11・ジーン・オルファン
船長室から出て行く副長を見送り、船長は大きく溜め息をついた。
「さて、ユーリ。あの貨物船の情報を持ち込んだジーン・オルファンという男……何者だと思う?」
船長は机に両肘を付いたまま、呟くように問いかける。
ジーン・オルファン。この男についての情報は、船長もユーリも共用していた。
帝国スメラ出身の船乗りで『韋駄天』という高速貨物船の所有者であり船長でもある。
この『韋駄天』……帝国では旧型船だが、ここディアス多星系連邦では、連邦製の最新型に劣らぬ速度性能を持っていた。
そしてジーン・オルファン。
オルファンとは孤児の意で、あからさまな偽名だろう。
一時期はクルフスにも身を置いていたそうで、天道中継点にあったクルフスの出先機関に所属していたという情報もある。
帝国の二重スパイという可能性も考えたが、帝国は諜報戦が下手な国だ。
そもそも帝国内だけで全てを完結させ、余所と交易をする気が皆無なのだ。帝国外での諜報活動ができる者など数えるほどしか居ないはずだ。そんな数少ない逸材を、クルフスに送り込むとは思えない。
そしてジーン・オルファンが諜報員だとしても、彼以外に諜報活動を行ってる者の姿は、天道中継点の協力者からは得られなかった。単なる情報収集ではなく発信まで行う諜報活動となると、個人では手に余る。
何よりジーンは、根無し草の船乗りである。諜報員だとしても、広く浅く情報を集めるぐらいしかできないはずだ。それに他の諜報員と連携を取っている気配もないらしい。
……詰まるところ、諜報員と考えるには無理のある人物と言うわけだ。
『私だったら、そもそも彼とは関わりませんね。かなり胡散臭い人間です』
ユーリの言葉に、船長は楽しげに笑う。
ジーンの胡散臭さは、船長も知っていたはずだ。だが、その上で船長はジーンの話に乗った。
「だが、あのジーンが俺に寄越したディアス・ネットワークの情報は本物だった」
ディアス多星系連邦内に隈無く張り巡らされた超光速通信網。それがディアス・ネットワークである。
恒星船乗りだったクリス・カロン・ディアスが敷設した超光速通信網ディアス・ネットワーク。そのディアス・ネットワークによって多くの小国が結束し、できた連邦がディアス多星系連邦というわけである。
そして、ジーンが提供したディアス・ネットワークの情報は本物だった。最新ではないものの、今でも十分通用する。そんな情報を、ジーン・オルファンは無償で船長に提供したのである。
『だから、ジーンの持ちかけた貨物船襲撃に乗ったわけですね?』
「行儀の良い船乗りだったら手は出さなかったが、アレは俺たちよりタチの悪い連中だ。野放しにしておくべきじゃないと思ったんでね……」
船長の言葉に、ユーリは溜め息を吐きたくなった。もっとも、機械であるユーリには不可能な事であるが。
『連中のアジトを特定し襲撃に向かうのも、野放しにできないからですか?』
「忘れられた中継点を乗っ取り、そこを根城にしている……中継点の元の住人達が、どんな目に遭ってるかと思うとね。それにマフィアの類なら、金だって貯め込んでるだろ」
仮に貯め込んでいたとしても、それを手に入れたところで、自分たちが使えるかどうかは別問題だ。
それに、襲撃に成功したところで、今回同様、なんの収入も得られないと言う事もありうる。
この海賊船アスタロスは元が戦艦だ。軍用で燃費も悪く、動かすだけでも膨大なコストが掛かる。次の襲撃も空振りに終わったら、流石に船の維持が厳しくなってくる。
そうなれば、船長は銀河征服の野望を実行に移すだろう。実行後の、それに伴う混乱がアスタロス一行に食い扶持をもたらしてくれる。
あの、ジーン・オルファンの寄越した情報で、船長が掲げる銀河征服。その野望を、ようやく実行へと移せる目処が立ったのだ。
だから、その借りを返す……その意味もあったのだが、ジーンが紹介した積み荷の買い取り先は、実際は買い取り能力など無い会社だった。
つまり、ジーンのもたらした偽の取引に踊らされたわけだ。
ただ、何のために、ジーン・オルファンがアスタロス一行を踊らせているのかは読めない。彼の素性は判然としないが、状況からアスタロスを罠に嵌める事は不可能なはずだ。
