22・変移抜刀『虚』
養父から聞いた船長の情報を頭でなぞる。
道場での二つ名は『左道』……左道とは邪道の意である。対し養父は『右道』の二つ名を持っていた。右道は王道の意だ。
……邪道を知らずとも王道は歩める。が、王道を知らねば邪道は歩めない……だから、最後まで閣下には勝てなかった。
養父の言葉である。
実際、船長が剣の『勝負』で養父を負かすところを目の当たりにしている。
試合という形式なら養父の勝ちだろうが、あれは養父が希望した『勝負』だった。
出だしは養父優勢で進んでいたが、船長が剣を受けると同時に放った蹴りで流れが変わった。その蹴りで流れが逆転し、立て直せないまま養父は負けたのだ。
当時は卑怯だと船長を罵ったが、あれは『勝負』と言う形式だった。命の遣り取りまではしないまでも、それに近い前提で貪欲に勝ちを拾いあう。
だから、今は正しい。そう思えるようになった。
生死を賭けた戦場を幾つも潜り抜けた。勝って生き残る事が何より正しい。その大切さを、身を以て学んだのだ。
だからこそ、船長には『試合』ではなく『勝負』を挑みたい。
「船長は?」
『こちらに向かっていますね』
ユーリの返事に、副長は胸をなで下ろす。
有耶無耶にして逃げられる。それも覚悟していたが、受けて立ってくれるようだ。
思えば、ハミルトンとの手合わせも、船長は真面目に見ていた。恐らく探りを入れていたのだろう。
だが、あれだけでは、自分が正攻法以外の手も躊躇無く使う、それを知られただけに過ぎない。
むしろ、それを知って貰った上でないと、副長が望む『勝負』は出来ないのだ。
羽織っているスペースジャケットを脱ぐと、ボディスーツを繊維の固まりに戻し、そして剣道着の形に再構成する。
材質的に汗を全く吸わないが、必要に応じて冷却や保温が行われるので、それほど問題にはならない。
そもそも、アスタロスの乗員達は、体質的にあまり汗をかかないのだ。体温調節を空調や身につけているボディスーツに依存しているのも、この体質になる一因だろう。
剣道着の形に再構成したが、冷却機能はさほど低下していない。背中や脇腹など要所で密着し冷却を行っている。これなら、全力で動いても身体が熱を帯びすぎる事はない。
筋力強化の代償として、激しい運動をすると発汗では身体の冷却が追いつかなくなるのだ。その弱点を機械的な手段で補っているわけである。
防具は海兵隊の装備、強化服でもある流体金属で構成可能だ。
竹刀は無いので木刀である。イネ科の植物、その繊維を固めて作った合成木材で、独自の圧縮加工により通常の木刀より重く、そして丈夫に出来ている。
防具は流体金属で構成するため、一見、剥き身に見える部分も、必要に応じて覆う事が出来るのだ。
この道場ならば、お互いの一挙一動までユーリによって完全に監視されているため即座に装甲が形成が可能だ。よって、剥き身の所に一撃を食らう可能性は皆無である。
つまり、殺す気で打ち込んでも、致命傷になる事はまず無い。だから、限りなく実戦に近い勝負ができるワケだ。
「ガチで殴りあう気みたいだな……」
更衣室を出ると同時に、露骨なまでに嫌そうな船長の言葉である。
振り返ると、そこに船長が居た。
「安全のため防具は着用しますが、ルール無用の『勝負』で、お願いします……いや、一つだけルールを設けます。銃は無し……と」
「連戦は辛いから一本勝負。最初から本気を出すぞ?」
「それで、お願いします」
そう言葉を交え、持ち出した流体金属で防具を形成する。
アスタロスの中枢電脳であるユーリは、剣道防具を流体金属で忠実に再現してみせた。
黒を主体とした剣道防具である。
「体、鈍ってるんだけどなぁ……」
ブツブツ言いながら船長はコートを脱ぎつつ、男性用の更衣室へと入っていった。
横目で、コートを脱いだ船長の身体を確認する。
鈍っているとは言っても、一見した限り筋肉質な身体で、そうは見えない。
