23・厨房にて
投影される映像を眺めつつ、ひたすら牡丹餅を作る。
若い娘ばかりの厨房で、ただ一人の男……しかも初老というのは、非常に肩身が狭い。事前の話によれば船長が応援に入ってくれるはずだったのだが、現在、ミカサと副長の対戦を観戦中である。
……閣下に秒殺されたとは言え、やはり副長は強い。
ミカサと副長の試合を眺めつつ、ジンナイは思う。
試合の形にはなっているが、ミカサは防戦一方だ。副長を間合いに捉えたいようではあるが、技量の差もあり全く近づけないでいる。
と、副長が右腕一本で木刀を大きく振りかぶった。
背中で木刀を隠す程、大きく、である。
そのまま振り下ろせば一本取れただろうが、副長の重心の揺らぎから、その気は無いようだ。と来れば、何を狙っているかぐらい予想できる。
ミカサも読んでいたのだろう。
副長の繰り出した『左手』による鋭い突き。それを躱すと同時に、面を打ち込んだのだ。
……どうやら『虚』の仕込みは気づいてないようですね。とは言え、仕込み無しで『虚』を放つとは大した物です。
勝ったのはミカサだが、ジンナイは副長を賞賛していた。
実際、剣術の技量が足りていないのもあるが、ジンナイには仕込み無しで『虚』を放つ事は出来ないのだ。
そして、視線は映像に釘付けでも、牡丹餅を作る手は止まっていない。
「大佐殿、出来上がった分、持って行きますね?」
その言葉に、黙って頷くと、映像から視線を外した。
「手元を見ないで、よくもまあ、そんな正確に形を揃えて作れるものね……」
運ばれてゆく牡丹餅を見て、厨房長は感心したように呟く。
「慣れですね。そもそも機械による製造だって、機械は手元なんか見てませんよ?」
それを可能とするには、機械の如く正確無比な動作が必要になる。ジンナイには、それが可能だが、他の者には厳しいだろう。
「海兵隊連中……力、余ってるみたいね」
やれやれと言った口調で厨房長は言う。
副長とミカサが退いたあと、海兵隊が剣道や銃剣術の稽古を始めたのだ。船長と副長の勝負に触発されたのだろう。
……ガス抜きが必要かも知れませんね。
ジンナイは声に出さず呟くが、それを判断する立場にあるのは、副長とハミルトンの二名である。
二人とも、あの場にいるのだ。何かしら察しているはずだ。
だから、自分が、とやかく言う必要は無い。
旧世代のロートルであり、戦闘用に先天レベルで調整されたサラブレッド達と、同じ戦場で肩を並べて戦えるような身体ではないのだ。
筋力のみならず持久力が全く追いつかない。
一対一なら小細工を弄す事で勝ちは拾える。だが、攻め手に回った集団戦闘となると、お荷物に成り下がってしまうのだ。
そう思い、ジンナイは自虐的に笑う。
近々、麻薬組織のアジトを強襲する。それが海兵隊連中には、ちょうど良いガス抜きになるだろう。
ならば、ジンナイとしても、あえて口出しする必要性はない。
だからか、少しばかり寂しく思うのだ。
中継点の者達を招いて、一緒にスキヤキの鍋でも……その話は見事に流れた。
船長と副長の対立。演技とは言え、それを見せつけてしまった以上、その方向へ話を持って行く事が出来なくなったそうである。
それとは別の問題が、もう一件。
アスタロスと『忘れられた中継点』では食糧事情が全く違う。そもそも鍋を囲むという文化が消失してしまっていたのだ。だから鍋を囲んで一緒に食事というのは、難しいと判断されたわけだ。
その上、中継点の者達は肉を食べ慣れていないため、上手く消化吸収できず高確率で腹を下すそうである。
となると、食事会が流れるのは、妥当な所だろう。
結果、船内カレンダーの献立表に従い、夕食はカレーライスとなった……サイレン宇宙軍では、金曜日の夕食はカレーライスと決まっているのだ。その慣習は、アスタロスにも引き継がれている。
今回のスキヤキ具材を流用したカレーは好評で、普段なら余るはずだが全て完食されてしまった。
……それは構わないが、何故、副長が厨房にいるのだろう?