有り得るとすれば、船長の狙いを知って、それに便乗する意図でもあるのかも知れない。が、どうやって便乗するつもりなのか、便乗して何がやりたいのかが全く読めない。
『ジーン・オルファンですが……船長の目的を知って手を貸しているのかも知れませんね』
天道中継点における船長の協力者。コカサ女史は、このジーン・オルファンを予言者などと称していた。
まるで未来が視えるかのように、先見の明があるからだとか。
アスタロスに接触するよう、コサカ女史に働きかけたのも、このジーン・オルファンである。そして、コサカ女史を天道中継点の有力者へと導いたのも……である。
「そうかも知れない。予言者ジーンなんて呼ばれ、コサカ女史の話によれば、ホントに未来が視えてるんじゃないかって所がある。たぶん、アイツは俺に掃除をさせたいみたいだ」
これが船長の判断なのだろう。
船長は、ジーンの思惑に乗るつもりらしい。ジーン・オルファンが何者なのかを知りたいのだろう。
ユーリとしても、船長が、そう結論を出したのであれば異存はない。自分は道具なのだ。そして、その主は船長である。
高速貨物船『韋駄天』の船橋で、ジーン・オルファンは、アスタロスの動向を眺めていた。
とは言っても、『韋駄天』から直接アスタロスを観測しているわけではない。近隣船舶や、現在アスタロスへ接近中の巡視船からデータを受け取り、それを眺めているだけである。
「僕が知ってる通り、捕らえた乗員をカンオケに詰めて船外へ放出……これなら大丈夫だね」
呟き、ジーンは大きな溜め息を吐く。
そして、返事がない事に一抹の寂しさを憶える。以前の船、クィンビーには、お喋りな相棒が居たのだ。
韋駄天の乗員は、たった二人。しかも一人はコールドスリープ中である。だから、今のジーンには話し相手など居ない。
ジーンは、どちらかと言えば小柄な青年と言った外見だが、遺伝子レベルで身体を弄っているサラブレッドなので、外見から実際の年齢は測れない。遅老化長命処置のおかげで、見た目では二十代半ばだが実際の年齢は、さらに十歳以上も年を重ねているのだ。
サラブレッドは遺伝子改造を受けた『優秀』な人間、そのディアスにおける総称である。彼の故郷である帝国では、単純に強化人間と呼ばれていた。
ディアス多星系連邦で設けられた基準に合わせると、ジーンはAマイナスにランクされるサラブレッドに該当するらしい。この上には、AランクにAプラス、更に上にはSランクのサラブレッドも存在するそうだ。
ディアス・ネットワークの情報を渡した段階で、ガトーは即、動くと思ったが、あんな胡散臭い話に食いつくあたり躊躇しているようだ。
全く、想定どおりの行動すぎて、ジーンには苦笑しか出て来ない。
他の乗員達を巻き込みたくないのだろうが、あえてアスタロスに残った連中だ。むしろ、巻き込んでやるべきだろう。嬉々としてガトーのために働くはずだ。
彼の、かつての立場を考えれば、サイレンの残党達が放っておくわけがない。本人が望まずとも、御輿として担ぎ上げられる。だから、尻を蹴飛ばして動かざるを得ない状況に追い込んだ方が、当人のためになる。
そう考え、所詮は自分の自己満足にすぎないと溜め息を吐く。
だが、この自己満足こそが、ジーンにとっては大切なことなのだ。
気休めであっても、ガトーに……そしてサイレンに借りを返す。そうジーンは決めていた。
そうすることが、ジーンにとって、自分が自分であり続けるための手段である。そう信じていたのだから。
ジーン・オルファンの決断により、彼の祖国、帝国スメラは、ガトーが属していたサイレンに大きな借りを作ったのだ。
天道中継点の近くに浮かぶ宇宙施設から、コサカ女史ことコサカ博士はアスタロスの動向を見守る。
コサカ博士は、天道中継点にある研究機関に籍を置く統合科学者である。
統合科学者とは、一言で言えば細分化し専門馬鹿となった科学者達の橋渡し役だ。各分野におけるバラバラの研究成果を組み合わせ、一つの成果として仕上げる。そう言った事を専門に扱う科学者で立場としては、様々な学者のまとめ役に近い。
故に、学者としての能力よりも、政治的な手腕が問われてくる。
