13・船長席
……凄く居心地が悪い。
アスタロスの船長席に座り、ナルミは心の中で呟いた。
さすが船長席だけあって座り心地は良い。ただ、周囲を計器に囲まれ、その中に埋もれるような配置になっているため周りの様子は全く覗えない。正面モニターすら、上半分しか見えないのである。
……こんな場所で、船長は指揮なんか執れるんだろうか?
船長席に座って既に一時間。
ナルミは、ようやく疑問を感じる。
アスタロスの乗員達にとって、この船長席は神聖な場所のようだ。
だから船長に促され船長席に座った際は、船橋の空気が変わった事が露骨なまでに感じられた。
だが、船長が宣言した以上、誰も文句は言えないでいる。でも、雰囲気から、自分が船長席に座る事が歓迎されていない事ぐらいは判るのだ。
ナルミが船長席に座っている事に不満を持っていない者は、船長とミカサ、そして先程、初めて顔を合わせたカーフェンぐらいだ。
カーフェンは、ミカサと同じく航空隊の隊長だそうだ。階級は大佐で等級はない……つまり、ミカサ同様、船長達とは異なる国の出身というわけだ。
ミカサは背中に部隊章らしい黒い縁取りで切り抜かれた不格好な犬のシルエットが描かれた赤いスペース・ジャケットを着ているが、カーフェンの着ているジャケットは、赤一色で何の模様も描かれてはいない。
紋章入りのスペース・ジャケットは、船乗りにとっては所属船を表す身分証のような物だ。恐らく軍隊においても、所属を表す意味がある。だが、カーフェンは赤一色のみ。
何処の部隊にも属さないか、もしくは赤い色が部隊を表しているのか。
そんな事を、ようやく落ち着いてきた頭でナルミは考えていた。
アスタロスには、彫りの浅い東洋系の顔立ちの者が多い中、カーフェンは彫りの深い西洋系の顔立ちだ。金髪に灰色の瞳……同じく金髪であるハミルトンは、彫りの浅い顔立ちだった。
全長一千メートルを超える巨体に見合わず、アスタロスの船橋は狭かった。定員は十数人程度だろう。何十人も入れる会議室のような部屋を想像していたナルミには拍子抜けするような狭さだった。
「安全宙域に到達。空間跳躍移行のため、亜光速推進機関を作動させますか?」
イリヤの言葉である。
アスタロスにおいては、砲術長が操舵の責任者も兼任している。船首の巨大な光子砲、その照準を合わせるためには船の向きを変える必要があるためだそうだ。
「周辺船舶に警告を発しろ。これより一時間後に亜光速推進機関を作動させると」
船長席に寄りかかりつつ、船長が宣言する。
周辺船舶への警告。これはナルミも理解できた。
ほぼ光速まで加速された恒星船の推進炎は、数光秒……百万キロ以上まで到達する。
距離にして二光秒以内で亜光速推進炎の直撃を受けた場合、戦艦であっても無事では済まない。それを避けるための処置である。
「アスタロスは露骨なまでの戦闘艦デス。港湾の管制が警戒を呼びかけていマスし、周辺船舶も距離を取ってくれてマス……警告は不要じゃないデスか?」
カーフェンの言葉である。ネイティブではないのだろう。どこか妙な訛りがある。
「警告せずとも問題は起こらないが、警告を発したという事実は残しておかないとな。事前に得た管制情報から、航路上に着宙する船は判っていても、俺たちが、その情報を持っている事は管制や周辺船舶の連中は知らないわけだ」
着宙とは、空間跳躍を終えた船が、通常空間へ復帰する事柄を指す。
離れた二点を、空間を介さず飛び越える……よって空間跳躍と呼ばれるわけだ。つまり、何も無い空間に突然、船が現れるわけである。
船の往来が激しい宙域への着宙は、接触事故の危険を伴う。それ故、航宙法により、惑星や中継点の近くへの着宙は禁じられている。
もっとも、あくまで航宙法で定められているからであって、法を無視して惑星や中継点に近くに着宙する船は後を絶たない。
船の往来が激しいとは言っても、やはり宇宙は広大で、接触事故など滅多に起こらないためである。
だが、四半世紀ほど前に天道中継点付近で、その滅多にない事故が起こってしまったそうだ。
その記憶は、未だ風化していない。それ故、安全宙域以外への着宙は、天道中継点では御法度になっている。違反した場合、莫大な罰金が科せられるのだ。
だからか、船長は航宙法に従って行動したいらしい。自分たちはルールを守る、そう中継点にアピールしたい……そう言う事だとナルミは理解する。
「親父様。海賊船と名乗ちゃっても構いませんか?」
