敵級を捉えられなかったが、今回は間もなく間合いへと捉えられる。
暗幕とデゴイ風船を駆使する事で、アスタロスの所在を欺瞞しつつ間合いを詰める事ができた。
デゴイ風船……前回の模擬戦では使わなかった機材で、アスタロスを模した巨大な風船である。
内部で水素を反応させる事で発熱状態も再現してある。彼方にある無敵級には、実際に砲を当ててみるまで偽物だと見抜く術はない。
既にバラ撒いた暗幕やデゴイ風船、その大半が無敵級の砲撃によって排除されたが、おかげでアスタロスは無傷である。
船橋には副長一人のみ。船長席に腰掛け、眼前に投影されるデータを確認する。
現在、アスタロスは潜宙している……周辺の光や電波をネジ曲げる事で、無敵級の位置からは観測できないよう身を潜めているわけだ。
シミュレーター上の模擬戦ではあるが、おかげで無敵級は本物のアスタロスの所在を割り出せていないようだ。
周辺のデゴイ風船や暗幕、その密度を上げる事で、あえてアスタロス近辺へと無敵級の砲撃を集中させてみた。
光子砲から放たれる圧縮光子の奔流は、近くにある無人観測機のセンサーにも影響を与える。だから、砲撃の密度を上げさせれば必然的に、こちらに向かって放たれる無人観測機の数は減らせる……そう考えたのだ。
仮にアスタロス近辺に無敵級が放った無人観測機があったとしても、目が眩んだ状態であり、潜宙したアスタロスを発見する事は困難だろう。
……どうやら、賭に勝ったみたいだ。
内心呟くが、勝たせて貰ったという疑念は払拭できない。
シミュレーター上で無敵級を動かすユーリとしても、副長を叩き潰したいわけではないだろう。だから、勝ち星を譲ってくれた……そう思えてしまうのだ。
……いや、まだ勝っていない。
副長は、そう気持ちを切り替える。
それに電加砲の間合いに捉えたからと言って、アスタロスが無敵級に勝てるとは限らないのだ。これから副長を叩き潰す段取りがあるのかも知れない。
が、やるしかない。
「船首光子砲、エネルギー充填。並びに電加砲を半砲身に切り替える」
アスタロスに備えられた四門の電加砲こと固定式電磁加速砲は、砲身長が一千百メートルにも及ぶ。船体の膨らみに合わせ湾曲しており、砲身半ばにも砲門を開く事ができるよう造られていた。
船首付近の砲口を潰された場合の保険としての側面もあるが、弾速を必要としない近距離砲戦では長い砲身から射出される高速弾より、弾速は遅くとも手数の方が重要となる場面が出てくる。
だから一つの砲身を、膨らみの部分で分割し二つ……二門の砲として使用するわけである。そのため装弾設備も別に用意されていた。
撃ち出す弾は、核融合弾に対消滅弾。
無敵級を沈める意図はなく、迎撃される前に起爆させ、目眩ましに使う。
本命は、アスタロスの最大砲。船首光子砲である。
今回の模擬戦は、副長一人で臨んでいる。
船内での攻守に別れた紅白戦、それには万全の状態で臨んで貰いたい。だからイリヤやヒメには声を掛けなかったのだ。
ユーリのサポートがあれば、一人でもアスタロスの戦闘は可能だ。そもそも、無人ですら戦闘は可能である。
……下手をしたら、ユーリに全てを任せた方が強い可能性すらある。
ユーリは、戦艦パラス・アテネの中枢だった頃からの膨大な戦闘データの蓄積がある。実際、弱いはずなど無い。
だが、訓練を受けた優秀な人間ならば、専門化された機械すら出し抜いてみせる事ができる。
実際、船長は現役時代、クルフスの無人艦隊を何度も手玉にとって見せた。
自分に同じ事ができるかは判らないが、少しでも船長に近づくためにも、この模擬戦は自分の判断を信じて行う。
「電加砲での砲撃開始と同時に、対消滅炉の出力を最大にし船首光子砲の充填に入れ。バラ撒いた弾頭で目眩ましを仕掛け、その隙に光子砲の充填を終える」
バラ撒いた弾頭の爆発で無敵級に目眩ましをかけるわけだが、同時にアスタロスの目も眩まされる。
対策として無人観測機を散開させてはあるが、既に八割近くがデゴイや暗幕もろとも破壊されていた。