もっとも、統合科学者とは言え、元々の専門分野はあった。恒星船を専門とする機械工学である。
統合科学へと転身を図ったのは、サイレンとディアスの技術格差。それを思い知らされたからだ。
サイレンに及ばないと言うことは、当然、帝国スメラにもディアスの技術力は及んでいない。
事実、ジーン・オルファンの乗船である、船齢が一世紀に迫る旧型貨物船『韋駄天』と、ディアスの最新高速船の性能が同等という点からも、その格差は歴然としている。
真っ直ぐな長い黒髪。
外見は二十代半ばではあるが、不老化長命処理を受けたサラブレッドであるため、見た目どおりの年齢ではない。
その容姿はアスタロス副長、シモサカ・アオエに、よく似ていた。
コサカ博士は、タバコと取り出すと電熱ライターで火を付け一服する。
ジーン・オルファンの『予言』によれば、間もなくアスタロスが貨物船を爆散させるはずだ。
船外へ放出したカンオケ。それらと貨物船を結ぶ直線上へとアスタロスを移動させる……船の影にカンオケを隠すことで、爆発の余波から守るつもりなのだろう。
とすれば、間もなくアスタロスが行動を起こす。
……攻撃の兆候は一切掴めなかったが、行動は起こしたようだ。貨物船は突然、爆発した。
周辺の電波や光をネジ曲げているため詳細な観測はできなかったが、攻撃したような気配はない。恐らく、動力炉を暴走させる事で自爆を誘発したのだろう。
「中継点に対する示威行動を兼ねてるなら、明確な砲撃を行うべきじゃないかしら?」
口にはするが、アスタロスが直接攻撃を行わない理由は見当が付いている。
武器弾薬の補給を受けられないため、弾薬を消費したくないのだろう。
アスタロスは、この天道中継点へ辿り着く前に、既に何度も戦闘を行っている。が、弾薬の補給など、満足に受けられる状況ではないのだ。
何より、弾薬以上に補給が難しいのがアスタロスのエネルギー源である反物質である。
今の人類圏で反物質を量産できる国となると、帝国スメラぐらいなものだ。数年以内に、天道中継点の属するディアス多星系連邦も、その仲間入りを果たす。
……あのガトーから、サイレンの技術を買ったのだ。
同様にサイレン残党を軍門に加えたクルフス星間共和国も、近い将来、反物質の量産体制を整えるだろう。
そして十年以内に帝国スメラとクルフス星間共和国の戦争が勃発する……あのジーン・オルファンの『予言』である。
コサカ博士は、あのジーン・オルファンの予言を信じている。あの、サイレン・クルフス戦争の結末も、ジーンの『予言』どおりだった。
そして、昔サイレンに売られた自分の妹の事も、ジーンの予言で知ることができた。
サイレン・クルフス戦争中、天道中継点は密かにサイレンへの協力を引き受けた。が、サイレンの敗色が濃厚であることに気づき、慌てて手を引いたのだ。
サイレンから与えられた技術の見返りに、優秀な人材を提供する……その条件を反故にする変わり、優秀な人材のDNA情報を渡し、お茶を濁し最低限の繋がりだけは維持した。
おかげで細いなりに、天道中継点とサイレンの繋がりが残った。その繋がりを頼りに、ガトーはアスタロスで天道中継点を訪ねたのだ。
『さて、事態は僕の予想通りに進んでいる……このまま連中の支援をしてくれると助かるね』
唐突に通信機がしゃべり出すが、博士は慌てない。ジーンからの定期通信である。
「連中の支援をせざるを得ない状況をお膳立てしておいて、何を言ってるんだか……」
コサカ博士は愚痴るように応える。
アスタロスには、自分の妹が乗っているのだ。
かつてサイレンに提供された遺伝子情報。その中に博士自身の遺伝子もあった。それを元に造られたのが、アスタロス副長のシモサカ・アオエである。
つまりアスタロス副長は、コサカ博士の歳の離れた双子の妹と言うわけだ。
『妹云々より、僕の予言の信憑性を買ってくれたと思ってるよ。『魔女』の異名は伊達じゃないだろ?』
どこか楽しげなジーンの言葉。
必要とあらば身内も切り捨てた。それ故、冷血を強調すべく付けられた『魔女』二つ名である。
が、身内と言えども自分を利用しようとした者達であり、隙を見せれば追い落とそうと画策していた……だから切り捨てることに躊躇はなかった。
そしてジーンは、十数年以内に博士が失脚させられるとも予言いている。