若い女の声が船長に尋ねる。
オペレーターの一人で、ヒメと呼ばれていた少女だ。
少女と言っても、イリヤよりも年上に見える。が、しゃべりは幼い。恐らくイリヤとは違い、見た目どおりの歳なのだろう。
「ああ、構わんよ」
船長の言葉に、ヒメは深呼吸で答えたようだ。
「当船、宇宙海賊船アスタロスは、空間跳躍のため一時間後に亜光速航行へ移行する。危険宙域を指定するので各自、退避せよ……って、質問が山のようにっ!」
アスタロスが警告を発した事で、様子を見ていた船舶が話せる相手だと判断したらしく一斉に通信を寄越したようだ。
『おおむね、このアスタロスの素性についての質問ですね。なお、港湾の管制より、指向性通信で跳躍の承認が出ました』
テンパったヒメに代わり、AEのユーリが説明する。
船長席のモニターで管制からの文面を確認し、船長は押し殺した声で笑う。
文面には、早急に立ち去ってくれと書いてあったのだ。
「まあ、質問は無視して良いだろ……いずれ俺たちの正体には気づくさ」そう言い、船長は船橋を見回す。「一時間後に短距離跳躍を行う。目的地は以前、立ち寄った『忘れられた中継点』だ。そこで推進剤を補給。それから二回の跳躍を行い、あの貨物船のアジトを強襲する。俺たちの海賊としての初仕事……その総仕上げになるな」
その言葉を聞いても皆は無言だ。
だが、ナルミには船橋の温度が高くなったように思った。態度にこそ出さないが、皆が高揚しているような気配が感じられるのだ。
「以前も利用しましたが、あの『忘れられた中継点』では、厄介事を押し付けられそうな気配があります。推進剤の余裕が無くなりますが、直に目的地を目指した方が得策では?」
副長の言葉に、船長は感心したように笑う。
「近いウチに再び立ち寄る……そう言っちまった手前、無視するわけにもイカンだろ。それに推進剤カツカツでの航海は遠慮したい。ま、俺たちは海賊だ。厄介事なんか押しつけては来ないさ」
船長の言葉。それと先程の船長の態度に、ナルミは妙な齟齬を感じる。
「そう楽観視して良い物でしょうか?」
そう答える副長の顔は、ナルミの視界の中にあった。
だから、副長から奇妙な違和感を憶えたのだ。そう、まるで吹き替え映画を見ているような違和感である。
傍らに立っていた船長が移動し、副長とナルミの間を遮る位置に立つ。
「じゃ、対策を考えてくれ……一時間後に亜光速推進に移行する。イリヤとヒメは船橋で待機し、不測の事態に備えるように。他は好きにしてくれ……ただし、亜光速推進開始の十分前には船橋に集合しておくように」
そう言うと、船長は船橋から出て行く。まるで示し合わせたかのように副長も一緒に。
「カーフェン……シミュレーターに付き合いなさい」
「承知。『魔術師の剣』に他の連中を付き合わせたら可哀想ダ……」
ミカサの言葉に、カーフェンが妙な訛りのある言葉で応える。
『魔術師の剣』……ナルミが聞いた事のない単語だ。カーフェンがミカサを、そう呼んだと言う事は、ミカサの渾名だろうか?
「カーフェンさんが言った『魔術師の剣』って、ミカサさんの事?」
ミカサとカーフェンが去った後、ナルミは呟くように問う。
「ミカサ中佐の祖国での二つ名ね。『魔術師の剣』と、それが転じた『剣のミカサ』あと『赤いハイエナ』……まだ他にも色々あるけど、有名どころは、そのあたり」
イリヤの言葉に、ミカサのジャケット、その背中の紋章が、ようやく理解できた。
あの不格好な丸い耳と鬣を持つ、赤い犬のシルエット、それがハイエナであると言う事に、である。
「ミカサさんのジャケットのエンブレム……あれってハイエナなの?」
「アマツ宇宙軍航空隊で最強と謳われた部隊。特別選抜大隊こと特選隊の部隊章ね。群れを成す肉食獣の中で、最強の軍団を造り出す獣……それを赤いシルエットとして部隊章に選んだって言ってた。だから特選隊の元隊員は『赤いハイエナ』なんて呼ばれてる」
イリヤの答えに、ナルミは納得が行った。
アマツという国は知っていた。
ディアス多星系連邦と帝国スメラに挟まれた単星系国家で、同じく単星系国家である隣国、アイゼルと戦争をしていたらしい。
決着が付かないまま停戦したという話を、以前スターネットで見かけたように記憶している。
そして、両陣営には、軍を代表する化け物じみたパイロットが一人ずついると、港の船乗りの噂話で聞いていた。
アマツ宇宙軍には『神速の魔術師』。アイゼル宇宙軍には深紅の機体を愛機とする事から、宇宙暦以前に実在した伝説的な撃墜王になぞらえ『赤い男爵』。
