金魚
夏の縁日の帰り、広い池に彼女は飛び込んだ。
この蒸し暑く窮屈で、退屈な世界から……僕から解放されるために。
水の中は心地良い。むせ返るほどの息苦しさも、じっとりとした暑さもない。絡み付くような水の揺らぎを体で感じることが、何よりも彼女は好きなのだ。
お気に入りの赤い浴衣を着たまま池に飛び込んだ彼女。長い帯が、袖が、裾が、動くたびにひらり、ゆらりと踊る。浴衣が水の心地良い冷たさを吸い込んで、暑さに火照る彼女の体を冷ます。
楽しげな彼女を捕えようと僕の手が伸びる。
けれど彼女は僕の手を避けて、その体をくねらせながら池の向こうへ姿を消してしまった。
きっと誰にも見つかることなく自由に泳ぎ回りたいのだろう。赤くて目立つ浴衣を水に踊らせながら。自由きままに。
池の向こうを見渡せば、彼女と同じように池に飛び込んだ仲間たちが彼女を迎えていた。
赤、金、黒、斑。色んな浴衣を纏った彼女たちは群れとなってこの広い池の中を泳ぎ回る。ここが自分たちの世界だと主張するかのように。皆一同に口をそろえて僕に囁いているようだった。
「私たちは自由になったの」
と。
未だ世界からも、自分からも自由になることができない僕は、広い池からそっと立ち去った。
彼女はこれからも自由であり続けるのだろう。生が終わるその日まで。
そうして僕の後ろで、また一人彼女の仲間が池に飛び込んだ。
《了》