大きく溜め息を吐く。
このジーン・オルファンを、『魔女』コサカ博士は量りかねていた。
帝国の工作員のようではあるが、単独行動で仲間と連絡を取り合っている気配はない。そして、一世紀近く古い記録では、クルフスの出先機関に属していたともある。
何より、あのガトーの援助は帝国の支援に繋がるとも思えない。
ただ、気になることがある。
一度だけ、ジーンの『韋駄天』へ入ったことがあるが、その時、船橋に飾られていた一枚の写真があった。
地面剥き出し。遙か後ろには熱帯の木々。そんな場所でとられた輸送艦を背にした集合写真。六十人ほどが写っており、その中央に、今とは若干顔の違うジーン・オルファンが写っている。皆が、粗末な服を着ていた。
コサカ博士は、その写真を完全に記憶している。
細かな特徴は、写真と今のジーンとは一致している。だから同一人物だと断言できるのだ。
いわゆるカメラアイ……見た対象を写真の如く記憶できる瞬間記憶能力である。それができるサラブレッドとして、彼女は造られたのだから。
あれは、ディアスやクルフスで撮られた写真ではない。
仮に未開地だとしても、この二国で考えた場合、あれだけの人数全員が着る物に困るような事態が起こるなど有り得ないことだ。
映画撮影の可能性も考えたが、背後の輸送艦から、その可能性を排除した。
その輸送艦は、ディアス多星系連邦を構成する一国。トーエーのアルベガス級輸送艦だ。
調べたところ合計二十隻が建造され、その現状は全て知られている。
大部分がスクラップになり、現存しているのは二隻のみ。
輸送艦であるにも関わらず、重く燃費が悪いと言う事で、ほとんど引き取り手が付かなかったのだ。
一番艦のアルベガスが製造国のトーエーで保管されている他、七番艦のカタストラが民間に払い下げられ、雷紋号と改名されて小規模な中継点に浮かべられている。
中継点の看板替わりに使われ、その映像はディアス・ネットワークやスターネット上に出回っていた。その為、旧カタストラの現在の画像映像は容易に手に入った。
表向きにはスクラップとした艦を、裏ルートでジーンが入手した。それなら話は早いのだが、あの船の特徴は雷紋号と、ほぼ一致したのだ。
名前の由来である雷紋……中華蕎麦の丼に描かれる特徴的な四角い渦巻き模様が、ジーンの写真の輸送艦にも描かれていた他、船穀に付いた傷までが一致したのだ。
経年劣化した雷紋号……それが写真のジーン達が背にする、あの輸送艦だ。コサカ博士は、そう断定している。
「今は伊達よ……将来的には伊達じゃなくなるって『未来人』の『予言』かしら?」
博士は揶揄するように言ってやる。が、この程度で気を悪くするようなタマでは無いだろう。
『好きに解釈してくれればいいさ』
通信機越しの楽しげな言葉。
……食えない男だ。
博士は内心、愚痴る。が、ジーンを悪人とは思っていない。ただ、この男は間違っても善人ではない。
事故を予測しておきながら傍観を続けられる人間であり、そして予想どおり大事故が起こっても笑っていられるような神経だ。どう考えても善人であろうはずがない。
ジーンの予言のカラクリも見えない。ジーンの立場上、あんな大がかりな細工は不可能なはずだ。
故に底が見えず、そして怖い人間だ。
信じたくはないが『未来人』である可能性も考慮している。だから、ジーンを敵に回したくはない。
「ガトー閣下がアナタに会いたがってたわよ?」
『僕は、あの人とは会いたくないな……』
どことなく嫌そうな気配が、ジーンの口調から感じ取れた。
あの人……と言う事は、ジーンはガトーと面識があるのだろうか?
ジーン・オルファンという名から、あからさまな偽名である事は察している。そしてガトーは、かつて帝国まで対クルフス戦争の講和調停、その嘆願に出張っている。
帝国内での高い地位があればガトーと面識があってもおかしくはない。だが、一介の船乗りにすぎないジーンが、そんな高い地位にいたとも思えない。
「ジーン・オルファン。アナタ一体、何者なの?」
『オルファンの名の通り……孤児だよ』
自嘲気味なジーンの言葉。
その意味を、コサカ博士は考える……答えは見つかりそうにもない。




