19・嵐の前の
目が覚めると、目の前に天井があった。
そしてナルミは思い出す。ここはアスタロスの船内なのだと。
二段ベッドの上段だが、下段と相部屋ではない。二段ベッドを仕切りに部屋が互い違いに別れているのだ。
ベッドと小さな机と椅子、そして、ささやかな収納があるだけの簡素な狭い部屋だ。
昨日、船橋を出た後、船長が何か作ってくれるのかと思ったが、それっきり顔を合わせる事はなかった。
様子を見に行ったイリヤの話では、厨房で巨大な肉塊相手に悪戦苦闘していたそうだ。
意外な事に、この船で、もっとも料理の腕が良いのは船長だそうで、それ故、牛肉の整形を押しつけられたのだとか。
ちなみに肉の整形とは、生肉の最終加工、そのための下準備で、筋や僅かに肉に残った骨、そして余分な脂を取り除く事である。
高級牛肉で、船長も四苦八苦しながら肉と格闘していたとか。
今日、辿り着く『忘れられた中継点』の者達と、スキヤキの鍋でも囲もうか……と言う事らしい。
……スキヤキ。実は、ナルミは食べた事が無かったりする。
調理済みで小分けに器に盛られた、スキヤキ風の料理はあるが、鍋としてのスキヤキは食べた事がないのだ。
だから、今日の夕食が楽しみだったりする。
これから一週間、このアスタロスに留まる事になるが、その間、色々と雑用をさせられるらしい。
船長の方針ではなく、この船の台所を取り仕切る厨房長の方針だそうだ。
別に構わない。
船橋にいても手持ちぶさたな上、船長席に座らされて肩身が狭い。何か仕事を与えてくれるなら、それで気は紛れる。
問題は、ナルミ自身が役に立てるかという点である。
気がかりは、それだけだ。
だから、副長や船長の抱える悩みなど、知る由もないのだ。
朝食を取りに食堂へ入り、そこで思わず立ちすくむ。
……こりゃ拙いな。
ハミルトンは内心、呟く。
食堂の壁面に、アスタロスと無敵級の砲戦映像が投影されていたのだ。
早朝に行った模擬戦、その記録映像らしいが、アスタロスは劣勢に立たされている。
副長とイリヤ砲術長、この二人を組ませての模擬戦だろうが相手が悪すぎるのだ。
あの無敵級が相手だ。
ハミルトンも噂どころか、あの無敵級がサイレン艦隊を蹴散らす様を敗戦間際に目の当たりにしていた。
「模擬戦とは言え、こりゃね~だろよ……親父殿」
現在、互いの間合いは、中・長距離砲戦と言える距離である。
アスタロスは、無敵級の砲撃を回避してはいるが既にジリ貧だ。
無敵級は回頭しアスタロスに側面を向けている。敵に側面を向けるとこで、クルフス艦は、もっとも多くの砲を使える状態になるのだ。
対照的にサイレンの艦は、敵に真正面を向けた際、全ての艦載兵器が使える、つまり最大の火力が発揮できる状態となる。そしてクルフス艦と比較して高い動力炉の出力と機動性を誇っている。
クルフス艦を浮き砲台に例えるのであれば、サイレンの艦は戦闘攻撃機である。
おかげで艦の規模が同じであれば、サイレンの艦はクルフス艦に対し、非常に有利に戦えた。対しクルフスは、戦艦を巨大化させ火力と砲の密度を上げる事でサイレンに対抗したのだ。
それを突き詰めた結果、産まれた艦が無敵級である。
無敵級は、その巨体に見合う出力ゆえ単艦でサイレン艦隊を蹴散らせるような化け物だった。その無敵級を倒しうる艦としてイシュタル級は設計されたが、既に疲弊しきっていたサイレンは、設計どおりに一番艦たるイシュタル……アスタロスを完成させる事はできなかった。
先程、空振りした船首光子砲も、今、無敵級に向かって斉射している四門の主砲も、元々イシュタル級に搭載予定の無かった兵器なのだ。
四門の主砲から斉射された四本の圧縮光子。その奔流が、無敵級の前面に広がった霞へと突っ込み減衰する。
無敵級は、艦周辺に防御用の攪乱幕を配置しているのだろう。機雷のように周辺に浮かべ、必要に応じ起爆させ攪乱幕を展開するわけである。
攪乱幕によって減衰した光子砲の奔流では、無敵級を覆う障壁を貫く事はできない。攪乱幕と障壁。その二重の鎧を無敵級は纏っているのだ。