つまり、二割強も残っている。
勝算は十分ある……そう思いたい。
『電加砲……予定通り射撃に移ります』
今回、航術長のイリヤは居ない。オペレーターのヒメも居ない。
この二人の業務は、シミュレーター上で無敵級を動かすユーリが代行している。
ただ、無敵級を動かしているユーリには、副長の作戦を直に知る事はできない。機械故に、完全に自己を切り離す事ができるのだ。
砲撃の音が再現される。
船内の砲身を、無数の砲弾が駆け抜けてゆく音である。
十数秒後、モニター上に小さな光の花が瞬く。
アスタロスからは小さく見えるが、相手の無敵級にしてみれば巨大な火球である。距離にして一千キロから百キロの間で、立て続けに爆発が起こっているのだ。
弾速には緩急を付けた。だから、あの爆発は数十秒は続く。
『船首光子砲。フルチャージまで五十八秒』
船体に熱がこもるのを無視し、最短で光子砲を撃つべく指示は出してある。温度上昇に伴う警告灯が立て続けに点灯するが構う事はない。
賽は投げられた。後は結果を待つだけである。
無敵級は、完全に術中に填ってくれたようだ。これで充填時間は稼げるはずだ。
「暗幕展開。展開後、放熱翅を広げろ」
副長の指示と同時に、アスタロスの前面を巨大な暗幕が覆い隠す。それと同時に、船内の温度上昇が緩やかになった。
放熱翅による冷却効果である。
昆虫の翅を模した使い捨ての放熱板。それが放熱翅である。
小さく畳まれた状態から一気に大きく開く……脱皮し成虫となった昆虫、その翅を模倣した使い捨ての放熱装置だ。
合計八枚の光り輝く翅が、アスタロスの女神像、その背中から生えているように見ていえるはずだ。
が、それは相手の無敵級からは見えない。
こちらの挙動を読まれないよう、正面に暗幕を広げたのだ。その上、あえて潜宙するアスタロス近辺に砲撃を集中させた。
……だから、この近辺に敵の無人観測機は居ないはず。
副長は自分に、そう言い聞かせながらモニターを見つめる。暗幕を広げても、周囲に散開させた無人観測機から情報を受け取れるのだ。
無敵級に動きは見られない。
立て続けの爆発で、目を眩まされた状態では動きようはないと言う事だろうか?
いずれにせよ、仕掛けてみるまで判らない。
実際は一分に満たない時間ではあるが、光子砲の充填時間がずいぶん長く感じられた。
『船首光子砲……フルチャージと同時に発射します。フルチャージまで、五秒前。四、三、二……』
ユーリの、淡々としたカウントダウンを聞きつつ副長は思う。
自分の指示の下、部下達が動いている状況下で船長は一体何を考えているのだろうか? ……と。
船首光子砲から放たれた物質化した光の奔流が、正面に展開する暗幕を吹き飛ばし、そして彼方に浮かぶ無敵級を貫いた。
砲弾の迎撃に徹するべく対空防御に移行していた無敵級は、強力な障壁を張る事ができなかったようである。
いや、仮に障壁を張られても、船首光子砲なら貫ける威力はある……そのはずだ。
『無敵級……沈黙、お見事。電加砲による飽和攻撃を警戒させ、その上で船首光子砲を撃ってくるとはね。……副長の勝ちだ』
勝利の通知は、ユーリではなく船長の声だった。
どこか楽しげな船長の言葉。
その言葉で理解する。無敵級を指揮していたのは、ユーリではなく船長だったのだ、と。
「勝ちを、譲ってくれたのですか?」
『さてね……負けてやる気は無かったんだが、結局、負けたな』
船長の言葉と同時に、無数のデータが表示される。
その操船記録から、船長が如何に無敵級の反応の鈍さに苦労していたかが覗える。
無敵級は、その巨体故に小回りが利かず機敏な反応も難しい……過去の戦闘データからの推測ではあるが、実際の無敵級と大きな差はないはずだ。
至近での核爆発で、無敵級は対空防御に専念すべく機能を切り替えたのだろう。核の直撃を受けたら、如何に無敵級と言え無傷では済まない。
至近での核爆発で目を眩まされた状況では、余裕を持った迎撃などできない。
