第六章 殺し屋の下準備
週明け午後のオフィスでは、金髪碧眼の黒人GolGorがデスクに機材を並べて唸っていた。
GolGorの無骨そうな太い指先が、無線式インカムのイヤホン部分をぐりぐりと弄くる。一つのイヤホン部分を耳に当て、他のインカムのマイク部分をぽんぽんと叩くとGolGorの耳に嫌な雑音が届いた。
思わずGolGorは顔を顰める。
GolGorは無駄口を叩くことも休むこともせず、ただ黙々とインカムや周辺機器を睨むように調整を続けた。時折、彼はインカムの調子を確かめるようにそれを耳に当てたり声を発したりした。
やはりインカムの具合は悪いらしい。そこへ、
「よお、いるかー?」
「……帰れ馬鹿野郎」
開口一番GolGorに一蹴されながら、男が一人ひょこっと顔を出した。
やや垂れたブラウンの瞳を持つ目に、口もとにはへらへらとした笑みがふらついている。頭髪は黒い綿を重ねたような丸いパーマ。
グレーの地に黒い斑をあしらった高級そうなスーツに、胸元には渋い紺のワイドタイが覗く。男の容貌からは軽薄な印象が滲むが、服装がそれを押し止めていた。
「おいおい、いきなりバカは酷いだろ」
突然浴びせられた暴言に男はからからと笑った。
「そんなこと言わないでさ。ちょーっち見てもらいたいモンがあるんだよ」
「……出て行けアフロ」
「アフロじゃねえ、ボンバーボブだ!」
〝アフロ〟と呼ばれて、男は急に声を荒げた。
「何度言ったらわかる! いいか、これはアフロ風のパーマをかけたボブカットだ。美容室でもそう言って切ってもらってんだ!」
GolGorは忌々しそうに目を細めたが、まともには取り合わない。騒がしい男のほうを見ないまま、ただカチャカチャと手元でインカムの周波数を回す。
「聞いてんのかよー」
「……OrB」
GolGorは深く溜め息を吐いて、
「冗談なら今度にしろ。忙しいんだ」
自分を一瞥もしないGolGorに面白くなさそうな顔のOrBと呼ばれた男は、それでも強引にGolGorの横へすり寄る。
「まあそう言わずに……ほらこれ!」
OrBは黒く逞しい肩に腕を回し、デスクに散らばる周辺機器の上になにか四角い紙片のような物を放った。
視界の隅にちらついた異物に、反射的にGolGorの視野が紙片を中心に据える。そこにあったのは、
「…………」
「な、凄いだろ?」
それはポストカードらしかった。
GolGorの大きな手の平に収まらない程度の長方形は、通信面が表になって置かれている。
そこには、女の子のアニメイラストがプリントされていた。
淡いパステル調の色使いだが、絵の具ではなくデジタルで作られたイラストだ。現実には染髪したニューヨーカーにしか見られないような薄いピンクのショートヘアの女の子が、木陰ですやすや眠っている。光と影の優しいコントラストが印象的なイラストだった。
女の子の着ている春っぽいスクール・ユニフォームと背景に見える校舎とが、それが典型的な日本のアニメーションらしいことを教えてくれる。
最近ネットで話題の、『ジャパニーズ・モエイラスト』というやつのようだ。
「………なんだ、これは」
やっと反応を見せたGolGorにOrBは得意顔で、
「ふふん。これ、ネットで限定予約したDVDの特典。『ひなたぼっこポストカード』っていうんだ」
「…………」
「ゲットするの、苦労したんだぜ!」
「…………」
楽しそうに胸を張るOrBに、GolGorはげんなりした顔でまた溜め息を漏らした。
「……ありゃ?」
GolGorの横顔を顧みて、OrBは肩から腕を放す。
中腰にしていた姿勢を戻して、椅子に座ったままのGolGorを見下ろした。そして訊く。
「もしかして、仕事中だった?」
「……見りゃわかんだろアフロ野郎……」
がしがしとGolGorは短く刈り込んだ金髪を掻いた。
「だからアフロじゃねーって。ボンバーボブだっつの」
「もういい。わかったからあっち行ってろ」
しっしっ、と払うようにGolGorは左手を動かした。
しかしOrBは注意を無視して、今度はオフィスのなかを揺るぎ歩き始めた。
オフィスに据えられた書棚や植物を勝手に眺めて回るOrBだったが、それで静かになるならとGolGorはわざわざ口論しない。
同時双方向通信機能の具合を調整して、ようやくインカムは直ったようだった。
試しに何度か受信と送信の役割を四つのインカムで交代させながら、その音質などを確かめる。特に不具合はなかった。
GolGorは一息吐いて、次にカラーコピーされた拡大地図を引き出しから取り出した。衛星写真とデジタルデータの画像を重ねて表示した地図は道路幅や建造物の大きさから察するに街中の一角を表した物のようだ。
地図の中心には「オルビス農家」の文字。他に示された文字とはフォントやサイズが違うため、この部分だけは後から加えられたものらしい。
文字の側には果樹園の地図記号。オルビス農家は四囲を森や山に囲まれていて、近くの山道に通じるのは東側の細い道だけだ。
拡大地図にはそこから一キロメートル四方に渡って細かく道や建造物の情報が記されていた。
「なーなー、このコミック続きねーの?」
インクの跡を残さないよう、芯を閉まったままのペンの先で細い路をなぞる。
その手は少しして止まった。眉根が真ん中へ寄っていって、GolGorは当惑顔になる。
「おまえ、仕事の準備してるときすごい不機嫌になるよな」
「…………」
「見てりゃわかる。長い付き合いじゃねえか」
「……だったら邪魔すんな」