時々、大佐殿ことジンナイ相手に稽古をしているようなので、身体が鈍っているわけではないだろう。鈍っているとすれば剣の腕だ。
……いや、この呟きも『勝負』を見越した心理戦の一環かも知れない。だとすれば、船長と言葉を交えるのは拙いだろう。
「では、先に行って待機しておきます」
だから、一足先に、同情の中央へと向かう。
これ以上、船長と言葉を交え、不要な情報によって欺瞞されないように。
道場……訓練場の脇に立ち、ミカサは副長を眺める。
足運びから察し、正統派の剣術家のようだ。そして、間違いなく強い。
軍隊時代に剣道を囓った程度の自分では、まず勝負にならないだろう。
……そのアオちゃんが、剣での勝負を希望するって事は、旦那も腕は立つんだろうね。
船長が強いらしいと言う事は、物腰から察していた。
一見、隙だらけに見え、実は隙がないのだ。
あの輸送船の連中を格納庫に連れ込んだ際、副長が気づかなかった発砲の兆候に、船長はしっかり気が付いていたのだ。
……もっとも、あの時のアオちゃんは、なにやら考え事してたみたいだけどね。
船長が口にした銀河征服。その言葉の意味を考えていたのだろう。
少し遅れて出て来た船長も、既に防具を着用していた。
副長が黒であるのに対し、船長が纏う剣道防具は、白が主体となっている。
ユーリが、ギャラリーに配慮して色を分けたのだろう。
裸足でペタペタと歩きつつ、右手一本で型の崩れた素振りをしつつ副長に対峙する。
……あの旦那。強い上に、厄介な食わせ者だわ。
素人感、剥き出しな足運びは欺瞞である。それを木刀を振る動作から見抜く事が出来た。
全く身体の重心がぶれていないのだ。あの体幹、相当な修練を積んで鍛えたのだろう。弱いはずがない。
「さて『勝負』を希望って事だし、開始の合図は要らないよな?」
船長の言葉と同時に、副長は木刀を正眼に構える。
互いの間合いは、かなり離れている。
剣道でも上級者同士の試合は、間合いが広く取られる。互いに、必殺の一撃を食らいかねない距離に、長く身を晒したくない、そんな心理が働くのだろう。
船長も正眼に木刀を構え、互いに間合いを維持したまま、時計回りに移動する……互いに隙を窺っているのだ。
まず船長が動いた。
左手を離し、木刀を背中に隠すかのように、右腕一本で剣を大きく振りかぶったのだ。
抜刀術の一系体だろうが、船長は左利きである。右手の剣で防御をコジ開け、左手で副長を殴る気だろうか?
だが踏み込みは浅い上、後の先を取るべく副長も動いている。防御をコジ開けたところで、素手では決定打など容易に打ち込めないはずだ。
ミカサが疑問を抱いた瞬間に、勝負は付いていた。
船長が『左手』で繰り出した、木刀による強烈な突き。
それを喉に喰らい、副長の足が宙に浮いたのだ。
先程まで木刀を握っていたはずの右手は空である。
「今の何……?」
思わず呟く。
他の野次馬達も、何が起こったのか理解できていないようだ。文字通り、百戦錬磨の強者揃い、白兵戦のプロである海兵隊員達でさえも……である。
副長が纏っていた防具が形を失い、銀色の球体に戻る。それと同時に副長は身を起こした。
防具が機能したためか、副長自身は無傷ではある。が、実戦なら、これで勝負は付いていただろう。
「新古流剣術。奥義、変移抜刀『虚』……」
船長が使った技の名前だろう。それを副長が口にした。
変移抜刀。その言葉で、ミカサには、船長が何をやったか見当が付いた。
恐らく、振りかぶった背中で、右手から左手へと木刀を持ち替えたのだ。そんな曲芸まがいの事を、対峙した副長に気取られず実行して見せたわけである。
左右の手、その直前での位置関係から察し、右手を離し落下途中の木刀を左手で掴む。そして、即座に突きを繰り出したわけだ。
同じ事をやれと言われても、ミカサには出来そうもない。