光子砲の奔流をネジ曲げ、敵艦へ当てるための力場は、対空防御に使うレーザー・ファランクスには強すぎて使えない。
だから、力場をレーザー・ファランクスが使える程度まで力場を弱めたわけだ。
この力場。これは光子砲から身を守る為の障壁にもなるが、迫り来る核弾頭から身を守るのには使えない。
つまり、無敵級は、対光子砲用の鎧を脱ぎ、対実体弾用の鎧に着替えたわけだ……これは、副長の狙い通りだ。
そして、実体弾への防御を固めた無敵級に対し、エネルギー兵器である光子砲を打ち込んだ……
浮き砲台的な側面の強いクルフス艦は、あまり機動しない。特に無敵級は、その場に留まり敵を引きつける機動要塞とも言えるような艦である。
咄嗟の機動が、ほぼできない無敵級に対し、光子砲を当てる事自体、難しくはないのだ。
「電加砲に対し、何故、回避機動を取らなかったのですか?」
あの間合いからなら、鈍重な無敵級とは言え、まだ回避は可能だった。
「機動のためにスラスターを使うと、死角が生じ防御に隙が出る。何よりクルフス将官は無敵級に絶対の自信を持っているから、回避なんて逃げの手は打たないさ」
船長の言葉に、思わず声が出る。
「回避された場合の策も、練ってありました」
起動されたら生じた隙を利用し、更に間合いを詰め機動戦を挑むつもりだった。
船長は戦時、そうやって隙を作り、無敵級三番艦のアウスタンドを小破撤退させている……その代償は大きく、戦闘自体は痛み分けで終わったが。
無敵級とアスタロス、戦闘時における機動性の差は、洋上の戦艦と空を飛ぶ戦闘機並みにある。
必殺兵器たる対消滅弾も、近距離ならば確実に当てられる。間合いを十分詰めた上での機動戦ならば勝機はあるのだ。
ただ、弾の大半を目眩ましに使ってしまったため、かなり厳しい勝負になっただろう。
「無敵級がアスタロスに対し、もっとも有利に戦える条件が中距離砲戦だ。暗幕やデゴイを駆使し、その中距離砲戦を何とか凌ぎきればアスタロスにも勝機は見えてくる……が、無敵級が取り巻き無しで出張ってくるなんて、まず無い」
だから訓練と割り切れ。船長は言外に、そう言っているのだろう。
とは言え、仮に取り巻きが居ても、取る戦術は同じだ。ただ、要所要所でのリスクが高くなり、撃沈される可能性が大きくなる。
「承知しています。その場合は、逃げに徹します」
そもそもからして、アスタロス一隻で、艦隊の相手をする事自体が間違っているのだ。
『ああ、その通りだ。どんな状況下においても自分や部下達の保身を考えろ。場合によっては降伏も選択肢に入れるように』
つまり、船長は場合によっては降伏も選ぶ……そう副長は思った。
「では、その判断は船長にお願いします。私は黙って従いますので」
『黙るな。文句反論があるならガンガン言え。聞き入れるかどうかはさておき、言って貰わないと、俺が参考にできない』
船長の言葉に、全身の力が抜ける。
今まで、単に海兵隊を抑え込むための重石として副長に抜擢されたのだと思っていた。が、今の船長の言葉から、そうではないと思う事ができたのだ。
「善処します」
だが、言えるのはそれだけだ。自分が船長に意見できるとは思えない。
『副長は俺の予備だ。何時でも俺と取って代わるぐらいの野心、持っていてくれても構わんよ?』
その言葉と同時に、通信は打ち切られる。
……俺と取って代わる。
副長には、その言葉の意味を理解できなかった。
おかげで、その晩は寝付けず、気が付いたら翌朝になっていた。
船内での攻守に別れた紅白戦、その当日である。
ウィル「アスタロスって船首におっきな女神像が付いてるけど、アレって何の意味があるの?」
厨房長「船を守る大事な女神様って重要な意味があるの」
イリヤ「いわゆる追加装甲……チョバムアーマーね。判りやすく言えばアスタロスの盾、それを女神像の形に造形したのよ」
ナルミ「女神様の背中に隠れる……なんか罰当たりな気が」