対し、アスタロスは機動性で無敵級の攻撃を凌いでいる。アスタロスも攪乱幕は持っているが、回避のため常に機動している手前、防御に使えないのだ。
攪乱幕は、戦場に配置する盾代わりの障害物だ。単艦での機動戦では非常に使いづらい。
アスタロスは、回避行動を取りつつも無敵級に接近してゆく。肉薄し、電加砲で勝負を付けようという腹づもりのようだが望み薄だ。
光子砲と比較すれば電加砲……レールガンに食われるエネルギーなど知れている。だから有効射程に捉え次第、ありったけの反物質弾頭を叩き込むつもりだろうが、そこまで接近するのは至難の技なのだ。
相手との距離が詰まるほど、砲撃の精度は上がってゆく。それに対し回避は、より困難となる。
質の悪い事に、シミュレーター上の無敵級を指揮しているのは船長である。アスタロスの火器管制を一手に取り仕切るイリヤ、その手の内を知り尽くしている。
そのあたりを考慮し、多少なり手心を加えてやればいいのだが、船長は真逆の事をやっているのだ。
本気で叩き潰す気のようだが、イリヤはともかく副長の面子を潰すのは相当な悪手だ。ハミルトンは、そう考えている。
海兵隊員の大部分は、船長ではなく副長に従っている。船長ではなく、副長を自分たちの主と考える者が大半を占めているのだ。
『鉄の女』『冷血』などとは呼ばれているが、一人でも多くの部下を生還させるべく、そう呼ばれかねない決断を下すためだ。
その事は、今、アスタロスにいる海兵隊員、その全員が知っている。故に、海兵隊員の副長への信望は厚いのだ。
だからこそ、主の面子を潰されたとあっては、海兵隊員が黙ってはいない。何より副長は、昨晩、船長への不信感を口にしていた。
その報告は船長に上げた。だから、副長に花を持たせるつもりで、最後は勝利で……そう思った矢先、投影される無敵級の像が歪みが生じた。
無敵級が全身に纏う全ての光子砲。その砲撃を一点に集中するための予備行動である。
光子制御技術で、光子砲の奔流をネジ曲げてアスタロスを狙えない位置にある砲までも、強引に使用可能としたのだ。
この砲撃を、クルフス側はクロスファイヤと読んでいた。十字砲火、又は集中砲火の意であり、無敵級の行う最大級の攻撃である。
「これ以上、アスタロスに内懐に踏み込まれたら電加砲の有効射程に収まってしまう。その状態で反物質弾をバラ撒かれたら、いかに無敵級とは言え押し負ける。だから、その前に勝負を付けようって事かしらね?」
いつの間にか隣にやってきたミカサが言う。その傍らには、イリヤも居た。
「そう。親父殿は、アタシ達の手の内を全部、知っているって前提で模擬戦に挑んだみたい……つまり、花なんか持たせてやらないよって事」
イリヤの言葉にミカサは声を出さずに笑う。
直後に、無敵級はクロスファイヤを放った。
無敵級の姿が、涙滴形の薄い光の繭に包まれる。その涙滴の先端はアスタロスに向けられ、圧縮光子の奔流が伸びていった。
一斉射撃ではなく、タイミングをズラした射撃である。
回避するアスタロスを追尾するように、圧縮光子の奔流が迫る。そして、ついにアスタロスを光子砲の奔流が捉えた。
アスタロスは、無敵級の砲撃に五秒間耐え、そして爆散した。
やれやれと言いたげに、イリヤが溜め息をつく。が、気に病んでいる気配はない。
しばしの沈黙。
最初に口を開いたのはミカサだった。
「成る程。次に同じ形で勝負になったら、アオちゃんイリやんコンビは無敵級に勝てるかもね」
「イリやん……?」
ハミルトンは思わず口にする。
副長の事を、ミカサがアオちゃんと呼んでいる事は知っていた。だが、イリヤをイリやん……ハミルトンとしては、受け入れがたい物があった。
「ミカサさんなら、どう攻めた?」
イリやんの呼称にハミルトンが抗議しようとした矢先、当のイリやん……ことイリヤがミカサに尋ねる。
つまり、当人は全く気にしていないのだ。