厨房長は内心、愚痴る。
既に船内時間では夜になっている。
厨房で船長との『お楽しみ』の時間になるはずが、副長が居るため色々とやりにくい。副長が居る手前、船長に近づき辛く料理の技が盗みにくいのだ。
「常々思うわけですが、何故、船長自ら厨房に立つのですか?」
副長も、同様の事を船長に感じているようだ。
「立ちたいから立ってるだけだ……料理や菓子を作るのは、良いストレス発散になる」
そう言いながら、船長はハンドミキサーを生クリームの入ったボールから引き上げる。
そしてひび割れの生じた失敗作のスポンジケーキスポンジケーキの表面を削るように薄く削ぐ。そして一口大に切り分けると、泡立ての終わった生クリームを塗って副長と厨房長に差し出した。
「甘い……これは?」
「失敗したスポンジケーキにホイップクリームを塗っただけだ……この手の菓子。食った事あるのは、俺と航空隊連中ぐらいな上、作れる者は今のところ俺しか居ない」
それを可能とする人材を増やすべく、厨房長は船長の技を見憶えているわけだ。レシピ自体はデータとして持っているが、実際に作っているところを見た方が参考になる。
失敗したスポンジケーキは、焼いている途中でひび割れてしまったのだ。とは言え、三つ焼いた上で二つは上手く焼けた。
そして、今し方、船長が泡立てた生クリーム……お世辞抜きで美味かった。
サイレンの各艦には、食料生産のための設備が備わってはいた。が、規模の問題から生産できる食料も限られており、食事も基本的に単調になってしまう。
だから、こういった洋菓子のように目先の変わった甘味は、非常に喜ばれるのだ。
「で、副長。お小言や、摘み食いのために厨房まで出張ってきたワケじゃ無いんでしょ?」
船長から、おかわりを貰っている副長に、内心、呆れつつも厨房長は問う。夕食後、副長が食べた牡丹餅の数は、知っているのだ……あの胃袋は底なしである。
ゆっくり味わうように時間を掛け、二欠け目を完食してから副長は口を開いた。
「拠点襲撃の予行演習として、海兵隊の大規模な白兵戦訓練を行いたいのですが、許可をお願いします」
その言葉を聞いても、船長は手を止めない。
表面を削った事で、スポンジケーキの形も整った。とりあえず、これで試作品を作るつもりだろう。
「構わんよ。全て副長に一任しよう」
船長が作っているのは試作品のケーキである。まず厨房係に味を覚えて貰う。ここから作り方に興味を持つ者が現れる事を期待しているのだ。
とりあえず、厨房長は船長の目論みに乗せられたようだ。まだ練習は必要ではあるが、流れは憶えた。あとは実地で技を磨くのみである。
溜め息を吐き、厨房長は副長へと視線を向ける。
甘党ゆえに、その匂いに釣られてきたのかと思ったが、今後に関し副長は船長へ自分の考えを伝えに来たのだ。
推進剤の補給後、アスタロスが向かうのは、先日襲撃した輸送船の母港で麻薬組織のアジトである。
直径十キロの小惑星を利用した中継点で、かなりの規模を誇る宇宙拠点だ。
武力による恫喝だけで済めば良いが、場合によっては海兵隊を総動員し、殴り込みを掛ける事になる……だから、事前に大規模な訓練を行いたいのだろう。
「本音は、訓練というよりガス抜きが目的ですけどね……海兵隊員にフラストレーションが溜まっています。一度、暴れさせてガス抜きをしないと、本番でやり過ぎる者が現れるかも知れません」
昼過ぎの船長と副長、ミカサと副長の立合が終わった後、海兵隊員達が自主的に格闘戦の訓練を始めたのだ。
船長と副長。その後の副長とミカサの勝負を見て触発されたのだろう。
いや、それは単なる理由付けで、単に暴れたかっただけかもしれない。だから、乱闘一歩手前の状況で、ハミルトンとボルトの二人が睨みを利かせる事で、それを押し留めていた。
状況としては、あまり宜しくはない。
だから、一度、海兵隊員を暴れさせて、ストレスを発散させてやれば、作戦中もスムーズに事が運べる。副長は、そう言いたいのだ。
「俺は、黙って承認するよ……好きに決めて良い」
……副長。ずいぶん閣下に信頼されてるじゃない。だからこそ、悪巧みの片棒を担がされたんだろうけど。
厨房長は、声に出さず呟く。
だが、今の船長。どこか無関心なところがあり、それが気になりもする。単に何も考えてないような気配すら感じるのだ。
「船長も、ご協力頂けますね?」
「ああ」
生返事を返しつつ、船長はスポンジケーキに生クリームとイチゴを挟む……どうもケーキ作りに夢中で、まともに聞いていないようだ。
「では、アスタロス内での防衛戦という形式で、攻守に別れて実戦訓練を行います。攻めは私を含む海兵隊、守りは船長側で面子を揃えてください」
アスタロスの乗員を、海兵隊と、それ以外の面子に分け攻防戦を行う。副長は、そう言っているのだ。
恐らく、船長を引っ張り出す事も念頭に入っているだろう。
……でも、閣下は承諾しないんじゃない?