そしてアマツは、漢字で天津と書き、天道中継点と同じく日本の流れを汲む国家である。
「魔術師の剣って……あの神速の魔術師と関係あるの?」
「親父殿が御執心だったパイロットね……部下に欲しいって言ってたし、アタシも戦闘指揮してる映像見たけど、あれは化け物ね。ミカサ中佐は直属の部下だったみたい」
両陣営の航空隊は、『ケルベロス』と呼称される特徴的な編隊を組み空戦を行ったのだそうだ。
……もっともナルミが知っているのは、その程度で、具体的な事までは全く知らないのだが。
「ミカサさんって、凄い人だったんだ……」
ナルミは放心したように呟く。具体的な事は不明だが、これだけは間違いなく言える。
「アスタロスでの機動戦……砲術長兼主任操術士でもあるアタシより、ミカサ中佐やカーフェン大佐の方が強かったりするからね。カーフェン大佐は『悪魔の牙』が二つ名。『赤い男爵』率いる航空隊『赤い悪魔』で、男爵の片腕を務めた戦闘機乗りだった……二人とも化け物よ?」
ミカサだけではなく、カーフェンも只者ではなかったようだ。
そして、ミカサとカーフェンは、元々は敵同士だった。
二人とも二つ名を持っていたという事は、戦争中も互いの事は知っていただろう。だとすれば、戦場で殺し殺され……といった関係だったのだ。だが、今の二人に、蟠りのような物は無いように見えた。
二人とも、両国でトップクラスの戦闘機乗りのはずだ。そんなパイロットが、なぜ海賊船に居るのか?
ナルミは船長席から立ち上がってイリヤへ視線を向ける。
ミカサが伏せておいた出身国の情報。それをイリヤは口にした。つまり、比較的、口は軽い。
直接的に質問したら怪しまれるだろうが、遠回りに質問すれば、色々と聞き出せそうな雰囲気である。
船長に因れば、ナルミがアスタロスに滞在する時間は一週間ほど。十分すぎる時間はある。まずは、イリヤを知ろう。今、すぐ近くにいるのだ。
「船長の言ってた『忘れられた中継点』って?」
質問や様々な話を交え、イリヤの癖や性格を知る。遠回りかも知れないが、ミカサと並び、ナルミの世話を船長から任されたのだ。
何より外見から歳が近く見えるため、ミカサや副長より話しやすい。
まずはイリヤと仲良くなろう。
短いようで一週間は長い。
だから、短い間であっても、友達が欲しかったのだ。
船長が良からぬ事を考えている。
そんな事を思いつつ、副長は船長について歩く。
先程、船長は声に出さず副長に伝えたのだ。『忘れられた中継点』の件で頼みたい事があると。
きっと、ロクでもない事だ。そうは思うが、副長は表情や態度には出さない。
向かった先は、船長室だった。
船長室は船橋に最も近い部屋として据えられている。出入りの制限も容易であるし、込み入った話をするには手頃な場所だろう。
船長は、船長室の机、その引き出しを開け、小さな箱を取り出し副長へ差し出す。
受け取り箱を開けると、薄い木の板でできた扇子だった。開くと白檀の香りがする。
「これは?」
「使ってくれ……あのナルミだが、副長の腹話術に気づいていたような気配がある。人前で腹話術を使う以上、腹話術に気づく者はいるだろう。使う時は、口の動きを第三者に読まれないようコイツで隠して喋ってくれ」
先程、船長と副長は腹話術と読唇術を交え、発する言葉とは別の会話を密かに行っていたわけである。
船長に指摘され、副長は当時のナルミの表情を思い出してみる……確かに、自分を見ているナルミが、何か怪訝そうな表情を浮かべる瞬間があった。
コサカ女史も持っている写真記憶の能力を応用し、当時の状況を頭の中で再確認したのだ。
「確かに、何かしらの違和感を感じたようですね……彼女は何者です?」
副長の言葉と共に、その目の前に文字列が投影される。ナルミのDNA情報、その解析結果である。
ランク分けが不可能な知能強化型のサラブレッドではあるが、身体の方も強化していないと言うだけで強化のための拡張性は与えられていた。身体強化を行った場合、Aランクを超え、Sランクにも達する可能性がある。
副長は、ディアス式に言えばSランクのサラブレッド……つまり、身体能力で副長に匹敵しうる可能性もあるわけだ。
このナルミ……身体を戦闘用に再調整し戦闘員として鍛えれば、相当な戦力になるだろう。それを目当てで、船長は船へと招いた……そこまで考え、副長は否定する。