「相手はクルフスの誇る、最強戦艦たる無敵級。後先なんか考える余裕はないわ。機雷代わりに、レールガンで弾や暗幕をバラ撒き、あとは暗幕越しに最大砲での超長距離射撃。それが空振りしたら、バラ撒いた弾頭を随時起爆させたり暗幕広げたりと目眩ましに使いつつ間合いを詰め、近接砲戦に賭ける……イリやんは、なんか戦術が貧乏性なのよね」
昨日の貨物船襲撃。その後、光子砲や電加砲で貨物船を沈める……そう提案はしたが、アレは船長の気を惹くための発言で本気ではなかった。ハミルトンは、そう認識している。
実際、イリヤは戦闘で、無駄弾をほとんど撃たない事で知られていた。そして、狙いを外す事は希だ。それ故『元帥閣下の親衛艦隊』その旗艦、パラス・アテネの主任砲術士を任されていたのだ。
「電加砲の弾数には限りがあるし、無駄弾撃って良い物かと考えちゃって……」
サイレン宇宙軍は、補給も儘ならない状況で戦ってきた。それ故、貧乏性が骨身に染みついてしまっている。
優秀な砲術士であるほど、その傾向は強い。そしてイリヤは、極めて優秀な砲術士である。
「弾残して死んだんじゃ未練が残るわよ……男だって、股間の鉄砲、一度も使えずに死ぬなんて嫌でしょ?」
伸るか反るかの大勝負、だから後先を考える必要は無い。ミカサの言い分は理解できる。
……けど、下ネタは勘弁してくれ。女性に幻想を持たせてくれよ。そうハミルトンは、声に出さず愚痴った。
「ウチのボスの指揮は、どうだった?」
内心の葛藤を振り切り問う。
「即決速攻……優秀な指揮官の必須条件は持ってるわね。とは言え、戦術はアタシに任せてくれた。だから敗因はアタシにある」
イリヤは、そう思っているだろうが、この船の乗員、その大半が副長の失態と考えるはずだ。指揮を執ったのは、イリヤではなく副長なのだ。
相手は『百戦無敗』の異名を持つ船長だ。それ故に副長の評価は下がらないだろうが、自分たちのボス、その顔に泥の塗られたと海兵隊員達は考えるだろう。
結果、海兵隊員達が船長に従わなくなる可能性も考えられる。そうなると、ハミルトンの力では海兵隊員を抑えられなくなるのだ。
海兵隊の隊長を任されてはいるが、あくまで形式上だ。実態は副隊長であり、未だ海兵隊の実権は副長が握っている。
副長が船長を裏切る可能性など考えてもいなかったが、昨晩の副長の発言から、船長との間に溝ができている気配がある。
海兵隊は、副長が命じれば船長に反旗も翻すだろう。
好んでアスタロスに残った者達とは言え、気まぐれに一人、港で姿を眩ませたり、唐突に銀河征服などと言い出したりと、船長の言動に疑問を呈する者も既に出て来ているのだ。
副長が船長に取って代わるのであれば、海兵隊員の大半は副長側に付くはずだ。
それを、いかに抑え込むか考える。が……正直、ハミルトンの手には余る。
「ハー君は、海兵隊なのに旦那派なのよね?」
ミカサの言う旦那とは船長の事である。そしてイリヤとハミルトンの言う親父殿も船長の事だ。
「親父殿を『親父』を付けたり、あと閣下って呼ぶ連中は、みんな親父殿の派閥ね」
ミカサの言葉にイリヤが答える。が、その件に関してはミカサも気づいているだろう。
「俺ね……ガキの頃、親父殿に面倒見て貰ってたんだよ」
つまり、船長が育ての親なのだ。
サイレン宇宙軍における、かつての総司令官、ハミルトン元帥。戸籍上は、その孫であり、当時、元帥の腹心だった船長に預けられていたのだ。
孫であるのは、あくまで戸籍上だ。実際は元帥の息子、そのクローンである。戦死した息子のクローンを作り、それを孫として迎えたわけだ。
もっとも、ハミルトン自身、祖父の記憶はほとんど無い。
物心ついて間もなく、祖父も戦死したのだ。
それ故、船長を自分の父親のように思っている……もっとも、船長自身は、ハミルトンの事を息子のようには思っていないだろう。
有象無象の部下の一人……だが、それで十分だ。
「そうだ……ハミルトンは、オリジナルの記憶は持ってる?」