そう思いつつ、驚く船長を期待して視線を向ける。
驚くかと思いきや、船長は全く動じていない。手を止めず、ケーキに生クリームを塗ってゆく。
「ジンナイは海兵隊じゃない。だから、俺の手札で良いんだな?」
厨房長の予想とは裏腹に、船長はあっさり承諾したようだ。
「構いません。また、航空隊も船長の手札となります。ご希望とあらば、海兵隊から何人か船長の陣営へ引き抜いて頂いても結構です」
「海兵隊は副長側で使ってくれ。だが、訓練で使わせてやれる区画は船内の一部だけだ。船尾の格納庫と、船首方面の居住区画……廃墟区画と場所が離れてる。たぶん、どちらか一方って形になるな」
アスタロスには千人を超える乗員を楽に抱える事ができる部屋数があるが、実際、乗っているのは百人強である。だから居住区画は有り余っているのだ。
特に船首の居住区画は、イリヤ以外、誰も使っていない、ほぼ無人の区画となっている。ここが、いわゆる廃墟区画である。
船首の居住区画は、被弾した場合、真っ先に損傷し、そこで破損の伝播を食い止める……いわば空間装甲としての側面があり、居住区画が有り余っている現状では誰も使いたがらないのだ。
この廃墟区画にイリヤが自室を持っているのは、本人の希望に因る物である。
海賊船アスタロスの砲術長という立場にあり、戦闘時の細かな指揮や判断はイリヤが行う。そんな立場上、安全な場所に自室を持つわけには行かない……立場ゆえの拘りだろう。
「断るかと思いきや、閣下は受けて立つ気なんだ?」
「受けて立つというか、単に訓練に協力するだけだ。そんな、ご大層なモンじゃない」
無関心を装った船長の言葉ではあるが、厨房長には、どこか楽しげな響きが感じられた。
海兵隊に格闘術を仕込んだのは、大佐殿ことジンナイ。そのジンナイの格闘術の師匠に当たる人物、それが船長である。
一カ所に留まり、海兵隊の教育に専念していたジンナイ。対し戦場を転戦し、幾度となく空間跳躍を繰り返したが故、何度もウラシマ効果の影響を受けた船長。
そのおかげで、年齢は逆転してしまったが、船長こそがジンナイの師である事には変わりない。
更に言えば、サイレンにおける海兵隊の創設、その発案者が船長なのだ。そのため初期は海兵隊の教官も務めていた……だから弱いはずなどない。
実際、奇策を使ったとは言え、剣で副長を秒殺している。副長は、船内随一の剣の使い手であるのに……である。
今日の立合で、船長の暴れ足りないという気配を察したのだろう。だから副長は、その機会を作り船長に誘いをかけたわけだ。
「閣下も、フラストレーションが溜まっていたわけね……」
だから、乗せられてやった。そう言う事だと厨房長は理解したのだ。
厨房長の言葉に、船長は手を止め大きく溜め息を吐く。
「だから、俺は副長に協力するだけだというのに……」
不機嫌そうに言うが、船長の表情はどこか楽しげだ。
菓子作りが楽しいのか、訓練での攻防戦が楽しみなのか……恐らく両方だろう。
副長率いる海兵隊の方が練度は高いが、船長側は地の利を活かして迎え撃つ事ができる。この条件なら、良い勝負ができるはずだ。
「じゃ、あたしも参戦しようかな……」
主計課だったとは言え、海兵隊員には及ばないまでも厨房長は白兵戦もこなせる。特に銃剣術は、海兵隊員も一目置く腕を持っているのだ。
船内でなら、海兵隊員相手にも勝ちは狙える。
狭い場所……艦内戦闘も前提に入れた銃剣術、それを厨房長は身につけているのだ。