「昔、打倒シモサカの為に編み出した一発芸だ。この手の一発芸に弱いのは、親子揃って同じだな……」
呆れ気味な船長の言葉ではあるが、あの技は一発芸の域を超えている。
反動を抑え込むための微妙な重心移動。そこから射撃の兆候を察して銃弾を避けるどころか手で止める。副長は、そんな離れ業が可能な達人である。
その達人相手に、背中で剣を持ち替え、その挙動を一切、読ませず強烈な突きを見舞う……並の腕では出来ない事だ。
少なくとも、相手と同等以上の技量が必要になるだろう。
つまり船長は、副長と同等以上の技量を最低でも持っているというわけだ。
「突きを喰らうまで、船長は木刀を振り下ろしてくるものだと思っていました……お見事です」
副長の言葉に、ミカサも同意する。
離れた、俯瞰して観戦できる場所に居て、それでもなお副長同様に木刀は振り下ろされると錯覚させられたのだ。
「旦那……アタシの相手もしてくれる?」
「嫌だよ?」
つれない返事ではあるが、どうも船長には、暴れ足りないような気配があった。
あれだけの技を、涼しい顔で使いこなしてみせた。つまり、腕が鈍らない程度には、稽古を続けているわけだ……それも他人に悟らせずに。
その状況から察し、武術家として何か燻っているものが胸の内にあるはずだ。あるいは、何らかの形で再燃するかも知れない。
と、興味は尽きないが、要はミカサ自身が暴れたいわけである。先の船長と副長の『勝負』に刺激されたわけだ。
「じゃ、アオちゃん、お願い」
「手加減しませんよ?」
副長の言葉に、ミカサは笑う。手加減など論外だ……無論、勝てない事も承知している。
その後、ミカサは副長と剣で五戦したが、一勝四敗で見事に負け越した。
唯一の勝利は、副長が変移抜刀『虚』を放った最後の一戦のみである。
挙動から読めていたため、突きを避けつつ面を打ち込む事が出来たのだ。
……アオちゃんも化け物だけど、旦那は、もっと上を行くわね。
内心、呟きつつ、防具を解除し道場の片隅に視線を向ける。船長は副長とミカサの試合を、最後まで観戦していたようだ。
やはり、武術家として燻っているものはあるのだろう。
……立ち回り次第では、あの旦那に、火を付ける事ができるかもね。
そんな事を考えつつ副長に視線を向けると『虚』の、背中で剣を持ち替える動作を繰り返していた。
背中で木刀を手放し、そして左手で持ち直す。
落下途中の木刀を正確に掴めるだけでも大した物だが、挙動から何をしているのか丸分かりである。
「動作でバレバレ……あの旦那、どうやって悟らせず剣を持ち替えたのやら」
ミカサの言葉に、副長は苦笑いする。
「タネさえ判れば、比較的、簡単に再現できる技だ……そう養父から聞かされましたが、未だ、そのタネが判りません」
……タネ。つまり奇術の類に近い技?
そう考えると、ミカサには少しばかりカラクリが見えてきた。
剣術での体捌き。副長は船長に全く劣ってはいないのだ。
そんな副長が、変移抜刀『虚』を、不完全にしか撃てない現状に、何が欠けているのが見えてきた。
船長の姿を探すが、既に道場から退室したようだ。ならば、口にしても構わないだろう。タネが割れるのを承知で、あの『虚』を放ったとも考えられるわけでもあるし。
「そのタネ。あたし解った気がする」
この言葉に副長は間違いなく食いつくはずだ。
見返りは……ミカサと副長の距離が縮まればいい。
この副長。堅物ではあるが、中々、見ていて面白い。だから友人という関係になれれば、もっと面白くなる。そう思ったのだ。
ミカサ「旦那。あの変移抜刀『虚』だけど、アレって木刀に糸でも付けて持ち替えしやすいように制御してたでしょ?」
船長「ああ。事前に木刀に細工して付けてた……感覚的にはヌンチャクに近いかな。副長が気づいてないようなら教えてやってくれ」
ミカサ「……マジですかっ!? いやそれでも、凄く技術がいるってのは判るけどさ……」