何を思ったのか、GolGorは地図をそのまま折り畳んだ。元あった引き出しにしまって、代わりに別の引き出しからノートパソコンをデスクの上に出した。
起動し、ユーザ名とパスワードを打ち込んで文書作成ソフトを開く。
履歴から、一番最近に作ったファイルを持って来た。
文書の行数や余白を微調整したあと、GolGorは太い指先でキーボードをカタカタ鳴らし始めた。
その様子を後ろからOrBが覗き込む。
「……〝退職願〟? なに、おまえ辞めんの?」
「馬鹿。この仕事がこんな書類一枚で辞めれるわけねえだろうが」
手を動かしながら、GolGorは背後からの声に応答する。
「俺のじゃねえ。いま抱えてる目標の分だ」
「あー、アフターケアってやつね」
OrBは小指で耳の穴を穿りながら小さく欠伸を漏らした。
「おまえも面倒なことやってるね」
「……急に移民が一人消えたらビックリすんだろうが。捜索願とか出されて警察の手を煩わすわけにはいかねえし」
「ふーん」
OrBはその話題に大して興味がないようだった。
「……というか、てめえがやらねえ分の後始末は全部掃除屋とか『K's』のほうに回ってんだ。ちゃんと仕事しやがれ」
「へいへい」
適当に返事をして、OrBはまた書棚を漁り始めた。
暫くの無言がGolGorのキーボードを叩く音を強調する。珍妙な静寂がオフィスに蟠った。
「そこまですんならよ、」
不意に、OrBが書棚に並んだ本の背表紙を指でなぞりながら口を開いた。
「そのオルビス農家とやらが、移民に悪印象持たねえように、ってとこまで始末してやれよ。農業ってのは移民にとっちゃ大事な働き口らしいからよ」
「OrB」
今日初めて、GolGorはOrBの振った話題に能動的に言葉を返した。
OrBは振り向いて、画面を眺めながらキーボードを打つGolGorの後ろ姿を見つめる。
GolGorは須臾の間だけその手を止め、盛り上がった肩越しにOrBの瞳を見据えると、
「それは、合衆国の利益に繋がることか」
鋭く重い眼光がOrBを見透かした。
そしてGolGorはOrBの反応を待たず、すぐに首を前へ返して作業へと戻った。
OrBは暫くの間、ノートパソコンに向き直ったGolGorの背をぽかんと眺めていたが、やがて嘲笑とも失笑とも取れない表情を顔に貼り付けて、こう言った。
「……おまえもInBaも、ちょっとお堅すぎるぜ」
* * * * *
「おう、HLuKiか。どうだった」
数十分後。
ケタケタ笑いながらOrBが去ったあとの小さなオフィスで、GolGorは携帯電話で同僚と通話していた。
「………ほう。それはちょっと面白いな、明日じっくり聞かせてくれ」
燃えるような夕日の射し込むオフィスの一角で、GolGorは電話を片手に空いた手で別の作業を行う。
「Star Mからは二時間前に連絡が来た。奴のほうは、結局空振りっぽいな」
話しながら、GolGorは右手だけで器用に中性洗剤と黒色火薬用溶剤を染み込ませたクロースを操って、管腔の内側を丁寧に掃除した。黒ずんだ汚れがクロースにひっついていく。
「おう。neutからは画像データが既に送られてきてる。おまえの言うとおり、農場で働いてるってのは偽装なんかじゃねえみたいだな」
今度は乾いたクロースで、管腔に残った水分を拭き取った。乾いたクロースを初めに使ったクロースの横に置き、次にGolGorは側に広げておいた第三のクロースに防錆オイルを浸透させる。
「こっちの準備は順調だぞ。俺がやることになっても問題はねえ」
細い管腔を覗きながらGolGorは防錆オイルを纏った厚いクロースで管腔内部を斑なくコーティングした。それが終わると、その手を管腔外部にも広げる。
「いや、neutにやらせんのはまだ早いだろ。もっと単純な案件のときに経験を積ませたほうがいい。Star Mの奴は……タンジェールまで行くのを面倒がるだろうな」
管腔を余すところなく磨き上げたGolGorは、仕上げに機械部品群の細部を毛先の細いブラシで掃いた。
デスク上に零れた塵を手の甲で払い落とし、手際よくそれぞれの部品を適切に組み立てる。油を注された部品は詰まることもなくすんなりと嵌まっていった。
「ああ。じゃあまた明日オフィスで」
耳を画面から離して通話終了の表示をタップしたGolGorは、最後に手元を見下ろしながら後部と下部に螺子を挿入してバレルを取り付けた。
鼠色のデスクの上に出来上がったのは、湾曲したバレルや蝸牛の殻と煙管を合わせたようなハンマーが特徴的な、短い木製の拳銃だった。
先込め式、四十四口径で装弾数僅か一発の小型拳銃は、その身に夕日を浴びて赤く燃え上がる。
GolGorは無骨な指先で、所々装飾の削れたデリンジャーの木目を不器用に撫でた。
準備は万端。
ティアゴ・ラランジェスの殺害依頼日まで、あと二日───。
お久しぶりです。
桜雫あもる です。
特に注釈とかはないのですが、本文後半に出てくる拳銃を整備する場面について少しだけ。
この拳銃は実在するリンカーン大統領を暗殺した小型拳銃を元にした同一モデルのつもりで書き進めていたのですが、調べてみるとやや古い形式の銃らしく、整備の手順などが全くわかりませんでした。
同名別種の拳銃のほうがメジャーだったり、モデルガンはヒットするものの構造については記述がなかったりでてんやわんや。
そこで軍事・銃ネタに詳しい友人に適切なアドバイスを頂いて、なんとか妥協なしに書くことができました。
この場を借りて限りない感謝を伝えます。
それでは、引き続き『優しい殺し屋の不順な事情』をお楽しみください。