船長には、全く、その気は無かったのだ。何より一人二人、兵隊候補が増えたところで、戦力の増強には繋がらない。
「遺伝子調整の技術は、連邦内でもバラつきがあるがディアスが人類圏一と見て良いかもな。天道中継点じゃ人工子宮から生まれてくる子供は、みんなサラブレッドだそうだ」
その情報は、副長も一通り持っている。
サイレンはクルフスとの戦争中、ディアス多星系連邦に属する天道中継点から、遺伝子調整技術を買ったのだ。
副長自身、その技術のテストケースとして産まれたサラブレッドある。
サラブレッド。thorough・bred、徹底的な品種という意味である。事実、競走馬のサラブレッドは、徹底的なまでに交配を管理して産まれた品種なのだ。
そして人間のサラブレッドは交配ではなく遺伝子調整のみで生まれてはいるが、遺伝子改変も同時に行われているため、交配よりも遙かに容易かつ確実に優秀な子孫を造り出す事ができる。
「ディアスに属する宇宙都市は、遺伝子改変に拒絶反応はありませんからね」
宇宙における補給の一大拠点であり、そして巨大宇宙都市でもある天道中継点。
訪れる船乗りの中には、宇宙線被曝によって遺伝子情報が破損した者達も、たびたび訪れる。そう言った者達を治療するために、天道中継点は遺伝子調整技術に磨きを掛けたのだ。
その延長の感覚なのか、遺伝子の改変にも拒絶反応を示す者は少ない。
そして天道中継点は、リソースの限られた宇宙都市だからこそ、積極的に優秀な人間を造り出そうと遺伝子改造に手を染めたのだ。
倫理や道徳など、人間が人間の都合で作った物に過ぎない。人間の都合で変えてしまっても、全く問題はない。
天道中継点に限らず、宇宙都市に住む者達や恒星船乗り……いわゆる宇宙屋の共通認識である。
「中継点とか宇宙に居を構える者達は、地上の連中が禁忌と考える事にも平気でやるからな……」
副長は、船長から貰った扇子で口元を覆い、そして声に出さず言葉を紡ぐ。
……それが本題ですね、と。
無論、船長には、その呟きは読み取れない。が、気づいているだろう。
「以前、『忘れられた中継点』に立ち寄った際、推進剤の見返りとして食料生産プラントを渡しましたが、完全には納得しなかったようです……恐らく、また無理を言ってくるかと」
副長は口を覆ったまま言うが、見返りが少なすぎる……と言う意味での無理ではない。
一世紀ぶりに訪れた船を用いて、彼らは外界との繋がりを持ちたかったのだ。だが、クルフスの追っ手から逃れるため身を潜めていたアスタロスは、外界への窓口という役目を果たせなかった。
だから、中継点から何人か乗員として迎えて欲しい……そう申し出たのだ。
密閉状態にある宇宙の閉鎖環境故に『忘れられた中継点』は人口が限界に達していた。そのため、定期的に口減らしが行われていたのだ。
殺すぐらいなら、海賊であっても構わないから引き取って欲しい……そう言う事である。
「以前の支援で食糧事情は改善されて居住区画も拡張してやったが、立ち寄ったら、また何人か引き取ってくれとか間違いなく言ってくるな……」
船長は、ぼやくように言う。
口減らし以外にも、アスタロスに乗員を提供する事で『忘れられた中継点』としては関係を継続したい……そう言う思惑もあっただろう。だが、船長は乗員を増やす気は無いのだ。
何より素人を乗せたところで、戦力化できるようになるまで手間と長い時間が掛かる。つまり、単に無駄飯食いが増えるだけなのだ。はっきり言ってアスタロス側にメリットは無い。
「でしたら、断れば宜しいのでは?」
アスタロスに喧嘩を売れるだけの力など『忘れられた中継点』には無い。船長が断れば、中継点側は折れるしかないはずだ。
「まあ、俺は、そうするつもりだが……」
それを行った結果、中継点は口減らしを行う事になる。恐らく、アスタロスに送り込む予定だった、若い人材を対象に、である。
以前、彼らは、そう仄めかしたのだ。
すでに『忘れられた中継点』は背水の陣を敷いている。口先だけではなく、本当に実行するだろう。恐らく、当てつけの意味も込めてアスタロスの前で。
……つまり、わたしに何をしろと?
扇子を閉じ、今度は口元を隠さず声を出さずに言葉を紡ぐ。
副長の言葉を読んだのだろう。船長は楽しげに笑う。
厄介事を押しつけられる予感はあった。逃げを打てば見逃してくれるだろうが、それを判ってなお、副長は船長の言葉を待つ。
……同時に、嬉しくもあったのだ。
あの船長が、今、自分に頼ってくれているのだから。