唐突にイリヤは切り出す。
オリジナルの記憶……戦死した元帥の息子、ハミルトンの元となった人間の記憶の事だろうが、そんな物は持っていない。
「そんなモン、持ってないよ」
イリヤと、仕事以外で会話などした事はない。所属が全く違うのだ。おかげで船内で顔を合わせる機会も滅多にない。
だが、ハミルトンはイリヤの事を知っていた。アスタロスに乗る事になる、その遙か以前から。
……船長が、幼いイリヤを含む三人と写った写真を持っていたのだ。
戦争が始まる前、地上で……サイレン本星が失われる前に撮られた写真で、写っている娘がイリヤであるはずはない。
船長の家族写真で、写っている幼い娘、その面影はイリヤによく似ていた。
「アタシは持ってる……」
つまり、イリヤもクローンなのだ。
サイレンは人手不足を補うためにクローン人間など、人工的な手段で人間を造り出したのだ。
生きている人間。そのクローンを造り出す事に抵抗があったためか、戦死した軍人や、優秀な軍人の死亡した子弟などを対象にして。
イリヤは船長が持っていた娘の髪。そこから取り出したDNAを元に造られたクローンである。
ハミルトンは、船長の血が繋がらない『息子』として、血の繋がりのみの『娘』の存在を知って以来、常に意識していた。
こんな事を言ってくるという事は、イリヤもハミルトンの事を、船長の『息子』として意識していたのだろうか?
「どんな記憶だ?」
「親父殿に抱き上げられ、瞬く星空を見上げている記憶。あの星の大半が太陽で、幾つもの惑星を従えた星系だ。その星系の幾つかには人間が住んでいる……いずれ、その星々を船で回れる時代が来る。そう、親父殿は記憶の中で言ってた」
大気の底から見上げないと星は瞬いて見えない。
そして、イリヤが人工子宮から産まれたのは、サイレン本星爆散後であり、大気の底から星空を見上げた事など無いはずだ。
だが、イリヤが嘘を吐いているとは思えない。
実際、僅かではあるが、クローン人間にオリジナルの記憶を断片的に持つ者は確認されているのだ。
「そーいや、親父殿は戦争やりたくて軍隊に入ったワケじゃ無いって言ってたな……」
恒星船に乗って、他の色々な人類社会を見て回りたかった。あの当時は軍に入るのが一番の近道だった。と、船長は幼いハミルトンに、そう語った事があったのだ。
先のイリヤの言葉とも、重なる部分がある。
そもそも船長が軍隊に入ったのは、戦争の気配も無かった頃だ。あの時代、戦争のために軍隊に入った者など、ほとんど居ないはずだ。
「アタシとカーフェンは、この船のボスに従うわ……」
ミカサは意味ありげに言うと、二人から離れ先に食堂へ来ていた仲間達と合流する。
この船のボスであり、船長とは言わなかった。つまり、副長がボスとなったら黙って従う。そう言う意味だとハミルトンは理解する。
あまり宜しくない状況である。
「ちぃとキナ臭い匂いがする。ウチのボスを筆頭に海兵隊連中が、親父殿に反旗を翻すかもしれん」
イリヤは船長を裏切らない。それについては確証がある。自分同様、船長を親父殿と呼ぶ同士なのだ。
「ナニ言ってるの……?」
呆れたようにイリヤは言うと、食堂へやって来たナルミに気づき、そちらへ行ってしまった。
どうやら、イリヤは船長と副長の確執には気づいていないらしい。もしくは、副長がイリヤに気配を悟らせなかったか。
ハミルトンは大きく溜め息を吐いた。
そして船長と副長。その双方と話をするべく食堂で待つ。
だが、幾ら待っても二人は食堂にはやって来なかった。あの二人、朝食は、いつも食堂で取っているのに……である。
そして朝食時間が過ぎて間もなく、ハミルトンの持つ端末に招集が掛かった。
目的地である『忘れられた中継点』へ、間もなく到着するのだ。
船内に迎えた中継点の住人達に睨みを利かせる、それが海兵隊の仕事だ。つまり、武装した状態で、船長と住人達の遣り取りに付き合うわけである。
海兵隊が船長を抑える上で、絶好の条件が揃っているのだ。




